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(2023年8月15日)

 『詩の檻はない』 

~アフガニスタンにおける検閲と芸術の弾圧に対する詩的抗議~

 

表題は、今日発売開始される書籍のタイトルである。日本とアフガニスタンで永遠に記憶されるべきふたつの8.15に、第3の8.15が付け加えられる記念すべき日となった。

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日本関連からは俳句を含むさまざまな形式の36作品(36人)、海外からは21作品(21人)が収録されている。世界中から作品を寄せた100人以上の半数以上の作品が収録されている。

ロッテルダムに作品を寄せた顔出しOKの詩人たち

 

発売前日、アマゾンの販売ランキングでは、予約注文であったにもかかわらず、詩の部門で1位の座を獲得した。初版発売後の増刷が期待される。

 

 

● 11月にはフランス語版が

この本のタイトル『詩の檻はない』のヒントとなる詩を書いたセシル・ウムアニ(Cécile Oumhani)さんは、14日、フランスからつぎのような祝辞を寄せてくれた。

「ソマイア・ラミッシュが収集した詩のセレクションが、日本現代詩人会のメンバーである柴田望氏によって出版された。柴田望氏は今週、テレビで「No jail can confine your poem(あなたの詩を閉じ込める監獄はない)」を紹介した。この本には、アフガニスタンにおける詩と芸術の禁止に対する反動として、日本の詩と世界各地からの詩のセレクションの日本語訳が収められている。ソマイア・ラミッシュと柴田望が私の詩の一節をタイトルに選んでくれたことを光栄に思う。 ソマイアに心から感謝します。柴田望、日本で旅立ちつつあるこの本をありがとう。これらの詩のフランス語版も準備中です。今秋、キャロル・カルシロ・メスロビアンの協力により、エディシオン・オキシビアから出版される予定です。」

ウムアニさんは、ソマイアさんのアピール「世界中のすべての詩人の皆さんへ」をいち早く受け止め、フランスからヨーロッパへ、そして世界へと広げる手助けをし、いまフランス語版の編集・制作を進めているフランスの詩人、小説家であり、パリ・エスト・クレテイユ大学の元講師で、詩集や小説を公刊している。2014年、作品全体に対して「フランス語圏ヨーロッパのヴァージル賞(Prix européen francophone Virgile)」など多くの受賞歴があり、国内外でさまざまなフェスティバルに参加し、雑誌「アプレイウス(Apulée)」の編集委員を務め、フランスPENの会員。「フランス語圏作家会議(Parlement des écrivaines francophones)」の創設メンバーの一人だ。彼女は、「書くこと」の意味を追求してきた詩人で、今回の『詩の檻はない』にも「書くのを止めるな どんなに血と涙が流れようと」、と力強い詩を寄せている。

 

● 歴史的で画期的な出版

なにが新しいのか。第一に挙げられるべきは、SNSなどネット時代のコミュニケーション技術が駆使された点である。そのため、極めて短時間でネットからリアルへ展開し、ヴァーチャルとリアルの融合が成し遂げられた。
ソマイアさんは序文でこう書いている。

「(2023年1月15日から3月10日まで)日を追うごとに、不退転の決意をもってこの運動に参加した情熱あふれる詩人たちの詩が湧き出てきました。オランダ、チリ、フランス、バングラデシュ、アメリカ、ベルギー、カナダ、イラン、日本、ネパール、そしてインドから詩が殺到しました。何度も何度も、これらの詩句を読んで涙が出ました。」

ソマイアさんから野口にアピールが届いたのは2月13日。翌日付で『ウエッブ・アフガン』に掲載した。当初、原稿の締め切りは3月1日だった。だが、日本ではまったく間に合わない。3月10日まで伸ばしてもらった。

野口はサイトに彼女のアピールを掲載すると同時に、アドレスをネット上に公開している日本の文学団体や詩の団体十数か所に、アピールに賛同し行動を起こしてくれるようメールした。多くの団体は無反応。よくて「検討します」だった。だが、何人かの詩人から「詳細を教えてほしい」との個人的な問い合わせがきた。そのなかのひとりが旭川在住の詩人柴田氏だった。

