(2026年3月22日)

 人間にとってAIとは何か 

~歴史的課題に直面するテクノ教~

 

 

人間とは何ものか、
人間はなぜ生きるのか、
人間としていかに生きるべきなのか、
根本的な疑問を突きつけるAI

 

 

「欲望に応じて働き欲望に応じて受け取る」社会の到来?

2022年11月にChatGPTがリリースされ一般にも利用できるようになった。
いま、AIのもつ驚異的な能力に社会全体が揺れている。

産業革命以後の発明は大雑把にいえば、①エネルギーと機械、②電気と通信、③情報と電脳の分野で段階的に進んできた。そしてついに、電脳=コンピュータが道具の域を超え、さらにまた個々人の能力を超え、AI(人工頭脳)として人間の脳に入り込み、人間とともに社会活動に参加するようになった。

産業革命以後の数百年、労働とその成果の分配および社会の在り方をめぐって人類はつぎのような現実と思考を経てきた。

資本主義の勃興期、農業・酪農から追い出されて賃金労働者となった人間は
「生存のために働き、死なない程度に受け取る」(資本主義発生段階)存在となった。

労働者階級のそのような悲惨な状態からの脱却を求める人類の運動は
「生活のために働き、労働に応じて受け取る」(資本主義下の理想)をめざして闘い、いまもその渦中にある。

1917年のロシア十月革命は生産力が増大した社会主義をめざした。その初期目標は
「能力に応じて働き、労働に応じて受け取る」(社会主義=共産主義への過渡期社会)であったが、ほとんどは実践段階で躓き、挫折するか国家資本主義に姿を変え、苦闘している。(この原因については別途追究する。)

そもそもレーニンらの目標は、過渡期社会を経て
「能力に応じて働き、必要に応じて受け取る」(共産主義の高次の段階)社会の実現だった。

 

止まらぬAIの進化

ところで、AIの進化は止まるところを知らない。あらゆる知的分野で人間労働との置換が進んでいる。前例主義が勝る法律や政治・行政などの分野では人間が担保してAIが各種議会に立候補、大臣になって国会演説する国も出てくるほどである。ロボット技術の進歩発展とあいまって製造や物流の業界ではすでにかなりの部分でAIが人間労働にとって代わっている。企業分野でも、管理業務のみならず、マーケティングや高次の経営判断までAIがこなすまでになっている。

このような現状にあって、かつて初期産業革命の時代に起きたユートピア社会主義時代になされた議論が、いたるところで姿を変えて交わされるようになった。

AIが人間を超える「技術的特異点(シンギュラリティ)」の到来はいつかとか、それはどのような形で人間社会を変えるか、などなど。代表的論客のひとりであるイーロン・マスク(起業家・元トランプ政権上級顧問)はAIとロボット技術の発展によって人間が労働しなくても生きていける未来社会(UHI:ユニバーサル・ハイ・インカム社会)がすぐそこに来ている、とカール・マルクスもアッと驚く「欲望に応じて働き、欲望に応じて受け取る」社会の到来を主張している。

現在はすでにシンギュラリティの目前にある、との主張がある。「AIが人類を超える日──シンギュラリティは目前に」。私はその論に賛成であるが、先回りして言うとすでにシンギュラリティプロセスは始まっている、と考える。さらに、AIが人間を雇用する現実さえ実現している。そのような実例については引き続き紹介・解明していく予定であるが今回はAIが生み出す社会について考える。

AIと未来社会をめぐる議論はSFやアメリカを中心とするテック業界の、テックライト、テクノ・リバタリアンないしテクノ・オプティミストなどと呼ばれる人びとの間で盛んだ。AIとロボティクスが人間の労働を大きく代替し、財やサービスをきわめて安価に供給できるようになるという見通しを前提に、「労働なき社会」あるいは少なくとも「労働中心ではない社会」を語る言説が、複数の有力人物によって繰り返し提示されている。それらは単なる夢物語ではなく、技術と社会の進歩・変革方向を決めていく無視できない重要な議論である。
以下、その具体例を検討する。

