(2025年12月2日)
アメリカの世界支配戦略は不変
~ 首相は先兵にされぬ知恵を磨け~
はじめに
高市首相の国会答弁をめぐって、対象となる中国のみならず、米トランプ政権さらには国連をも巻き込む事態となっている。ことの発端は高市首相の軽率な発言なのだがその背景にはアメリカ政府による中国叩きの世界戦略がある。高市首相がそのことについて認識しているかどうかはわからないが、歴史的なアメリカの世界戦略を理解していないと、とんでもない事態に引きずり込まれる恐れがある。本稿ではそのことについて考えてみたい。
アメリカの対外政策を歴史的視点に立って見てみると、覇権国家としての地位を脅かす「第2位の台頭国」を抑え込むという行動パターンが繰り返されていることがわかる。それが明確になったのは、第1次大戦から第2次大戦にかけてイギリスを追い抜き、日本を叩きのめし世界トップの座についたあとである。第2次大戦後、ソ連・日本・中国を対象に、競争国を抑制し、覇権を維持してきたアメリカの作戦経過をたどればアメリカの世界戦略を明確に理解することができる。
しかし、第2期トランプ政権の対中政策は高関税政策で中国を狙い撃ちにしていたかのように見えながら、一転、対話路線に転じたようにもみえる。それははたして「路線変更」なのか、「戦術的融和を装った継続」なのか見極める必要がある。なぜなら、アメリカの対中路線は、高市首相の発言を発端にして再燃した対中関係の悪化をどう収束させていくかの選択に大きな影響をあたえるからである。
覇権国アメリカの歴史的行動パターン
20世紀初頭、アメリカはイギリスの金融覇権と対抗しつつ連携し、英米同盟によりふたつの世界戦争を終了させ、イギリスからアメリカへの覇権移行をソフトランディングさせることに成功した。
第2次世界大戦後の冷戦ではソ連との「技術競争」「軍拡競争」「外交封じ込め」によってソ連を崩壊に追い込んだ。その間幾多の戦争をアメリカは戦ったがソ連とは熱い戦争は行わなかった。その代わり、1975年のベトナム戦争敗北後は、ソ連をたくみに罠にかけアフガニスタン侵攻に踏み切らせ(ブレジンスキーの証言)、10年におよぶ泥沼戦争で消耗させた。ソ連はアフガニスタン侵攻を、アフガニスタンの民族民主主義革命の防衛と世界社会主義体制の防衛という大義名目で侵攻を合理化した。アメリカはそのソ連との闘いを、ムジェヒディーンという先兵(代理軍)をつかい、自らは直接戦場に赴かず戦争に勝利した。
1970年代から80年代、ソ連に代わって、経済力の分野でアメリカの座を脅かしつつあった日本には、プラザ合意(1985年)・半導体協定(1986年)・日米構造協議(1989~90年)などで経済的抑制を行い、日本を経済停滞に陥らせた。(日本の30年の停滞の最大の原因はこれ。)これらの歴史的事例は、台頭する「第2位の国」を戦争以外の方法で押さえ込むパターンの世界支配戦略であるとみなすことができる。
中国WTO加盟承認と中国を育ててしまった“ジレンマ”
冷戦終結後のアメリカは、中国を国際経済システムに取り込み、市場経済の中で成長させれば、やがて政治的・社会的に民主化へ向かうだろうと考えた。1990年代から米中間では「経済的相互依存が安全保障の基礎になる」という理念が共有されつつあった。特にクリントン政権は、中国をWTOに加盟させることで、ルール主導の国際秩序に組み込み、価値観の変容を促そうとした。2001年の中国WTO加盟は、これらの期待の集大成であった。
しかし結果は逆となった。中国は輸出主導の急成長を遂げ、世界第2位の経済大国に上り詰めた。アメリカ企業はコストの安い生産拠点を中国に求め、資本・技術移転を加速したが、それは同時に中国の国家的競争力を高め、アメリカ自身の製造業空洞化を引き起こすことにつながった。
さらに、中国は国家主導の産業政策を展開し、WTOのルールを巧みに活用する一方で、国際ルールの抜け道も利用して独自の経済圏を作り上げた。その結果、中国は政治的に民主化するどころか、共産党支配が強化され、監視体制の高度化、言論統制の強化などが進んだ。経済発展すれば社会が解放され民主化されるというアメリカの期待は誤りであったことが明らかとなり、中国はむしろ“権威主義型の成長モデル”を確立し、発展途上諸国の支持すらえられるようになった。アメリカ国内では「関与政策の失敗」が認識され、オバマ後期から対中姿勢が硬化。第1次トランプ政権では全面的な強硬路線へと転換し、WTO加盟がアメリカの戦略的誤算であったとの反省が広がった。
9.11とアフガニスタンでの誤算
