The Return of Afghan Refugees from Pakistan: A Looming Humanitarian Crisis and the Growing Threat of ISIS

 

(WAJ: 暫定政府のもとでの政情不安定下にあるパキスタンは、アフガン難民数百万人のうち正規のドキュメントを持っていない難民を不法難民とみなしている。その数は170万人超と見積もられており、そのすべてを強制的にアフガニスタンに追放する方針だ。すでに大量の難民50万人ほどが、住居も食料も満足にない極寒のアフガニスタンに追い返されている。ターリバーンには帰還難民の受け入れは重荷であるばかりでなく、その困難な状況を過激派組織は構成員のリクルートのチャンスとして利用している。この記事は二重三重に厳しい状況に置かれているアフガニスタンの現状をレポ―トしている。)

 

シャハブ
ハシュテ・スブ 2023年12月15日

パキスタン建国(訳注:1947年8月)以来今日に至るまで、この国とアフガニスタンとの関係は浮き沈みを繰り返し、時には全面的な軍事衝突にまで発展することもあった。それに至る前、アフガニスタンの一部の政策立案者は、領土的主張を推し進め、国内全域とパキスタンの特定の部族地域でパシュトゥーン民族主義の言説を強化することで、パキスタン政府に圧力をかけようとした。その目的は、パキスタンが自国の要請に積極的に従うよう強制することであった。一方、パキスタン当局はというと、インドとの長年の敵対関係のため、インドに敵対するか、少なくとも緊密な同盟国ではないアフガニスタン政府の樹立を一貫して望んできた。彼らはまた、アフガニスタン政府にパキスタンの戦略的ニーズを完遂させようと狙った。

<参考サイト>
https://www.mei.edu/publications/durand-line-british-legacy-plaguing-afghan-pakistani-relations
https://en.wikipedia.org/wiki/Afghanistan%E2%80%93Pakistan_border_skirmishes

 

パキスタンの戦略家らは、自国はその地理的特徴のゆえにアフガニスタンへの介入が必須で、その目的はインドとの紛争における戦略的深み(訳注:パキスタンの国土はインドとアフガニスタンに挟まれた細長い形状をしているため後背地であるアフガニスタンに親パキスタン政府をつくることをめざしてきた。この戦略を縦深戦略という)の獲得であると信じている。さらに今後もその信念を持ち続けたい彼らは、カーブルに軟弱な政府が誕生するための条件を作り出すのに躍起である。

アフガニスタンにおける親モスクワ政権の樹立(訳注:1978年4月)とその後の旧ソ連赤軍による占領(訳注:1979年12月~)は、パキスタンに絶好の機会をもたらした。西側諸国からの包括的な支援を受けて、パキスタンはアフガニスタンにおける諜報活動とイデオロギー的影響力を拡大する機会をえ、国内において代理組織(訳注:反ソ連・反PDPA(アフガニスタン人民民主党)政権への武力抵抗を行うムジャヒディーン組織)を強化した。その後(訳注:1998年、インドについで)核兵器を保有したパキスタンは、アフガン情勢の進捗に多大な影響力を及ぼし、自国の思いを果たした。

パキスタンの影響と介入が知れ渡ったのは、まさにそのピーク時、つまりパキスタンがターリバーン組織の設立に直接的な役割を果たしたときだった(訳注:1994年)。各種文書が、世界のジャーナリストやパキスタンの政治家の証言と共につまびらかにしたのは、パキスタン政府関係者、特にパキスタンで実権を握る軍指導者らがターリバーン集団の創設に直接関与しているという事実だった。

戦争から逃れてきた数百万人のアフガン市民がパキスタン領土に存在することは、パキスタン政府にとって絶好の機会を生み出した。パキスタンは国際移住機関から援助と特権を受け取ることに加えて、アフガニスタン国内で自国の利益を増大させるために移住者を利用した。当時のジア・ウル・ハク大統領の支援を受けてパキスタン政府がとった最も重要な行動のひとつは、ペシャワールと国境部族地域(訳注:大半はアフガニスタンとの国境沿いにあり、パキスタンの法制度より部族の法制度が優先され、パキスタンの警察権は及ばない)に数百の宗教学校を設立することであった。これはアフガニスタンにおけるパキスタンの影響力を強化することを目的とした極めて重要な動きだった。これらの学校設立の結果は、1990 年代半ばにターリバーン現象の出現とともに明らかになった。

