イーグルアフガン明徳カレッジ(EAMC)の江藤セデカ校長による佐倉市での「日本語講師向けセミナー」(主催:千葉県佐倉市の佐倉国際交流基金)の報告、第3回

【司会者】
今日いらっしゃる人のほとんどが日本語の先生ですが、質問のある方、お願いします。

【質問者】
アフガニスタンの人たちは、日本の社会や日本人に対して、どういうふうに感じていらっしゃるのか。日本人とどういう風に関わっていきたいか、また、日本人にどう接してもらいたいのか。その辺のところを教えていただけたらと思っております。

【セデカ校長】
アフガニスタン人、日本の国をものすごく尊敬しているんです。やっぱり日本は平和な国で知られているのと、日本の製品は一番良いと。車にしても、テレビとか他の機械も日本製品が一番と。日本政府はアフガニスタンにたくさん支援し、日本の国旗、日本の旗が、アフガニスタンの公共のバスに貼ってあります。だから、皆さん、日本政府が支援していると分かっています。
ただ、私自身も、学校では日本の地理や歴史についてはあまり学んでいません。中国、ロシアについての教育が多く、日本については本当に少なかった。でも、一生忘れないことですが、小学校4年生の国語の教科書に鎌倉の仏像の写真があったんです。あと横浜。だから私が日本に来た時、一番見たかったのは鎌倉だった。鎌倉行きたい、あの仏像を見たいと、そういう思いでした。

今特に千葉にいらっしゃっているアフガン人は、決して差別ではありませんが、学校に行っていない人がほとんどだと思います。様々な民族がいて、昔はそれぞれどういう仕事するのか決まってしまっていました。そういう差別や迫害があって、皆さんは本当に、肉体労働の一番きつい仕事をしなければならなかった人たちです。

【質問者】
私たちの講座では、1年に1回みんなが集まって、日本語のスピーチをしたり、そういった催し物をしている会があるんです。ただ、その時には、アフガニスタンの女性の方はほとんどいらっしゃってないんです。お知恵を貸していただきたいのは、どのようにして、旦那様と一緒に女性の方も参加できるようになるのか、何か、お知恵はありますでしょうか。

【セデカ校長】
私たちはアフガニスタンでも舞台に立って話す習慣がないのです。アフガニスタンの女性は小さい時から「人に声をかけるな」と教育されているので、人の前でしゃべることは苦手です。そしてご主人は、自分の奥さんを他の旦那さんが見たり、自分の奥さんが声を出すところを人に見せたくないので、難しい問題です。

でも、たとえば、そういう時は「女性だけ」にすればおそらく問題はないのです。他の女性の前でも喋れない人もいますけれど。アフガニスタン女性同士で、他の国の女性も、少し入れるといいかもしれません。あとは、皆さんに日本語で言っても分かりにくいので彼女たちの言葉で、納得できるように説明した方がいいと思います。

【質問者(男性)】
興味深い話をありがとうございました。実は、私こちらの日本語講座で日本語を教えていますが、その教室はクラスの方のほとんど9割がアフガニスタンの女性の方です。幸いなことに私はその女性の方々に受け入れていただいていると思っています。さて、イーグルアフガン明徳カレッジは、基本的に女性の先生が全て教えているというのは、今後も変わらないのか、それとも男性の教師を入れるっていうような考え方があるのか、ちょっとその辺について教えて、いただければと思います。

【セデカ校長】
女性だけだと思っています。やっぱり女性の方が、安心して勉強受けやすいのかなと。女性は男性の前で笑わないし、動くことも難しくなるので、できるだけ女性が安心して、笑って授業を受けられるように。
でも、女性が先生のところで勉強しているのは幸せなお話です。

【質問者】
1800人ぐらいの方が四街道や佐倉におられるということなんですが、そういった人たちで、組織あるいは、団体として何か作っているんでしょうか。あと、困ったこととか相談とか、いろいろあると思うんですが、日本側のカウンターパートはどこなんでしょうか。

