(原題)
The Poetry of the Emirate: From insurgent war propaganda to state-sponsored PR
首長国の詩:反乱軍の戦争プロパガンダから国家主導のPRまで

 

(WAJ: 『ウエッブ・アフガン』では、ターリバーンの検閲と詩作禁止に詩で抗議する運動を支持し、参加してきた。(NO JAILページ参照 )詩が人々に与える力は絶大である。もともと宗教と詩や音楽は不可分のものといえる。ターリバーンも、米英NATO軍と戦うジハードにおいて詩や彼らなりの音楽を多用し、復権してからも詩と音楽を活用して人々を扇動している。アフガニスタン・アナリスト・ネットワーク(AAN)は、その実態を現地インタビューを交えて調査しレポートにまとめている。非常に興味深い内容であるし、対抗活動としてのわれわれに取って敵を知る上でも極めて重要である。急遽、翻訳紹介することにした。(翻訳にあたってはgoogle翻訳機能を活用した))

 

2024年10月20日
サブーン・サミム

<AANのリード>
詩は、社会に真の影響を与えることができるアフガニスタン文化の豊かで人気のある流れを形成しており、反乱軍としてのターリバーン、そして現在はアフガニスタン・イスラム首長国(Islamic Emirate of Afghanistan: IEA)としてこれを利用している。反乱の間、詩はジハードを促進し、「侵略者」を嘲笑し、殉教者を崇拝するために使用された重要なプロパガンダの手段であった。その詩は2021年の政権掌握以来続いているが、そのスタイルと内容は劇的に変化した。愛国心とアフガニスタンへの愛情が戦争と破壊のテーマに取って代わり、IEAは現在、そのわずかな国家資源の一部を詩的な広報キャンペーンに投資している。首長国によって禁止されている他の多くの文化的表現形式を考慮すると、伴奏のないチャントのようなタラナ(訳注:アフガニスタンやインド亜大陸の伝統的な詩や音楽形式)は、音楽に最も近い許容されるものとなっている。アフガニスタン人の詩に対する愛情を考えれば、この詩は少なくとも一部の聴衆の心に深く響くはずだとアフガニスタン・アナリスト・ネットワーク(AAN)のサバウーン・サミムは主張する。

 

2021年8月に首長国が権力を握ると、AANが2021年11月に報じたように、音楽は「最初の犠牲のひとつ」となった。当初は非公式に禁止されていただけであったのだが(老若男女のミュージシャン5人に何が起こったかについての2023年のレポートも参照)、この禁止により、ターリバーンがイスラム法で認められていると信じている唯一の歌、つまり楽器を伴わず声だけの歌が流行した。最も有名なのはタラナで、 2021年11月のレポートで説明されているように、「メロディーと歌詞はパシュトゥーン人の民俗文化に深く根ざしているが、楽器を伴わない」ものだ。

タラナはターリバーンと密接な関係があり、著者は、タラナの聴取を選択することは、首長国への支持を示す良い指標となる傾向があると観察した。タラナは、特に首長国の支持者が多い農村部でよく聞かれる。対照的に、町や都市では、タラナがIEAと関係していることから、多くの若者がタラナを聴くことを控え、代わりにYouTubeなどのオンラインプラットフォームで個人的に禁止されている音楽を楽しむ方法を見つけている。

結婚式場、レストラン、その他の公共スペースのゲストも他の形式の音楽を好むかもしれないが、禁止されているため、彼らは音楽による娯楽の唯一の合法的な源としてタラナに頼る(訳注:「<短編小説>賢いターリブ: 残虐に抗った機知の物語」参照)。インタビューを受けたある人物は筆者に、「タラナは内容も歌い方も音楽とは異なるが、何もないよりはましだ」と語った。例えばカーブルのレストランでは、タラナ(その多くは今ではアカペラで演奏される昔の人気曲)が他の形式のBGMに取って代わっている。かつては生演奏の音が響き渡っていたカーブルの結婚式場では、結婚式のゲストは今ではタラナの旋律でもてなさられ、卒業式の学生やゲストは教育の美徳を称える小夜曲を耳にする。国内のラジオ局で提供されているものについても同じことが言える。普段は単調な毎日を打破するためにラジオをつけているタクシー運転手も、かつてはどこでもかかっていたポップミュージックではなくタラナを流すようになった。今では、人々はお気に入りのポップソングではなく、お気に入りのタラナをリクエストするために放送局に電話をかける。

興味深いことに、タラナの中には、楽器の代わりにビートボックス(人間の声で生み出される打楽器の音)を伴奏に、パシュトー語、ダリー語、ヒンディー語の楽曲を模倣した楽曲もある。こうしたタラナは公式には禁止されているが(例えば、このPajhwok News(訳注:アフガニスタンの独立系通信社)のレポートを参照)、音楽的な雰囲気があるため、ターリバーンと非ターリバーンの両方に幅広いファンがおり、民間のスタジオで制作されるタラナも増えている(例えば、このタラナこのタラナを参照)。

