Europe’s crusade against air conditioning is insane
Adopting foreign technologies is scary, but it’s what makes a society rich.

ヨーロッパ、エアコンに狂気の十字軍戦争
外国技術の導入は怖いが、社会を豊かにする

(WAJ: 昔日本では夏は昼寝をしてやりすごした。スペインにはシエスタという昼休み文化があった。どの国でも暑いときも寒いときも働けないときは休んだ。ところが利益の極大化を求める資本主義社会になって、利潤追求のために資本の回転率をあげることが至上命題となった。タイムイズマネー。だから暑くても働けるように、また暗くなっても働けるように、技術を発展させ回転率をあげようと努力する。だから、人間生活の必要以上の生産性を追究する経済社会に対して「脱成長」を掲げることには一定の意味がある。ヨーロッパのエアコン論議には「技術と人間」「進歩とはなにか」の古くて新しい根源的な突き詰めが秘められている。ヨーロッパでもアメリカでも日本でも、そしてアフガニスタンでも、この問題を避けて通ることはできない。)

 

ノア・スミス(Noah Smith)
2025年8月23日


Photo by Douglas Paul Perkins via Wikimedia Commons

何年も前、私は自然番組を見ていた。太平洋の島に住む狩猟採集民の話だった。撮影クルーが狩猟採集民のひとりに近づき話を聞いた、狩りや採集や仲間の部族に紛れ込んだ魔女を見つけて殺害することについて。しかし、彼らが話しているうちに、私はこの部族の男の目の前に巨大なビデオカメラが向けられているはずだと気づいた。なのに、彼はそれに反応すらしなかった。この奇妙で不自然な形をした、未知の素材でできた、もしかしたら魔力を持っているかもしれない物体は何なのだろう? 彼は不思議に思わなかったのだろうか? 自分も同じものを手に入れて、この見知らぬ外国人たちと同じ用途に使えるのではないかと自問しなかったのだろうか?

私は部族民とビデオカメラの例を考えてみた。これは、はるかに壮大なスケールで何度も繰り返され、国家全体や地政学的権力システムの運命を決定づける、ある物語の縮小版だ。つまり、外国の技術の吸収の問題だ。われわれが日々使っているもののほとんどは、われわれが住んでいる国で発明されたものではない(たとえアメリカに住んでいたとしても)。それらは世界のどこかで発明されたものであり、それらを利用できる重要な理由のひとつは、われわれの社会がそれらの技術の国内への持ち込みが適切だと判断したからだ。

外来技術の導入は簡単なようだが、多くのリスクを伴う。権力や支配システムが崩壊し、政治的混乱が生じる可能性がある。既存の経済関係が変化し、予期せぬ勝者と敗者が生まれる可能性もある。しかし、おそらく最も恐ろしいのは、外来技術が移入国の伝統文化を変えてしまう可能性があることだ。

太平洋の島嶼文明の中で、自国の文化を変えることなく外国の技術を吸収しようと決意した文明のひとつが日本だ。1850年代に西洋から「黒船」が来航し、外国勢力に対して日本がいかに無力であるかが露呈されると、日本の指導者たちは(短い内戦の後)、外国の技術と制度を吸収する以外に道はないと判断した。しかし同時に、日本の伝統文化も守りたいと考えた。そこで生まれたのが「和魂洋才」という概念だ。これはおおまか「日本の魂、西洋の技術」を意味する。その後150年にわたり、日本は新しい機器や生産プロセスに合わせて社会を再構築しながらも、独自の文化の要素を意図的に守ろうと努めた。

今日日本を旅行すれば、よほどの田舎でない限り、部屋にはエアコンがあると保証する。ほとんどの場合、この記事の冒頭の写真のような「ミニスプリット」または壁掛け式のエアコンだ。静かだが、気候変動の影響でますます暑くなる日本の夏でも、部屋を涼しく保つのに十分なパワーがある。これは近代以前の日本には決してなかった技術だが、日本の伝統文化や国民的誇りを損なうことなく、ほぼ普遍的に受け入れられている。

ヨーロッパは違う。データソースは様々だが、ヨーロッパ(そしてイギリス)のエアコン使用率が20%を超えると報告している人はいない。ほとんどの日本人が享受しているこの技術は、ヨーロッパのほとんどの人にとっては不要なものなのだ。