【セデカ校長】
はい、四街道や佐倉にアフガニスタン人がいるんですけれど、今はモスクがアフガニスタン人のセンターみたいになっています。モスクの中で毎週会合があって、男性だけが集まる時間と、女性だけが集まる時間があるんです。それぞれイスラームの宗教についてとか、誰か亡くなったとか、結婚するとか、結婚式をどうすればいいのかなど、そこのモスクの中で、長老が判断したり、知識を持っている人が少しいて相談に乗っています。私にも連絡が来ます。学校、ビザのこと、病院のことです。一番今大変なのは、家をなかなか貸してもらえないので、不動産の問題です。そういう形で私も協力しています。でも日本側のカウンターパートと言う意味では、表だった組織はありません。

【質問者】
皆さんが日本で暮らしていて、困ってることがたくさんあると思います。それを具体的に教えていただけたらと思うんです。

【セデカ校長】
私自身があの日本に来た時、言葉が分からないので、ものすごく困っていました。私は本国で十何年も勉強して、通産省と外務省で働いて初めての女性課長になっていたんです。それなのに、日本では、皆さんが何を言ってるかも分からない、字も読めない。本当に言葉の問題はものすごく大きいです。日本に来る前に、少しでも言葉を覚えてから入った方が生活は楽になります。習慣もいろいろ戸惑います。でも、まず言葉です。

それから日本の食べ物を食べられませんでした。アフガニスタンは山地で限られたものしか食べないので、羊、鶏、牛肉は食べるんですけど、海のお魚とかそういうのは私たちは食べない。スーパーに入るともう、全く知らないものばかりで、野菜や果物で知っているものは食べるけれど、お肉見ると「もうこれ私食べられない。」特にタコ見ても怖いし、イカ見ても怖い。今はもちろん全部美味しいと思っていますので、たこ焼きも大好きです。また食べ物の分量も、困っていたんです。お肉はキロ単位しか知らなくて、日本でスーパーに行くとグラム単位ですから。
ただ、今の日本に来ている人はすごく幸せです。携帯電話で翻訳できますし、イスラーム的な食べ物を買うこともできます。モスクもあちこちにあります。四街道では、公民館や市役所に、ダリ語の案内がありました。大きなスーパーにも、ダリ語で注意書きがありました。
生活に慣れるため、自分たちで勉強して、努力することもしなくてはいけない、といつも話しています。

また女性たちの服装については、心配な点もあります。タリバーンから逃れて日本に暮らしているので、ここではそれほどぐるぐる巻かなくても大丈夫。長いチャドルが、車や、エスカレーターに巻き込まれたら危ないので、皆さんに注意した方がいいと思っています。

【質問者】
今、30代、40代、50代ぐらいの、あのアフガニスタンの女性の方たち見ていて、で、先ほどのセデカさんのお話からも、その方たちがあまり教育を十分に受けてないということがわかったんですが、セデカさんが入られた女子高等学校は、初めて創立された学校だとおっしゃってたんですけど、その学校ができるまでは女子は、学校に行くことはできなかったんですか?

【セデカ校長】
私のおばあさんから私聞いた話ですけど、その時代には、王様や大臣の奥様達は、お坊さんから、コーランや詩、そういうものを読んでもらっていたりしていたそうです。字を書くことは学ばなかったかもしれませんが、字を読んだり朗読することはできたようです。また王族や大統領といった、知識人の家族の場合、子どもや女性が海外で学んでいたそうです。でもアフガニスタンでは、女性の学校はありませんでした。

【質問者】
日本人と結婚することになったら国籍をはく奪されたときいてとてもびっくりしているんですが、今のアフガニスタンの女性が日本人と結婚するとしたら同じ状況でしょうか?

