US Policy Toward Taliban and Afghanistan

 

(WAJ: この論は、ターリバーンが国内で支配を既成事実化し、外部世界で、ターリバーンの内政に目をつぶり野合とも言うべき関係を取り結ぶ政府が出てきつつある現実に対する焦りにもとづく危険な見解であると思われる。ターリバーンの政策が危険なものであることに間違いはないが、外部から武力でターリバーン支配を転覆できないことはアメリカが撤退せざるをえなかった20年の経験によって、さらにはPDPAを武力で支えようとして失敗したソ連の経験から、明白ではないだろうか。たとえターリバーンを承認する政府が出てきたとしても、外部世界は、ターリバーンの国家的承認(個別の、さらには国連など諸国際組織において)には反対しつつ、アフガニスタン国内外の民主勢力の伸張を支援する辛抱強い活動を続けるほかに取るべき道はない。3度目の失敗はすべきではない。)

 

シャリフ・ホズオリ
ハシュテ・スブ  2024年5月18日

20世紀初頭以来、アフガニスタンに対する米国の政策は、関与、絶縁、反対の3つのカテゴリーに分類されてきた。絶縁を除き、関与と反対のカテゴリーは安全保障を指針とし、地政学と大国間の競争の影響を受けていた。米国は1980年代、冷戦下ソ連に対抗するため、ムジャヒディーンを援助・支援した。2017年以来、つまりその年の国家安全保障戦略が発表されると、米国の外交政策は再び大国間の競争を指針とするようになった。それ以降、テロは米国にとって主要な安全保障上の脅威とはみなされなくなった。ロシアや中国などの大国が、米国の国家安全保障に対する主要な脅威とみなされている。したがって、米国はアフガニスタン戦争を非生産的とみなし、代替案を検討して打開策を見出すことにした。

<参考文献> 米国家安全保障戦略
https://sgp.fas.org/crs/natsec/IN10842.pdf

 

2020年2月、トランプ政権はターリバーンとのドーハ合意を最終決着した。それから1年半も経たない2021年8月にターリバーンはカーブルを制圧し、再びアフガニスタンにイスラム首長国を樹立した。権力を掌握したターリバーンは、シャリーア法を施行するために勧善懲悪省を設立し、女子の教育と女性の労働を禁止し、行政、学校、大学から欧米のスパイであると非難して世俗的自由主義の幹部を解雇し、ハザラ人とシーア派を中心に宗教的少数派を差別し、書籍を含む文化製品に敵意を示し、それらが若者の心を堕落させていると非難し、そして最も重要なことに、選挙などの公的正当性のメカニズムを放棄した。

米国の撤退が完了し、アフガニスタンにおける米国の任務が終了した後も、米国はターリバーンとの関与を継続したが、この関与が具体的な成果をもたらしたかどうかは再考する必要がある。この関与によって、ターリバーンが上記の政策を再考したり、アフガニスタン人同士の対話を開始したり、女性の権利の尊重と向上にコミットしたり、最終的には少数派の権利を高めたりすることはなかった。

昨年の中国・ロシア・イラン枢軸とターリバーンとの関係正常化を見ると、米国が大国間の競争に流される懸念がある。つまりターリバーンの人権侵害や女性の権利侵害に目をつぶるのではないか、ワシントンが中国・ロシア・イラン枢軸に対抗せんがためにターリバーンとの関係を関与から正常化、さらには政権承認へと発展させるのではないかとの懸念である。世界を見渡せば、国民の権利を侵害しながらも米国を含む国際社会と正常な関係を保っている全体主義的・権威主義的な国は数多い。域内のいくつかの国はすでに限界を超えてターリバーンとの関与を始め、外交関係の正常化に向かっている。最近では中国の習近平国家主席が自ら駐中国ターリバーン大使を信任した。(訳注:「習近平中国国家主席、ターリバーン大使の信任状を受諾」)中央アジア諸国を含む中国・ロシア・イラン枢軸の同盟国である多くの国がこれに倣う可能性がある。関与、正常化、承認という対ターリバーン三位一体は、ターリバーン政権下における人権の捉え方に大きな影響を及ぼし、後先省みず人権侵害の継続を許すことになる。