ヨーロッパは北に位置しているからエアコンは必要ないと思うかもしれない。しかし、緯度はかつてのような暑さ対策には役立たない。なぜなら、気候変動がこの地域を襲っているからだ。


Source: Euronews

 

気温の上昇とヨーロッパ人口の高齢化に伴い、予防可能な死亡者数が増加している。熱中症による死亡者数の推定値は地域によって異なるが、最もよく引用される数字は、ヨーロッパ全体で年間17万5000人。ヨーロッパの人口は約7億4500万人(訳注:WorldometerおよびWoldPpurationReviewでは約7.44億人)なので、これは10万人あたり年間約23.5人の死亡率に相当する。ちなみに、米国の銃器による死亡率は10万人あたり約13.7人。

つまり、ヨーロッパの熱中症による死亡率は、アメリカの銃による死亡率のほぼ2倍だ。アメリカで銃が緊急事態だと考えるなら、ヨーロッパの熱中症はさらに大きな緊急事態だと考えるべきだ。

こうした死亡のほとんどは予防可能だ。それを防ぐ技術はエアコンである。Barrecaら(2016)は、アメリカにおける熱中症による死亡者数は1960年以降約75%減少し、「住宅用エアコンの普及が、日中の暑さに関係する死亡者数の減少のほぼすべてを説明している」と結論付けている。つまり、エアコンが導入されればどこでも、熱中症による死亡者数は激減するということだ。Barrecaの推計をヨーロッパに当てはめると、ヨーロッパのエアコンのない世帯の80%がそれを買えば、毎年最大10万人(人口の0.013%)の命が救われる可能性があると示唆される。(原注:これは実際には少し盛りすぎだ。なぜなら、ヨーロッパでよりエアコンを必要とするであろう家庭はすでにエアコンを備えているから。)

(訳注:AC普及率と熱中症死者の単純な数字上の比較:アメリカでは60年代に5割がAC導入済みで現在は9割。つまり普及率が2倍になったとき死者数は4分の1となった。かたや欧州は現在最大2割として、それが8割つまり4倍になれば、8分の1となるべきで、17万5000わる8で2万人。つまり15万人の命が救われる可能性がある。数字上、過大評価とは言えない。)

<参考サイト> 気候変動への適応:20世紀全体を通した米国の気温関連死亡率の著しい低下
https://joseph-s-shapiro.com/research/Climate_Adaptation_BCDGS.pdf

 

しかし、ヨーロッパはエアコンの導入を実行していない。公式の理由は(少なくとも、公式に理由が示されている場合は)、エアコンは電気を使用するため、気候変動に寄与するというものだ。例えば、以下は2022年のMITテクノロジーレビューの記事からの引用。

気候変動により、世界中で猛暑が常態化し、適応の必要性が高まっている。しかし、エアコンに関しては、その必要性と解決策がもたらす悪影響のバランスをどう取るべきか、専門家の間で懸念の声が上がっている。

多くのヨーロッパ人はエアコン歓迎に躊躇している。「エアコンを熱波や気候変動の解決策と見なすのは、消費されるエネルギーを考えると当然ながら少々問題がある」と、ドイツのライプニッツ欧州経済研究センターでエネルギーと気候経済を研究するダニエル・オスベルグハウス氏は言う。

現在、エアコンなどの冷房機器は世界の電力消費量の約10%を占めている。世界の電力の大部分は依然として化石燃料由来であるため、これは世界の(二酸化炭素の)排出量のかなりの部分を占めている。膨大なエネルギー消費量のため、「エアコンは悪い評判を得ている」と、IEAのエネルギーアナリスト、ケビン・レーン氏は述べている。

ヨーロッパがエアコン導入に抵抗する理由として、気候変動を挙げる記事は他にも数多く存在している。ヨーロッパで大きな影響力を持つ世界資源研究所(WRI)などの環境団体は、排出ガスへの懸念から、効果のはるかに低い「パッシブクーリングソリューション」を一貫して推奨している。また、ヨーロッパの規制では、新築の建物にカーボンニュートラルを義務付けることで、エアコンの導入を阻んでいる。この規制は、古き良きNIMBY主義(訳注:うちの裏庭にはゴメン:総論賛成・各論反対の意味)の加勢をもちろん得て、特に英国で、エアコンの設置を妨げている。タイラー・コーウェン氏は次のように書いている。

