A Brief Review of the Historical Causes of Afghanistan’s Ongoing Backwardness: 

 

(WAJ: アフガニスタンがかくも永い間、後進的な地域に甘んじていなければならなかったのか。半世紀にも及ぶ戦乱がその大きな要因であることは論を待たないにしても、そのような戦乱を引き寄せたアフガン内部の弱点にも当然、後進性から脱しえない要因がある。筆者は本論でその弱点を抉り出している。なおサミ氏がこの間、本サイトに執筆した論説のすべては「ファテー・サミ執筆記事一覧」で読むことができる。通読すれば氏の鋭く的確な慧眼ぶりに驚かれることだろう。)

 

By Fateh Sami   2024年6月22日
ファテー・サミ(本サイト・アフガン主筆)

【はじめに】 この問題の歴史的背景を掘り下げると、外部勢力はあるパターンに沿った体系的な野心を持ち、それがアフガニスタンの社会政治的景観を汚してきたことがはっきりと見えてくる。世界の大国は地理的要衝に位置するアフガニスタンを自らの生命線ととらえ歴史上ずっと相争ってきた。それが頻繁な侵略や介入につながり、その地の統治や安定が乱されてきた。

アフガニスタンに根強く残る歴史的障害を解決するには、過去の課題を深く理解し、その歴史を明確な目で評価する必要がある。これらの課題に対処することは、当面の和平への道を開くだけでなく、持続的な発展と進歩の基礎を築くことになる。

残念ながら、私たちの多くは、バランスの取れた視点を求めることなく、現象を白か黒かで見る傾向がある。対立する視点に直面すると、否定的あるいは攻撃的に反応し、一方的な判断に終始する。このようなアプローチは、否定的で敵対的な認識を助長し、肯定的な資質や価値ある特殊性を見落とすことにつながる。その結果、個人、システム、政府の望むべきあり様は無視され、聞こえてくるのは互いの欠点をあげつらう辛辣な言葉ばかりだ。

公平に、注意をはらい、深く検証することで、アフガニスタンが直面する多くの複雑な事情が見えてくる。

この問題は過去から受け継がれたもので、さまざまな社会的、経済的、文化的要因に根ざしている。国民の無知と非識字、植民勢力の歴史的関与、特異な地理的位置などである。加えて、域内の対立、よそ者による支配、利己的で無計画な指導者たちがこれらの問題を悪化させた。アフガニスタンの指導者層には、国家を担う関心も感情もあった試しがない。指導者たちは利己的で、権力に貪欲で、プライドが高く、傲慢だった。彼らは国民の声や賢明な助言者に耳を傾ける用意がなかった。権力に挑戦する可能性のある抵抗を排除するため、意図的に人々を無知と非識字のままにしたのだ。この指導者たちの行動と国の問題との間にある因果関係は明確だ。

これらの要素は密接に絡み合っている。過去を理解することなしに、将来の道を賢く設計することはできない。

アフガニスタンの後進性の主な要因をあげると、イデオロギーや宗教的信念の道具化に始まり、輸入された神学の盲目的適用へと進み、国の社会的・文化的状況の無視へと至る。加えて、行き当たりばったりの法適用は重要な問題であり、あろうことか指導者や首長はしばしば法の上に自らを位置づけている。「ツールワク」(全権神授者)、「ババ」や「パパ」(賢老人)、「ガージ」(戦士)、「ムジャヒド(原注:1)」、「ムジュタヒド(原注:2)」といった偽りの称号が飛び交い、比類なき指導者、東洋の天才、神に次ぐ世界第二の知恵袋などと互いを褒めちぎる有様は、この後進性をさらに強固なものにしている。こう見ると、遠い過去に深く根ざしたアフガニスタンの問題は数多く、複雑であり、改めて説明するまでもない。

アフガニスタンの指導者の多くは知恵がなく、東洋、西洋、域内諸国のいずれかに依存したために、国家と将来の世代の両方に具体的な成果を残せずにいる。アフガニスタンの後進性の原因となっている慢性的な歴史的問題の完全な説明と解説は、この短い分析の範囲を超えている。しかし、以下の点を強調する価値はある:

1.アフガニスタンの歴史を通じて、名声、富、欲望、権力をめぐる小競り合いや戦争が蔓延しており、特にパシュトゥーン人の間で顕著である。そんな彼らを2世紀半以上も権力の座に君臨させているのが外国の支援だ。こうした権力構造内で他民族の代表は、権力者のために下働きをする従属的な存在であることが多かった。しばしば外国の機関が移植した指導者たちは、敵対者や従属者を投獄し、情報を与えず、消し去るのを常套手段とし、それによって自分たちの支配を維持した。この主張は、信頼できる歴史的証拠や文書によって立証されている。兄弟、父と息子、叔父と甥、宗教指導者と弟子、ムッラーとタリブ(宗教指導者と生徒)、教師と生徒、同志、友人、実の兄弟、非嫡出の兄弟、合法的な兄弟、非合法的な兄弟の間で戦争が勃発する。このような内部抗争のパターンは、アフガニスタンの歴史に一貫して見られる特徴である。

2.アフガン国民の多くは、子供の頃から貧困にあえぎ、暴力によって敵に退けられ、慢性的な劣等感にさいなまれ、いつも何かを奪われ、コミュニティ内、親族間、友人間のいがみ合いに苦労してきた。その結果、国民のかなりの部分が精神衛生上の問題を抱えている。彼らの言動と行動には、しばしば自意識過剰な反応が見られ、貧困と困窮に彩られた生活の慢性的な影響を示している。

過去半世紀にわたり、特にアメリカとNATOの占領下にあった直近の20年間、この国は不安定な状況に直面してきた。経済とインフラは破壊され、村や町は爆撃を受け、農業、灌漑、家畜は麻痺した。国土の80%では、教育や職業訓練が停滞するか、完全に中断している。国に注ぎ込まれた数十億ドルは、汚職にまみれた政府高官に使われ、豪華な邸宅に費やされただけだった。

3.このような状況では、愛国心を持つ限られた人々は、左翼政党に属していようが右翼政党に属していようが、意味のある根本的な変化をもたらすことはできなかった。

4.各政党が外国と提携し、民衆の参加を欠いた過酷で非効果的で幻想的な改革の片棒を担いだことが、危機と不安定を継続させる一因となった。反対勢力を冷酷に排除し、突拍子もないスローガンを推進し、民衆の思いや社会通念に反したことが、これらの問題をさらに悪化させた。

党員を無理やり扇動し、反対派を弾圧する戦術で、国内の敵対勢力やその外国の支持者をうまく骨抜きにした。特にパキスタン、アメリカ、イギリスは、ロシア、イラン、インド、中国との競争の中でこうした戦術を用いた。この陽動作戦によって、域内では果てしなき情報戦と覇権争いがいまも継続中だ。

さらに、汚職と海外援助の悪用が横行している。利己的な指導者たちは、無能な顔見知り、自国のスパイ、裏切り者、外国の諜報員を要職に任命してきた。

 

結論として、アフガニスタンの安定と発展への道のりは、歴史的な重荷に立ち向かい、統一された強靭な国家を目指す集団的なビジョンを打ち立てられるか否かにかかっている。内部統治の欠点と外部からの圧力の両方に対処するための協調的な努力によってのみ、アフガニスタンは激動の過去を克服し、国際社会における潜在能力を最大限に発揮することができる。アフガニスタンの歴史的課題を理解し、それに対処することは、当面の平和への道を切り開くだけでなく、持続的な発展と進歩の基礎を築くことになる。この分析は、継続的な研究と革新の触媒となり、進歩を促し、アフガニスタンとその人々の未来を形作る。アフガニスタンに永続的な変化をもたらすための知識と意欲を武器に、探求と発見の旅に共に乗り出すことは可能なのだ。

(原注:1) イスラム教用語で「ムジャヒード」(複数形は「ムジャヒディーン」)とは、ジハードに従事する人のことで、アッラーの道のために努力すること、闘うことを意味する。これは、個人的な精神的成長から、文脈によっては武力闘争まで、さまざまな努力を指すことがある。

(原注:2) 「ムジュタヒド」とは、イジュティハード(イスラム法を理性的に解釈するプロセス)を行う資格を持つ学者のことである。ムジュタヒドは、コーラン、ハディース、その他のイスラム科学に関する広範な知識を有するばかりか、主要なテキストでは明確に扱われていない新しい問題に対する法的裁定を導き出さなければならない。