本論文は、ターリバーンの詩人たちおよび反乱中にターリバーンが打ち出した影の政府における文化委員会のメンバーたちと7回にわたり深く会話し、反乱時代と現在の2ダース以上の詩の分析に基づいて書かれたもので、詩とタラナがどのようにして第2次首長国統治の重要な特徴となったのかを検証する。

まず、アフガニスタン社会における詩の高い地位と、反乱軍としてのターリバーンが戦士を募集し奮起させるために詩を使用するという長い伝統をどのように活用したかを検討する。次に、政権奪取以来、IEAが愛国心、団結、発展という新しいテーマを推進するなど、タラナに組織的に投資してきた方法について検討する。また、詩は運動のメンバーが批判を伝えることができる数少ない方法のひとつであることも明らかにする。

 

国が制作した詩
タラナの人気が高まり、他の音楽の禁止によって生じた空白を埋めるにつれて、首長国当局はタラナの創作と宣伝にかなりの注意と国家資源を投入している。政府の狙いは、愛国心を育み、宗教的イデオロギーを宣伝し、アフガニスタンの解放者であり保護者であるという首長国の物語を共有し、アフガニスタン人の間でより大きな正当性を獲得しようとすることにあるようだ。パクティア出身のターリバーンに所属する詩人は、この政策の有用性をもっと率直に次のように述べた。「詩は、異教徒がアフガニスタン人の心に注入した毒素を浄化するために国家にとって不可欠な資源だ。」同様に、別のインタビュー対象者であるホースト州のターリバーン当局者も次のように述べた。

他の社会では人々はそれほど感情的ではないかもしれないが、アフガニスタンでは感情が支配し、すべてを形作る。詩の重要性は感情に深く影響を与えることにあり、それがここでは詩を非常に効果的なものにしている。

インタビューを受けた全員が、運動の幹部たちはタラナと詩全般を愛国心と団結を育み、運動のアイデンティティを伝える効果的な手段とみなしていることに同意した。ある文民省のターリバーン高官は、それを和解の手段として紹介した。

政治的な違いを持つ人々にとって共に集まることは非常に重要だ。アイデアを議論し、考えを共有することは、お互いを理解し、知るための第一歩だ。これらのイベントを通じて、首長国は人々に、私たちは(皆)同じだということを伝えたいのだ。私たちは戦争を知っているだけでなく、平和と愛も知っているのだ。

情報文化省の中級ターリバーン職員が強調したように、首長国当局はこの戦略が順調に進んでいると考えている。「ソーシャルメディアでは、タラナ、特に祖国に関するものを聴く全国のアフガニスタン人が増えているのがわかります」。筆者も、YouTubeで100万回以上再生され、何百もの一般コメントが寄せられているターリバーンのタラナを観察したことがある(たとえば、ここここここの動画を参照)。

首長国は、この成長に統制を加え管理するため一歩踏み出し、技術職業教育訓練庁(TVETA)の管轄下に「タラナム(原注:タラナの正式な複数形)および文化」管理局を設立した。その役割について同局のマウラウィ・グラーム・サイード・イーサス副局長は、TVETAの「アフガニスタン国民への説明会」(国営放送局アフガニスタン・ラジオ・テレビ(RTA)で放映こちらからも視聴可能で、「同局は詩人や歌手を組織し、タラナムを監督し、彼らをイスラーム[的価値観]や[首長国の]政策に正しく導き、彼らから楽器を取り除きます」と述べた。

<参考>Massage from TVET-A Director
https://tveta.gov.af/en

 

当局はまた、タラナを専門化し質を向上させる措置を講じてきた。反乱時代とは対照的に、タラナはオーディオで制作されるだけでなく、ミュージックビデオとしても入手できるようになった。(2024年8月に公布された新しい「勧善懲悪に関する法律」ではビデオは現在違法となっているが、施行はひいき目に見ても不完全であるように思われる。)TVETAはタラナ歌手のために新しいスタジオを設立し、歌手たちは国営放送局(Radio Television Afghanistan: RTA)や情報文化省、内務省などの省庁のスタジオも追加して利用できるようになっている。イーサス副局長によると、2023年末までにTEVTAだけで200以上のタラナを発表している。国営制作のタラナは、RTA Musicなどの公式ソーシャルメディアアカウントでも発表されている(例えば、こちらこちらの動画を参照)。