パキスタン政府は、領土内の何百万人ものアフガン移民の問題を、人権問題としてではなく、むしろ政治的および諜報問題としてしばしば扱ってきた。現在のパキスタン政府は再び同問題に政治的に取り組み、所期の目的の実現に利用することを目指しているようだ。パキスタンに新しい暫定政府が発足して以来(訳注:2023年8月9日連邦下院が解散。90日以内の総選挙を行うための暫定政府が組閣されているがいまだ選挙は実施されていない)、パキスタンにおけるアフガン移民の問題が再び白熱した話題となっている。

パキスタン内務省によると、政府は約50万人のアフガン移民をパキスタンから強制送還することに成功した。アンワール・ウル・ハク・カカール率いるパキスタン暫定政府が自国からの「不法移民」追放を精力的に推進する要因や動機は何なのかという疑問が生じる。この質問に対しては、さまざまな憶測が飛び交っている。

 

ターリバーンへの圧力

パキスタンが設立当初から最近の勝利に至るまでターリバーンに包括的な支援を提供してきたことは疑いの余地がない。この広範な支援の見返りにパキスタンはターリバーンへの期待を高め、指令の厳格な順守を求めている。しかし現実には、ターリバーンはパキスタンによって育成されているにもかかわらず、その命令を遂行する上でいくつかの障害に直面している。その1つは、ターリバーンとパキスタンのテヘリケ・ターリバーン (TTP)(訳注:アフガニスタンのターリバーンと兄弟ともいうべきパキスタンのターリバーン組織)の関係で、両者の相互取引や交流が邪魔立てしている。

パキスタン政府は、アフガニスタンからTTPを追い出し、それによって武装したメンバーが国内に潜入するのを阻止したい。ところが、ターリバーンはTTPと長期的な取引および協力関係にあり、過去を突然なかったことにするのは不可能である。 アフガニスタンの共和制(訳注:カルザイ・ガニー政権)打倒においてターリバーンへ積極的に協力したTTPは、共に戦うことで経験を積んで成熟し、確立された政府を倒す力を身につけた。

ターリバーン内の少なくとも一部の派閥はテヘリケ・ターリバーン・パキスタン(TTP)と緊密な関係を維持しており、ターリバーン指導部がTTPの国外追放を決定した場合、多くのターリバーン構成員の間で不満が高まる可能性が高い。ターリバーン指導部は、TTPの弾圧が隊列内の団結の喪失につながる可能性を懸念している。

こうした状況にもかかわらず、ターリバーンはアフガニスタンにおけるTTPの存在と活動を可能な限り最小限に抑えてきた。伝えられるところによると、彼らはこのグループの何人かの指揮官を逮捕しており、一部の著名なTTP指導者の殺害においてパキスタン政府と協力したという主張さえある。しかし、パキスタンはターリバーンのTTPに対する部分的な行動だけでは満足していないようだ。パキスタンは彼らに対し、仲間を裏切り、反政府勢力の廉でパキスタンに引き渡すよう強く求めている。

ターリバーンはパキスタンへの依存で常に非難されてきた。したがって、政権復帰後、彼らはパキスタン諜報機関からの独立を証明しようと努めている。ターリバーン国防大臣ヤクーブ師(Yaqoob/訳注:ムッラー・ムハンマド・ヤクーブ。ターリバーンの創設者ムハンマド・オマルの息子)や他のターリバーン当局者のパキスタンに対する批判的発言は、この文脈で評価できる。逆に、もしターリバーンが公然と一方的にTTPを弾圧すれば、アフガニスタンの世論においてターリバーンは間違いなくパキスタンの傭兵で従順な集団であると認識される。彼らのこれまでの独立と愛国心に関する主張がすべて疑問視されることは疑いがない。

パキスタンが域内における長期目標のためにターリバーンを利用しようと、その創設および育成に及んだことを忘れてはならない。ターリバーンはその目標の達成に大きく貢献してきたが、こうした集団を永遠に管理し続けることはできない。テヘリケ・ターリバーン・パキスタン(TTP)をめぐるターリバーンとパキスタン間の意見の相違は深刻かつ本物である。ターリバーンはTTPへの避難場所の提供を簡単に放棄するつもりはない。現在、アフガニスタンは、南アジア、中央アジア、中東のいくつかの過激派グループの聖域となっている。カーブルの住宅街の一つでのアイマン・アル・ザワヒリ殺害により、この点に関するあらゆる疑念と疑惑が払拭され、確証となった。ターリバーンの最大の敵とみなされているISISホラーサン(IS-K)でさえ、ターリバーンの復活に伴いアフガニスタンでの活動が活発化している。かつて風を起こしたパキスタンは今、旋風を刈り取らなければならない。

