(2025年6月5日)

 命をつなぐ女性の解放 

~アフガン問題の解決は国際的責務~

 

 

 独善的な教義の固守 

アフガニスタンでは相も変わらず衝撃的な事件がつづいている。

5月24日のamTV(アムテレビ:アフガニスタンの独立系テレビ局)のWebニュースは「ターリバーン、再び女性を国家医師試験から除外」と題する記事を配信した。それによれば、ターリバーンが復権してから毎年行われている医師国家試験で今年も女性の受験が禁じられる。これで3年目であり、医師だけでなく保健医療にかかわる女性専門家も就業も禁じられ得ている。このような政策を続けていけばアフガニスタンには女性の医師や医療保健衛生関連で働く女性がいなくなる。

ターリバーンは男性医師が女性を診察することを禁じている。その結果、アフガニスタンでは現在どんな現象が生じているか、BBCのルポ「助産婦の憂慮すべき状況、『私がいなかったら、赤ちゃんを産んでくれる人が誰もいなかったでしょう』」が、アフガニスタン研究所のホームページ「BBC Persianの5月前半ニュースより」で紹介されている。

その記事の要約は次の通り:

アフガニスタン・ニムローズ州のアレゾさんは、1万6000人の地域で唯一の助産婦として過酷な環境下で出産を支えている。産科病棟にはベッドが1台しかなく、同時に複数の出産があると女性は廊下で出産を強いられる。ターリバーン政権下では女性医療従事者の活動が制限され、アレゾさんも夫の付き添いなしでは外出できない。助産婦不足は深刻で、必要な4万人に対し実働は1万人未満とされる。医療インフラの脆弱さと移動困難な地理条件により、妊婦の多くが自宅での危険な出産を余儀なくされており、妊産婦死亡率は世界最悪レベルだ。助産婦の養成も止まり、このままでは現場の崩壊が危惧されている。アレゾさんは、自身の引退後を思い「大惨事になる」と語る。

これは現在のアフガニスタンのほんの一例である。女性を社会から排除するターリバーンの政策がアフガニスタンをどのように変えていくか、いな、崩壊させていくかを予測させるに十分な現実である。

ターリバーンの女性政策は、管理・抑圧の域を超えていまやジェンダー・アパルトヘイト(女性隔離=社会的抹殺)というほかないレベルに達している。

 

 女性問題がなぜ重要か 

アフガニスタンの現実を映す日本アフガニスタン合作記録映画『よみがえれ カレーズ』の土本典昭監督は、撮影まえの準備会議で、「対象社会を知るためにはその社会が、女性、子供、老人をどう扱っているかを見ればよく分かる」、と強調されていた。アフガニスタンの場合にはとくに女性であっただろう。

フリードリヒ・エンゲルスは『家族・私有財産・国家の起源』のなかで「人類の最初の分業は、男と女とのあいだで子どもをつくり、育てるということにかんして行われた。」(向坂逸郎訳、大月書店)と述べているが、生殖は同類の者たちの分業などではなく一方的に女性の肉体に依存した命の再生産システムである。

命を育む再生産システムを背負わされた女性をその任務のみに押し込めようとする家父長制は、基本的に、人間が農業生産を行うようになり生産物を富として所有するようになって生まれた。女性の性を男=家長が隔離し管理しようとするのは財産の所有者としての本能だった。人類が生をつなぐために絶対的に必要な機能を自覚させず「文句を言わず」その機能の実現を担うよう、女性を無知のままに置こうとするのが女性差別や女性嫌悪(ミソジニー)なのだろう。

今号の「アフガンの声」に、この問題にかかわる2本の「声」を掲載した。

(1)月経:母親から娘へ、辛い過去をくり返さぬよう備えさせるべき
(2)監視下の思春期:社会がいかにして自然なプロセスを少女の支配システムに変えるか

最初の記事(1)では、アフガン女性アデラが初潮を迎えた際の体験を通じて、月経に対する無知と社会的抑圧が少女たちに与える影響を描いている。初潮に直面したとき、月経の知識がないまま出血し、恐怖と混乱に陥る。母親は涙を流し、叔母は月経を「大人になった証」と説明しつつも、誰にも話さないようにと諭す。アデラは外出や服装に制限を受け、月経が自由を奪う象徴となった。彼女は、母親が娘に月経について教えることで、同じ苦しみを繰り返させないよう訴える。

