What is My Dream?

 

(WAJ: このエッセーは、1963年、アメリカのマーティン・ルーサー・キング・ジュニア牧師が行った演説を思い起こす。かれは「かつての奴隷の息子たちとかつての奴隷所有者の息子たちが、兄弟として同じテーブルにつくという夢」を語った。このエッセーの著者タヒラ・ハディミは「性別、民族、宗教ではなく、人格によってひとが判断される夢」そして「天と地が出会う日、平等の夢。女性が男性より劣っているとみなされない日」の到来について語る。虐げられたものの恨みや憎しみでなくそれを超越した優しさをキング牧師の夢とともに感じさせる。アフガン女性から発せられた歴史的エッセー。)

 

タヒラ・ハディミ
2024年11月18日(ハシュテ・スブ:アフガニスタンの独立系メディア)

Amidst endless skies, an Afghan woman dreams of freedom and equality, her vision unwavering despite the shadows. (Photo Credit: Getty Images)

夢見ることは芸術、活気に満ちて永続します。夢は生まれ、永遠に生きます。数え切れないほどの醜さや悲惨さを目の当たりにした瞬間に、ひとは願望にすがりつきますが、夢を実現できる人はわずかです。夢とは、生きる理由を与えてくれるもの、前進し続けるためのものです。私にも、心の奥底に育まれた夢があります。私の夢は、私の魂の庭に植えた信頼、想像力、希望の種の集まりです。ある日、ハーバード大学のウェブサイトを閲覧していたとき、プラセボ(訳注:偽薬)に関する研究で洞察に満ちたフレーズを見つけました。「想像力、信頼、希望が絡み合うと、人類に並外れた力を与える。」夢の力はどんな力よりも強く、人の血管を駆け巡って命を与えることができます。新しい命、生まれ変わった人間です。

これまでの歴史では、女性の人生は痛みと苦しみに満ちてきました。女性は人生のあらゆる面で閉じ込められ、裁かれてきました。女性を人間として見るよりも、生命のない物体として見る方が一般的でした。なぜ女性は男性に導かれなければならないのでしょうか。なぜ学校の扉は女性に閉ざされ、露骨に権利を否定されなければならないのでしょうか。女性の声は黙らされ、目は覆われ、周囲の真実に気づかないようにされています。私の祖国の女性は、広大な現代の民主的な世界で耐え難い苦しみを味わうほど無力で見捨てられているのでしょうか。

国境を越えて、平原よりも広く、海よりも深く、空よりも高く、私の夢があります。檻や鎖からの解放の夢、自由と生きる夢。私の夢は、声を抑圧された女性たち、行方不明になった女性たち、今も自由ではないまま生き埋めにされた女性たちについてです。私の夢は、解放され、喜びに満ち、気づきがあり、安全な女性たちを見ることです。私は、少女たちが本を詰めたバッグを持ち、楽しそうに学校へ歩いていく日を思い描いています。女性がどこでも男性と同じように評価され、尊重される日。女性に選択の権利がある日。私の夢は、女性たちの笑い声が街路の死のような静寂を打ち砕くことです。私たちが朽ち果てた考えから解放され、朽ち果てた衣服や家からも解放されることを望みます。なぜなら、思想の再生は世界の再生だからです。

私は、医学、科学、政治の分野で、私たちが硬直した独断的な考え方から解放される日が来ることを切に望んでいます。人類社会と地球社会における女性の存在を、これまで以上に強く感じたいのです。世界平和を達成するためには、社会のあらゆる側面における女性の存在が、パンや水と同じくらい不可欠なのです。

この時代には、母国で女性がますます抑圧され、拷問され、権利を奪われていますが、ろうそくのように消えていくこの国の人権を再び活性化できるのは女性たちだと私はなおも信じています。世界に再び命を吹き込み、人々の苦しみを和らげることができるのは、こうした女性たちです。社会のあらゆる側面に、思いやりがあり、器用で、愛情深い女性が必要です。愛をもってなされたすべての行為が永続するように、平和の本質もまた愛です。平和に到達するには、信仰、信念、希望と愛に満ちた心、そして高く美しい夢を持つ人々が必要です。

あらゆる困難にもかかわらず、私にはまだ夢があります。性別、民族、宗教ではなく、人格によって判断される夢です。私の夢は、天と地が出会う日、平等の夢です。女性が男性より劣っているとみなされない日です。その日は必ず来ます。私はそれを実現します。確かに、私たちの手の中には力があります。私たち一人一人は、何でも宝石に変えることができる魔術師のようなものです。

人が秋を大好きな季節だと言うとき、黄色い葉のざわめき、木々の間を吹き抜ける風、午後の穏やかな雨、そして木々が優雅に年を重ねていく様子を思い浮かべているのだと思います。木々は賢い老人たちのように自らの物語を謙虚に語ってくれます。春から秋へ、存在から出発まで、葉の声を通して、優しくささやきながら、「存在への道は虚無の谷を通る」と。この秋の後にはまた春がやってきます。ただ私たちには忍耐が必要です。後進性と悲惨さから抜け出す道は決してまっすぐではないから。暗くて辛い日々が続きますが、毎日が優雅さと成長に満ちています。やがてある夜明け、朝の光があなたの顔に輝き、暗闇からあなたを解放します……

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