欧州各国政府は、セントラルエアコンであれ窓用エアコンであれ、エアコンの設置を阻止するために多大な努力を払っている。エアコンの設置には取得が難しい許可が必要になる場合があり、ジュネーブでは医療上の必要性を証明しなければならない。また、ヨーロッパの多くの地域では、エアコンが文化遺産保護法に違反したり、そもそも違法となる場合もある。イタリアのポルトフィーノでは、近隣住民が違法なエアコンを設置しているとして互いに密告し合ったことが知られている。罰金は最高4万3000ユーロに上るが、ほとんどの場合、エアコンの撤去によって示談が成立する。

実際、アンドリュー・ハメル氏は、ドイツが気候変動を理由としたエアコン反対をイデオロギー的な運動のレベルにまで高めていると主張している。以下は彼のスレッドからの抜粋。

多くのヨーロッパ諸国では、エアコンに対する考え方が階級の指標になっていると思う。エアコンは典型的なアメリカ的なものとみなされており、それが重要なことだ…

都市部の高級ブルジョワジー、つまり官僚、公共メディアの幹部、NGO職員、人文科学の卒業生、ジャーナリスト、教授、弁護士、裁判官などは、エアコンの設置に関して抵抗している…

まず第一に、こういう連中は皆、アメリカを訪れて冷房が効きすぎた店やオフィスで凍死寸前になったというネタを持っている。全員だ。くそっ、例外なく…。彼らにとって、エアコンは問題に対する究極のアメリカ的解決策なのだ。アメリカ人は自然をあるがままに受け入れるどころか、高価で無駄な技術を使って、自分たちの太っちょで怠惰なライフスタイルに合うように環境を人工的に作り変えようとしている。彼らは自然に逆らい、征服することばかり主張し、「協力」するどころか、自然を破壊しようとも構わないのだ。そして、そうすることで地球が温暖化しても構わないのだ…。

ヨーロッパの都市部に住む上流階級は、経験を、あらゆる形態のエアコンに対する強固なイデオロギー的嫌悪へと変貌させている…彼らは、こうした決断を単なる個人的なライフスタイルの選択ではなく、むしろ「社会全体の模範」と捉えている。彼らは自らを、先進的な環境意識の革命的先駆者とみなし、蒙昧なる人々が二酸化炭素排出量削減を支援するように仕向けなければならないと考えている。そして、こうした人々が「ドイツ社会を動かしている」のだ。ドイツの都市計画者や建築基準を策定する人々は、反エアコン・ジハードの戦闘員でもあるのだ…

だから、うだるように暑い日には、ドイツ人が「『エコがどうの』『オーガニックがどうの』と口うるさいクソったれな官僚ども」のせいで、冷房もなく蒸し暑い病院や教室、オフィスで何時間も汗をかかされていると文句を言うのをよく耳にするのだ。

これは、脱成長という有害なイデオロギーであることがすぐに分かる。脱成長は、気候変動を、グリーンエネルギーの導入によって克服すべき技術的な問題ではなく、個人の過剰消費と浪費の問題として捉え、厳格な自制心と政府の政策によって抑制すべきだとしている。もちろん、これは愚かなことだ。気候変動を実際に抑制する効果はほとんどなく、人々の苦しみにつながるからだ。しかし、北欧では非常に人気がある考えだ。

気候問題を理由にエアコンに反対する運動は、少々腹立たしい。なぜなら、その運動は排出量削減の効果よりもはるかに多くの人命を奪う可能性があるからだ。現在、ヨーロッパは化石燃料由来の二酸化炭素排出量が世界のわずか13%に過ぎない。そのため、ヨーロッパ全域にエアコンを設置しても気候への影響はごくわずかだ。排出量をほんのわずか減らすために、毎年何万人もの命を犠牲にする価値があると本当に考える人がいるのだろうか?