次の記事(2)では、アフガンの少女たちが思春期を迎える際、社会的監視と抑圧の対象となり、自然な成長過程が支配の手段へと変質している現状が描かれている。初潮や身体の変化は恥とされ、少女たちは「慎み深さ」や「貞潔」といった社会的規範を強制される。その結果、自由な行動や表現が制限され、公共の場から排除されることもある。教育や家庭内でも思春期に関する正しい知識や対話が欠如しており、少女たちは孤立と不安の中で成長を強いられる。この記事は、こうした「恥の文化」の連鎖を断ち切り、少女たちが尊厳を持って成長できる社会の必要性を訴えている。

ターリバーンがなぜ女性の教育を恐れるか、それは、分業ではなく性=生の強制が家父長制により女性に押し付けられたものであることを自覚させず、女性を無知の状態に押し込めておこうとするからである。

 

性の解放と家父長制の解体、命と利潤の再生産の道具とされる状況からの女性の解放は、じつは一体のものである。

日本では細井和喜蔵の「女工哀史」が、富国強兵の最初の産業基盤であった製糸紡績工場で働き手にされた10代の女の子が立ち仕事の最中に初潮を迎え戸惑う様子や苦悩を具体的に描いている。特に「生理ならびに病理的諸現象」の章では、月経に関する知識や対処法が乏しいまま働く少女たちの実態が詳述されている。彼女たちは、初潮を迎えても適切な対応ができず、羞恥心や不安を抱えながら労働を続けざるを得ない状況に置かれていた。その結果、無理を重ね婦人病を患う者も多く、将来的な健康被害や不妊の問題にもつながっていた。細井は、当時の劣悪な労働環境と教育の欠如が、少女たちの心身に深刻な影響を及ぼしていたことを浮き彫りにした。

また、作家・佐多稲子は自身の初潮や生理、女性としての肉体と社会とくに家父長制との相克をテーマに多くの作品を残している。日本だけでなく多くの女性作家にとって自分の肉体の命の再生産機能と社会の問題に取り組み続けている。

アフガン問題は世界政治に直結する問題であるだけでなく、女性解放という人類共通の普遍的な課題だ。労働運動の課題として最低賃金の引き上げがあるように、地球規模で見たときに人間として平等の権利が保障されていない地域がある限りその他の地域で平等や自由が実現されることはないのだ。

 

女性をモノとするターリバーンの思想

物事にはすべて二面性があり、男女の問題もそうである。初潮や生理を「忌むべきもの」とする一方、最近ではすたれたとはいえ、日本では赤飯を炊いて祝う風習もあった。外国にも同様の文化がある。

アフガニスタンでは、女性差別、隔離の文化・風習・伝統にイスラームの家父長的解釈が加わり、極端な形での女性嫌悪、蔑視が常態となっている。

そのようなアフガニスタン・イラン的風習にたいして、われわれのNO JAIL詩人ソマイア・ラミシュは次のように宣言する

私の長い髪が、あなたたちの神の怒りに触れるというのだから。
連日連夜、私は何度でも死ぬ。
―― 私の髪が、あなたたちの凡庸な思想のなかで腐り果てるときに、
―― 私の声が、あなたたちの狂信に呑み込まれるときに、
―― 私の女らしい体が、あなたの不信心によっておかされるときに、
あなたたちは美に怯えているのよ。
ご覧なさいな、テヘランの街路もカーブルの通りも
天国にも地獄にも通じてなどいやしない。
そして私たちは死からよみがえる。
 労働にパン、それに自由を!
  女たちに生活の自由、自分の人生を!
(「ソマイア・ラミシュ詩集(わたしの血管を貫きめぐる、地政学という狂気)」バームダード(亡命詩人の家)発行)

 

既成事実化を許していいのか?

ターリバーンが復権し実質的な支配権を握ってからあと2カ月で4年になろうとしている。

 

こうした事態にアフガニスタンと世界が陥っている理由は、武力によるジハード(外国の異教徒支配に対する聖戦)を闘ってきたターリバーンを国連はじめ諸外国がテロ指定していたことと第1次ターリバーン支配がイスラム復古主義と地域に残存する固陋な風習文化を固守する極端な武断政治をより厳しく復活させている事実がある。

加えて、ターリバーン反対派が国内からほぼ駆逐されている現状がある。トピック欄でたびたびターリバン反対派の動きを伝えてはいるが、リーダーのほとんどが国外に亡命せざるを得ない状況であり、反対派人士が前政権時代に腐敗などの理由で国民的な支持を失っている現状がある。最近でもアフガニスタンの市民社会指導者らがトルコで第4回「アンタルヤ・プロセス」会議に出席という動きもあるにはあるが、アフガン人からさえ「賞味期限切れ」と揶揄する声もあ。