 

シリコンバレーは真剣

この種の主張は、イーロン・マスクひとりの特異な未来予言ではない。むしろ近年のシリコンバレーでは、AIとロボティクスが人間の労働を大きく代替し、財やサービスをきわめて安価に供給できるようになるという見通しを前提に、「労働なき社会」あるいは少なくとも「労働中心ではない社会」を語る言説が、複数の有力人物によって繰り返し提示されている。ただし、その中身は一枚岩ではない。しばしば「テックライト」と呼ばれる、テクノ・リバタリアンないしテクノ・オプティミスト寄りの人びとのあいだでも、再分配を積極的に語る者や、逆にUBI(ユニバーサル・ベーシック・インカム)の発想を嫌う者とが分かれている。

テックライトの人びとのなかでAI開発に関連する人物や最近の言説を確認しつつ、誰がどんな論理で「AIで労働不要の高所得社会」を語っているのか整理すると、同じ「AIで豊かになる未来」を語っていても、マスク型のUHI論、サム・アルトマン(OpenAI最高経営責任者)型の再分配論、マーク・アンドリーセン(アメリカのソフトウェア開発者、投資家)型の反UBI論で中身が違う。それぞれの主張には「空想」的要素が強かったり、現実社会には移植困難であったりと明確な欠陥が垣間見えたりするが、まずは批判を脇において、彼らの主張の積極面を見てみよう。

 

<イーロン・マスクの主張>
まずマスクの立場は、「AIがほとんどすべての仕事をこなすようになり、雇用は生活維持の条件ではなくなる」という、かなり徹底した自動化像に立つ。彼は2017年には、機械とロボットが人間の仕事を奪う以上、世界的なUBIが必要になると述べていたが、その後はそれをさらに推し進め、2023年の英AI Safety Summit(史上初めて開かれた人工知能の安全性と規制に関する国際会議)では「やがて仕事は必要なくなる」「望むなら自己満足のために働けばよい」と語り、単なる最低所得ではなく「UHI(ユニバーサル・ハイ・インカム)」が到来すると述べた。ここでの論理は、AIとヒューマノイド・ロボットが生産を極度に自動化し、希少性そのものを縮減するため、社会は最低限の救済ではなく、高い生活水準を広く享受できる、というものである。2025年にも彼は、AIとロボティクスが進めば貨幣の意味自体が薄れ、労働は趣味化するとまで語っている。

<サム・アルトマンの主張>
これに近いが、より制度設計に踏み込むのがサム・アルトマンである。アルトマンは早くから、技術進歩は富を爆発的に増やす一方で、その所有を資本側に集中させやすいと論じてきた。2021年に彼が発表したエッセー「Moore’s Law for Everything」では、AIを含む技術の進歩によって多くの財が劇的に安くなる可能性を語る一方、土地や企業価値に課税して市民に還元する発想を示した。つまり彼の未来像は、マスクのような「自然発生的な豊かさ」よりも、AIが生む巨大な富を社会的に再分配しなければならないという色彩が強い。さらに2024年には、彼が支援したOpenResearchの無条件給付研究が公表され、現金給付の効果と限界を測ろうとした。2026年にはアルトマンは、現金そのものではなく、誰もがAI計算資源の持ち分を得る「Universal Basic Compute」という考えまで口にしており、再分配の単位を貨幣から計算資源へ移そうとしている

<ダリオ・アモデイの主張>
同じくAIによる大変動を語りながら、アルトマンより不安の度合いを強く表明しているのがダリオ・アモデイ(AIモデル「Claude(クロード)」を開発するAnthropicの共同創業者兼CEO)である。アモデイは、急速なAI発展が富と権力を少数の企業や所有者に集中させかねないと警告し、UBIだけでは足りず、より広い経済再編が必要だと述べている。2025年以降の報道では、彼はAIがホワイトカラー初級職を大規模に消しうるとも語っており、ここでは「豊かになるから心配ない」というより、「雇用秩序が急崩壊するので、所得保障だけではなく所有・分配・社会的役割そのものを組み替えねばならない」という問題提起が前面に出る。

