A year of Propagating Virtue and Preventing Vice: Enforcers and ‘enforced’ speak about the Emirate’s morality law
(WAJ: イスラームは神(アッラー)の啓示である聖典クルアーン(コーラン)と預言者ムハンマドの言行録であるスンナを伝える文献であるハディースの2本柱からなる。しかしそれだけでは信者の生活すべてをカバーすることができず、2本柱を基本に宗教学者がさまざまな法源を定める。そのひとつがシャリーアである。シャリーアはイスラム法と呼ばれることもあり、それ自体をシャリーア法とも呼ぶ。ターリバーンも歴代最高指導者の解釈や現在の最高指導者ハイバトゥラー・アフンザド師の独自の解釈を集大成し、最新のシャリーア法を定めている。その重要なひとつが、昨年定めた新しい勧善懲悪法だ。その実施1年の機会に、ドイツとアフガニスタンに活動拠点をもつアフガニスタン・アナリスト・ネットワークがその法によって取り締まられる側と取り締まる側に法の実相を明らかにするインタビューを試みた。きわめて興味深い調査内容を、シェアし、ターリバーンが何をなそうとしているのかを考察してみたい。)
ケイト・クラークとそのチーム(アフガニスタン・アナリスト・ネットワーク)
2025年8月21日
イスラム首長国が「美徳の奨励と悪徳の防止」に関する新しい法律(勧善懲悪法:Law to Propagate Virtue and Prevent Vice(PVPV法))を公布してから1年が経つ。アフガニスタン人の服装や行動を変えるという目標は、1990年代に運動として登場した当初からターリバーンの変わらぬ使命である。この法律は、首長国がアフガニスタンの男女に対して義務と見なす行為、禁じられた行為を定めただけでなく、それを執行する者の義務と権限についても規定している。執行者には、違反者を取り締まり処罰する広範な権限が与えられ、さらに男性執行者にひとつの特権が与えられた。すなわち、職務の一環として、血縁関係のない女性と接触することが法的に認められているのである。こうした女性への監視はアフガン人に大きな恐怖と不安を与えており、ケイト・クラークとAANのチームがこの法律について男女にインタビューした際にも、そのことが明らかになった。だが、同じく取材を受けた3人の執行者(いずれもカーブル勤務)は、人々の心に恐怖を植え付けたいという欲望ではなく、むしろカーブル市民の道徳的行動を取り締まることの難しさと戸惑いを語った。彼らにとって首都は異質で疎外感を与える場所であり、多くの人々は無礼で、特に女性は対応が難しいと感じていたのである。
カーブルで学者、商人、地元コミュニティのリーダーたちと会合した後、勧善懲悪省(美徳の奨励と悪徳の防止省:Ministry of PVPV)の前に立つターリバーンのウラマー。写真:ワキル・コフサール/AFP、2024年10月16日
<原注>
この報告は、後日[テーマ別報告書]として全体が公開される研究に基づいている。
AANによるこの法律の短縮翻訳は[こちら ]で、脚注付きの完全版は[こちら(パシュトゥー語)]で読むことができる。
<本文>
2021年8月にアフガニスタン・イスラム首長国(Islamic Emirate of Afghanistan (IEA))が権力を取り戻した際、最初に行った措置のひとつは極めて象徴的なものだった。すなわち「女性省」を「勧善懲悪省」に転換したのである[1]。そして1年後の2024年8月21日、最高指導者ハイバトゥラー・アフンザダ師の布告によって、この省の権限はさらに強化された。その布告は、首長国が既に定めていた多くの規則を整理・法典化し、彼がこれまで布告・命令・指示として出していたものの一部を繰り返し、他を拡張し、さらに新たに義務化または禁止された行為や態度を追加するものだった。