IEAが講じたもうひとつの重要な措置は、詩の発表会を企画することであり、そのほとんどはテレビでも放映されている。これら大規模集会にはアフガニスタン全土から、詩人、政府関係者、一般人が集い、さまざまな州で開かれ詩人たちが幅広い聴衆に詩を朗読する。アフガニスタンの詩のイベントは典型的には朗読に限られているが、RTAや他のチャンネルは、詩のコンテストのような形式を含む詩の集まりを頻繁に放送している。ムシャアラとは、ある詩に対して別の詩で応答する詩法である。RTAは「チーナ」(湧き水)というプログラムを持っており、アミール・カーン・ムッタキー外相やザビフッラー・ムジャヒド報道官などの高官を、著名な詩人やタラナ歌手とともに招待している。

地方情報省の各局も年に一度、詩の夕べを主催しており、その多くはパシュトー語圏の州で、ターリバーン関係者やその他の詩人、若者、政府関係者など数百人が参加する。ピル・ムハンマド・カルワン、マティウラー・トゥラブ、アリム・ビスミルなど、ターリバーン以外の著名な詩人が、新進気鋭の若手詩人たちと合流し、舞台で詩を朗読する。昨年は、デュランドラインの反対側にあるハイバル・パフトゥンフワ州の、パシュトゥーン民族主義の政治姿勢を持ち、旧共和国を支持する詩人たちが、ナンガラハールの歴史ある有名なナランジ・グル詩会とVIPレセプションに招待された。こうしたイベントで詠まれる詩は多様で、愛国的、ロマンチック、風刺的な詩のほか、パキスタン、イラン、西洋を非難する詩もある。

首長国は公式メディア、式典、プロパガンダでもタラナを頻繁に使用している。たとえば、首長国が新たな復興プロジェクトを発表する際、ビデオにはタラナが挿入されることがよくある (たとえば、国営の Bakhtar New Agency(バフタル通信社) がX に上げたビデオを参照のこと)。

首長国が詩、特にタラナを好んで受け入れるようになったのは、同国が他の多くの文化的表現を禁止または抑圧してきたからだけではなく、詩がアフガニスタンのアイデンティティと文化の基盤であり、活用すべき強力な力だからでもある。詩は、アフガニスタンの長い戦争のさまざまな段階で戦士を鼓舞するのに特に重要であり、反乱軍であるターリバーンが足場とした伝統である。これらの要因については、本稿においては、今日アフガニスタン首長国がタラナをどのように展開しているか、その主題の変化も含めて論じる前に、次のセクションで取り上げる。

Street vendors in Mazar-e Sharif sit under a portrait of the poet, Jalaluddin Rumi, who was born in Balkh in the thirteenth century. The Mawlana wrote in Persian, but every language group in Afghanistan has its poets, many of whom are treasured and shared across ethnic and linguistic lines. Photo: Farshad Usyan/AFP, 18 June 2016

13世紀にバルフで生まれた詩人ジャラルッディーン・ルーミーの肖像画の前に座る露天商たち。彼はペルシャ語で詩を書いたが、アフガニスタンの各言語グループには詩人がおり、その多くは民族や言語の垣根を越えて大切にされ、共有されている。写真:ファルシャド・ウシアン/AFP、2016年6月18日

 

アフガニスタンの詩
アフガニスタンの文化は、あらゆる言語的伝統においてアフガニスタン社会に深く根ざした、豊かで多様な詩の歴史を誇っている。詩は、新生児をこの世に迎え入れ、死者に別れを告げるために使われる。子供が生まれると、母親は神とのつながりを感じさせるためにスピリチュアルな詩を歌うことがある。子供が泣くと、親、祖父母、または年上の兄弟が、子供を落ち着かせたり、寝かしつけたりするために、心地よい詩を歌うことがある。詩は慰めを与え、悲しみや苦難の時に貴重な教訓をもたらすことがよくある。より日常的な例としては、車の後部窓に貼られているのをよく見かける押韻連句(例については、このAAN レポートを参照や、生徒が学校の教科書の余白やソーシャル メディアに書き込む連句がある。アフガニスタン東部の有名なことわざは、この国における詩の遍在性を要約している。「岩を動かすと、その下には詩人がいるだろう」。

アフガニスタンのどの民族にも、尊敬される詩人がおり、その多くは民族や言語の境界を越えて大切にされ、共有されている。アフガニスタンの詩人レザ・モハマディは、 2012年にガーディアン紙に寄稿した論説で、「タジク人、ハザラ人、パシュトゥーン人、ウズベク人、トルクメン人、ヌーリスターン人、バルーチ人、さらに何百ものグループに細分されるが、アフガニスタン人は詩によって結びついている」と述べている。どういうわけか、現在のアフガニスタンのバルフ地方で生まれた13世紀の「マウラーナ」(訳注:尊敬されるイスラム宗教指導者に与える尊称)であるジャラールッディーン・ルーミーのようなペルシャの詩人が、世界的な影響力を獲得した(ただし、このエッセイで指摘されているように、彼の名声の代償は、西洋の聴衆にとって彼のイスラム教徒としてのアイデンティティが「消去」されることだった)。