関与、正常化、承認の三位一体とは対照的に、本論では、米国とその同盟国はターリバーンに対してより厳しい姿勢を取り、アメ政策ではなくムチ政策を試みるべきであると主張する。過激派政権であるターリバーンには、外交言語や足し引き計算は通用せず、粗暴な力による強制のみが有効だ。

歴史は、ターリバーンとの交渉はうまくいかないことを示している。オサマ・ビン・ラーディンは1996年にアフガニスタンに避難し、1998年にそこからタンザニアとケニアの米国大使館の爆破を画策した。そのため米国は彼を引き渡すか、せめてアフガニスタンから追放するよう要請したが、うまくいかなかった。その後、ビン・ラーディンはアフガニスタン全土、特にナンガルハール州とクンドゥズ州にジハードキャンプを設立することを許され、これにより数千人の米国民間人を殺害した9.11を計画し実行した。9.11後、米国はビン・ラーディンを引き渡すようターリバーンと交渉したが、無視された。ターリバーンはビン・ラーディンをアフガニスタンに留めると主張し、9.11テロ攻撃における彼の役割を否定した。米国がターリバーンの支配地域への爆撃を開始すると、彼らは吹き飛ばされたが後に回復。やがてハミド・カルザイ(Hamid Karzai)元アフガニスタン大統領ら米国の現地アフガニスタン同盟者に連絡するようになり、条件なしに米国と交渉する用意があると伝えた。

現在の米国のターリバーンとの関与は、2020年2月に米国とターリバーンの間で調印されたドーハ合意に基づく正当なものだ。国際テロ組織がアフガニスタンで聖域を保持するのを防ぐこと、アフガニスタン領土の対米国目的での使用を禁じること、幅広い基盤を持つ政府を形成するためアフガニスタン国内で対話をすることが、この合意の主要な要素だった。ターリバーンがアフガニスタンを占領してから約2年半が経ったが、ターリバーンはこれらの要素を一つも守っていない。

根拠その1。オサマ・ビン・ラーディンの後継者であるアイマン・アル・ザワヒリが2022年にカーブル中心部でアメリカのドローンによって殺害された。これはアフガニスタンにアル=カーイダが存在することを証明した。その2。ターリバーンは他者との権力共有をせず、暫定政府は依然としてパシュトゥーン人ターリバーン勢力によって支配され、独占されている。その3。女性の権利と人権は著しく侵害されており、ターリバーンは日々女性に対する規制を強化している。

これら3点は、関与、正常化、承認の流れが機能しないことを証明している。いまや、米国とその同盟国は対抗的なアプローチを取るべき時であり、そのアプローチは以下を含む。

第1に、ターリバーンに対し譲れぬ一線を突きつけること。それは、人権、女性の権利、少数派の権利を認め、幅広い基盤を持つ政府の樹立だ。第2に、ターリバーンがその要求を遵守しない場合、米国とその同盟国は、1990年代や2000年代初頭に行ったように、国連、そして最も重要な国連安全保障理事会で可決されるべき厳しい決議の準備を考えるべきだ。第3に、米国とその同盟国はアフガニスタン国民への国際援助を継続すべきだが、その援助は国連機関または認められた現地NGOを通じて分配されるべきである。現在、その資金はアフガニスタンの中央銀行に渡り、ターリバーンはそれを軍隊や武器弾薬の調達に使っている。第4に、米国とその同盟国は、アフガニスタン自由戦線(AFF)を含むターリバーンに反対するグループと連絡を取り、彼らが考えや提案を共有できる国際的な舞台を提供すべきだ。第5に、上記のすべての方法が機能しない場合、国際社会と米国は、反対派グループに武器を与えて立ち上がらせ、自らピンポイント攻撃を行って彼らを支援することさえ検討する必要がある。これは政権交代までを求めずとも、こう動き出せば、さしものターリバーンも交渉のテーブルに着くだろう。アフガニスタン国民との真剣な話し合いが始まれば、幅広い基盤を持ち、包括的で、アフガニスタン社会のすべての階層を代表する政府を形成することも可能だ。第6は、最後の選択肢、つまり外圧による政権交代である。これによってアフガニスタン国民がターリバーンの全体主義的神政政治から解放されることを支援できる。

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