<ムスタファ・スレイマンの主張>
ムスタファ・スレイマンもまた、この系譜に属する。彼は世界最先端のAI研究機関であるGoogle DeepMindの共同創業者で、のちにMicrosoft AIの責任者となった人物でAlfaGoの開発でも知られる人物だが、2023年には、AIによる経済的混乱に備えて各国政府はUBIを真剣に検討すべきだと述べた。さらに2026年には、専門職の多くの業務が12〜18カ月で自動化されうると報じた。彼の語り口はマスクほどお祭り的ではないが、結論は似ていて、AIは一部の単純作業ではなく専門的知識労働そのものを侵食するため、従来型雇用を前提にした社会保障では対応できない、というものである。

<マーク・アンドリーセンの主張>
他方で、同じ「テクノ楽観派」でもマーク・アンドリーセンのように、UBIをむしろ否定する立場もある。アンドリーセンは2023年の「Techno-Optimist Manifesto(テクノ楽観主義宣言)」で、UBIは人間を「国家に飼育される動物」のようにするとまで述べ、技術進歩は仕事を消すのでなく、人間が生産的に関われる領域をむしろ広げると主張した。つまり彼にとって望ましい未来は、「働かなくても高所得」ではなく、「技術が新たな仕事と誇りを生む未来」である。ここから分かるのは、「AIが巨大な富を生む」という前提は共有されていても、それを無条件所得で配るべきか、仕事の再編で吸収すべきかで、テック業界内部に大きな分岐があるということだ。

<ビル・ゲイツの主張>
ビル・ゲイツ(マイクロソフト社の創業者)のような人物は、その中間に位置する。彼はAIによって週3日労働のような短い労働時間が可能になると語っており、全面的な「無労働社会」よりは、労働の必要量が大きく縮小する未来を示唆している。ここでは、AIは人間を完全に不要化するというより、生産性を高め、生活維持に必要な就労時間を圧縮する力として描かれている。

<テック・エリートたちの主張まとめ>
要するに、マスク、アルトマン、アモデイ、スレイマンらに共通するのは、AIが知識労働まで含めた広範な仕事を代替し、社会にかつてない規模の生産力をもたらす、という前提である。その上で、マスクは「UHI」や“仕事の趣味化”を語るお祭り型、アルトマンはAIがもたらす富の再分配や「基本計算資源」を構想する制度設計型、アモデイやスレイマンは失業と権力集中を見据えて経済再編を求める危機対応型だと言える。対照的にアンドリーセンは、まさにその再分配発想を退け、「人間は依然として働くべきであり、技術はその機会を増やす」と主張する。

ここまでをまとめると、AI時代のテック・エリートたちは一様に“労働の終焉”を語っているのではなく、同じ豊穣(生産力の向上)の予感を、ユートピア、再分配、危機管理、反福祉的生産主義という異なるイデオロギーで語り分けている、といえる。そこで考えてみたいことは、彼らが等しく「AIで豊かになる未来」を語っていても、マスク型のUHI論、アルトマン型の再分配論、アンドリーセン型の反UBI論で中身が違う。つぎに、この3つの主張が描く構図を具体例としてそれぞれをより詳しく見てみよう。

 

代表的3タイプの詳細検討

それぞれの論の実現性についてはつぎの段階で検討することにして、ここでは考察せず、まず、3つの立場ごとに、人物・論理・典型的な言い回しまで含めて描き分ける。評価は加えず、「誰が」「何を」「どういう社会像として語るか」に絞る。整理の要点は、同じく「AIが莫大な豊かさを生む」と語っていても、その豊かさがどのような社会像として配分されるのか、また人間にとって労働は何になるのかについて、立場が大きく異なることに重視した。大づかみにいえば、下記の3タイプ。
①イーロン・マスク型の「UHI=高所得の普遍化」論
②サム・アルトマン型の「AIがもたらす富の再分配」論
③マーク・アンドリーセン型の「反UBI・労働肯定」論

