Taliban: Regional and international Roles in their Struggle for Power

(WAJ: 。本稿では、アフガニスタンにおけるターリバーンの形成と持続に影響を与えた地域的および国際的関与勢力が考察される。そして歴史的データ、現地証拠、および専門家の分析を用いて、アメリカ合衆国、パキスタン、アラブ諸国、その他主要な関係国がターリバーンのイデオロギー、教育ネットワーク、軍事作戦の形成に果たした役割が探られる。本研究は、外国による介入、国内政治の失敗、制度化された宗教教育がターリバーンの持続力に及ぼした影響を強調する。また、ヤルムーク部隊(本文参照)の出現を含むターリバーン内部の分裂にも言及し、教育改革、市民制度の強化、財務の透明性、対話と寛容の促進を重視したアフガニスタンの社会政治的再建のための戦略が提示される。本サイトのアフガンサイト主筆である本稿の著者ファテー・サミ氏がこの間、本サイトに執筆した論説のすべては「ファテー・サミ執筆記事一覧」で読むことができる。)

 

ファテー・サミ(Fateh Sami):フリーアカデミック研究者
2025年10月19日

 

はじめに

過去40年間にわたり、アフガニスタンは地政学的競争の舞台であり、地域および世界の大国の利害が交錯する交差点であった。
外国勢力による介入政策、宗教とジハードの道具化、広範な宗教学校ネットワーク、そしてムジャヒディーン間の内部対立が、ターリバーンの出現と存続の基盤を築いた。
本稿は、歴史的データ、メディア資料、現地証拠、専門家の分析に基づき、アメリカ合衆国、パキスタン、アラブ諸国およびその他の影響力をもつ関与勢力が、いかにしてアフガニスタン全土におけるターリバーンのイデオロギー形成・拡張・維持に継続的に関与してきたかを検証する。

 

1.外交政策と宗教の道具化

1980年代の冷戦期以来、アメリカ合衆国とその西側同盟国は、パキスタンを現場の実行者として利用し、アフガニスタンにおけるソ連の影響力に対抗するための多面的なプロジェクトを設計した。ワシントンやロンドンのシンクタンクや意思決定機関は、「ジハード」を心理的・政治的動員の手段として用いた。「宗教が危機に瀕している」「ジハードは義務である」といったスローガンが地域全体に広められ、さまざまなイスラーム諸国から何千人もの戦闘員がアフガニスタンに集まった。

この政策は、民族誌的研究、社会心理学、伝統社会の分析に基づいており、その結果、戦闘主義の文化が生まれ、後にターリバーンという形で継続し、アフガニスタンにおける戦争と同胞殺しを煽ることになった。

 

2.ターリバーン・イデオロギーの制度化と「教育工場」

ターリバーン(訳注:神学生=タリブの複数形)の思想的ルーツは、彼らが正式に登場する以前からすでに植えられていた。
2001年から2021年までの20年間の国際的関与の間、近代教育、女性の権利、メディアの促進が試みられたが、伝統的構造と文化的抵抗のため、社会的に定着することはなかった。同時に、アフガニスタンおよびパキスタン全土に広がる宗教学校ネットワークが、アラブ諸国や湾岸諸国、関連慈善団体の直接資金援助を受けて出現し、実質的に「ターリバーン生産工場」と化した。

アフガニスタン教育省によると1990年代初頭には、登録されていない宗教学校が約1万3000校、公式のマドラサ(訳注:イスラームの宗教学校)が1200校以上存在し、約26万5000人の学生が在籍していた。そのうち女子はわずか1万2000人に過ぎなかった。これらの学校の多く(例:クンドゥズ州のアシュラフ・マドラサ)は、音楽、テレビ、文化的祝祭を禁止する厳しい規則を施行していた。教育制度は軍事化され、学生たちは厳格なシャリーア(訳注:イスラム法)解釈のもとで育てられた。

パキスタンでも同様のプロセスが組織的に進められ、ISI(訳注:パキスタンの最大情報機関「軍統合情報局」)ファザル・ウル・レマン(訳注:ターリバーンを強力に支援するパキスタンの政治家)のネットワークの監督下で、反近代・反西洋的なマドラサが数千校設立された。資金はサウジアラビア、カタール、UAEから提供され、「バドル(訳注:アラビア語由来の学校名)」や「ハッカーニー(訳注:創設者にちなむ学校名)」学校の教師たちは宗教および治安当局の監視下で訓練を受けた。専門家によれば、これらのセンターはイデオロギー訓練と軍事訓練を効果的に融合させていたという。

 

3.パキスタン:現場の実行者であり二重の顔をもつアクター

ジア=ウル=ハク政権以来、パキスタンはこの地域における代理政策の中心的実行者となってきた。一方でアメリカやイギリスと戦略的な関係を維持しつつ、他方で中国とも経済的・軍事的に協力するという二重構造をとり、この両面性によってイスラマバードは双方の利益を享受することができた。内務大臣ナスルッラー・ババルの下で、ISIはターリバーンの組織化に直接的な責任を負い、兵站支援、民兵の訓練、国境地帯の避難所設置、通信ネットワークの管理を行った。

オバマ政権下でアメリカ国務長官を務めたヒラリー・クリントンは次のように述べている。

「パキスタンはテロリズムのホストであり、同時にその設計者でもある。自ら育てた集団によって、自国と地域を炎上させている。」

この発言は、ターリバーンがパキスタンの治安機構と世界的権力との間の、隠然公然の同盟の結果として生まれたことを示しており、この協力関係はいまなお続いている。

 