しかし、ハメル氏のような逸話を読んで、ヨーロッパがこれまでエアコンの導入を拒否してきたもうひとつの、より深い理由があるのではないかと私は疑っている。それは、伝統文化の保護だ。ドイツのエリート層がエアコンをアメリカの不必要な贅沢だと軽蔑していることは、一部のヨーロッパ人がエアコンがないことをヨーロッパ文化の真髄と見なしていることを示唆している。つまり、ヨーロッパ人が世界に対する独自性を定義するための伝統なのだ。

ヨーロッパ人がエアコンの使用になぜ消極的であるかを示す多くの記事が、この姿勢を示唆している。例えば、CNNの記事はこうだ。

[エアコンを設置しない]大きな理由は、多くのヨーロッパ諸国、特に北部では歴史的に冷房の必要性がほとんどなかったからだ。「ヨーロッパで我々はエアコンの伝統を持たない。比較的最近まで、それほど大きなニーズがなかったからだ」と、国際エネルギー機関(IEA)のエネルギー効率・包摂的移行局長、ブライアン・マザーウェイ氏は述べている。[下線は筆者]

そしてこちらはユーロニュース:

この物語の続きは歴史と文化に隠されている…南ヨーロッパは暑さへの対策として都市を建設した。厚い壁、日よけの窓、そして風通しを最大化するよう設計された街路レイアウトなど…ギリシャのサントリーニ島やイタリアのヴィエステといった地中海沿岸の美しいスカイラインに白いペンキが使われているのもそのためだ。明るい表面が日光と放射熱を反射し、室内を涼しく保つ…一方、北ヨーロッパではかつて夏は穏やかで、冷房はほとんど必要なかった…ヨーロッパにエアコンが登場した当初は、贅沢品、あるいは健康リスクとさえ考えられていた。多くのヨーロッパ人は今でも冷たい空気にさらされると病気になると信じており、エアコンは金持ちのためのものだという固定観念が根強く残っている。

そして、ウォールストリートジャーナル は、世界のほとんどの人々が毎日使用しているこの技術の危険性について、広く迷信が広まっていると報じている。

フランスでは、室内の温度を外気温より華氏15度(摂氏約7度)以上下げると「熱ショック」と呼ばれる症状を引き起こし、吐き気、意識喪失、さらには呼吸停止に至る可能性があると、メディアは頻繁に警告している。そんな話はアメリカ人にとっては初耳に違いない。

命を救うエアコンをヨーロッパが拒否する公式かつ知的な理由がたとえ気候だとしても、根底には、エアコンはヨーロッパの伝統的な文化に反するという考えがある。

(もちろん、この傾向はヨーロッパに限ったことではない。アメリカ人はヨーロッパ人よりも未来的であると自負しているかもしれないが、日本の温水洗浄便座をまだそれほど普及させていない。そのため、外国の技術の贅沢を経験したことのないアメリカ人は、理解することさえできないほど、生活の質が少しずつ損なわれている。)

理由が何であれ、空調技術への抵抗はヨーロッパ文明をより貧しいものにしている。美しい古都と低い犯罪率にもかかわらず、ヨーロッパが今やアメリカよりもみすぼらしく、より貧しいと感じられる大きな理由となっている。

ヨーロッパは、テクノロジーの未来を受け入れる社会を見習う必要がある。日本は良い例だが、さらに良い例はシンガポールかもしれない。この都市国家の伝説的な建国者、リー・クアン・ユーは、空調こそが、この国が世界で最も豊かな国のひとつとなるための決定的な技術であると信じていた。

「空調は私たちにとって最も重要な発明であり、おそらく歴史上最も重要な発明のひとつでしょう。熱帯地方の発展を可能にし、文明の本質を変えました。」

エアコンがなければ、涼しい早朝か夕暮れ時にしか仕事ができません。首相就任後、私が最初に行ったのは、公務員が働く建物にエアコンを設置することでした。これが政府の効率化の鍵だったのです。」

ヨーロッパは彼のアドバイスに耳を傾けるべきだろう。

外国技術の吸収が、貧しい社会と豊かな社会、つまり技術的に進んだ社会と後進的な社会の違いを単純に生み出す。ほとんどの国にとってそこは盲点なのだが、ヨーロッパの発作的なエアコン拒絶は、ほとんどの国よりもはるかに大きな代償を払っている。

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