①イーロン・マスク型の「UHI=高所得の普遍化」論
まず第1に、マスク型のUHI論は、3つの立場の中でもっとも強い意味で「労働の不要化」を語る。マスクは2017年の段階で、ロボットとAIが人間の仕事を広く代替し、「ロボットのほうがうまくできる仕事」が増え続ける以上、「何らかのユニバーサル・ベーシック・インカムが必要になる」と述べていた。この時点では、主張の中心は自動化に対応するための安全網としてのUBIであり、まだ比較的オーソドックスな議論であった。彼の論理は、技術進歩によって生産が自動化され、雇用を通じた所得分配が維持できなくなるため、国家ないし社会が生活資源を再分配せざるを得ない、というものである。

しかし2023年の英国AI Safety Summit前後になると、マスクの議論は「最低限の生活保障」からさらに踏み込み、“UBIではなくUHI(Universal High Income)”という表現に変わる。彼は「やがて仕事は必要なくなる」「働きたければ個人的満足のために働くことはできるが、AIがすべてできるようになる」(「欲望に応じて働き欲望に応じて受け取る」社会)と述べ、将来は「ユニバーサル・ベーシック・インカムではなく、ユニバーサル・ハイ・インカム」になると語った。ここで重要なのは、マスクにおいてAIは単に失業を生む脅威ではなく、希少性そのものを崩す存在として描かれていることである。AIとロボティクスが十分に進めば、財やサービスの供給は極度に潤沢になり、人間はもはや生活のために労働市場へ参加しなくてもよくなる。労働は生計維持の条件から外れ、自己実現や趣味に近い活動へと変質する。つまり彼の未来像は、「雇用なき社会」ではあるが「欠乏なき社会」でもあり、その媒介概念がUHIなのである。

この立場では、AIは単なるソフトウェアではない。マスクの世界観では、生成AI、汎用AI、そしてヒューマノイド・ロボットが一体化した生産システムが想定されている。知的作業はAIが担い、物理的作業はロボットが担う。そのため人間は、ホワイトカラーでもブルーカラーでも、ほぼあらゆる経済的機能から外されうる。にもかかわらず社会が崩壊せず、むしろ豊かになるとされるのは、生産物の総量が爆発的に増え、「ほとんどすべてが安くなる」からである。したがってマスク型UHI論は、再分配の議論であると同時に、AIがもたらす超生産力への信仰でもある。欠乏を前提とした福祉国家論ではなく、豊穣そのものを前提とする技術的ユートピア論に近い。

さらにこの系譜では、「仕事の喪失」よりも「意味の喪失」がより大きな問題として現れる。2017年の時点でマスクは、失業者に所得を与えること自体よりも、「人は仕事から意味を得ている。仕事がなければ自分は不要だと感じるのではないか」という点を難問として挙げていた。つまり彼のUHI論は、経済面では楽観的だが、人間観としてはかなりラディカルである。社会の中心だった労働は消え、生活水準はむしろ上がるが、そのとき人間の尊厳や自己理解を何が支えるのかは別問題として残る。ここにマスク型の特徴がある。彼は「労働しなくて済む高所得社会」を肯定的に語るが、それは人間の意味の危機を同時に含んだ未来像でもある。マスクの論を検討するには、人間にとって労働とは何か、を真剣に検討する必要がある

