Sayyid Jammal al-Din al-Afghani:
A Critical Reassessment of Ambiguity, Origins, and the Modern Islamic Awakening
(WAJ: 本稿でファテー・サミ氏が取り上げたアフガーニーはサイイド・ジャマル・アル=ディーン・アル=アフガーニー、ジャマールディーン・アフガーニーなどといくつもの名前で知られる19世紀のイスラム世界の思想家であり、汎イスラム主義を唱えるイスラム近代主義の創始者のひとり。アフガーニーの信念は、ムスリムの間での団結が欠けていることであった。サイイド・ジャマールッディーン・アフガーニーについて読むことで、イスラム運動の混乱の原因と歴史的な帰結の双方を、より深く把握することができる、とサミ氏は考え、これまでの連載(ムスリム同胞団運動、ワッハーブ主義、サラフィー主義、ターリバニズム)を理解するベースを与えるために今回のアフガーニーに関する論考を執筆した。イスラム運動の複雑で長い歴史的連鎖の中で、ターリバーンのような集団は、その後期に現れた、より急進的な分派のひとつとして理解することが可能になる。なお、本稿の著者ファテー・サミ氏がこの間、本サイトに執筆した論説のすべては「ファテー・サミ執筆記事一覧」で読むことができる。)
ファテー・サミ(Fateh Sami):フリーアカデミック研究者
2025年12月20日

<要旨(Abstract)>
本稿は、19世紀ムスリム世界において最も影響力が大きい一方で、最も謎に満ちた知識人・政治的人物のひとりであるサイイド・ジャマル・アル=ディーン・アル=アフガーニー( Sayyid Jamal al-Din al-Afghani:1838–1897)(訳注:「ジャマールッディーン・アフガーニー」とも呼ばれる)の生涯と活動を、批判的に再検討するものである。本研究は、彼を19世紀ムスリム世界の政治的・知的・帝国的枠組みの中に位置づける。ナショナリスティックあるいは称揚的な物語を再生産するのではなく、彼のアイデンティティ、出生地、宗派的帰属、教育、私生活、政治的動機をめぐる持続的な曖昧性に焦点を当てる。歴史資料と批判的研究に基づき、本稿は、越境的な政治的行為者としてのアフガーニーの非典型的な経歴――すなわち、その高い移動性、権力への接近、継続的な資金的支援が、特にイギリスおよびロシアの帝国的利害との関係について重大な疑問を提起する点――を検討する。
さらに本研究は、アフガーニーが公認された資格をもつ伝統的学者でも、体系的な改革理論家でもなかったことを示す。むしろ彼は、イスラム的言説の課題設定を再定義し、法学的論争から、権力・支配・文明的衰退の問題へと焦点を移した、政治的に老練な人物であった。彼の影響力は教義的独創性に由来するのではなく、後続の思想家や運動が体系化・制度化することになる広範な政治的意識を、明確に表現し普及させる能力に由来していた。
地域の支配者との関係、宮廷からの追放、諜報活動の嫌疑、死後の遺骸の政治化を批判的に検討することにより、本稿は、アフガーニーを近代イスラム覚醒の疑いなき創始者とする神話化された像に異議を唱える。代わりに、彼を、その活動した帝国主義時代と切り離すことのできない、歴史的条件に規定された、心底曖昧な人物として提示する。本稿は、アフガーニーを理解するためには、曖昧性を陳腐な理想主義におもねって乗り越えることにこだわらず、むしろ、分析的カテゴリーとして受け入れる必要がある、という結論に至る。
はじめに
サイイド・ジャマル・アル=ディーン・アル=アフガーニーが評価される際、その知的影響力に対する称賛と並んで、一連の未解決の問いが必ず浮上する。それらは周縁的な問題ではなく、彼の生涯を歴史的に理解するうえで中核をなす問いである。彼は正確にはどこ出身なのか。なぜ時期によって名前や系譜の主張を変えたのか。父親は誰で、どのような環境で育ったのか。なぜ結婚、家族、私生活について信頼できる記録が存在しないのか。不明瞭な教育的背景しか持たない人物が、いかにして突如として学者、宮廷、大国の政治権力の中に現れ、重要な役割を担うようになったのか。