詩は何世紀にもわたるパシュトゥー語の文学的伝統と深く絡み合っている。8世紀のアフガニスタン王アミール・クロル・スリは、後世に作品が記録された最初のパシュトゥー語詩人と考えられている。(原注:詳細な背景については、国際応用科学およびバイオテクノロジー研究ジャーナル、2021 年に掲載されたグラム・サキ・ヒマットとアジズラフマン・ハッキャールによる「パシュトゥーの最初の詩人としてのアミール・コレル・スリ」を参照のこと)

私はライオン
この世に私より強い者はいない

インドでも、シンドでも、タハールでも、カーブルでも、ザブールの平原でも
私より強い者はいない。
私の強い決意の矢は
稲妻のように落ちる
逃げ惑う敵の上に
私は大胆に思い出す
彼らは皆、戦いに敗れた
私より強い者はいない。

パシュトゥー語の詩の特徴的な形式に、特定のリズムと音節構造を持つ22音節の押韻連句であるランデーまたはタッパがある。これは強力な口承の伝統であり、ランデーは主に女性によって作られ、朗読されている。女性詩人その人については名前がなく未知であることが多い。ランデーは、日常の問題や社会的なテーマを幅広く取り上げており、実質的に人生のあらゆる部分を扱っている。(アメリカの詩人エリザ・グリスウォルドは、2015年にアフガニスタンの詩人たちと協力して彼らの詩を翻訳した珍しいランデー集を作った。その詩のいくつかは、このエッセイにも取り上げられている)。

<上記ページの代替として>
https://www.bbc.com/culture/article/20161116-the-22-syllables-that-can-get-you-killed

 

アフガニスタン文学には、ハマシ詩として知られる叙事詩の豊かな伝統もある。(原注:ハマシはパシュトー語で「叙事詩」を意味する。ハマシの詩は戦争、英雄的行為、英雄を称えることに焦点を当てている。パシュトー語の叙事詩の詳細については、以下を参照のこと。現代では、ハマシは戦争に関連するすべての問題を扱っている。)ハマシ詩は戦争の英雄やヒロインを称え、戦いへの支援を募るために使われてきたが、状況の変化に適応し、よく戦時中に文学的ピークを迎える。例えば、12世紀初頭、パシュトゥーン人の詩人で指導者のクシャール・カーン・ハタックは、ムガル帝国に対して詩を展開し、彼らの侵略と残虐行為に対する抵抗を奨励した。同様に、1880年の第二次アフガン戦争では、マラライの2行詩がアフガニスタン人の士気と精神を奮い立たせ、マイワンドの戦いでイギリス軍との勝利に貢献した。(原注:Afghan Web で入手可能なAbdullah Qazi 著「アフガニスタンの詩」を参照のこと)

若き愛よ、もしなんじがマイワンドの戦いで倒れなば、
神かけて言おう、なんじは恥の象徴として語り継がれよう、と!

より最近の歴史では、1980年代のソ連・アフガニスタン戦争で再びハマシ詩が急増した。詩人たちは戦争とソ連の侵略の非人道性を捉え、抵抗戦士たちにインスピレーションを与えた。例えば、有名なダリー語の詩人、ハリールッラー・ハリーリによる以下の詩ではムジャヒディーンを称賛している(こちらを参照)。

勇敢な人よ、私はあなたの情熱的な目を尊敬する。
祖国はあなたの強さを待望する。
荒々しく戦え。敵に血を流させ、打ちのめし、火をつけよ。
わが土地に敵がいるより悪いことがあるだろうか?
祖国はあなたに注目し、あなたが戦いで自分の腕を証明するのを待っている。

連が撤退した後でさえも、ムジャヒディーン各派の間では詩が生き続けていた。しかし、詩のテーマは勝利を祝い、指揮官や指導者を称えるものへと変化した。ソ連との戦いに参加していたターリバーンは、この詩の伝統を全面的に受け入れた。1996年に権力を握ると、彼らは音楽を禁止したが、タラナを奨励した。

とはいえ、ターリバーン運動の初期には詩やタラナはあまり普及していなかった。あるインタビュー対象者は、「詩人はほんの一握りしかおらず、タラナも少なかった」と主張した。最初の首長国時代、タラナはターリバーン運動の描写、神と預言者ムハンマドの賛美、他のムジャヒディーン派閥に抗する戦いにおける英雄的行為の強調など、特定の問題に焦点を当てていた。インタビュー対象者は、当時ターリバーンは後年のように独自のタラナを書いていなかったと指摘した。むしろ、彼らのタラナはジハード時代から受け継がれた詩作習慣と、それ以前の叙事詩(ハマシ)の継続であった。

 

A twentieth-century depiction of the most famous Afghan war poet, Malalai, whose two-line tappa rallied her comrades to defeat the British at the Battle of Maiwand in 1880 during the second Anglo-Afghan War (unknown artist).