2001年の中国WTO加盟の3カ月まえに勃発した9.11米同時多発テロは、アメリカの安全保障戦略を根本から変える転換点となった。米国はアル=カーイダ排除を名目にアフガニスタンへ侵攻した。そして「テロの温床を取り除けば日本での占領統治のように民主化が可能」と大きな勘違いをした。アフガニスタンの部族社会構造、中央政府の脆弱性、ターリバーンの復活力を過小評価し、国家再建は進まないどころか古い伝統社会の最下層支配層であるイスラム僧階級(ムッラー)を代表するターリバーンの復活を許した。アメリカは「民主主義、法の支配」を掲げたものの、それは地域の現実を理解しない机上の政策であり、結果的に20年に及ぶ戦争にはまり込み敗北した。
ターリバーンは地方で支配基盤を築き、米軍撤退宣言後には急速にカーブルを制圧した。2021年の米軍撤退は“敗北”として世界に映り、アメリカは軍事的威信と外交力を大きく失った。この長期戦争はアメリカの資源を消耗し、「第2位の中国を叩く戦略」への集中を妨げる要因となった。こうしてアメリカは対アフガン政策の限界を認め、「撤退=対中シフト」という判断に至ったのである。以後、ウクライナ・新疆・台湾を“新たな地政学的ホットポイント”として位置づけ、対中戦略の再編を進めてきた。(「罠にかかったプーチン」「再び、アフガン、ウクライナ、新疆、台湾~アメリカの主敵はあくまでも中国」)
第1次トランプ政権の対中戦略
第1次トランプ政権下の2018年10月4日に行われたペンス副大統領の演説は、対中政策の転換点であった。中国の技術・軍事拡張、人権問題を取り上げ「新冷戦」宣言とも言える強硬路線を正式化した。その内容は、
① 対中関税の大幅引き上げ(最大100%案)
② 5G・半導体輸出規制
③ 台湾への軍事・外交支援強化
④ アフガニスタン撤退による対中集中
これらは「中国追い落とし」を目的とした全方位戦略であり、覇権国家の典型的反応として位置付けられる。(「アフガンの次、西はウクライナ、東は台湾 アメリカの2番手たたきの標的となった中国」)
トランプ政権第2期の変化と継続
2025年、トランプ大統領就任時に世界を驚かせた高関税率政策は、その後、平均で27%、17%程度と段階的に下げられ、2025年11月1日時点で発動・予定されている関税の加重平均関税率は15.8%(Tax Foundation)と試算されるにいたった。たしかに2024年の平均関税率が2.5%(Tax Foundation)であったことにかんがみれば高関税であることは間違いないが、最初にガンと脅して落としどころをさぐるトランプ流交渉術(TACOとも呼ばれる)の範囲内に収まる数字だろう。トランプ流のやりかたは「融和的」だったりジグザグだったりする側面があるが、依然として関税率は戦後最大級の水準である。
そのようななかで、米中首脳は「関係改善」を演出しつつも、AI・半導体・軍事領域では規制が継続されている。つまりトランプ大統領は中国に対しても「殴ってから取引する」政策を展開しており、核心戦略は維持されている。
日中・日米関係への影響
日本の「台湾有事=日本有事」発言は、アメリカの対中封じ込め戦略の最前線に立たされる危険性を孕む。アメリカの戦略は、危機をあおって日本や世界に武器・軍装備品を買わせる軍産複合体の利益に奉仕しつつ、日本を「不沈空母」(中曽根発言)「前線の砲台」(琉球弧を戦場にするな)として利用するものである。
「台湾有事=日本有事」キャンペーンのもとで進められてきているのは、琉球弧をはじめとして日本全土のミサイル基地化(敵基地攻撃能力の導入)である。本サイトで紹介し、上映活動を推奨しているドキュメント映画『琉球弧を戦場にするな 2025』では、ミサイル基地を含む軍事施設の新設や拡張、米軍との共同軍事演習ばかりでなく、島民の島外、県外避難訓練まで実施されている現状を描き出している。南方の島々だけでなく日本全土が「有事体制」下に組み込まれつつあるのだ。
高市首相の答弁は、中国戦艦が台湾進攻に及ぶ事態を仮定し、そこにアメリカが参戦した場合、日本も同盟国として参戦する可能性があると、いくつもの仮定の積み重ねのうえに、さらに仮定の行動可能性を述べるものだ。日本の首相としては極めて不用意な発言であると言わざるをえない。日本の政治家が多用する便利で卑怯な言い逃れ「仮定のお話にはお答えできません」となぜ言わなかったのか。高石首相はいい加減な言い逃れで逃げ切ることはできないだろう。
まとめ
高市首相による「台湾有事は日本有事」「存立危機事態」との国会答弁で始まった日中両国指導部の言葉の応酬はいまだ終わらないばかりかエスカレートしている。中国側はこの発言を「ひとつの中国原則への挑戦」と受け止め、日本に外交的に強い抗議を寄せるばかりか、トランプ大統領や国連事務総長にまで訴えをひろげ、国際的に日本を包囲攻撃しようとしている。