全文で4万5000語に及ぶこの法律のうち、最も厳しく取り締まられている条文は次の通りである。すなわち、男性は拳の長さ以上のひげを伸ばし、ゆったりした服を着て、時間通りにモスクで祈ること。女性は首長国が「シャリーア・ヒジャブ」と呼ぶ装いをしなければならず、つまり目以外を完全に覆い、声さえもアウラ(通常、隠すべき身体部位を指す言葉)と見なされる。女性の服装に関するこの厳格な規定の表向きの理由は、フィトナ(誘惑、あるいは罪を助長する社会的混乱)を防ぐためとされている。ここで注目すべきは、インタビュー対象者が女性について「ヒジャブを着けていない(bi-hijab)」と述べる場合、それは必ずしも頭を覆っていないことを意味するのではなく、話者が「適切」あるいは「許容できる」と考えるよりも薄手の、あるいは覆いの少ない服を着ているという意味である[2]。
またこの法律は、取締りを行う者たち(ムフタシビーン)の義務と権限についても規定している。彼らは「アムル・ビル・マルーフ・ワ・ナヒ・アン・イル・ムンカル」(善を勧め、悪を禁ずる)を担う存在である。本報告書では、この種の取締りとその執行者を、アフガン人が用いる略称「アムル・ビル・マルーフ」あるいは「善と悪の監督」と呼ぶことにする。
私たちは、国内各地の都市部から一般市民9人(女性6人、男性3人)にインタビューを行った。対象地域は、バーミヤーン、バルフ州のマザーリシャリフ、ガズニー、ヘラート、ザーブル州州都のカラート、ロヤ・パクティヤー地方の都市のひとつ、そしてカーブルである。中には移動経験があり、異なる州でのアムル・ビル・マルーフ(善の奨励)の体験を比較できる人もいた。また、現在は首都で勤務しているパンジシール、ヴァルダク州、パクティヤー出身の男性執行者3人にも話を聞いた[3]。インタビュー対象者の匿名性を守るため、すべて仮名とし、本人を特定し得る詳細情報は省いた。
恐怖の雰囲気
取締り側ではないインタビュー対象者のほとんどがアムル・ビル・マルーフ(善の奨励)の存在を恐れており、対立を避けるために自らの行動や服装を変えていた。女性にとってその脅威はとりわけ深刻である。
たとえば、カーブルで働く助産師のパリは、外出時に3度アムル・ビル・マルーフと遭遇した後、顔を覆わざるを得なくなったと語った。つまり、息苦しいという彼女の言い訳は受け入れられなかったのだ。彼女は3度目に路上で止められた時の様子をこう語った。
「私はプル・スルフ付近にいたのですが、突然、6人ほどのアムル・ビル・マルーフの職員に四方を囲まれました。彼らは両腕をつかみ、『先日、お前に警告したはずだ。この服を着たり、顔をこのように出したりしてはならないと。なぜ従わなかったのか?』と言いました。私は恐怖で声も出せず震えていました。涙を浮かべながらやっと『マウラヴィ様、申し訳ありません。服装は問題ないと思いますが、私は呼吸が苦しくなるのでニカーブは着けられません。心臓が締めつけられるように感じるのです』と答えると、『心臓が締めつけられるなら、外出しなければいい。今すぐ警察を呼んで署に連れて行こうか?』と言われました。」
男たちは、将来「適切な」服装をすることを保証させるために、家族を警察に呼び出すと脅した。パリは「その言葉を聞いた瞬間、全身が震え出しました」と語る。最終的にはひとりの職員が同情して解放してくれたが、彼女は「完全な恐怖」の状態に陥り、今では父親に付き添ってもらうか車で通勤するようになった。また、外出するたびに母親が心配して、一日に何度も職場に電話をかけて安否を確認すると言う。これは過剰反応に見えるかもしれないが、パリによればアムル・ビル・マルーフは病院にも「1日2、3回」来て、スタッフが男女別に配置され、女性が顔まで覆う完全なヒジャブを着けているかを確認するのだという。従わなければ解雇される、と。
「私たちはありがたいことにムスリムであり、これまでもヒジャブを守ってきました。しかし長いクロークやアラビア風のヒジャブは着けていませんでした。…… 私は8年近く病院で働いていますが、医療現場は他の職場とは違うため、完全なヒジャブや伝統的な長衣を着るのは実用的ではありません。」
パリだけが路上や職場で止められたわけではなかった。サミラもまた取締りの対象となった。彼女は教師であり助産師でもあるが、首長国が高等教育を禁止して医学部5年目への進学を阻んだため、教育分野に転じた。彼女はバーミヤーンとカーブルの教育センターで教えた経験を語った。