4.ムジャヒディーンからターリバーンへ: 和解機会の喪失(1992年、カーブル)

1992年4月の出来事(訳注:PDPA政権の崩壊、『わが政府 かく崩壊せり』参照)は、アフガニスタン現代史の転換点となった。ムジャヒディーン諸派の指導者間の内部対立、特にペシャワール評議会で首相に選出されながらも権力掌握を狙ったグルブッディーン・ヘクマティヤールの野心が、カーブル攻撃へと発展した。この結果、約10万人が死亡・負傷・避難し、国家インフラは破壊された。アフマド・シャー・マスードは通信経路を通じて調停を試みたが、ヘクマティヤールはISIの後押しを受けて内戦を開始した。ブルハーヌッディーン・ラッバーニによる暫定政府樹立の努力も無視され、統制を欠いた各派がカーブルへ侵入した。この歴史的失敗が、ターリバーン勃興の条件を生み出した。ターリバーンはパキスタンのマドラサから発生し、ISIの支援のもと急速に南部から全国へと拡大した。1992年の経験は、国内の分裂、指導者の頑固さ、そして外国干渉がいかに国家の運命を危うくするかを如実に示したのである。

 

5.ターリバーン内部の分裂と現在の動態(ヤルムーク部隊と権力闘争)

近年、ターリバーン内部の派閥間の緊張は激化している。
カンダハール、スピン・ボルダク、ナンガルハール、ホースト、カーブルなどで活動する「ヤルムーク(訳注:イスラーム初期636年のヤルムークの戦いに由来する名称)」部隊のような組織は、権力の分裂と内部競争を示している。これらの派閥は時に軍事的に衝突し、パキスタン軍による空爆や砲撃がこれらの地域で確認され、民間人の犠牲を出している。

分析家たちは、こうした衝突の一部は、外国勢力による影響操作の再開およびイスラマバードに結びついた諜報部隊の復帰に関連していると指摘する。それは、パキスタンがアフガニスタンに対する影響力を維持するための「管理された危機運営」戦略を反映しているとされる。

 

6.ドーハ交渉:イスラマバードの力の誇示

カタールで行われた会談、特にドーハ交渉は、実際の和平をもたらすというよりも、むしろパキスタンの影響力と権力を誇示する場となった。
ある公式会合で、ISI長官はターリバーン国防相ヤクーブ師にこう語ったという。

「我々はお前の父(訳注:ターリバーンの初代最高指導者ムハンマド・オマルのこと)を指導者にし、お前を大臣にした。」

この発言は、ターリバーンとその主要な後援国との非対称な関係を示すだけでなく、ターリバーンが構造的にイスラマバードに依存していることを明らかにしている。ドーハ交渉は危機を解決するどころか、むしろパキスタンがアメリカおよびその同盟国から正式に認められた「統制する仲介者」としての役割を強化する結果となった。

 

7.ターリバーン内部におけるヤルムーク部隊の役割

「ヤルムーク」部隊は、初期イスラームのジハードから現代アフガン紛争への連続性を象徴している。この部隊は主にカンダハール出身のターリバーン戦闘員と、元ハッカーニ・ネットワークの一部メンバーで構成され、カンダハール、ナンガルハール、ホースト、ロガール、スピン・ボルダク、カーブル各州および周辺で活動している。地元では「即応部隊」として知られ、その任務には内部の不服従勢力の鎮圧や、規律を乱す司令官の制御が含まれる。

軍事専門家は、ヤルムーク部隊の台頭はターリバーンの全体的強化を示すものではなく、むしろ内部の分裂を反映していると指摘する。カンダハール派とハッカーニ・ネットワークの対立、資源や影響力をめぐる競争、そしてパキスタン諜報機関からの圧力がこの部隊の出現を促した。報告によれば、武器や訓練のためにパキスタンおよび湾岸諸国の非公式な支援があり、かつての代理戦争モデルを踏襲しているという。

いくつかの事例では、ヤルムーク部隊の行動がスピン・ボルダク国境や部族地域でのパキスタン軍との直接衝突を招いた。パキスタンの空爆は民間人の犠牲をもたらし、これらの攻撃は「地元のテロ組織」によるものと公式には説明されたが、観察者らはその真の目的はターリバーンに対し、パキスタン諜報機関の指示に背くなという警告を与えることだったと考えている。

 

結論と戦略的提言

ターリバーン現象は、いくつもの要因が重なり合って生じた。すなわち、外国勢力による介入、宗教学校に対するイデオロギー的投資、パキスタンの直接的関与、そして国内政治の誤りがそれである。これらが是正されないままであれば、このイデオロギー体制は、アフガニスタンを再び暴力と孤立の循環へと引き戻す危険をはらんでいる。

アフガニスタンの再建には、国家的および国際的な次の四つの柱に基づく計画が必要である。

1. 教育および宗教カリキュラムの改革:現代科学と人間的価値を重視する教育内容への転換。
2. 市民的・政治的制度の再構築:正義、人権、そして女性の参画を制度として定着させること。3. 外国からの資金源の監視と透明な規制:過激主義を支える資金の流れを明確化・管理すること。
4. 対話、寛容、多様性の受容の促進:これらを社会および国家再建の基盤とすること。

これらの目標が達成されない限り、アフガニスタンは、過激主義・依存・貧困という三位一体の破壊的サイクルを再び繰り返す危険にさらされたままである。

© 2025, Fateh Sami

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