最も有名なアフガニスタンの戦争詩人、マラライを描いた20世紀の作品。マラライは2行の詩で仲間を鼓舞し、1880年の第2次アフガン戦争中のマイワンドの戦いでイギリス軍を打ち負かした(画家不明)。

 

反乱軍の詩
ターリバーン運動がジハードへの意欲を鼓舞するためにタラナを効果的に利用し始めたのは、イスラム共和国とその外国の支援者に対する長年の反乱の最中だった。2001年に米国の激しい爆撃に直面して最初の首長国が崩壊した後、運動は最終的に武装反乱軍として再編成された。再び「ムジャヒディーン」を名乗った彼らの詩は、反ソビエトジハードの詩を彷彿とさせた。それは士気を高め、兵士たちに武器を取るよう呼びかけ、戦争努力を正当化するために使われた。それはすぐに2001年以降のターリバーン運動の不可欠な特徴となり、より多くの詩人や歌手が、運動の新たなジハードのテーマを反映した詩をますます多く発表するようになった。鍵となる詩の形式がタラナであった。

反乱軍のタラナは非常に鮮明で強力だったため、インタビューを受けたターリバーンの何人かは、それだけで若者を奮い立たせて武器を取らせることができると信じていた。「若者がこうしたタラナを聞くと、感情が高ぶって、行動を起こして[我々の]隊列に加わるしか救いの道はなかった」と、インタビューを受けた首長国のホースト地方職員は語った。インタビューを受けた別のターリバーンは、タラナは敵を離反させることもできると語った。「タラナは非常に強力だったので、共和国の兵士がタラナを聞けば、持ち場を離れて我々に加わるかもしれなかった。」ナンガルハール出身のターリバーン兵士は、詩がリクルート手段だったことに同意した。「ジハードの間、人々はタラナをあまり聞きませんでしたが、聞いた人たちは[我々に]加わらないことはほとんど不可能でした」。ホースト州出身の別のインタビューを受けた人は次のように回想している。

私の友人の一人は、まだ学校に通っていたときに、共和国の兵士にひどく殴られた。彼は政府に対して非常に怒っていた。私はその機会を利用して、彼にタラナを何百も送った。1か月後、彼はじょじょに私たちのグループに連絡を取り、最終的に私たちに加わった。彼は後に殉教した。

2019年のニューヨークタイムズの報道によると、任務に失敗して逮捕されたターリバーンの自爆テロ犯たちが、仲間の囚人に詩を朗読しているのが目撃されており、彼らが詩に深い親しみを抱いていたことがうかがえる。記事で引用されているある自爆テロ犯は、爆弾が予定より早く爆発したが、自分にとって刑務所がどのような場所であるかについて詩を歌った。

私たちの鎖の中には、学ぶべき教訓がある。
太陽は輝き、私たちの世界の秘密を明らかにする。
鎖は美しく、神の創造物である。
私たちの手の鎖は私たちを傷つける
が、手の傷は私たちに教えてくれる。

この時期の米軍の反乱鎮圧作戦を支援するために作成された分析では、ターリバーンのタラナは米軍自身が仕掛ける情報戦争に対する脅威であると確実に見なされていた。たとえば、2009 年に海軍大学院から発表された「アフガニスタン文化の理解」という論文では、次のように主張されている。

IO [情報作戦] の実践者とアナリストに、アフガニスタンの戦闘空間における詩の力についての貴重な洞察を提供する。…この論文の目的は、米国と連合軍に詩が提供する多くの側面を運用可能にすることだ。

2011年の別の論文は、ターリバーンのタラナの力を見過ごすと、西側諸国の失敗を象徴すると忠告した。

ターリバーンのタラナはアフガニスタン人の精神に深く根付いているようだ。それは西側諸国が理解しようともせず、理解しようともしなかった感情に訴える。ある意味、この理解の欠如が、西側諸国のアフガニスタンへの関与を最終的に失敗に導いているのだ。

この最後の点については、ターリバーンとアメリカ人は今や同意するかもしれない。アフガニスタン・イスラム首長国の指導者たちは、反乱軍の詩情を高く評価し続けている。技術職業教育訓練庁の「タラナムおよび文化」管理局の入り口にある立て看板には、こう書かれている。

タラナの歌手たちがプロパガンダ、知的および心理的戦争において果たす強力な役割に誰も目をつぶることはできない。

詩、昔と今
反乱時代、タラナの大部分は紛争を中心に展開していたが、詩の内容は多様で、戦争の重荷を嘆き、外国の侵略者による抑圧と「占領された」人々の英雄的行為や抵抗を対比していた。次の3つの詩を考えてみよう。(原注: 2番目の詩で言及されている「ウフドの若者」は、625 年に行われた、イスラム教徒とメッカのクライシュ族 (非信仰者) との間の2 度目の主要な戦いであるウフドの戦いに参加した預言者ムハンマドの仲間のこと。約 700 人の軍隊を率いたイスラム教徒は、およそ 3000 人のクライシュ族と対峙し、数では劣勢であったにもかかわらず勝利した。)