「バーミヤーンでは、毎週木曜日に取締りがセンターに来て女子学生のヒジャブを検査していました。学生にニカーブやヒジャブを正しく着けさせるように指導する訓練を受け、『長いアバヤ、黒いスカーフ、黒い靴、黒い靴下、可能であれば黒い手袋を着用させ、白い靴やスカーフは避けるように』と強調されました。」
彼女はまた、カーブルの教育施設で起きた急襲についても語った。
「15人ほどの職員が6台ほどの車でやって来ました。突然、警備員が女生徒たちに『スカーフを正しくつけろ、従わなければ逮捕されるぞ』と叫び始めました。…… 私のクラスには85人の学生がいました。取締りが到着すると、『ヒジャブは一応合格だ』と言いましたが、その後も門のそばに立ち、頭からつま先まで再び検査しました。女生徒が気絶したり、恐怖のあまりトイレに隠れたりするのを目にしました。女性職員はひとりもおらず、服装を確認したのは全員男性でした。大人数で、多くの車両で押し寄せるその様子は本当に恐ろしい光景でした。」
これらや他のインタビューから最初に、そして最も際立って浮かび上がったテーマは、アムル・ビル・マルーフによって作り出される恐怖の雰囲気である。女性が声をかけられたり、侮辱されたり、さらには逮捕される可能性があるという脅威は強い抑止力を持つ。それによって女性はターリバーンの服装規範を守らざるを得なくなるだけでなく、外出自体を控えたり、男性の付き添いなしでは出かけなくなったりしていると一部のインタビュー対象者は報告している。
なぜこの脅しがこれほどまでに強力なのかについて、カーブルのNGOで働くハシナは兄弟の言葉を伝えた。
「彼らは言います。『誰も当局に連れて行かれてはならない。それは家族に恥をもたらすからだ。もしヒジャブを着けていないという理由で連行されたとしても、人々は本当の理由を信じず、別の悪い理由を考えるだろう』と。」
ガズニー州の教師パルヴェズもこう説明した。
「この伝統的な社会では、アムル・ビル・マルーフが女性を逮捕したり投獄したりすれば、人々はその女性を悪く思います。『どうしても外出しなければならなかったのだ』とは考えてくれないのです。」
2024年8月に施行された「勧善懲悪法」に従い、「シャリーア・ヒジャブ」を身に着けてカーブル郊外の通りを歩く女性たち。ただし、濃い赤のスカートは違反と見なされる可能性がある。写真:ワキル・コーサル/AFP、2025年3月5日
家族による「自主取締り」
抑止効果は個人にとどまらない。見知らぬ男性が妻や娘、姉妹に説教したり、さらには逮捕するかもしれないという脅威が、多くの家族をして女性の親族を監督させることにつながっている。たとえ新しい規則に賛同していなくてもである。
たとえば、マザーリシャリフの実業家サフィラは、もはやひとりで外出できなくなったと語った。これまでは「進歩的な人」である夫は寛容だったが、新法施行後は「彼も非常に保守的になり、私をひとりで外に出さなくなった」と言う。「夫が付き添うか、息子に同行させるようになりました。夫がこうした制限を設けたのは、私が職員に止められたり、逮捕・拘束されるのを恐れているからです。ヒジャブを着けていた女性でさえ逮捕されたと聞きました。全身を覆っていても、彼らは何か口実を見つけて連れて行くかもしれません。」
この法律は、結果として女性を子どものように扱うことにもなる。工場を所有・経営するサフィラでさえ、外出の際には夫や息子に頼らざるを得ない。カーブルのNGO職員ハシナも、かつては仕事で各地の州へ出張していたが、今では外出する際に兄弟か14歳の甥を連れていかなければならなくなった。
法を超える行為と大きな逆説
インタビューから浮かび上がったのは、取締り担当者が現行法の厳格な制限をさらに超えて行動しているという事実である。たとえばマザーリシャリフのサフィラは、ブルカを着用するよう命じられた。また、複数の女性が手袋の着用を求められていた。さらに多くの女性が、外出時にはマフラム(同伴が義務づけられる近親の男性)が必要だと告げられている。だが、以前の規則では、これは女性が72キロ以上の移動をする場合にのみ義務とされていた。また2022年5月に出された女性の服装に関する法律や、今回の「勧善懲悪法」そのものも、女性が必要に応じて外出しなければならない場合があることを認めている。しかしいずれも、必ずマフラムを伴わなければならないとは規定していない[4]。
