(2025年11月11日)

 アメリカの独立宣言と憲法の革命性

~その思想の世界史的展開と植民地主義の逆説~

 

はじめに

トランプ大統領のMAGA(Make America Great Again)はいつの時代のどのアメリカを指して偉大といっているのだろうか。表面的には、経済力・軍事力をバックにした最大限の強制力をもった時代のアメリカの夢を語っているかのようだ。それにたいして、アメリカの学問や文化や科学や芸術などのソフトパワーをないがしろ、ないしはアメリカが築いてきた善きもの(Goodness)をだいなしにしてしまう、と批判して対抗するMAGA(Make America Good Again)をスローガンにする人びとが増えてきている。<注>

アメリカという存在は矛盾に満ちた存在だ。アメリカだけでなくあらゆる運動する物事や事象は矛盾を内包する存在であって、矛盾こそが運動のエネルギーである。アメリカは250年前にヨーロッパ文明が生み落とした人工国家であり、トランプ大統領の言う「グレート」とは別の意味で、善と悪の二大矛盾を内包する偉大な国家であったし、今もそうである。

日本にとってアメリカは、明治維新後もアジア太平洋戦争での敗北後も、切っても切り離せない存在であることを理解し、「Good Again」にするにはどうすればよいか、真剣に考える必要がある。それはアメリカ人だけでなく、日本人にとってもわがことなのだ。

 

(1) 独立戦争と「反王制・反植民地主義」の思想的出発

アメリカは1775年に始まる独立戦争を経て、1776年に独立した。国家としての独立を世界に宣言したのである。独立戦争は宗主国イギリスからの単なる離脱運動ではかった。むしろ当時の世界を覆っていた王権・封建・植民地主義体制への一大挑戦であった。とくに独立宣言の冒頭に掲げられた有名な文言――

「われわれは次の真理を自明のものと信じる。すべての人は平等に造られ…生命、自由および幸福の追求を含む、一定の不可侵の権利を創造主から付与されている。」

この一句は、君主の恩寵によらない「人間固有の権利」という概念を初めて政治的実践に結びつけた点で画期的であった。ジョン・ロックの社会契約論を基礎にしつつも、それを具体的な国家建設の理念へと転化した点に、アメリカ革命の思想的独創性があった。

同時に、1787年に制定されたアメリカ合衆国憲法は、「王なき国家」をいかに統治するかという世界初の実験であった。第一条から第三条までで立法・行政・司法の三権分立を定め、権力を分散することで専制を防ぐ構造を築いた。また、憲法修正第一条(1791)は、言論・出版・宗教の自由を保障し、国家よりも個人の自由を優先する原理を確立した。これらは「反王制=民主主義」「反植民地主義=反帝国主義」の理念を法的に制度化したものであった。

 

(2) アメリカ革命の国際的影響

アメリカの独立宣言と憲法は、瞬く間に世界各地の独立運動に火をつけた。フランス革命(1789年)はその最初の例である。「人権宣言(1789)」の序文には「アメリカの自由の原理に学ぶ」と明記され、人民主権と基本的人権の考え方は直接的にアメリカから輸入された。

また、ラテンアメリカではシモン・ボリバルらが独立戦争を指導し、ボリビア共和国憲法(1826年)はアメリカ憲法を範とした共和制を採用した。フィリピンのマロロス憲法(1899年)も同様にアメリカの民主主義理念を参照しており、植民地支配からの脱却を「人民の権利」として位置づけた。

 

(3)ホー・チ・ミンとベトナム独立宣言

こうした影響のなかで最も象徴的なのが、1945年のベトナム独立宣言である。ホー・チ・ミンは日本が敗戦するやいなや1945年9月2日にハノイのバーディン広場でベトナム民主共和国」の独立を宣言した。宣言は次の言葉で始められた。

「すべての人は生まれながらにして平等であり、生命、自由、幸福を享受する権利を有する――これはアメリカ合衆国独立宣言の言葉である。」

さらに、彼は続けてフランス人権宣言を引用し、植民地支配下のベトナム人民の独立を「人間としての当然の権利」として宣言した。ホー・チ・ミンはパリ留学中にアメリカ独立宣言を読み、「革命は王権から人民への権力移行である」と述べている。つまり、アメリカの理念はアジアや世界の独立、さらには社会主義革命をも鼓舞する普遍的原理として受容されたのである。

 

(4) アメリカの「植民者植民地主義」という逆説

しかし、アメリカ革命には深い逆説が潜んでいた。独立を宣言した「自由の国」アメリカ自身が、同時に新大陸の先住民を征服・排除する「植民者植民地主義(settler colonialism)の実践者、体現者だったからである。