死を探し求めるのは狂気ではない
自由への愛が我々を駆り立て
我々の尊厳は揺るがない
我々は高貴な目標のために奮闘し、山を越え、眠れない夜を過ごす
一歩ごとに苦い思い出がよみがえる
それでも我々は神聖なものを追い求め
人生の浮き沈みを裸足で歩むのだ。
***

たとえ宇宙全体が私に敵対しようとも
私は名誉と尊厳の戦場で
揺るぎなく立ち向かう。
私の心は犠牲と自由を求めて鼓動する
ウフドの勇敢な若者たちの生きた記憶。
***

ジハードは私の道
困難を乗り越えて、私は自由への愛を抱く
孤独なタレブ(訳注:学生)として
私は名誉の戦いに足を踏み入れる
それは世界の目に刺さる棘
自由への愛に突き動かされ。

こうした詩は、米国主導の連合軍や、外国人に押しつけられたととらえた共和国に不満なアフガニスタンの若者たちの心に響いた。こうしたタラナを聞くことは、あるインタビュー対象者が言うように、ターリバーンの戦闘員たちに「侵略者が何をしていたか、そして自分たちは彼らを止める責任があることを忘れてはならない」と思い出させた。現在首長国の警察に所属する別のインタビュー対象者は、モスクにいたとき、タラナを演奏すると仲間の感情がかき立てられ、指揮官に攻撃を開始するよう促し、何を待っているのか、なぜ自分たちはただ座っているのかと問い詰めた場面を回想した。

当時は、国際軍による民間人犠牲者を追悼するなど、被害者意識のタラナもあった。アレックス・ストリック・ファン・リンスホーテン編集の2012年の英語のアンソロジー『ターリバーンの詩』には、爆撃され新郎新婦が死亡した結婚式についての詩が収録されている。「しかし、ニュースではバグラムからのプレスリリースが流れてくる。『テロリストは殺した』と」(41ページ)。米国と共和国に対する批判は共通のテーマであり、嘲笑も同様で、2009年のジョージ・W・ブッシュ大統領の任期終了を記念したこの頌歌(118ページ)に見られる。

カルザイ:行くときは手を貸して、消えるときは顔を背ける。
ブッシュ:悲しみが私を襲い、圧倒する。愛しい人よ! 自分を大切にせよ、私はわたしを大切にする。

ターリバーンにとって、これらの詩は単なるプロパガンダ以上の目的を果たした。戦争とターリバーンの苦しみを人間らしく描き、心の奥底にある感情を表現しようとする試みだった。インタビューを受けたあるターリバーンの詩人で、現在は政府の文民省で働いている人物は、一部のムジャヒディーンにとって敵と戦うだけでは十分ではなく、行動への欲求を満たすために詩を書いたり朗読したりするという手段が強く必要だったと語った。詩はまた、「占領と不正に抗い(武装した)ジハードをもって力で抵抗できなかった人々の心からの涙」でもあると、インタビューを受けた人物は語った。

Enforcers from the Ministry for the Propagation of Virtue and Prevention of Vice in the Tap-e Gul Ghundi recreational park, venue of the Arghandab Poetry Festival, in Charikar district of Parwan Province, Afghanistan. Photo: Wakil Kohsar/AFP, 17 April 2024
アフガニスタン、パルワン州チャリカール地区のアルガンダブ詩祭の会場であるタペ・グル・グンディレクリエーション公園にいる勧善懲悪省の執行官たち。写真:ワキル・コサール/AFP、2024年4月17日

 

権力掌握後の詩の変化
2021年8月、ターリバーンがアフガニスタン全土を掌握すると、戦時中のテーマは変化した。詩人たちはすぐに自分たちが勝ち取った勝利を祝い、敵に負わせた敗北を強調した。IEA統治のこの初期の時期に書かれた12編以上の詩を評価した結果、著者はそれらの詩がもっぱら勝利に焦点を当てていることに気づいた。例えば、

彼らは40カ国の連合軍を打ち破り
20年戦争に勝利した
彼らの旗は白く、高くたなびき
彼らの目的と動きは白い。
これが勇敢なターレブたちだ。
彼らはカーブルへの道中、傀儡兵士をことごとく粉砕し、
20年戦争に勝利した。