さらに注目すべき逆説は、法律が本来は血縁のない男女が互いに視線を交わすことを禁じているにもかかわらず、アムル・ビル・マルーフにはまさにその任務――女性を監視し、声をかけ、さらには拘束すること――が与えられている点である。我々がインタビューした3人の取締り担当者(この後さらに詳しく紹介する)は皆、血縁関係のない女性と接することに居心地の悪さを感じ、できれば話したくないと語った。だが一方で、女子専用の教室や病院の女性病棟にためらいなく立ち入る職員も存在するようである。
男性たちの経験
ガズニー州の教師パルヴェズは、この法律の影響について尋ねられると、男性への制約も厳しいが、女性に対してはさらに厳しいと答えた。彼は妻が「取締りを恐れて自由に外出できなくなった」と述べた。妻自身も教師だったが、ターリバーンによる制限のため失職し、「マフラムなしでは外出できず、好きな服も着られず、黒い服とニカーブ、さらには手袋まで着けなければならない」と言う。「これこそ私たちが嫌っていることです」と彼は語った。「他人に私的な問題に干渉されたくないのです。私たちはムスリムですから、シャリーアが求めることは承知しています。しかしターリバーンはやりすぎです。彼らは過剰なのです。」
パルヴェズ自身もひげや服装の違反で一度職を失ったが、その後別の教師職を見つけることができた。彼は「まだ若い」ので流行の服を好んでいたが、二度も呼び止められ、二度目にはひげを少し整えただけで投獄をちらつかされたため、今ではアムル・ビル・マルーフの要求に従っている。
カンダハール州の実業家アフマド・ハーンは、自分はアムル・ビル・マルーフに煩わされていないと述べた。年齢や、職員と同じようなひげと服装が彼をある程度守っているからだ。彼の住む「文明化された街角」と呼ばれる高級地区では、取締りも敬意を払っているという。しかし彼はこう語った。
「この法律によって、家族がレストランで食事をしたり、アイスクリーム店に行ったりする自由を奪われました。女性はマフラムがいてもレストランに行けません。家族の女性を連れてピクニックに行くこともできません。妻と自家用車で出かけることさえ心安らかにできなくなりました。」
彼は、家族の若い男性が女性親族と車に乗っていると、職員に呼び止められ尋問されると語った。「息子たちと私は、必要がない限り妻と出かけなくなりました。彼らに妻の前で殴られたり脅されたりするのが怖いのです。」
より穏やかな経験を語った唯一のインタビュー対象者は、南東部の都市にある女子小学校の校長ザルグナだった。彼女は、自分の州は「伝統的」なので、新法によって女性の服装に変化はなかったと説明した。彼女や同僚の教師もマフラムなしで通勤を続けている。「私たちは皆同じ地域の出身なので、マフラムは必要ありません」と語った。家族一緒で娯楽施設へ出かけることも相変わらずできているという。
地元の女性はほとんど買い物に行かず、通常は男性が行く。しかし、家にマフラムや男性がいない女性は市場へ行かざるを得ない。以前は問題はなかったが、最近は締め付けが始まったと彼女は言う。薬剤師を含む商人たちは、マフラムなしの女性に商品を売らないように命じられ、もし違反すれば薬局や店を閉ざされ封鎖されると警告された。ターリバーンを恐れる一部の商人は、今では女性客に何も売らなくなり、薬でさえ売らなくなった。また、過去2年間、女性は役所や病院に行く際も付き添いが必須とされ、困窮した女性でも付き添いがないと病院で追い返されるようになった。「家にマフラムがいない女性たちは本当に困難に直面しています」と彼女は言った。
インタビュー対象者の多くは、町を出て移動する際、検問で呼び止められ尋問されたと語ったが、ザルグナはカーブルへの往復では一度も車を止められたことがなく、マフラムなしで旅行する女性を見かけたとも言う。女性ひとりでは遠距離行きのバスや乗合タクシーに乗せてもらえないが、3人か4人のグループなら移動できると説明した。