これらの問いは、アフガーニーが伝統的な神学校の道を歩んだ古典的法学者ではなく、政治的・知的に高度に可動的な人物であったことを考慮すると、さらに重要性を増す。短期間のうちに、彼はアフガニスタン、イラン、インド、オスマン帝国、エジプト、ヨーロッパに姿を現し、王、王子、学者、知識人と交流した。この移動性そのものが、彼を政治的天才と見る者と、イギリスやロシア帝国の諜報網と関係していたのではないかと疑う者とに分けてきた。
本稿の目的は断定的判断を下すことではなく、証拠・欠落・矛盾に基づく分析を行うことである。第一節では、彼のアイデンティティ、出生地、初期の年月――史料が最も乏しく、曖昧性が最も大きいが、後年の人格形成にとって基礎的な時期――に焦点を当てる。
真のアイデンティティ、出生地、名前
歴史資料において、サイイド・ジャマル・アル=ディーンは、アル=アサダバード、アル=アフガーニー、あるいは単にジャマル・アル=ディーンといった複数の名前・呼称で現れる。この命名の揺れは偶然ではなく、より深い歴史的アイデンティティの危機を示唆している。出生地については、少なくとも3つの主要な主張が存在する。すなわち、(1)イラン・ハマダーンのアサダーバード、(2)ホラーサーン地方またはより広くアフガニスタン地域、(3)より具体的にはアフガニスタン・クナル州のアサダーバードである。クナル州にアサダーバードという町が存在することで事態はより複雑化し、地理的帰属の決定における曖昧さを倍加させている。
出生証明書、公的登録、検証可能な系譜記録はいずれも残っていない。父親の身元や家族の社会的地位に関する基本情報さえ不明である。この文書的空白は、系譜や師、形成期の知的環境が少なくとも部分的には記録されている同時代の宗教学者たちと著しい対照をなす。このため、一部の研究者は、サイイド・ジャマル自身が、異なる社会的・宗派的・政治的文脈に適応するための政治的道具として、意図的にアイデンティティの曖昧性を採用したのではないかと示唆している。
曖昧な初期と突然の登場(およそ25歳以降)
誕生からおよそ25歳までの初期の人生は、伝記上最も不透明な時期である。資料は、初期の旅行、宗教諸学との接触、いくつかの学習拠点への出入りを漠然と述べるのみで、検証可能な詳細を欠いている。ただし、伝統的宗教教育――長期にわたる体系的学習、公認資格(イジャーザ)の取得、確定した師弟関係――の道を歩んだわけではないことは、ほぼ確実である。
ところが20代後半になると、彼は突如として、政治・哲学・ムスリム世界全体の状況に通じ、学者と論争し、宮廷に出入りし、植民地主義、ムスリムの衰退、宗教改革について語る人物として現れる。この急激な変化は、集中的だが非制度的な学習の成果なのか、それとも伝統的宗教機関の外部で活動するネットワークとの関係によるものなのか、という重大な問いを投げかける。
一部の分析者は、この形成期において彼が、学校や神学校の構造的環境よりも、旅行、権力の直接観察、実践的政治への関与によって形作られたと考える。こうした軌跡は、彼を伝統的宗教学者とは異なる、思考・権力・社会の間に位置する境界的存在へと位置づけた。
教育的背景と学問形成
サイイド・ジャマル・アル=ディーンをめぐる最も根本的な問いのひとつは、教育的背景である。古典的イスラム伝統において知的正統性は、①体系的長期学習、②著名な学者との明確な関係、③特に法学・ハディースにおける公認資格、という3つの経路によって確立される。しかし彼については、これらいずれも信頼できる証拠によって裏づけられない。
後年の主張にはナジャフなどで学んだという言及もあるが、期間、師の名前、修得分野はいずれも確定できない。この点は、ムハンマド・アブドゥフのように、教育経路と資格が明確な同時代人・後継者と著しい対照をなす。
思想史家によれば、この不均衡は極めて顕著であり、慎重な検討を要する。制度的訓練の欠如は彼の影響力を否定するものではないが、その知の性質と源泉の再評価を要求する。