パキスタン暫定政府が「アフガン不法移民」を追放する動機のひとつは、アフガニスタン領土内のテへリケ・ターリバーン・パキスタン(TTP)に対してより具体的な行動を取るようターリバーンに圧力をかけることだろう。共和制体制の崩壊によりアフガニスタン経済が脆弱となっており、数十万人の移民が流入すれば問題がさらに悪化してターリバーンに対する世論の圧力が高まることを、パキスタン側は正しく理解している。おそらく、その計算上欠けているのは、ターリバーンが国民の支持に基づいて権力を握ったわけではなく、国民の支持などそっちのけで生き残る勢力だという事実である。ターリバーンは力ずくで権力を掌握しており、国民感情に重きを置いていない。したがって、アフガニスタン移民の追放がターリバーンのTTPへの対処方法に短期的な変化をもたらす可能性は低い。ターリバーンがアフガン移民に対するパキスタンのアプローチを利用して、国民の愛国心や民族感情を煽り、逆に民衆の間で自らを正当化する可能性すらある。

 

内部緊張の悪化

パキスタンからのアフガン移民の強制追放は、パキスタン政府にとって多面的な戦略となる可能性がある。その動機のひとつは、アフガン国内の緊張を利用してターリバーン政権を弱体化させることかもしれない。パキスタンは歴史的に、アフガニスタンにおける強力かつ効率的な中央政府の出現を好まないことで知られている。共和制に対するパキスタンの敵意がターリバーンへのあからさまな支持に繋がったことは明かだ。歴史的にアフガン国内の緊張と紛争を目の当たりにしてきた数百万人の移民をアフガニスタンに送還すれば、さらなる争いの条件が整うという考えを持つパキスタン政府関係者もいるだろう。大量の帰還移民は再定住を必要とし、アフガニスタンに存在する土地や農地の分割紛争に複雑さを加えるだろう。歴史上、ザヒール・シャーの治世(Zahir Shah/訳注:アフガニスタン最後の国王。在位:1933年11月8日 – 1973年7月17日)に、アフガニスタン北部の先住民が所有していた肥沃な土地のかなりの部分が政府によって強制的に接収され、アフガニスタンの他の地域、あるいはパキスタンの部族地域から移住してきた集団に割り当てられたという信頼できる報告がある。

ターリバーンがこれまでのアプローチを踏襲し、パキスタンから帰還した移民への土地の再分配で暴力に訴えれば、民族的・部族間の緊張が再び高まり、さまざまな民族共同体の間で悲観的な見方や不信感が高まる可能性が高い。このシナリオで真の受益者はパキスタン政府であり、国内の緊張を煽る土壌を築くことでアフガニスタンの不和と分裂を何年にもわたって永続させ、ただでさえ脆弱な国をさらに弱体化へと向かわせる。帰還移民の中にパキスタン諜報機関が紛れ込み個人や集団を操作してパキスタンの諜報活動や地政学的目的に奉仕させる可能性さえある。さらに、ISISホラーサーン(IS-K)が帰還移民の中から人材を募集する可能性も実際にある。通常、移民が本国に送還されると、定住のために特定の地域や場所が割り当てられ、しばらくの間、他の社会から一定の距離を置くことになる。経験上、急進的で原理主義的なグループがそのような環境を最大限に利用していることが判明している。

他のグループが存在しない状況下でなら、ターリバーンが今この国を掌握する抜け目のなさは評価できよう。少なくともパキスタンの上記のような目標を無力化するのには有効であると。だが現実は異なる。ターリバーンは、パキスタンから帰還した移民の再定住において、民族的および言語的感性を考慮し、先住民に負担をかけないよう慎重にならなければならない。他国がアフガニスタンの紛争を望む主な理由のひとつは、アフガン国内における民族的および宗教的緊張の存在という既成事実だ。ターリバーンがこうした緊張に対処しそれを緩和できなければ、アフガニスタンでの戦争は決して終わらない。パキスタンの戦略家らは安定した平和なアフガニスタンよりも激動し混沌としたアフガニスタンの方がパキスタンにとって有利だと長年、信じてきた。

 