彼女の発言は地域差を浮き彫りにしている。服装や行動に関するアムル・ビル・マルーフの規則が「当たり前」とされる地域では、職員と住民の摩擦は少ないようだ。例えばザーブル州のラシド・ハーンは、女性家族への影響を尋ねられると、「全く自由は奪われていない」と答えた。隣人や親戚の結婚式にはこれまで通り出席できるという。「結婚式は自宅で行われており、他の州で禁止されている結婚式場では行われないからだ[5]。そもそもカラート市には女性が行ける公園や娯楽施設は存在しなかった。」
しかし、ザルグナの経験は、彼女の「伝統的」な州では、カーブルのような都市よりも取締りが緩やかである可能性や、住民への敬意、あるいは恐れが背景にあることも示唆している。特に教師がマフラムなしで通勤するなど、昔から容認されてきた行動に対し、女性を咎めれば男性親族の反発を招きかねないからだろう。また、カーブル、マザーリシャリフ、ヘラートのような大都市に比べて職員の数も少ない。大都市では女性も男性も自由度が高かった分、職員が「是正すべき逸脱」を多く見つけ、より厳しく取り締まろうとするのだ。我々がインタビューした次の3人の職員もこの点を明らかにしている。彼らはいずれも地方出身で、現在は首都カーブルで勤務しているが、その街を異質で疎外感を与える場所と感じていた。
取締り担当者たちの経験
パクティヤー出身のムッラー・ハムドゥラーとヴァルダク州出身のマウラヴィ・ニアマトゥラーは、アムル・ビル・マルーフに加わったことを「(高給の)仕事を得た」という観点から語った。我々がインタビューした3人目の取締り担当者、パンジシール州出身のカーリー・アブドゥル・アジーズは、常にダアワ(ムスリムに信仰を強めるよう呼びかける、あるいは非ムスリムにイスラームを受け入れるよう招くこと)に強い魅力を感じてきたと語った。シャリーアを学んだ卒業生である彼にとって、アムル・ビル・マルーフの職務は天職だった。
3人全員が、アフガニスタンの首都は悪行に満ちていると語った。ムッラー・ハムドゥラーはこう述べた。
「人口が非常に多く、全国各地から人が集まってきており、ムンカラート(悪行)の量は多い。非道徳が蔓延している。ヒジャブは大きな問題で、多くの女性が守っていない。多くの若者がひげを剃り、西洋風の髪型を真似し、薬物を使用し、その他の有害な行為に関与している。不倫関係も深刻な懸念事項だ。」
マウラヴィ・ニアマトゥラーはこう続けた。
「男性の最も一般的な問題は、タブレットK[6]のような薬物使用です。もうひとつの問題は、少女たちとのいちゃつきです。女性の場合、主要な問題は適切なヒジャブを着けていないこと、そしてやはり男性とのいちゃつきです。」
カーリー・アブドゥル・アジーズは、首都で働くことは出身州よりもはるかに困難だと述べた。出身地では人々をよく知っており、文化も理解していたからだ。
「[パンジシール州では]女性を『導く』のはカーブルよりも簡単でした。そこでは女性と直接向き合う必要がなかったからです。もし女性がヒジャブを着けずに外出していたら、その家族、父や兄、村長に連絡し、ヒジャブなしで外出してはならないと伝えました。仕事は簡単でした。私は男性としか向き合わず、人間関係を知っていたからです。女性には家族を通じてメッセージを伝えていました。
カーブルでは、ヒジャブを着けない女性が多いのですが、その家族を見つけることができません。血縁関係のない女性に直接話しかける勇気もありません。しかし、さまざまな方法で指導しようとしています。彼女たちに理解させ、ヒジャブを守るべきだと気付かせるのです。これが非常に難しい。なぜなら、無縁の女性を止めて会話することはできないからです。」
彼は、多くの場合、地域の長老やワキル・エ・グザル(地区代表)、モスクのイマームの助けを借りるのが良いと語った。彼らが住民に「完全にシャリーアに準拠したヒジャブ」を守るよう通知してくれるのだ。しかし市場では、あらゆる人々に出会う。時には、ヒジャブを着けるように、あるいは男性から距離を取るように丁寧に頼んだ女性が「無礼に反応し、我々は沈黙して立ち去るしかない」こともあるという。「我々は力を使わない。ただ穏やかに話しかけるだけです。」