彼が哲学・歴史・神学・政治思想に広く通じ、知的エリートの間で説得的に議論できたことは疑いない。しかしその知は、制度化された教育よりも、自己学習、未知または非公式な知的ネットワーク、実践的政治経験、ムスリム世界と西洋で進行する大変動への直接的接触を通じて獲得されたように見える。これら形成的影響の不透明さは、彼の伝記における永続的謎である。
宗派的帰属と知的志向:戦略的曖昧性か政治的必然か
宗派的帰属は最も論争的な問題のひとつである。イランではシーア派、アフガン・アラブ圏ではスンナ派として描かれることが多い。しかし彼の著作と行動を注意深く読むと、特定の法学・宗派枠組みに自らを固定することを意図的に避けていたことが示唆される。
これは神学的無関心ではなく、計算された政治的・知的戦略であった可能性が高い。彼の関心は法学細目ではなく、ムスリム権力の衰退や欧州帝国主義の脅威に対する集団的政治動員の必要性にあった。彼からすると、ムスリム社会の分断と弱体化の道具として第1に機能したのが宗派間の小競り合いだった。
この意味で、彼は神学的というより政治的なイスラム的統一論の初期の表現者とみなせる。彼は上からの改革を志向し支配者・エリートに働きかけた。しかしこの方法は、セレブ集団内のおとぎ話の枠内では一向に解決しない問題を孕んでいた。つまり、王や権威と結びつくだけで、ムスリム集団に真の統一をもたらせるのか? 歴史を省みれば、そうした目標のためには、より多くの人々を相手に、広範で持続的な働きかけを要しただろう。しかるに、ジャマル・アル=ディーン自身が組織的にそう働きかけた形跡はない。
独自の法解釈に正式な後ろ盾は皆無だったが、彼はイスラームの衰退と復活を語りうる偉大なる理論家と受け止められた。学問的な独自性が彼の影響力を紡ぎ出したのではなく、幅広い政治的思惑をくすぐり増幅させる彼の能力の賜物だった。それに飛び乗った後の思想家や運動が、浄化し体系化し組織化し、一貫したイデオロギーかついっぱしの思想潮流として定着させる役割を担った。
政府・王権との関係
彼の経歴の顕著な特徴は、権力中枢への持続的接近である。アフガニスタンのシール・アリー・ハーン、イランのナースィルッディーン・シャー、オスマン帝国のアブデュルハミト2世などと直接関係を持った。
これらはチャンスであると同時に危険でもあった。ナースィルッディーン・シャーは後に彼を疑い、割礼の有無にまで踏み込んだとされる。この逸話は、宗教的アイデンティティが政治化される状況と、絶対君主制のもとでの彼の立場の脆弱さを示す。
移動性と資金支援の問題
19世紀において広範な移動には多大な資源が必要であったにもかかわらず、彼はほぼ絶えず移動し、資金難に直面した形跡が乏しい。安定した職、家産、明確な収入源を示す資料はない。にもかかわらず、これは隠れた支援の存在を強く示唆する。
資金支援は直ちに諜報活動を意味しないが、当時、知的活動・政治的使命・諜報の境界は曖昧であった。彼はこの灰色地帯で活動し、そのことが影響力と曖昧性の双方を増幅させた。
諜報活動の嫌疑と列強
イギリス政府は彼をよく把握し監視していたが、排除措置を取らなかった。これは、脅威でなかったか、あるいは管理された存在として有用だった可能性を示す。地域政府も警戒したが、処刑や長期拘禁は行われなかった。これは彼の高度な政治的技量を示唆する。
イスタンブールでの死と遺骸の移送
1897年にイスタンブールで死去。死因は病死から毒殺説まで諸説ある。後年、遺骸とされるものがカーブルに移送され、国家的象徴として政治化された。しかし、その真正性自体が曖昧である。
総合的考察
サイイド・ジャマル・アル=ディーンは宗教改革の英雄でも、列強の手先でもない。体系的理論を構築したわけでもないが、歴史的意義は小さくない。つまり、彼が問いかけたのは、権力、独裁帝国、復古主義、文明衰退への疑問であり、イスラームの中心議題と政治活動の整合性だった。そんな疑問に気づいたとしても、解決策はなく、知的に未熟と思われ、一貫した体系に欠けていた。それでも新しい道は開かれた。それを推し進めるのは、後の思想家の仕事だった。
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著作権表示
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