Strategic Manipulation by the Taliban Masters and Its Regional Impact in Afghanistan Part-2
(WAJ: 本稿では、ターリバーンの台頭を可能にした要因と、ターリバーンの統治が域内の安定に与える影響について考察されている。ターリバーンはその暴力性と残忍さを大衆支配の手法として計算ずくで実行してきた、それらの秘密が本稿では明かされていく。なおサミ氏がこの間、本サイトに執筆した論説のすべては「ファテー・サミ執筆記事一覧」で読むことができる。通読すれば氏の鋭く的確な慧眼ぶりに驚かれることだろう。)
By Fateh Sami 2024年6月10日
ファテー・サミ(本サイト・アフガン主筆)
近隣諸国、主要な大国、域内の登場人物たちがターリバーン勢力を拡大させたのは、意図的な戦略であった。本報告では、宗教的過激主義、民族テロリズム、麻薬や武器の密売を始めとする違法な商活動という三位一体を本質とするターリバーンが、より広範な戦略的利益に奉仕する代理人としてどのように利用されてきたかを探る。ターリバーンの台頭を可能にした要因と、ターリバーンの統治が域内の安定に与える影響について考察する。
ターリバーンの統治は、力を持った重役たちによって考案された長期計画の一部である。このグループの上述した三位一体は、それぞれが全戦略中に欠かせぬ各戦略として、互いを補完し合いながら着実に歩を進めている。
この戦略とその下方戦術には当然の穴もある。しかし、その基本的な性質は正面攻撃においても裏工作においても否定しがたい破壊能力を彼らに与えている。ターリバーンは当初、アメリカが移植した、ハミド・カルザイとアシュラフ・ガニーが率いるいわゆる民主的に選ばれたとされた政権内部から支援されていた。政府内の無能、腐敗、民族的対立によって、ターリバーンの地位は強化され、民族的支持者の助けを借りて政府機関や軍人に深刻な損害を与えた。政府は、戦場にいる戦闘要員に満足な後方支援を怠った。彼らの手当や給料は何カ月も支払われなかった。
さらに、米国は損失と長期的な戦費を減らすために、ウクライナ紛争に焦点を移し、アフガニスタンの近隣諸国を押さえ込むための代行をターリバーンに託し力を与えた。ターリバーンがどのように権力への復帰を助けられ、他者にとっての戦略的道具として機能したかについては、十分な証拠に基づくコンセンサスが得られている。この道具と化したターリバーンは、持続できるよう機能を持たされ、決められた計画に邁進しているのだが、それは独自で判断する部分もあれば、他者の提案に従っている所もある。それを以下に概略する。
大衆心理への浸透による息苦しい雰囲気の創出:
当初から、ターリバーンは大衆に恐怖を植え付けるために圧力と暴虐を行使してきた。厳しく非人道的な拷問を逐一報道することは、域内および域外に巣くう諜報組織による計算されつくされた激しい心理戦と相まって、彼らの力を誇示し、ターリバーンによる弾圧の恐怖を増幅させている。
ターリバーンはまた、その単一民族政権に対する国民の抵抗精神を打ち砕くために、洗練されたメディア・プロパガンダに取り組んできた。抗えぬ警察国家という雰囲気を作り出し、反乱の脅威が最も高い都市部にスパイ通信網を構築している。この戦略的政策は、反体制派を抑圧し、支配を維持することを目的としている。
ターリバーンの強制的に権力でねじ伏せ、弾圧に訴える手法は言わずもがなだが、彼らはその前に現代技術を駆使して人々の心に浸透し、恐怖心を植え付け、先手を打って民衆を支配しようと努めている。
政権を獲得して以来、ターリバーンは何千もの宗教学校を設立し、近代教育を放棄してハッカーニ(訳注:ハッカーニ・ネットワーク:1980年代、ムジャヒディーンの一派としてパシュトゥーン人を中心にアフガニスタン、パキスタン領域で組織された強硬派)の学校制度を支持してきた。この政策は、アフガニスタンの教育制度に浸透することを目的としており、都市や地方の中心地だけでなく、遠隔地の村もターゲットにしている。
既存の文書によると、ターリバーンの計画には、アフガニスタン全土で3700以上の大小の宗教学校の建設が含まれている。カーブル州、カンダハール州、ゴール州、ファーリヤーブ州、タハール州、パンジシール州、ナンガルハール州、クンドゥズ州、マイダン・ヴァルダク州など25の州に、それぞれ1000人の生徒を収容できる大規模な宗教学校とジハード(聖戦)学校が建設され、他のいくつかの州にも建設中の学校がある。各学校はターリバーン指導者によって、500人から1000人の生徒のための寮を持つことが義務付けられており、生徒1人当たり150アフガニ(訳注:約340円)の日当が支給される。