人道的大惨事の可能性とISIS拡大の脅威の増大

移民の大量追放はパキスタン政府による重大な人権侵害のひとつであり、国際機関から批判を集めている。なぜ関連する国際機関がパキスタンのこの行動に対して未だ真剣な対応を示していないのか、また同国の政策立案者らにこの行動方針を止めさせようとする圧力がなぜ生じないのか、観察者たちは困惑している。国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)は最近、パキスタンからのアフガン移民の無差別追放は壊滅的な結果をもたらす可能性があると警告を発した。同組織は、特に彼らの多くが数世代にわたってパキスタンに住んでおり、アフガニスタンの寒さに慣れていないことを考慮すると、これらの移民に避難所が提供されなければ死傷者が出るリスクがあると付け加えた。

<参考サイト>
https://www.unhcr.org/news/unhcr-concerned-adverse-effects-pakistan-orders-undocumented-foreigners-leave

現在、何百万人ものアフガン住民が世界的な援助に依存して生計を立てており、これらの援助が打ち切られれば大惨事の可能性が高まる。何十万人もの移民が国内に帰還したことで問題は複雑化し、人道危機は激化した。ターリバーン政権の経済には、人道的災害に適切に対応する力が欠けている。ヘラート州で起きた最近の地震は、ターリバーン政府の能力不足と対応力の無さをまざまざと見せつけた。かかる状況では、国際機関の支援がなければ、ターリバーンはパキスタンから帰国した何十万人もの移民に避難所を提供することができない。冬が到来したが、ターリバーンは重大な危機を防ぐために目立った行動をとっていない。ターリバーン当局者は国際機関に支援を求め続けるばかり。この国の人々を救う第一の責任は援助団体にあるようだ。興味深いことに、ターリバーンは恥知らずにも援助金の分配過程に介入し、援助金の少なくとも一部を横領している。慈善援助が不十分な場合、彼らは国民に矛先を向け、重税と壊滅的な賦課金を追徴し、国民をさらに困窮させる。報道によると、ターリバーンはパキスタンから帰国した移民を支援するという名目で、カーブルの特定地域の住民から強制的に募金を得ている。ターリバーンには人道危機に効果的に対処する準備ができていない。彼らには専門知識が欠けており、そのような問題を主導する資格のある個人を任命する意欲も持ち合わせていない。

パキスタンに居住するアフガン移民の中にはパキスタンの安全を脅かす人物がいるとパキスタン暫定政府は主張する。また彼らによる移民の大量追放がTTPを弱める可能性があるかも知れない。しかし、ともあれ確かなことは、国際的に受け入れられている定義によれば、パキスタンによるアフガン移民の扱いは非人道的であり、難民の権利の明らかな侵害であるということだ。

追放された移民にとって状況をさらに困難なものにしているのは、母国に国際的および国内的正当性を備えた正当な政府が存在しないことである。しかもその政府は国民に支持されていない。おそらく、この点もパキスタンがより大胆に行動するようになった要因のひとつだろう。このような出来事は人々をこれまで以上に警戒させ、今こそ正当な政治制度を打ち立てて問題を解決しようとの考えを、アフガニスタンのエリートたちに抱かさせるはずだ。

アフガニスタンには人々の痛みや問題を熟知した合法的で法を遵守する政府が存在しないため、悲しみに打ちひしがれた国民の苦難はさらに悪化している。このような体制下への帰国である。彼らを新たな災難が待ち受けているだろう。

アナリストや国際監視団によると、アフガニスタンは現在、世界的な過激派の避難所、拠点と化しつつある。歴史的にターリバーンと取引し、友好・協力関係があり、現在アフガニスタンで活動しているターリバーンと同調するグループも多い。しかしターリバーンが政権を握っている2年半の間に、ISISホラーサーン(IS-K)は目立って活動し、主に宗教者や宗教的少数派を虐殺の標的にしてきた。

特に懸念されているのは、ISISがアフガニスタンに帰還した移民たちの不満を利用し、彼らの間で影響力を拡大することだ。そのようなシナリオでは、移民の帰還はISISや他の過激派グループに血なまぐさい虐殺の肥沃な土壌を提供する可能性がある。

アフガニスタンからの国際軍の撤退によりかなりの軍事的空白が生じており、この空白を埋めるのはターリバーンにとって困難な課題である。こうした今の状況を考慮すると、アフガニスタンの将来の見通しは決して楽観的ではない。

原文(英語)を読む

The Return of Afghan Refugees from Pakistan: A Looming Humanitarian Crisis and the Growing Threat of ISIS Infiltration in Afghanistan

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