柴田氏は日本現代詩人会に所属するとともに自身が詩誌「フラジャイル」を主宰する詩人だった。彼はソマイアさんのアピールを自身のSNSに掲載し、詩の仲間に拡散してくれた。柴田氏の書き込みは詩の世界に波紋を広げた。アピールの中身に対して、「そんなバカな」「うそだろう」「投稿料をかすめ取る詐欺だろう」、「政治利用だ」などの反発が起きた。柴田氏は、自分自身でソマイアさんのアピールの真偽を確かめ、さらに調査の過程をSNSで公表した。小さな波紋が幾重にも重なって大きくなっていった。このプロセスは下記を参照。

<旭川から日本へ、そして世界へ>
https://afghan.caravan.net/2023/04/01/from_asahikawa_to_world/
<言葉の繫がりの波立ち>
https://afghan.caravan.net/2023/04/05/shibata/

一昔前であれば、せいぜい電話かファックスであったものが、メールやSNSやビデオチャットなどに変わり、情報の伝達スピードは1秒間に世界を7まわり半する光速になった

第二にネットが活用されたため、日本では結果的に、若い層からの全国的参加が実現された。
収録された36篇の詩を送ってくれた詩人の多数は20代から30代であり、最も若い詩人は8歳の少女だった。詩を寄せてくれた若者の多くは、それまでアフガニスタンでの出来事をほとんど知らず、今回のアピールによって知った人々がほとんどだった。詩の形式もさまざまでラッパーが不条理に怒りを表明したり、詩を書くという行為自体を刺激されて初めて作品を寄せたひとから、詩集を何冊も出版し、いくつもの賞を受賞したベテランまで、層の厚さは、他の国に比べ異彩を放った。

第三に既存組織に頼ることなく徹頭徹尾個人の発意に基づくものであった。
従来、今回のように政治的な内容を含むアピールの実践は、さまざまな団体がバックにあって「運動」として展開されるケースがほとんどだったのではないか。自然発生的に詩がつくられ、リアルタイムでネット上に公開され、それが刺激となってさらに新しい詩が寄せられ、わずか数カ月で多言語の詩が翻訳され出版にまでこぎつけられたのには、作品を構想し創造する詩人だけでなく、ネット技術、コンピュータ技術を駆使して寝食を忘れて編集や翻訳に取り組んだ人々、写真やイラストを寄せたひとびと、多くの人々の参加があった。詩の世界に限らず、かつて、このような形で、あるひとつの国の苦難を打開しようと闘う人びとに心を寄せ連帯する世界的な共同作業があっただろうか。

第四は配本形態=クラウドのオンデマンド。
販売までのスピードと世界に向けて同時配本されるシステムの存在をあげなければならない。つまり、オンデマンド出版と世界配送を実現したアマゾンのシステムである。これは改めて説明するまでもないだろう。

 

● 国際連帯活動の新しい形

今回、自身も作品を寄せている岡和田晃さんは、3月25日付図書新聞の文芸時評「奇妙なことに本邦では世間的キャリアのある詩人ほど冷淡な態度を見せ、『タリバンが詩作を禁じた証拠はあるのか』、『詐欺ではないか』との反応すら起きる始末。タリバンの側からすれば『瀆神的な詩を規制しただけだ』と主張するに決まっていよう」と書いている。また、野口のもとには、作品が政治利用されるのではないかとか、年配の詩人からは、日本の詩はほとんど抒情詩が多いから賛同者はすくないのでは?といった危惧も寄せられた。戦前、芸術家が戦意高揚のキャンペーンに利用されたり、戦後もさまざまな政党間の軋轢の中で芸術と芸術家が「政治利用」されてきた苦い経験をもつ日本にあっては、理解できないわけでもない。