たとえば1778年の最初の条約「デラウェア族との条約」は形式上は平等な協定であったが、実際には土地の割譲を強要する不平等条約であった。19世紀に入ると「インディアン移住法(1830)」により、チェロキー族をはじめとする先住民はミシシッピ以西に強制移住させられ、数千人が「涙の道(Trail of Tears)」で命を落とした。

また、メキシコ戦争(1846–48)は領土拡張のための侵略戦争であり、カリフォルニア、テキサスなど広大な地域が奪われた。つまり、アメリカの自由と民主主義は、他者の土地と生命の犠牲のうえに築かれた「排除的民主主義」であった。

 

(5) 日本への伝播――北海道開拓とアイヌの収奪

このアメリカ型の植民者植民地主義は、19世紀後半、明治維新後の日本に導入された。北海道開拓を主導した黒田清隆は、米国視察中に開拓政策の原理を学び、帰国後に北海道開拓使を設立した。その際に招聘されたのが、マサチューセッツ農科大学のウィリアム・スミス・クラーク博士である。

クラークは「Boys, be ambitious!」の言葉で知られるが、彼が植民地学を教授し指導した北海道農学校(のちの北海道大学)は、アメリカの「フロンティア精神」――すなわち未開の土地を開発し、原住民を文明化するという思想をそのまま受け継いでいた。クラーク博士が札幌農学校初代教頭として招聘された際、助手・教員としてウィリアム・ホイーラー(William Wheeler)を伴った。クラークは約8か月で帰国したが、ホイーラーはその後も札幌農学校の教員・実務指導者として残留し、植民地経営を指導した。開拓の過程でアイヌ民族の土地と文化は徹底的に収奪され、アイヌ民族は「旧土人保護法」(1899)によって同化政策の対象とされた。
ここに、アメリカ流の「開拓=文明化=征服」という論理が日本の国家建設に移植された姿が見られる。(黒田清隆の出身藩薩摩は琉球や奄美大島など島しょ部においてサトウキビの植民地主義的栽培を行うなどして明治維新の軍費を蓄財した。)

 

(6) 植民者植民地主義の日本的展開――台湾・朝鮮・満州へ

その後、日本は日清戦争(1894–95)で台湾を、日露戦争(1904–05)で朝鮮半島および満州への進出権を獲得した。日本の指導者たちは、アメリカの西部開拓に範をとり、「新天地の開発」「文明の使命」を掲げて植民地支配を正当化した。

たとえば、南満州鉄道会社は「開拓使的使命」を自称し、現地資源の収奪とインフラ整備を通じて日本の「帝国的近代化」を推進した。こうした思想の源流には、アメリカのモンロー主義的な「運命の明白性(Manifest Destiny)」が透けて見える。すなわち、近代化と文明の名を借りた帝国主義的拡張である。

 

(7) 帝国主義国同士の対決と反帝国主義の波

やがて日本は、教師であったアメリカと同じ帝国主義国家に成長し、太平洋を舞台に激突する。第二次世界大戦は、実質的に帝国主義間の領土および植民地争奪の覇権争いであり、アジア太平洋戦争は「欧米の植民地体制に挑戦する日本」という形をとったが、実際には日本もまた植民地支配の加害者であり、実際、欧米帝国主義と植民地争奪戦をおこなったにすぎない。

しかし、帝国主義戦争として始まった第二次世界大戦は、ソ連社会主義が加わり、反ファッショ戦争の性格が強まるにつれて植民地諸国人民の覚醒を促し、アジア・アフリカ・中東・ラテンアメリカでの独立の機運を引き起こした。インド(1947)、インドネシア(1949)、アルジェリア(1962)など、多くの国々が植民地支配から脱し、アメリカの独立宣言や社会主義ソ連の理念――「すべての人は平等に造られている」――を自国の憲法に刻みこんだ。皮肉にも、アメリカの反帝国主義的理念は、アメリカが予期せぬ形で世界の反植民地運動に力を与えたのである。

 

(8) 結論――「和魂洋才」とアメリカの影

以上のように、アメリカの独立宣言と憲法は、王権・植民地主義・帝国主義への抵抗として誕生し、その民主主義的理念は世界の独立運動を鼓舞した。しかし同時に、アメリカ自身が「自由の名のもとに土地を奪う」植民者国家として振る舞ったという逆説を抱える。