別の詩も同様のメッセージを伝えている。

アフガニスタンの勝利を祝す。
ターリバーンはどこにでもいる。
おめでとう。
十字軍は引き裂かれた
称賛あれ、彼らは塵と化した
このほろ苦い勝利に祝福を。

こうした「勝利の詩」が最初に一世を風靡した後、2021年からの3年間で他のテーマも浮上した。例えば、ターリバーンは自分たちをアフガニスタンの守護者と解放者として見せようともした。(原注:この詩で言及されているトル・ガール (黒い山) は、デュランドラインの反対側にあるハイバル・パシュトゥンフワ州の山を指し、ここではアフガニスタンの高山地帯すべての代用として使用されている。「マンスリー青年」は、10 世紀のペルシャのスーフィー思想家マンスール・ハラージを指していると思われる。彼は説教師として多くの信奉者を獲得したが、その後アッバース朝との権力闘争に巻き込まれた。彼は宗教的および政治的な罪で長期間投獄された後、処刑された。)

長い冬の夜と凍てつく雪から
戦場での疲労
傷つき折れた足
トル・ガールの暗い夜まで
われらは長い間火薬を抱きしめ、マンスリーの若者を犠牲にしてきた
あなたへの借りを返すため
祖国よ、われらはあなたへ血を捧げた。

これらの詩には主権と独立についての強い訴えがある。それは首長国(IEA)の自慢の反映である。つまり、それが外国の影響下で活動していないこと。また、文民省にいるインタビュー対象者の1人が述べたように、首長国の役人が「他国のパスポート」を所持していないこと。彼いわく、旧共和国の役人の一部は外国パスポートを持つ二重国籍者だったのだ。
インタビューを受けた人々は、数十年にわたる紛争の後にアフガニスタンの繁栄と発展を促進したいというこの時期ならではの愛国的な願望についても強調した。それは公式のタラナに反映されている。ターリバーンに所属する詩人のひとりはこう語った。「過去はジハードが唯一の目標だったが、今やその時代は終わった。戦争ではなく、私たちの現在の目標はアフガニスタンの再建だ」。次のような詩がその雰囲気をよく表している。

神の慈悲は何という偉大な変革をもたらしたのだろう
爆弾を作った者たちは
真珠を作り、すべての人に権利を与え
荒廃した祖国を再建している。

もうひとつの詩も同様の感情を伝えている。

今、私はあなたを解放したので
あなたを再建し、再び輝かせる
祖国は心を癒すもの
生命は呼吸し、呼吸し、癒す
私の荒廃した国、愛する祖国は私たちの世話を必要としている
その心の中には失われたターレブが必要だ
それは黒く、燃えており、再建を望んでいる。

次の詩は、アフガニスタンが長年の暴力を経て現在発展していることを示唆している。

急速に進歩する国
君は再び繁栄する
愛する私の祖国
君の美しさに匹敵するものはない
だが戦争で荒廃した国は傷ついている。
前進せよ! 君は再び立ち上がり
繁栄するだろう。

次の詩では、愛国心と平和と平穏への憧れが融合している。

緑のショールであなたを包む
この国を他の何千もの国と同じように
私の命の血でこの国を守る
この国のために私の肉体を捧げる
私はこれを信仰のしるしと呼ぶ
私の魂は新たになり、輝く
この国の緑のパノラマが見える
天国の人々があなたを守ってくれた、神があなたをさらなる逆境から守りますように。
神がここで子のない母を作りませんように
強くなり、銃の夜を終わらせたまえ
私たちがあなたを占領から解放したように
私たちはあなたと共にある。

戦時中の詩でよく使われるモチーフである犠牲は、2021年8月以降も残ったが、今では発展のため限定で用いられる。

アフガニスタンには緑が生い茂り、繁栄するだろう
私は心の中にあなたを植えた。
愛するアフガニスタンよ
誰かがあなたの名前を名乗る時
私はあなたのために犠牲になると叫ぶ、
アフガニスタンよ。
***

我々は祖国を再建する
この約束を守る
我々は命を犠牲にする
誰にもあなたを傷つけさせない
あなたはターリバーンと旅をする。

他の詩ではターリバーンに王国の守護者となるよう促している。(原注:この詩に出てくるムハマド・イブン・アル=カシム・アル=サカリは8世紀の軍司令官で、ウマイヤ朝によるインドのシンド州征服を指揮した。また「オマル師の原則」は、ターリバーン運動の創始者のひとりで初代リーダーだったムッラー・ムハマド・オマルの美徳を指す。最後の詩では詩人が自らを「バドリの兵士」と表現している。これは予言者ムハマドの重要な初期聖戦だった624年のバドルの戦いに参加した313人の仲間を指す。千人の異教徒軍を破ったことから、ムスリムはこの313人を勇猛の象徴として称賛している。)