だが、このような反応をひとつひとつ潰して作品を集め、ソマイアさんに送り続けたのが旭川を拠点に詩の運動を展開してきた柴田さんだった。
柴田さんはあとがきに書いている。詩人およびその作品がマスメディアによって政治利用される現実に対して「デヴィッド・ボウイは既成概念に対し常に挑戦する革新的な表現者です。あらゆる権力が芸術を使って民衆を操ろうとしていることを見抜き、巧妙に告発しました。」そう思うからこそ、柴田さんは「『詩を書き続けたい』という詩人の聲に心を動かされ、応援したいという意思を持つことは、政治以前であり、根源的な存在の問題に関わる人類の想いの顕れであり、その領域に触れることが詩の営みであると考え、ソマイア・ラミシュさんのメッセージをSNS 等で拡散」させたのだという。
柴田さんだけでなく、作品を寄せたクリエイターたちも、「詩を読み、書くことは自分が生きている世界を理解し、どう生きるかを模索すること」だという柴田さんの想いに応えて作品を書いたのだろう。誰かに頼まれて、誰かのために書いたのではない。自分自身の生きる道を探るために書いたのだ。このアンソロジーはそのような作品の集成であり、そのような想いを国際連帯活動に結びつけた、詩の運動であるところに意味がある。

過去に戸惑わず、自分のいまをベースに、素直に現状に立ち向かう若い世代(Z世代)の登場は、日本の未来を明るくするものではないだろうか。

 

● 長い闘いの出発点

「ターリバーンとの戦い」は、「ターリバーン的存在との戦い」である。詩および詩作の禁止は、思想統制であり古い思想と新しい思想の闘いである。アフガニスタンのようにあからさまな検閲と思想統制、刑罰は1945年の8.15で、日本からは姿を消した(ことになっている)。ただし、より巧妙で隠微な形でその本質はいまでも生きている。アフガニスタンの8.15は、日本の戦前のような分かりやすい形態へのスイッチ・バックであるともいえる。分かりやすいとはいっても現象面では苛烈な弾圧と命の危険が待っている。

アフガニスタンは今、「心を浄化し、精神を高揚させ、個人の精神的成長を促す」ものであったはずの宗教が「物質的なメリットや社会的地位、政治的な影響力、富や権威の追求を提供する体系へと変貌」「不健全で問題を抱えた宗教的信念をさらに制度化し、憎悪と反感を助長し、さらなる流血と暴力を扇動し、社会の後進性を永続させる」と断言されている。(パキスタンJUI学派への自爆攻撃:宗教と暴力の混合の結果「ターリバーン的存在」とは、本質的には「物質的なメリットや社会的地位、政治的な影響力、富や権威の追求を提供する体系」であり、『詩の檻はない』と主張する者の闘いの対象はそのような存在であるに違いない。精神面での戦いがなければ「不健全で問題を抱えた宗教的信念をさらに制度化し、憎悪と反感を助長し、さらなる流血と暴力を扇動し、社会の後進性を永続させることにつなが」る。

詩による闘いとは、それらとの戦いであり、長く続く永続的なものなのだ。

 

● ロッテルダムから旭川へ、旭川から世界へ

ともあれ、詩による国際的な戦いと連帯はいま、始まったばかりである。
ソマイア・ラミッシュは本書の冒頭に寄せた詩で書いている。

世界のどの地域も夜
夜明けの血は、明日の血管の中で枯れ果てた。
どの時間帯にいても、私は泣いています。
あなたはどの時間帯にいるのですか?
あなたには、私たちの声は聞こえませんか?
世界中の自由な人々よ、
自由を体現する像をもつあなたたちよ、
/・・・/
私たちは、死から生へ還って来たのです。
仕事、パン、自由
女性、生活、自由

(原注)
「仕事、パン、自由」は、抑圧、差別、独裁、宗教的過激主義に街頭で反対するアフガン女性のスローガン。
「女性、生命、自由」は、抑圧、独裁、宗教的過激主義にイランの街頭で反対する女性たちのスローガン。

ロッテルダムからのこの叫びが旭川に届き、旭川から世界へと日本語での応答の輪が広がった。次はフランスからフランス語による波紋が広がっていく。そして大地を揺るがすエネルギーとなってアフガニスタン現地で闘う人びとのもとに還っていくことだろう。

本書のタイトル『詩の檻はない』を与えたフランスの詩人セシル・ウムアニさんは自身の投稿詩にこう書いている。

詩を閉じ込められる檻はない/
詩人の言葉を止められる政府などあり得ない//
きっと明日は来る//
どんなに血と涙が流れようと/
もう一つの世界は可能だ

 

【野口壽一】

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