過去21カ月の間に、ターリバーンはまた、何十もの近代的な公立学校や文化センターを宗教学校に変えた。中には民間のテレビ局を廃して開校したものもある。付け加えると、過去20年の間、彼らが支配下地域に設立した何百もの宗教学校では、彼らのイデオロギーが教え込まれ、徴兵機関として、彼らの足場固めに寄与してきた。
アフガニスタン国民と域内諸国を脅迫する政策
ターリバーンは初期の政権時代(訳注:1996年から2001年までの第1次ターリバーン時代)も現在も、恐喝によって大きな財源を確保してきた。この方針の下で、当初は主にタジク族の個人を標的に、旧政府や抵抗勢力、その他のグループとの関係を告発し、広範な弾圧を行った。彼らはこれらの作戦で武器、軍事装備、車両を没収した。
ターリバーンは国内の実業家、資本家、有力者、地主から金を引き出し続け、支配と覇権を押し付けるためにその財力を活用している。国外に目を向けると、ターリバーンは外国のテロリスト集団を入国させて域内で政治的恐喝を実行しつつ、彼らから金をせしめて財務に供している。
中国、イラン、ロシア、中央アジア諸国、アメリカ、ヨーロッパ諸国との交流は、ターリバーン政権の常套政策である。資金援助が減少すると、ISISのようなテロ組織や政権下に匿われている他のグループからの脅威を発動させ、域内に対策資金を供出させる。
東トルキスタン・イスラム運動、ウズベキスタン・イスラム運動、タジキスタンのアンサルラ(訳注:ジャマ―ト・アンサルッラーまたはタジキスタン・ターリバーン)、イランのジュンダッラー(訳注:アラビア語、直訳すると 「神の兵士」。またはイラン人民抵抗運動PRMI。イラン南東部の州であるシスタン・バルーチェスターン州に拠点を置くスンニ派サラフィー派の過激組織)、パキスタンのTTP(訳注:Tehrik-e Taliban Pakistan: TTP、パキスタン・ターリバーン運動)などがターリバーンの収入源であり、彼らの支配継続を支えている。
非パシュトゥーン系民族の弾圧:
ターリバーンはパシュトゥーン人以外の民族、特にタジク人を集団で弾圧してきた。彼らはTTPを北部に移し、アフガニスタン北部と北東部のタジク人の土地を簒奪した。彼らはパキスタンからの国外追放者を移住させたが、その出自は疑問視されており、懸念を引き起こしている。
ターリバーンはペルシア語を排除し、反タジク感情を促進しようとしている。彼らはパシュトゥーン人が支配する環境を作り、単一民族的でファッショ的な支配の確実化を目指している。これには、パシュトゥー語を単一共通言語化し、市町村名、住所、道路名をパシュトゥー語に置き換えることを含む。
この政策は、ターリバーンの支配が単一民族、ファシスト、パシュトゥーン至上主義であり、一部のパシュトゥーン人エリートに利益をもたらしていることを示している。その一方で、多くのパシュトゥーン系住民は貧困と無力にあえいでいる。ターリバーンは、宗教とアフガニスタンのナショナリズムを口実に、アフガニスタンの住民、特にタジク人を抑圧し、支配しようとしている。彼らは、イスラム主義とアフガン人という偽りのスローガンを掲げて、タジク人や他の民族が政権に復帰するのを阻止している。
この反タジク政策は何年も続いている。パシュトゥーン人は長く「サッカウィスト論」をもてあそびタジク人を誹謗してきた。現在はその「第2理論」がお気に入りだ。(訳注:サッカウィストとは水くみのこと。1924年から1931年までアフガン政権についたタジク人のカラカニが「水くみの子」と批判された事に基づくタジク人排斥理論。第2理論は「サッカウィスト2」を揶揄する理論で、ターリバーン以前の1990年代にムジャヒディーン政権を牛耳った2人のタジク人ラッバー二大統領とマスード国防大臣を貶めて言う)こうした他民族排斥をつきつめれば、アフガニスタンの地理、政治、権力の源泉、国富はすべてターリバーンに支配されるべきとの教義へと行き着く。
恩赦のスローガンの下でのテロと拷問政策:
今まで、何百人ものアフガニスタン旧政府の治安部隊の将校や職員が、恩赦というトリックを使ったターリバーンの罠にはまり、最も恐ろしい非人道的でイスラム風の拷問を受けてきた。「広範な恩赦」という政策は、ターリバーンのテロリスト集団がこの偽りのスローガンの下で、敵対勢力を抑圧し、皆を欺くことができたトリックであった。今現在、たったひとつの民族グループから2万人以上の囚人がターリバーン集団、特にターリバーン情報機関の「第40総局」によって拘束され、非人道的な尋問を受けており、彼らは絶え間なく、息が止まる寸前まで拷問されている。このグループは、恩赦という欺瞞に満ちたスローガンを使って、罠にかかったこれらの人々や他の人々をすべて陥れ、絶滅させた。彼らはアフガニスタンの近隣諸国に逃げた多くの人たちをすらもおびき寄せ、トリックを使って彼らを滅ぼした。ターリバーンの恐怖と拷問政策はシャリーア法(訳注:イスラームの法)の名の下に行われた。
活発な麻薬・武器密売ネットワークの構築:
何百人ものターリバーン幹部が、その権力と警察機構を利用して、麻薬密売と武器密輸のネットワークを構築してきた。その代表がハッジ・バシャール(訳注:本サイト バシール・ヌールザイ、グアンタナモ刑務所から釈放、参照)とアブドゥル・アハド・タリブである。後者はハシブラという4万人規模の特殊部隊の司令官でもある。そのネットワークは、アフガニスタンから域内のテロリスト集団に麻薬や武器を移送している。この活動は大きな富を生んでいる。これらのネットワークからの収入は、権力基盤を強化し、個人的な欲望を満たし、その家族が贅沢なライフスタイルを楽しむために使われている。麻薬や武器の密売に長けたターリバーンは、こうしたネットワークを拡大するために政府の警察機構を利用してきた。彼らは自分たちの利益を守り強化するために、域内および域外の志を同じくするグループや国々とも協力している。
女性の社会からの排除
ターリバーンは、間違いなく世界で最も女性差別的な政治組織である。政権を握って以来、彼らはアフガニスタンの女性の社会的、政治的、教育的、職業的生活を制限する20以上の法令を課してきた。ターリバーン支配下のアフガニスタンは、現在、世界最大の女性刑務所を擁している。
アフガニスタンの少女、女性、人権活動家たちは、ターリバーンの支配下で厳しい制限に直面している。日々、アフガニスタンの女性に対する規制は強まっている。殺人、投獄、集団強姦、女性活動家の抹殺など数多くの報告がある。現代科学の教科書はパキスタン製宗教教科書によって置き換えられている。
ターリバーンは、西側の教育政策を、「イスラムコース 」と 「イスラム科学 」に焦点を当てた 「イスラム首長国の教育カリキュラム 」に置き換える意向を表明している。ターリバーンの指導者や幹部のほとんどは、パキスタンのクエッタにある 「ジハーディスト(聖戦戦士)の大学 」として知られるデオバンディ派の「ダルル・ウルーム・ハッカーニ 」で学んだ。ターリバーンは、このカリキュラムをアフガニスタンの教育に統合し、パキスタンの宗教団体の過激な政策と一致させることを目指している。
この変化は、ターリバーンの支配を強化する一方で、アフガニスタン社会が近代的な教育や識字にアクセスすることを妨げている。ターリバーンは、軍国主義、過激主義、現代科学への反発を助長している。ターリバーンの政策は過激派の戦略を模倣しており、近代化への抵抗と過激主義の精神を促進している。
このグループは、アフガニスタン社会に自らの抑圧的な支配の政治的真実を知らせず、ジハード(聖戦)神学校を設立し、アフガニスタン内外の戦争のために将来の兵士を訓練することを目指している。この教育システムは、過激主義、宗教的不寛容、憎悪を助長し、政治的変化、多元主義、近代的知識に基づく展望を排除する。
ターリバーンは、過激主義、現代科学への敵対、民族操作、女性差別、恐喝といった原則を堅持し、支配を続けている。彼らは権力を維持するために、麻薬や武器の密売、恐喝、「寛大なる恩赦」という偽りの口実の下での広範な弾圧政策を推し進めている。この戦略は、域内と世界に深刻な安全保障上の課題を突きつけている。
ターリバーンに関与するということは、アフガニスタンの人々を無視し、アフガニスタンを各国の戦略的利益に奉仕するテロ集団の温床にするということだ。このやり方は民主主義、包括的な統治、人権のすべてを損ない、世界の安全保障を脅かす。
結論
結論として、ターリバーンの復活は、政府内部の失敗と外部の戦略的利益の両方によってもたらされ、域内における強力な代理勢力としての役割しか彼らは持っていない。他国の思惑に沿うだけならまだしも、独自に適応し機能する彼らの能力が、アフガニスタンとその先のよからぬ地政学的景観を形成し続けている。本レポートの後半では、ターリバーンの統治を終わらせるために必要な歴史的認識ついて掘り下げていく。
つづく・・・