その矛盾は、後にアメリカに学んだ日本にも伝播し、「和魂洋才」を標榜しつつ、自由と民主主義の理念よりも帝国的拡張と支配の「才」を強く受け継いでしまった。

アメリカの革命は「自由の理想」を掲げながらも、他者の犠牲の上に成り立つ限り、それは真の自由ではない。真に革命的な精神とは、自国の権利のみならず、他者の権利をも尊重する普遍的正義にある。その理念を、われわれは改めて問い直さねばならない。

第二次世界大戦前の日本には、アメリカが世界に示した文明的、普遍的な「善」はない。ただ、アジアや抑圧された世界人民にとっては日露戦争で初めてヨーロッパ人を打ち負かした国、という「屈折した」賛辞が贈られている。第二次世界大戦後は、2度も原爆を落とされ国土を焦土とされたにもかかわらず奇跡の再生を果たし、世界有数の経済大国、技術大国になった日本として憧れの眼で見られた時期があった。しかしそれは実はアメリカの威を借る狡猾なキツネにすぎなかったことを自覚すべきだろう。その自覚なしに日本が世界で尊敬される国(日本国憲法前文)にはなれないのではないか。

野口壽一

 

<注>

「Make America Good Again/GOOD Again」用例の分野別一覧化(人名・媒体・日付が分かるものは併記)

政治家・選挙・公式文書

ロイ・ムーア(アラバマ上院候補)— 2017年10月、保守系大会で「We need to make America good again」と演説。
ジョージ・グラック(MD第6区候補)— 2018年のスローガン「Make America GOOD Again, This Time for ALL of US」/2024年の選挙ガイドにも記載。
サンディエゴ・ユニオン=トリビューン紙(社説の肩見出し)— 「Vote Pete Buttigieg president to make America good again」(2020年2月・キャンペーン資料に転載)。

書籍

Joe Battaglia, Make America Good Again: 12.5 Biblical Principles…(2020, BroadStreet)— 著者サイト/販売ページ等。
Bill Brown, Let’s Make America Good Again(2020, 302 Books)— 書誌・販売情報。

宗教・説教・ラジオ番組

Pastor David Bass(New Geneva OPC)— ラジオ番組回タイトル「Make America Good Again」(2022-07-24)。
Pastor Ernie Sanders(Truth Network “What’s Right, What’s Left”)— 「America was great because America was good… we need to make America good again.」(2024-05-26)
Fr. Jerry Pokorsky(CatholicCulture.org)— コラム題「Make America Good Again」。
牧師 David Bahr の説教ブログ(2021-01)— 「Let’s Make America Good Again」。

ジャーナリズム/論考(見出し・本文で提案的に使用)

The New Republic(Parker Richards, 2022-03-17)— 記事タイトル「Make America Good Again」。誌面PDFの目次にも掲載。
Peter Pomerantsev(Coda Story, 2024-11-04)— 「MAGA を “Make America Good Again” の意味に」。
Washington Post オピニオン(2025-05-16)— 本文中で「make America good again」のフレーズを用いた論考。
Al Arabiya English(2021-01-11)— 「偉大にする前に“good again”に」の文脈で引用。

セレブ/SNS 等の用例(発言・拡散)

ハーヴェイ・ファイアスタイン(2020-02-24)— 「Vote Pete Buttigieg… make America good again」と投稿。
ジミー・キンメル(2021-01-22)— 「…do your best to make America good again」と投稿。
CNN番組トランスクリプト(2024-04-27)— 「I used to say… make America good again」とコメンテーター発言。
Twitter/X ハッシュタグ #MakeAmericaGoodAgain(随時)— 一般ユーザーの使用例多数。

グッズ・スローガン流通(Tシャツ等)

Amazon 他「Make America GOOD Again」Tシャツ等の販売。
Etsy のパロディTシャツ(商品説明でキンメル言及)。
Walmart(「Jimmy Kimmel Inspired」表記の商品ページ)。

その他の散発的用例

2016年の有権者インタビュー(Ideastream 公共メディア)— 「make America good again, great again…」と発言。
Daily Kos(2018-12-06)— 記事末尾の呼びかけ「Let’s Make America Good Again」。
地方ブログ/エッセイ(2025-02-12)— 「まず“good again”にしよう」という主張。
Doonesbury “Blowback”(WP内の読者投稿, 2018-06-25)— スローガン提案として言及。

まとめ

「Make America Good Again」は、全国政党の公式スローガンとして定着した例は見当たらないが、地方候補(例:グラック)や宗教・保守系の論者・説教タイトル、社説のキャッチ、SNSやTシャツ等の草の根流通で広く確認できる。

ロイ・ムーアの演説(2017)が政治文脈での初期の著名例で、その後はBattaglia の同名書籍(2020)などを通じて文化・宗教圏で反響が拡大した。