3人全員が、人々から敬意を払われず、むしろ警戒されていると感じていた。特にカーブルの女性に対してはそうであった。マウラヴィ・ニアマトゥラーはこう説明する。
「カーブルの女性は女性ではありません。むしろ男性、あるいは男性以上です。なぜヒジャブを着けないのかと尋ねると、彼女たちは議論し、とても無礼に振る舞います。私はできる限り彼女たちを避けるようにし、他の者に対応させています。
以前はローガル州にいました。そこにも悪行はありましたが、ここほどではありません。人々には羞恥心がありました。一度注意すればやめていました。そこでの生活は良かった。人々は耳を傾け、協力してくれたからです。しかしここでは違います。人々は我々の言うことを聞かず、敬意も払いません。」
ムッラー・ハムドゥラーは、人々には敬意を持って接し、「優しく説得力のある方法で悪行をやめさせる」よう指示されていると語った。これはシャリーアの教えでもある。しかし彼は、この方法は失敗していると考えている。
「この4年間、我々は穏やかなやり方をとってきましたが、大きな変化は見られませんでした。正直に言えば、前政権時代とほとんど違いはありません。市場には依然として女性があふれ、男性はひげを剃り、女性的なスタイルを真似し、ヒジャブはほとんど守られていません。これは穏やかなやり方の結果だと私は思います。我々はただ『これをしろ』『それをするな』と言うだけです。しかし、それでは十分ではありません。何かを強制しようとしたり、厳格な方法を取ろうとすると、人々は不満を訴え、当局は我々の行動について問いただすのです。」
カーリー・アブドゥル・アジーズは、よりバランスの取れた見方を示した。
「人々の取締り担当者に対する態度はあまり良くありません。我々が生活を乱していると考えるため、否定的に見ているのです。特に若者の大多数は我々の仕事に不満を抱いています。しかし地域社会には我々を好意的に見て、ウラマー(宗教学者)として扱い、我々の努力に満足している人々もいます。それでもカーブルでは、我々は誰に対しても平等に対応しています。誰とも妥協せず、妥協するよう指示されたこともありません。我々は全員宗教学者なので、常に穏やかです。時には職員の中に人々に厳しく接する者もいるかもしれません。しかし、私や同僚のいる場所では、誰に対しても厳しくしたことはありません。常に穏やかに対応しています。」
イスラム共和国末期の数週間、カーブルの衣料品店の前でさまざまな服装を身に着けた女性たち。現在合法とされているのは、そのうちひとつのスタイルだけである。写真:サッジャード・フサイン/AFP、2021年7月13日
取締り担当者はどう見られているか
インタビューから明らかになったのは、取締り担当者自身が自らの仕事をどう見ているかと、一般市民がそれをどう見ているかとの間に大きな食い違いがあるという点である。
たとえば、ヘラートの小規模事業者アイシャはこう語った。
「彼らは皆同じ、とても残酷です。少なくともヘラートではそうです。違いがあるようには見えません。必要に迫られて外出するたび、市内のあちこちで彼らを目にしますが、誰もが恐ろしい存在に見えます。」
彼女は総じて「彼らは女性を“人間”として見ていない」と述べた。NGO職員のハシナもまた、アムル・ビル・マルーフを全く信用していないと語った。
「これらの道徳取締りは宗教を損ない、イスラームの歪められた非人間的な姿を示しています。これは私には受け入れられません。なぜなら、私たちのイスラームはターリバーンの描くようなものではないからです。彼らはシャリーアやアフガン文化に基づいてではなく、自分たちの欲望に従ってすべてを実施しています。要するに、自分たちの解釈を人々に押し付けているのです。彼らの望むことを、人々に強制的に、あるいは時に説得によって受け入れさせています。私の考えでは、イスラームは彼らが主張するようなものではありません。イスラームはそれほど厳しいものではないのです。結局、私たちは皆ムスリムなのです。彼らが強制しようとしまいと。大半の女性はヒジャブを守っています。ただし、彼らの中にも善人と悪人がいます。優しく丁寧に話す者もいれば、特に彼らが“犯罪”とみなすものに対応する際に厳しく振る舞う者もいます。私たちにとってそれは犯罪とは呼べないことであっても。私たちの見方では、犯罪とは社会を害する恥ずべき行為であって、髪の毛が少し見えていることではありません。」