②サム・アルトマン型の「AIがもたらす富の再分配」論
第2に、アルトマン型の再分配論は、マスク型と同じくAIが膨大な富を生むことを前提にしつつ、その富が自動的に万人へ行き渡るとは考えない。ここでは中心問題は「不足の解消」ではなく、AIが生み出す価値が資本側へ集中することである。アルトマンは2021年の「Moore’s Law for Everything(すべての人へのムーアの法則)」で、AIが近い将来、人間が現在行っている仕事をますます代替し、その結果「労働から資本へ」さらに力が移ると書いた。そして、政策が適応しなければ「ほとんどの人は今より悪い状態になる」とまで言う。したがって彼の議論は、マスクのような自然発生的な“豊穣の共有”ではなく、制度を通じてAIがもたらす富を市民に分ける必要があるという形をとる。

アルトマンの叙述の核は、AIが「世界の基本的な財やサービスの大部分を生産する」ようになれば、人びとは介護、芸術、自然、社会的善などに時間を使えるようになる、という点にある。ここだけ見ると、彼もまた「労働中心社会の後」を構想しているように見える。だが彼はそこで立ち止まらず、その社会における分配制度をかなり具体的に語る。すなわち、将来もっとも重要な富の源泉は、AIを活用する企業と土地であるから、課税対象は労働所得ではなく、企業価値と土地価値であるべきだと主張する。そして、それを原資として市民全員に配当する「American Equity Fund」のような仕組みを提案する。ここで重要なのは、彼が単に現金給付を唱えるのでなく、市民全員を“資本の持ち分を持つ者”に変えることを考えている点である。

このためアルトマン型再分配論では、未来社会のキーワードは「無労働」よりむしろ所有の民主化である。AIが生み出す価値の主要部分は企業と土地に蓄積される。ならば、その価値を市民一人ひとりが間接的に保有し、配当を受け取るべきだ、というのが彼の発想である。彼は「新しい社会契約」は、誰にでも最低限の土台を与える一方で、上限を設けることではなく、技術進歩が生む富に全員が参加できる形で築かれるべきだと書いている。つまりアルトマンにとって重要なのは、資本主義を壊すことではなく、AI時代の資本主義を“みんなが持ち分を持つ仕組み”へ作り替えることなのである。

この立場を裏づけるものとして、アルトマン周辺では実証的・制度的な関心も見られる。彼が支援したOpenResearchは、月1000ドルの無条件給付を行う大規模研究を公開し、無条件現金給付の可能性と限界を測ろうとした。これは、AIによる雇用変動を見据えて、単に未来を語るだけでなく、所得保障をどう現実制度として設計するかを探る試みとして読める。さらに2026年には、アルトマンが現金ではなく、前掲したように、誰もがAIの計算資源を持ち分として得る「Universal Basic Compute」の発想を語ったと報じられている。ここでは、再分配されるべき対象が貨幣から計算資源そのものへと移っている。つまりアルトマン型は、AI時代の基礎的資産を人びとに配ることで、市民を新しい経済インフラの受益者にしようとする構想だと言える。

このように、アルトマン型はマスク型と同じくAIが生活費を大きく引き下げ、労働の意味を変える未来を語るが、その中心は「放っておいても皆が豊かになる」という技術決定論ではない。むしろ逆に、AIの巨大な富は放っておけば集中するので、国家・制度・基金・課税を通じて配分回路を作らなければならない、という点に特色がある。したがってこの類型は、テック的未来志向と社会政策的発想が結びついたものであり、最も明確に「AIと再分配国家の接続」を構想する議論である。

③マーク・アンドリーセン型の「反UBI・労働肯定」論
第3に、アンドリーセン型の反UBI論は、前2者ともっとも対照的である。彼もまたAIと技術進歩が「豊かさ」「安さ」「豊富さ」を生むこと自体は強く肯定する。しかし、そこから「だから人は働かなくてよくなる」「だから普遍的所得で支えるべきだ」という結論は導かない。むしろ彼は、そうした結論を明確に退ける。前掲した2023年の「Techno-Optimist Manifesto(テクノ楽観主義宣言)」で彼は、技術は生産性を高めるので賃金を押し上げるのであり、人間の欲望と需要は無限だから、技術変化は人間の仕事の必要性を減らすどころか、人間が生産的に関与できる領域を広げると述べる。そして極めて挑発的に、「UBIは人間を国家に飼育される動物に変える」と書く。