言葉のエスカレーションは、ホンネでは軍事衝突を望んでいるわけではない日中両国政治指導部の思惑とは裏腹に、偶発的な緊張や誤認を増幅する危険性を孕む。とくにマスメディアやSNSでの無責任な書き込み、煽りが、政治の動きに影響を与えるかもしれない。きな臭い雰囲気のもとでは、東シナ海・台湾海峡などで常態化している艦艇や航空機の接近が、ひとつの誤情報やひとつの強硬発言で、政治的な緊張の糸を切る可能性も否定できない。抑止だけでは安全保障は成立しない。危機管理と対話の仕組みがなければ、抑止(軍事力の増強や核抑止の論議)はむしろ挑発の口実になり得る。
忘れてはならないのは、日中関係が50年以上にわたり、対話と協力を基調として発展してきた歴史である。その基礎をつくってきたのがつぎの4つの基本文書である。いま一度その重要性をかみしめる必要がある。
1.「日中共同声明(1972)」
「国交正常化」の原点であり、台湾問題・歴史認識・覇権反対という今日まで続く基本線を合意した。
・日中の「異常な状態」を終わらせ、外交関係を正常化。
・日本は中華人民共和国政府を「中国の唯一の合法政府」と承認。
・中国側は「台湾は中国の不可分の一部」と再確認し、日本はこの立場を「十分理解し尊重」することを表明。
・中国は対日戦争賠償請求権を放棄。
・相互の主権尊重・内政不干渉・平和共存などに基づく恒久的な平和友好関係を確認し、覇権主義に反対。(日本国外務省)
2.「日中平和友好条約(1978)」
共同声明の「原則」を、法的拘束力を持つ条約にした。
・ 1972年声明を土台に、両国関係を「恒久的な平和友好関係」として条約化。
・相互の主権と領土の尊重、内政不干渉、平和共存の五原則に基づくことを再確認。
・紛争はすべて平和的手段で解決し、武力やその威嚇を用いないと規定。
・いかなる国による覇権の確立にも反対することを明記。
・経済・文化などの協力と交流の促進をうたう。
(日本国外務省)
3.「日中共同宣言(1998)」
平和と発展のための友好協力パートナーシップ構築宣言
• ポスト冷戦・グローバル化の中で、日中関係を「平和と発展のための友好協力パートナーシップ」に格上げ。
• 日中関係は両国にとって最も重要な2国間関係のひとつであり、アジア太平洋と世界の平和・発展に責任を負うと位置づけ。
• 1995年の村山談話を尊重し、日本の対中侵略の責任と深い反省を表明(謝罪を含む歴史認識が明文化)。
• 台湾問題は日中共同声明の堅持、政治・安全保障対話の制度化、経済協力、環境・農業・インフラなど広範な分野協力。
(日本国外務省)
4.「戦略的互恵関係共同声明(2008)」
3文書を土台に、対立管理と協調の両立をめざす「戦略的互恵関係」を公式コンセプトにした文書
・日中関係は双方にとって最も重要な2国間関係のひとつであり、アジア太平洋と世界の平和・安定・発展に大きな責任と影響を持つと確認。
・「長期的な平和・友好・協力」を唯一の選択肢とし、「戦略的互恵関係」を包括的に推進することを宣言。
・1972共同声明・1978平和友好条約・1998共同宣言が、日中関係の政治的基礎であることをあらためて確認。
・「両国は協力のパートナーであり、互いに脅威とならない」「互いの平和的発展を支持する」と明記。
・政治・安全保障、経済、環境・エネルギー、社会・人的交流、地域・国際問題など5分野での協力枠組みを提示。
(中華人民共和国外務省)
(日本国外務省)
これら4つの政治文書は、台湾問題を含む懸案について「武力ではなく平和的手段によって処理すべき」と明記し、相互発展の基盤を築いてきた。緊張のさなかにある今日こそ、これら文書に立ち返り、改めて外交チャンネルを整備し直す契機とすべきである。
日本は、米中対立の「前線基地」となるのではなく、東アジアの安定と対話を支える「橋渡し役」としての可能性を持っている。抑止か迎合かの2択ではなく、戦略的互恵の第3の選択肢を模索すべき時ではないか。
高市発言をめぐる議論の本質は、軍事的有事の是非だけではない。ましては撤回するかしないか、どう言い訳するかなどの些末な問題ではない。
現在の日中の政治指導部が、これまで双方で積み上げてきた合意をこの地域で、どう生かすのか、そして双方の指導者が、いかなる姿勢をもってこの地域の未来を描こうとしているのか――問われているのは、まさにその覚悟であろう。
前回の日中関係の最悪期に訪中した時の経験にもとづいて書いたエッセー『友好は「人の道」、領土争いは「獣道」』を再掲する。両国民衆は友好を望んでいるし、その歴史と現実をもっているのだ。
【野口壽一】