(2026年2月9日)

 この手が あなたを 銃火に かりたてたのです 

~ ある女性詩人の 深いはじらいと悔い ~

 

本棚の整理をしていたら奥の方に折り重なったハードカバーに挟まれてちょうど広げた手のひらに載る大きさの薄汚れた簡易製本の冊子が出てきた。
ホコリまみれで赤ちゃけた見るからに古本然としている。安価な製本で紙質もわるく、硫酸紙なのだろう焼けてボロボロになる寸前という面もち。

そっと開いたら戦後すぐに発行された詩集だった。なぜこんな本を持っているんだろう。多分、半世紀以上前、神田神保町で働いていたころに古本屋で買ったんだろうな。はるかな昔で覚えていない。

本の題名は『新日本詩集』208ページの詩のアンソロジーだ。目次をみると錚々たる詩人文学者84人が作品を寄せている。ざっと見ただけで知っている詩人・文学者たちが次々と目に飛び込んでくる。秋山清、江口渙、早船ちよ、ひろし・ぬやま、井上光晴、金子光晴、許南麒、中野秀人、野間宏、小野十三郎、大島博光、関根宏、壷井繫治、・・・。

新日本文学会編だから、敗戦によってやっと書ける自由を手にして敗戦直後の焼け跡の中から立ち上がってきた戦前のプロレタリア作家、共産党作家、戦後民主主義作家など、当時の代表的な書き手たちなのだろう。あとがきを読むと、戦後現代詩の停滞を打ち破ろうとする意気込みが発露されている。頭から読み進めていくと、ふと目が止まった。

タカイチ解散総選挙の翌日だったからかもしれない。

戦争に向う雰囲気がじわじわと身に迫ってくるような最近。「戦争が 玄関フォンを 押している」なんてオマージュ川柳をつくったりしていた。自民党が単独3分の2を取るようじゃタカイチ・ストップも厳しいよなぁなんて嘆息しているところだったから、いや、やっぱりチャンとしなきゃな、と思いなおした。

その作品の作者は木村好子。知らない人だったからネットで調べてみた。僕の父や母より一回り上の人だった。青空文庫やkindleで他の作品も読めた。戦前からプロレタリア作家として作品を発表してきたひとだった。

戦前・戦中・戦後を生きた銃後の女性として戦争を止められず、戦争に手を貸して、いとしい人を死なせてしまった「深い恥じらいと悔い」が淡々とした口調で語られる。

原子力空母ジョージ・ワシントンの艦上で、米兵が見守る中、アメリカの大統領とならんで、ぴょんぴょん飛び跳ね、嬉々としてイエーイをやる日本の、女性の総理大臣。そのアメリカを守るためには戦争もやむない。彼女のイエーイは、「闘って、闘って、戦って、戦って、死んでください」と聞こえる。彼女やトランプには恥じらいも悔いもないのだろう。

われわれ庶民は、「恥じらいも悔いもない」指導者によって、殺されたり殺しあったりするのだが、あの人たちのように、人の道に外れた犯罪を犯すことはない。

私たちはひとりではない。巨万の民なのだ。

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私ただひとりだろうか

木 村 好 子

 

清らかな朝の光が
霜をついて萌え出た青い麦の芽にかゞやく
静かな平和な瞬間!
私は澄んだ大気に向って
ふかい呼吸する そして
またもかえり来ぬ人の名をそっと呼んでみる

あたりにはまだこわれたレンガ
赤ちゃけたトタンが散在し
怖しかった戦争の記憶をよび起させる
はげしい爆撃と空襲と
鳴りひゞくサイレンの音よ!
私たちは不安と恐怖にさらされ
名のみの壕に身をひそめた
怖しい思い出!

あゝ戦争は誰のために
誰のためになされたゞろう?

私はつげたい
あなたにかたりたい
たゞひとりの たゞひとりの
ちぎれるようなこのかなしさ
くるしいけわしい日々のくらしの中で、
学びとった多くのことを 真実を!

深いはじらいと悔いが身をかみしめる
ーーかっていわれるまゝに私たちは
火ばたきを持ち バケツリレーで
防火訓練にはげんだ この手が
あなたを
愛する多くのものを
銃火の中へ かばねの中へ
かりたてたのです

いとしい人よ 再びかえり来ぬ人よ!
輝やかな朝の光が流れる
霜をついて萌え出た青い大地の上
私は知った つよくなった
もはや私はひとりではない
女として人間としてのほこり
多くの婦人と共に再び私はくりかえさないであろう
戦争への愚かさを!

 

『新日本文学会編 新日本詩集 1949年版』(p.81~84)
昭和24年12月1日発行
編者・発行者 新日本文学会 代表 壺井繁治

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野口壽一