一方で、アムル・ビル・マルーフに対して比較的好意的な見方を示した唯一のインタビュー対象者は、ロヤ・パクティヤーの小学校校長ザルグナだった。ただし、首長国統治の他の側面についてはそうではない。
「私は取締りを信頼しています。彼らは良い人々のように思えるからです。大半は宗教学者であり、真理を説いています。これまで誰も彼らに煩わされたことはありません。唯一の不満、そして多くの人が不満に思っているのは、女子教育が制限されていることです。ヒジャブはターリバーンが言おうと言うまいと、宗教的義務です。私たちはありがたいことにムスリムであり、ヒジャブを尊重しています。」
ただし、彼女はカーブルにも足を運んでおり、首都では状況が大きく異なること、つまり特に取締り担当者の数がはるかに多いことについても言及した。
「私は思います。カーブルでは私の州よりも厳格に行動しています。なぜなら、カーブルにはさまざまな文化を持つ多様な人々が住み、女性が地方よりも自由に動き回っているからです。服装のスタイルも違います。カーブルの多くの少女はパンジャビ風の服を着たり[7]、ヒジャブを守っていなかったりするのです。だからこそ取締りはカーブルでは地方よりも厳しいのです。おそらく、人々への対応の仕方も違ってくるのでしょう。」
恐怖と抑止の一年
首長国の「勧善懲悪」法は、多くのアフガン人の生活に深い影響を与えたことは疑いない。この法律は、国家が服装規定や行動規範の順守を強制するための手段であり、特に男性はモスクで祈り、女性は家に隠れていることを求める。ハシナが語ったように、この法律は「美徳を奨励する」というよりも、外面的な従順と服従を追求するものだ。それは明確に公共の行動を対象としており、「人々の私的な罪を詮索すること」(第10条)ではないとされている。とはいえ、国家が今や人々の私生活に干渉していると感じているのは、ハシナだけではなかった。
2023年2月のAAN報告(訳注:ターリバーン戦闘員はいまや公務員)では、カーブルに住み働くようになった5人のターリバーンを取り上げ、その視点の変化が注目された。彼らは当初、首都を「西洋化によって堕落した」と理解していたが、実際に生活してみると、男性がモスクに行き、「村では多くの人が人目を意識してモスクに行くのに対し、カーブルの人々は純粋にアッラーのために行っている」と気づいたという。また「ウズベク人、パシュトゥーン人、タジク人が同じモスクに通い、同じ建物に住んでいる光景」も見られたと述べた。女性が外に出て「適切に」覆っていないことには衝撃を受けたが、そのうちのひとりはコンピューター講座に登録し、女子学生と同じクラスになっても「世界が崩壊するわけではない」と実感した。当時はまだそれが許されていたのである。彼らはジハードの自由を懐かしみ、9時から5時までの事務仕事の単調さを嫌ったが、首都で出会った多くのものが肯定的であり、5人のうち4人は家族を移住させるつもりだと語った。
この報告は、人と人との交流が「他者」への理解と尊重を高める可能性を示す、ある種希望のある内容だった。しかし今回のアムル・ビル・マルーフに関する調査は、逆に、取締る側も取締られる側も疎外感と不安、さらには恐怖を抱いていることを示している。この法律は首長国にとっては確かに成功を収めており、直接的に、あるいは抑止によって服従を強制し、女性に対しては家族と「スキャンダルへの恐れ」を利用して自主的な監視を強いている。多くのアフガン人が行動や服装を変えたが、それは恐怖によるものだ。ただし、その恐怖こそが首長国にとってはアムル・ビル・マルーフ制度の「付加的な利益」なのかもしれない。というのも、首長国は指導者の絶対的権威とその服従の必要性を信じており、これは世界の権威主義国家に共通する特徴だからだ。重要なのは、よりいっそうの服従を促す動きに、いまだ終わりが見えないという点である。