【セデカ校長】
おかげさまで、私がこの「革命」を起こしてから、アフガン人女性に勇気を与えてしまいました。日本に長く住んでいるアフガン人の子どもは、日本人と同じ気持ちを持つようになっているので、日本人と結婚する人もいます。アフガニスタン人の女性も日本人と結婚していますが、それは、日本の長期滞在ビザとか日本国籍持っている人たちです。

びっくりしたのは、ある知り合いのアフガン人は、私が日本人と結婚したことを珍しがって「おかしい」と言ったりしていたんですけど、長年経ってその方の娘が結婚するという話になり、どなたと結婚するんですかと質問したら、「どなたって、日本人でしょ!」という言い方をしましたので、やっぱりアフガン人は変わった、と思いました。

でも、一般のアフガニスタンの女性が日本人と結婚することを、今の政権は、とても認めないと思います。

今この辺りのアフガニスタンの女性たちは日本人と結婚できないばかりか、自分の部族以外の人とも結婚しないと思います。12、3歳になったら、親戚と婚約をして、16歳になったら結婚。お母さんたちには、「自分が16歳とか歳18歳で結婚して苦しい思いをしたはずで、娘にも同じ苦しい思いをさせないでほしい」という思いが私にはあって、本当に少しずつお母さんたちを教育した方がいいと思っています。

【質問者】
アフガニスタンの人たち、日本にもたくさん難民として来られているんですけれども、佐倉、四街道で見かけるアフガニスタンの方は、ヤードの経営者とかその関係で来られる方が多くて。その子どもたち、高校生とか小中学生にも教えているんですけど、なかなか勉強しないんですよね。日本語なんか勉強しなくても、お父さんもお母さんも問題なく一般生活されてるから、自分はお父さんの会社を継げばいいということで、教えるのに苦労しているんですけれども。難民というイメージと、そういう経営者というイメージと、佐倉ではギャップがあるんですけれども、そのへんをどう理解したらいいんでしょうか。

【セデカ校長】
経営者ビザを持っているアフガン人も、まじめに働いてお金持ちになるのは簡単ではないと思います。

自動車盗難の法廷が終わってから、注意したことがあります。「人の心を傷つけて、人が車を買うために、何年も働いて何年も貯めたお金を、それももしかしたらローンかもしれない。それを盗んで、苦しい思いをさせるだけでなく、自分たち自身にも恥をかかせることになる」と。アフガン人は車の盗難者なのだと思われたら、それは本当に良くないことです。
子どもたちにも、「自分が1回盗んだら、悪い罰があなたの人生にずっと残る」と話します。お父さん、お母さんにも話します。そういうお母さんの一人が、私の学校に勉強しに来ました。すごく嬉しかった。彼女は恥ずかしくて、最初は顔を会わせなかったんですけど、今は変わりました。

何も知らないままでいるのは、女性にとっても可哀そうだし、家庭がよくなるためには、お母さんたちも少しは夫に意見を言えるような状況を、私たちが手伝って作らないといけないと思います。やっぱりお母さんたちの教育に力を入れることが大切だと思います。

【質問者(男性)】
私は10年くらいは日本語を教えているんですけど、最初の5年くらいは町でもアフガニスタンの女性は目立ちませんでしたし、日本の都市でも少なかったんですけど、コロナが終わったあたりから、かなり増えてきました。

【セデカ校長】
今アフガニスタン人がすごい増えてきている。まだ増えると思います。ターリバーン政権で、アフガニスタンではハザラ人が迫害を受けているので、日本に入国している人がとても多いです。私はお母さんたちに、「私は夫が亡くなったが、日本語を勉強したから今仕事が出来るようになっている」と話します。夫がいつまでもお金を持っているとは限らないし、亡くなった時には子どもを養うのはあなたたちです、と。

【司会者】
私から最後の質問です。アフガニスタン人は今後増えていくと思われますが、皆さんと一緒にうまくやっていくために、相互理解を深めるために、どんなことに最も気を付けたらいいでしょうか?

【セデカ校長】
日本に来たら、社会の中に溶け込み日本の方々と同じように生活するために、色々なルールを守らないといけないのですが、まず言葉を覚えるのは時間がかかります。そこで様々な規則ルールを、ペルシャ語やダリ語に翻訳して、インターネットでやYoutube、色々なところで目につくような方策が必要です。また、読み書きができない方もいますから、「自分の住所変更をどこに行けばできる、何が必要か」とか、音声でのサービスがあれば、皆さんの生活が楽になるんじゃないか・・・そんなことを今かんがえています。今日は話を聞いていただき、ありがとうございました。

<終わり>