トランプ政権下のアメリカとの間で締結されたドーハ合意(2022年2月)で米NATO軍の撤退が決められ、同時にアフガニスタン人によるアフガニスタンの統治の段取りも決められ、待ちに待った待望の国民的統合作業が始まるはずだった。(ウエッブ・アフガンはそのプロセスにかかわる意図をもってスタートした。

しかし、誰もが知る通り、アフガン国軍は米軍とアフガン政府からの命令もあり自壊、共和国政府トップのガニー大統領はターリバーンのカーブル入場直前に国外に逃亡。ターリバーンは難なく復権。そのさい、第1次統治のときの悪評高い過酷な政策はとらない、と約束をしたが、それは口先だけだった。ドーハ合意によればアフガン諸勢力と暫定政府をつくり全国民を統合する正式の政府を樹立する構想はついえさった。

パンジシールを拠点にターリバーン支配に抵抗した副大統領勢力を、パキスタン軍の隠然たる支援を得て掃討したあとは、ターリバーンのひとり舞台となった。

そして国際常識に背を向けた独善的な支配を国内で強化してきた。(刑罰、女子の扱い、文化芸術弾圧、過激派集団温存)
(その過程は、第1次『ウエッブ・アフガン』(赤色のバージョン https://afghan.caravan.net/)(2021年4月~2023年6月まで)で詳しく報じた通りである。)

 

この間、ターリバーンが主張する「アフガニスタン・イスラム首長国(Islamic Emirate of Afghanistan:IEA)」を 国家承認した国はなく、実質的な支配勢力(デファクト・オーソリティ)としての扱いのまま今日を迎えている。中国やロシアだけでなく、アフガニスタン周辺諸国やいわゆる西側諸国のなかにもターリバーンとの交渉を既成事実化する国がでてきている。
(注:1996年から2001年の第1次IEA時代に国家承認したのはパキスタン、サウジアラビア、アラブ首長国連邦(UAE)の3カ国だけだったが、第2次IEAを承認した国は現在でもゼロ)

国連でさえ非人道的な政策を批判する一方、ターリバーンとの正式な交渉を進めている。例えば、昨年6月末から7月1日にかけて国連主催でドーハで開かれたアフガニスタンに関する第3回ドーハ会議にはアフガン女性は添え物的扱いでターリバンが正式に招待されている

日本もターリバーン復権直後にはカーブルの大使館を閉鎖したが2022年10月には再開し、ターリバーンとの交渉を開始した。岡田隆大使はターリバーン幹部らを招き日本からの協力を約束している。今年2月には、日本財団の招待でターリバーン高官6名が来日し、外務省担当官らとの会談も行っている

 

女性の社会からの排斥のみならず、処刑、体罰、勧善懲悪省の再建、イスラーム復古主義、文芸や歌舞音曲の制限、文化支配など、イスラームを理由にした政策とアフガン地域の風習や文化を取り入れた政治支配体制がますます強化されている。

緩和の兆しはあるとはいえ、各国や国連からの国際テロリスト集団の指定は続くが、また、イスラエルのネタニヤフ政権やロシア・プーチン政権のような国際的弊害を与えているわけではない(ただし過激組織を抱えておりいつ変容するか危険性はある)が、ターリバーンの危険な本性がなくなったとは到底言えない。

このような状況に目をつぶり、ターリバーン支配を既成事実として認めてよいわけがない。

過去の例としてはカンボジアのポルポト政権を武力によってベトナムが打倒したた例があるが、そとからの武力によって内政を支持、ないし転覆する行為がいかに悲劇を生むか、アフガニスタンの半世紀の歴史や現在のウクライナの状況が示すとおりである。内と外からの闘いによって人種アパルトヘイトを打ち破った南アの歴史に学ぶべきであろう。

アフガニスタンの国内には南アのような国内の反対勢力はいまはいない。しかし、国外にはアフガン・ディアスポラと呼ばれる大量の反ターリバーン勢力がいる。また、ターリバーンの政策がアフガニスタンの発展を阻害するものであるかぎり、どんなに時間がかかろうとも、アフガニスタンの内部(ターリバーンの内部からさえ)変革の動きが必ず生まれてくるはずである。

野口壽一