Part 4: The Friends of the Taliban

(WAJ: 今回の論考は極めて重要である。ターリバーンを「過激派」と「穏健派」に分割して対処・考究することは、同グループの権力基盤を拡大することにつながる、という指摘である。主流メディアは、ターリバーンを穏健派と過激派の派閥に分類し、時間が与えられれば行動が変化するだろうとして、特定のリーダーを微妙に支持している。このようなアプローチは、強さと権威ではなく、弱さと無力さを反映しており、結果、解体されるべき集団が政治の舞台に根強く残ることになるだろうという指摘である。これはわれわれも心すべき見解である。この論考は同時に掲載した「権力闘争に勝つのは誰か」と併せて読んでいただきたい。)

2024年10月21日
アモンプール:ハシュテ・スブ(アフガニスタンの独立系メディア)

 

民族主義知識人

ターリバーンが惹きつけるのは、イスラム過激派や聖職者だけにとどまらない。多くの教養ある個人や知識人もこのグループを公然と支持している。これらの知識人は、ターリバーンは外国軍によるアフガニスタンの「占領」に対して「抵抗」してきたため、尊敬に値すると考えている。これらの民族中心主義思想家の中には、国際舞台でターリバーンの大義を正当化しようと活動し、ローヤ・ジルガ(大会議)を通じて合法的な政府を樹立して世界から認められるようターリバーンに働きかける者もいる。彼らは、ターリバーンが権力を独占し続け、女性の教育や包摂的な政府(訳注:国民のあらゆる層を包摂した政府という意味だが、そんな政府は世界中みても存在しない、という意見もある)の樹立に関する国際的要求を無視すれば、ターリバーンはやがて崩壊すると懸念している。民族中心主義のパシュトゥーン人知識人にとってはあり得る大惨事で、そうした破綻が起きれば彼らの「アフガニスタン」構想を推進する長期的な努力が無になってしまうと信じている。永遠にでなくても少なくとも短期的には。しかし、ターリバーンは知識人同盟者のこうした懸念を無視しているようで、最初の政権の政策を真似ることで、民族主義支持者を繰り返し失望させている。

ターリバーンは、人権の尊重、包摂的な合法政府の樹立、女性の権利の確保、テロとの戦いなどに関する世界的および地域的な要求に対して頑固に抵抗しているが、民族主義的知識人はこのグループの支援を止めることも、代替案を検討することもない。アフガニスタンでターリバーンが権力を握ったことで、パシュトゥーン人愛国主義者はまたとない例外的な決定的な機会を得たが、この機会を彼らは簡単には手放さないだろう。民族主義的知識人は、ターリバーンがアフガニスタン政治における非パシュトゥーン人グループの影響を終わらせ、自分たちの「国家建設」への道を開いたと信じている。これらの愛国主義者は、パシュトゥーンは古くからの「国家」であると主張するが、それは彼らの全体主義的プロジェクトを実施するための努力の賜物でしかなく、パシュトゥーン人民族主義知識人の観点から見ても、アフガニスタンにまだ「本当の」国家が形成されていないことは明らかである。

この知識層は、国家建設について他の知識層とは異なる見解を持っている。彼らの見解では、国家建設は完全にパシュトゥーン化され、他の民族が自決権の主張を放棄し、「ビッグ・ブラザー」の絶対的支配を完全に受け入れるようになる必要がある。パシュトゥーン民族主義知識層が「アフガニスタン国家」について語るときでさえ、彼らの覇権への渇望は消えず、「アフガニスタン」プロジェクトを自分たちの望む結末に導こうと努力するのはそのためである。このプロジェクトにおいて、ターリバーンは重要な役割を果たしているが、その役割を排外主義者は誰よりもよく理解している。彼らがカーブルに樹立された政権の崩壊の可能性を懸念し、その正当性を証明するために努力を惜しまないのは、まさにこの理由からである。

かつてカーブル大学の教授だったある著名なパシュトゥーン人知識人は、ターリバーンが政権を握った後、カンダハールのハイバトラー・アフンザダ師を訪ねた。彼は「ハイバトラー・アフンザダ師は理解力があり、知識豊富な人物だ」と主張し、女性の教育に反対しているのはハイバトラー師自身ではなく、彼の周囲の少数だが影響力のあるグループだけだと主張した。彼によると、パキスタンの諜報機関がこのグループに潜入し、学校や大学が女子を受け入れるのを阻止しているという。しかし、この知識人が描写する人物像は、広く認知されているハイバトラー師とは大きく異なる。過去3年間にハイバトラー師が発した多くの女性蔑視的な法令は、彼が女性の教育の最も頑固な反対者の1人であり、この民族主義知識人が批判している同じ派閥を率いていることを明らかにしている。パシュトゥーン人の民族主義知識人の間にある厄介な特徴は、現在行われているすべての残虐行為をパキスタンの諜報機関のせいにして、ターリバーン政権の暗い記録を隠そうとする傾向があることだ。

パシュトゥーン民族主義知識人が用いるもうひとつの戦術は、ターリバーンを「過激派」と「穏健派」に分割し、それによって同グループの権力基盤を拡大することである。この試みは彼らだけのものではない。主流メディアもまた、ターリバーンを穏健派と過激派の派閥に頻繁に分類し、時間を与えられれば行動が変わるだろうとほのめかすことで、特定のリーダーを微妙に支持している。このアプローチは、強さと権威ではなく、弱さと無力さを反映している。テロリスト集団に全体として対抗できない場合、協力と妥協を正当化するために、それは穏健派と過激派に細分化される。この戦術により、解体されるべき集団が政治の舞台に根強く残ることになる。これは、政治的リアリズムの悲惨な結果のひとつである。

結局のところ、民族主義知識人がターリバーンを支援することでパシュトゥーン人に与える損害は、ターリバーンの行動によって引き起こされる明白な損害よりもさらに大きい。ターリバーンへの長期的な支援は、今後パシュトゥーン人に最も大きな損害を与える。意識の高いパシュトゥーン知識人の中には、ターリバーンがパシュトゥーン社会にもたらした大混乱を認識している人もいる。残念ながら、この認識は、ターリバーンのイデオロギーに実質的な挑戦を仕掛けるほどには広まっていない。イスラム過激主義は十分な発展も進歩も促進しないことをパシュトゥーン社会が認識するには時間がかかる。むしろ、一方では宗教的無知を促進し、他方ではどうにか残った現代的知識基盤を弱体化させることで、全面的な退行を助長し、あらゆる面で悲惨な後退につながる。

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