イーグルアフガン明徳カレッジ(EAMC)の江藤セデカ校長による佐倉市での「日本語講師向けセミナー」(主催:千葉県佐倉市の佐倉国際交流基金)の報告、第2回
今回は2023年11月に開校したEAMCの話題を中心にお伝えします。
[カッコ内のWAJ(Web Afghan in Japan)による補足と合わせてお読みください。]
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<連載第2回> セデカ校長の日本での活動(EAMCを中心に)
[話がすこし戻りますが]
2021年夏にターリバーンが復活する前、私はイーグル・アフガン復興協会の理事長として、色々な企業から奨学金をいただき、アフガニスタン人の留学生を日本に呼びました。皆さん大学生や大学院生で、家族を向こうに置いたまま日本に来ていました。言葉の問題、一人暮らしなど、苦しい思いが皆さんあったので、レクリエーションとして、その学生たちのスポーツ交流の場を開こうと思いつきました。
アフガニスタンにも相撲みたいなレスニング競技があるんです。モンゴルとアフガンスタンの国別対抗試合を開くと、いろんな大学から学生たちが集まりました。残念ながら女の子は参加しなかったのですが・・・そのスポーツ交流の後に皆さんが四年後とか、五年後あったことがありましたが、一番楽しかったのがこの交流、スポーツ交流だったと、皆さんから言われました。
[セデカ校長はEAMCでスタッフとの話し合いの中で、「女性の教育も大切だが、本当は一家のあるじたる男性も日本社会にうまく溶け込んでもらいたい。そんなとき、男性を惹きつけるイベントは、このときのような相撲大会がいいのかな」と述べたことがあります。EAMCは女性専用とは言え、決して男性排除ではありません。彼らの喜ぶイベントとして将来、相撲などのスポーツ大会の開催も視野に入れています。さて、続いて本題・・・]
なぜこの学校(EAMC)を始めたのか。私は法廷通訳をずっとやっていますが、近年アフガニスタンの少年事件がものすごく多くなってきたんです。少年事件では、親と必ず面接します。その時、お母さんはなかなかしゃべらせてもらえず、お父さんが話すんですが、「私たちは日本のことが分からないから子供と会話できない」といいます。「子供が何をしてるのか私たちは知らない、子供に注意できない、学校とも連絡できない」と。
子供は学校から帰ってきたら、「友達と勉強する」と母親に言って出かけます。子供の方が母親より強くなってしまって、「友達って誰なの?」と聞いても、「お前日本語わかんないから、言ってもわからないでしょ」と。親が弱い立場になってしまって、本当に気の毒で。父親は、ヤード(自動車解体工場)で苦しいを思いして朝から晩まで働いて、家に帰ったら子供がいない。そして夜中に警察官が来て、息子がコンビニで万引きした、とか、息子がどこかの街で車の部品を盗んだ。そういう事件がものすごく多くなりました。
この状況から抜け出すには、やっぱりお母さんを教育することがとても大事なことじゃないかと思いました。皆さんご存知の通り、お母さんたちは街を歩くのもお父さんと一緒に歩くか、車の中で待っています。買い物をするのはお父さんで、なかなかお母さんは自立していない。本当は四街道や佐倉の近くでアフガニスタン女性を集めて、いろいろな社会問題をお話ししたり、皆さんもたくさん問題抱えてるから相談に乗ったり、何か方法があればそれを教えられればと思っているんですけど。
[そんなおり、コロナ騒動が明けた2023年の夏、WAJの紹介でセデカ校長は千葉明徳学園の福中理事長と出会いました。WAJとしては「アフガン児童の教育を学園内でできないか?」くらいの思いでしたが、セデカ校長は「ぜひ母親向けの日本語教室を開きたい」と熱弁。理事長も大賛成で、そのうえ、学園のスタッフや短大生にアフガニスタンについて講演してもらいたいと・・・こうして一気に話が動き出しました。]
2023年の秋、千葉明徳学園で[スタッフ向けと短大生向けの二度]講演をし、理事長を含め学園の皆さんから「学校の校舎は毎週土曜日に空いてますので、生徒がいれば、どうぞ使ってください」と開校のご許可をいただきました。
それで同年11月、この日本語学校を始めました。でも、問題がありました。お母さん、奥さんたちだけで来るのは、絶対に不可能だと思っていました。つまり子どもさんがいらっしゃるから。そこで、この学校では子どもさんを、保育の担当者が、面倒を見てくれています。お母さんたちは、[校舎の2階と3階で]専門の知識を持っている日本語の先生の皆さんに教えていただいています。
さて、開講前、理事長に「何人ぐらい集まるんですか」と聞かれて、最初は15名ぐらいかなと思っていました。ところが今、約120名も登録者がいるんです。休みの生徒も多いですから、わずか10人でも学校に来てきちんと勉強すれば、私はいいと思っています。
でも、つい先日、あるご主人が学校に来て、私に感謝の言葉を伝えてくれました。ああ、それは嬉しかったです。この活動を、男性たちも認めてくれています。
部族の慣習があるので、やっぱり男性が認めないと学校に通うのは大変な状況です。生徒たちは、ご主人の車で、連れてきてもらう人もいます。全然教育を受けてなくて、アフガニスタンの言葉の書き方も分からない人もいます。皆さんはだいたい小学校3年、4年で中退しています。そのお母さんたちに「どうして学校行かなかったの?」と質問すると、涙を流して、悔しくて喋れない。自分も学校に行きたかったけれど、親に行かせてもらえなかったと。こういうのを見るとすごく悲しくなるんです。
でも、皆さんがこの学校に来て、N3、N4(日本語能力試験)にも合格する人が出てきました。全然学校に行けなかった人もいますので、夢と希望を与えてくれました。私の話は以上ですが、聞きたいことあれば、聞いてください。よろしくお願いします。
(次回、「質疑応答編」につづく)