ここでの論理は古典的自由市場論に近い。アンドリーセンは、比較優位と市場需要の拡大によって、たとえ機械が多くの作業を代替しても、高い雇用は維持されうると考える。技術は失業を生むのではなく、より多くの財とサービスを安くし、そこで浮いた購買力が新しい需要を作り、その需要がまた新しい仕事を生む。つまり彼においてAIは「仕事を終わらせる存在」ではなく、新しい仕事と新しい市場を延々と創出する存在である。ここではマスク型のような“労働の終焉”も、アルトマン型のような“AIがもたらす富の政治的再分配”も前面には出ない。前面に出るのは、技術と市場の結合が永続的な成長と高賃金を生む、という確信である。

アンドリーセン型が特徴的なのは、労働を単なる所得獲得手段ではなく、人間の誇りと有用性の源泉として語る点である。彼は市場が人々に「生産的に関われる仕事」を与えるとし、人間は有用で生産的で誇りを持つ存在であるべきだと書く。したがってUBI批判は、財政論や効率論だけではなく、かなり強い人間観・倫理観に支えられている。人間に金だけを配って「仕事をしなくてもよい」とする社会は、彼にとって技術文明の理想ではない。むしろ理想は、AIによって拡張された人間が、より高度な仕事、より大きな挑戦、より多くの創造へ向かう社会である。彼が「私たちは征服者であって被害者ではない」とまで書くのは、AIを人間の代替者ではなく、人間の能力増幅装置として位置づけたいからである。

この立場では、AI時代の社会問題に対する基本態度も異なる。マスク型は「労働が消える以上、所得を配ろう」と考え、アルトマン型は「資本への集中が強まる以上、富の配当回路を制度化しよう」と考える。これに対してアンドリーセン型は、そうした発想それ自体が人間を受動的存在として見ていると考える。彼の関心は、社会全体を給付で支えることではなく、起業・投資・市場・技術拡散を通じて豊かさを増やし、その中で人間が役割を得続けるようにすることである。だから彼の反UBI論は、単なる福祉批判ではなく、テクノロジーと市場を文明の中心原理とみなす、かなり首尾一貫した世界観の表現になってはいるが、ここであえて批判を述べるとすると、彼の論は倫理的側面が強く、制度的保証が述べられていない点が弱点ではないだろうか。

<ここまでのまとめ>
これまでの論述と重なるが、ここでもう一度以上をまとめると、3つの構図は次のように描ける。
・マスク型は、AIとロボットによって労働がほぼ不要となり、社会はUHIによって高水準の生活を広く保障するという「豊穣のユートピア」論である。
・アルトマン型は、AIが基本財を安くしつつも富を資本へ集中させるため、その価値を課税・基金・配当・計算資源の配分によって市民へ分けるという「制度的再分配」論である。
・アンドリーセン型は、技術進歩は労働を消すのでなく新しい需要と役割を生み続けるのであり、UBIは人間を受動化するとして退ける「反UBI・労働肯定」論である。3者はともにAIの巨大な生産力を信じているが、その先に置く社会像――①労働不要の豊穣社会、②資本配当型の包摂社会、③労働と市場が拡張され続ける成長社会――がそれぞれ異なっている。

 

前提条件と制度的・社会的弱点

各タイプごとに、「何が前提で」「どこが実現を難しくし」「実現しても何が問題になるか」を切り分けて検討する。ここでは賛否を急がず、前提条件と制度的・社会的な弱点を順にとりあげる。