パクティヤー州出身の取締り担当者ムッラー・ハムドゥラーは、アムル・ビル・マルーフの継続的な使命、つまりアフガン人を改革することを、たとえ時間がかかっても果たすと総括した。
「真のムスリムであり、誇りあるアフガン人であるなら、私たちのしていることを支持すべきです。アムル・ビル・マルーフはイスラーム、そしてあらゆるイスラーム体制の中核です。実施の方法に問題があるかもしれませんが、人々の抵抗の多くは社会の道徳的腐敗によるものです。20年間、世俗的な政府が不信仰者の直接的な支援を受けて支配してきました。彼らは人々をイスラームやアフガンの価値観から遠ざけようとしました。だから今、我々がそれを逆転させようとすれば、当然ながら反発もある。それは予想されることです。しかし時間が経てば、状況は変わっていくでしょう。」
編集:イェレナ・ビェリツァ、ロクサナ・シャプール
<参照>
↑1 省の正式名称は「美徳の奨励・悪徳の防止・苦情受理省」(wazarat-e amr bil-maruf wa nahi an il-munkar wa sam-e shekayat)である。2022年6月に報告したとおり、設立初期にはこの省の内部に穏健派と強硬派の両方が存在していたが、市民の行動を監督することはイスラム国家の義務であるという点については運動内部で一致していた。これは大多数のイスラム諸国の見解ではないが、アフガニスタンにはその先例がある。
↑2 インタビューを受けた取締り担当者たちは「bi-hijab」という語を、上で述べたターリバーンの定義する「シャリーア・ヒジャブ」に従っていない女性を指すために用いた。しかしこの語はアフガニスタンではより広く使われている。例えば、2021年6月のAANヘラート報告では、一部の若い女性が、大きく黒い全身覆いであるチャドルをやめ、頭と上半身を覆う大きなスカーフであるシャールを選んだことが記録されている。どちらも顔は露出させる。参照:Reza Kazemi, “A Future of One’s Own”: One young woman’s struggle to thrive in modern Herat.
↑3 2025年3月末時点で、UNAMAによると、勧善懲悪省は全国で3300人の男性取締り担当者を雇用していた。ただし州によって人数は大きく異なり、例えばパクティヤー州とパクティーカー州は14人にすぎないのに対し、カーブルでは540人であった。女性取締り要員については、バグラーン州州都プル=エ=フムリでのみ確認されたが、UNAMAは一部の州でこの省が女性ボランティア(マドラサの学生や教師)、女性警察官、あるいは非公式に女性へ報酬を支払い「順守の監視と報告」を行わせていると報告している。
↑4 2021年12月、勧善懲悪省が、女性が45マイル(72km)以上を移動する場合にはマフラムを同伴させるよう命じたと報じられた(BBC)。この規則は2022年6月のAAN報告でも取締り担当者によって言及された。2022年5月の女性の服装に関する命令では、女性は「シャリーア・ヒジャブ」を着用すべきとされ、それはブルカ、または「慣習的な黒い衣服とショール」と定義され、顔も覆うが目は露出してよいとされた。また「理由なく外出しないことが、シャリア・ヒジャブを守る第一かつ最良の形である」とも述べられていた。参照:AANの報告。
↑5 結婚式場はすべての州で禁止されているわけではない。ただし音楽の演奏や女性の服装については制限される場合がある。
↑6 タブレットKとはメタンフェタミン、ヘロイン、MDMA(エクスタシー)の混合薬物であり、その名称はロシア語で「錠剤」を意味するtabletkaに由来する。
↑7 ここでいう「パンジャビ風」とはピラン・トンバン、別名シャルワール・カミーズを指す。長いチュニックと軽くゆったりしたプリーツの入ったズボンで、アフガニスタンではスカーフと合わせて着用される。
改訂:
本記事の最終更新日は2025年8月21日。