以下、前段で整理した3類型について、実現性と問題点をそれぞれ検討する。ここでいう実現性とは、「その社会像が成立するために、どのような条件が必要か」「現状から見て、どこに成立上の障害があるか」という意味である。したがってここでは、各構図が依拠する前提およびその前提に内在する難点を明らかにする。

① AIは人間を労働から解放する?
まずマスク型のUHI論は、3つの中でもっとも壮大で、同時にもっとも多くの前提条件を必要とする。マスクの議論は、AIが知的労働を、ロボットが身体労働を代替し、結果として人間はほとんど働かなくても、高い生活水準を普遍的に享受できるというものである。彼自身、AIが「仕事を不要にしうる」こと、将来は「ベーシック」ではなく「ハイ」インカムになることを公言している。

この構図の実現には、少なくとも3つの条件が必要である。第1に、AIがホワイトカラーの大部分を本当に代替できること。第2に、ロボティクスが工場や物流だけでなく、介護、建設、保守、家庭内労働など、現実社会の多様な身体作業を低コストで担えること。第3に、そうして生まれた莫大な生産力が一部企業や所有者に滞留せず、社会全体に行き渡る制度が存在することである。つまりUHI論は、単なるAIの進歩だけで完結せず、汎用AI・ロボット・エネルギー供給・物流・制度的分配が一体で成熟することを必要とする。

このため問題点も多い。第1に、AIが知的作業を高度に自動化しても、物理世界の自動化はソフトウェアより遅い可能性が高い。知能の自動化と身体の自動化には別の壁があり、後者が遅れれば「仕事は減るのに供給の豊かさは十分増えない」というねじれが生じうる。第2に、UHIは「高い所得」を普遍化すると言うが、その原資と配分方法が曖昧である。もしAI企業やロボット資本の所有が集中したままなら、社会は高い生産力を持っても、高い所得を万人に保障できるとは限らない。第3に、マスク自身も以前から触れていたように、労働が消える社会では所得問題より意味の問題が前景化する。仕事は単なる収入源ではなく、役割、承認、時間構造、社会参加を支えてきたからである。ゆえにUHI論の弱点は、経済的豊穣を描く一方で、人間の社会的・心理的な位置づけを十分には制度化していない点にある。

②社会統合の姿がなお曖昧
次にアルトマン型の再分配論は、マスク型より制度論としては現実に近い。アルトマンは、AIが財やサービスのコストを下げる一方で、その利益が企業価値や土地価値に集中しやすいと見ている。そのため彼は、AI時代には労働課税中心の仕組みではなく、企業と土地から生まれる価値を市民に分配する「American Equity Fund」のような構想を示してきた。 (moores.samaltman.com)

この構図の実現性は、3つの中では比較的高い。なぜなら、それは「人間が働かなくなること」それ自体よりも、「AIが生み出す超過利潤をどう分配するか」という制度問題に焦点を置いているからである。AIが完全失業社会を直ちにもたらさなくても、富の偏在が進むだけで、この構図は一定の必要性を持ちうる。また、無条件給付の実証研究や資本課税の議論など、すでに制度的な準備や検討も部分的には始まっている。 (openresearchlab.org)

ただし問題点は別のところにある。第1に、再分配論は技術的には可能でも、政治的には非常に困難である。企業価値や土地価値に対する大規模な課税、あるいはAI資本の一部社会化は、既存の資本所有者の強い抵抗を受けやすい。第2に、国境をまたぐAI企業に対して、一国単位でどこまで課税・分配できるかという問題がある。資本がグローバルである以上、再分配国家は国際協調を必要とする。第3に、現金や配当を配るだけでは、住宅、医療、教育のように供給制約の強い分野で価格上昇を抑えられない可能性がある。アルトマン自身も、単なる再分配だけではこれらのコスト高騰に対処できないと書いている。

さらに第4に、この構図は「AIがもたらす富を分ける」点では強いが、「労働の喪失後に人間が何を社会的役割として担うのか」という問いには比較的弱い。つまりアルトマン型は、分配制度としては筋が通っていても、所得保障の先にある社会統合の姿がなお曖昧である。結果として、経済的不平等の緩和には役立っても、労働の空洞化によって生じる承認や共同体の危機まで自動的に解決するわけではない。

③AIは新しい労働機会を産むのか?
最後にアンドリーセン型の反UBI論は、3つの中で最も古典的な成長論・市場論に近い。彼は、技術進歩は仕事を奪うのではなく新しい需要と産業を生み、結果として人間の生産的役割を広げると主張する。そしてUBIは人間を受動的にし、社会を停滞させると批判する。 (a16z.com)

この構図の実現性は、実は歴史的にはかなり強い。産業革命以来、新技術が旧来の仕事を壊しつつ新しい仕事を作ってきたのは事実であり、この意味ではアンドリーセン型は「これまで何度も起きたことが今回も起きる」と考える立場である。しかもこの立場は、大規模な再分配制度や世界的合意を前提にせず、市場メカニズムの継続に賭けるため、政治制度としては最も導入しやすい。特別な新制度を要しないからである。

しかし、この立場にも重大な問題点がある。第1に、今回のAIは過去の自動化と異なり、単純労働だけでなく知識労働や認知的業務を横断的に侵食しうる。そのため、過去と同じように新産業が十分な速度と規模で雇用を吸収するとは限らない。第2に、新しい仕事が生まれても、それに移行できる人とできない人の差が大きくなりやすい。市場は総量として雇用を生んでも、地域差、学歴差、年齢差を埋めてはくれない。第3に、この立場は「人間はなお生産的に働ける」と強く仮定するが、AIが高度化するほど、その前提自体が揺らぐ。特に創造職、専門職、管理職までAIが浸透する場合、「新しい仕事がある」という一般論だけでは不十分になる。

さらに第4に、反UBI論は人間の尊厳を労働と強く結びつけるが、そのこと自体が裏返しに、労働市場からこぼれ落ちた人々を「役割のない存在」として放置しやすい。つまりこの構図の弱点は、成長と市場に対する信頼が強いぶん、移行期の敗者や恒常的な代替リスクを背負う層への保護が薄くなりやすい点にある。

以上を比較すると、3者の弱点はそれぞれ異なる。マスク型は、最も魅力的なユートピアを示すが、成立には技術面でも制度面でも最も多くの条件を要し、意味の危機を残す。アルトマン型は、制度設計としては比較的現実的だが、政治的実装の困難と、分配後の社会像の曖昧さを抱える。アンドリーセン型は、歴史的な市場成長モデルに支えられているため制度上は最も現実的だが、今回のAIが過去と同じ雇用創出パターンに従う保証はなく、移行の痛みを軽視しやすい。
したがって3構図は、それぞれ「技術的成立の難しさ」「政治的成立の難しさ」「社会的包摂の難しさ」を別々のかたちで抱えていると言える。

<結語>

バイオテクノロジーやAIの開発方向を決めるのは人間である。技術の発展は人間に、人間とは何か、人間はなぜ生きるのか、人間としていかに生きるべきなのか、根本的な疑問を突きつける。そのような疑問を突き詰めない開発は人間さらには人間社会を破壊する。

技術の発展は社会の生産力を増大させる。生産力の増大は社会における生産関係の変更を迫る。資本主義から社会主義への社会の発展というテーゼはそこから導き出された。

世界は、産業革命以来、科学技術の発展によって幾たびかの戦争を経験し、社会制度も大きな変動を経てきた。人間が人間である限り技術革新をとどめることはできない。

今回、主としてシリコンバレーで交わされているテクノ・リバタリアンたちの議論を検討した。そこではまさに、技術と社会のテーマが俎上に上り真剣な議論が交わされていることが判る。

技術と人間、とくに従来の技術革新と一線を画す技術であるAIの進化とそれが社会変革に与える影響について引き続き考察していきたい。

 

【野口壽一】