祖国の守護者となり、
荒廃した地を再建せよ
ターレブ・ジャンよ(訳注:美しき学徒)
この国は再建を望んでいる。
傷ついた体を心こめていたわれ
あなたはこの時代のイブン・カシムなのだ
あらゆる手段を講じて国を守り
教育と指導を通じてこの国を大切にし
人々をあなたに近づけ、心の中に取り込み
彼らの心を支配せよ
誰もがあなたを称賛するであろうから。
オマル師の原則を体現し、
歴史があなたを称えるであろう。
***

われらの国を築き、世界と競争しよう
われらは国を楽園のように繁栄させる
われらは進歩しなければならない
われらは国の美しさと団結に奉仕する
***

ムスリムの家、愛すべきアフガニスタンよ、永遠に
この殉教者の故郷
英雄の故郷
ここは私たちの心の一部。
他人にとっては地獄でも、国民にとっては天国
空気は天国のよう
すべての砂漠は天国
ルビーと宝石で溢れている。
***

私はあなたを愛している。
私はこの王国の守護者だ
私の目的は強いこと
私はバドリの兵士だ
私は富を気にせず、自分自身を気にしない
私は星のようで、
あなたのために明るく輝く。

詩を広めるもうひとつの重要な目的は、アフガニスタンの多様な民族間の団結を促進することだ。ターリバーンはパシュトゥーン人運動とみなされることから距離を置きたいと考えている(ただし、幹部の任命はそうではないことを示している。2021年のAANの報道や、最近では国連の専門家パネルによる2023年のこの報告書を参照)。インタビューを受けたある人物は、調和を促進するコンテンツは反ターリバーンの政治グループが広める分裂的な「プロパガンダ」に対抗するのに効果的だと述べた。団結のテーマは、たとえばここで見ることができる。

団結の光を灯し、
団結で憎しみを消し去ろう
たとえ世界が不和を撒き散らそうとも
われらは団結で結ばれている。

以下の詩は、アフガニスタンの多様な民族が統一されたムスリムの祖国を構成していることを強調している。

この天国のような国
聖なる社と埃まみれの墓が祖国を飾る
涙が真珠となり、傷が花となりますように
よそ者が永遠に去りますように
二度と血に染まることがないように
タジク人とハザラ人はここでは兄弟
パシャイ人、パシュトゥーン人、ウズベク人であろうと、彼らは兄弟
この国はムスリムの故郷であり
ひとつの国家、ひとつの統一された祖国。

服従のテーマはターリバーンの詩にも大きく取り上げられており、アミール(訳注:信徒の長)への忠誠を奨励している。例えば、次の2つの詩を参照のこと。(原注:2つ目の詩には、コーランの中で神を讃えるときにのみ使われる言葉である「ハムド」が出てくる。「タクビール」はアラビア語で「アッラーは偉大なり」(神は偉大なり)という意味。この言葉は神を讃えるために使われ、イスラムの儀式や行事で朗唱される。)

怠慢にならないように
従順こそが名誉
従順こそ成功と幸福の秘訣
裏切りの上に人生を築かないように
羊飼いよ、従順を通して高い名誉を手にせよ。
***

迷わずこれら3つへ服従せよ
第1にアッラー、第2に預言者、第3にアミール。
つぎは喜びの鍵
第1は意思、第2は信心深さ、第3は計画性
ムジャヒードよ(訳注:聖戦士)、常に息を整えよ
第1にハムド、第2に祈り、第3にタクビール。

ターリバーンの詩は、一般大衆の気を引くばかりでなく、運動の保守主義も表している。例えば、地方の役人であるイクラム・マフトゥンによるこの詩は、NGO やテレビなどの近代化の象徴と見なすものに対するターリバーンたちの暗い見方を強調している。

もしコーランの戒律を完全には適用しないなら
その尊厳をどうやって守るのだ?
異教徒のNGOに直面して、
アフガン人の名誉、信仰、価値観をどうやって守るのだ?
携帯電話やテレビの堕落の時代に、
少女や若者を不道徳からどうやって守るのだ?

すべてのタラナが公式に認可されているわけではない。しかし実際、詩はターリバーン戦闘員が批判を表明し、潜在的な問題について首長国に警告できる数少ないプラットフォームのひとつとなっている。公の詩の催しでは、指導者や戦闘員に大義から逸脱しないように警告する詩を聞くことができる。私的な集まりでも、ターリバーンの詩人は権力の腐敗のリスクについて率直に語っている。たとえば、この詩は、上司がえこひいきをすることに対するターリバーンの年長メンバーの懸念を反映している。

役職は戦友を変え
大きな地位と高い階級は戦友を変え
彼らは戦場で疲れ果てた戦友を忘れ
苦難の日々の友を忘れた。
今、彼らが思い出し、目にするのは、義理の家族と兄弟だけ
今、彼らが知っているのは、部族民、村人、いとこたちだけだ。

別の詩では首長国内の縁故主義を批判している。(原注:アルバカイとは、ロヤ・パクティア(パシュトゥーン人の住むパキスタンの国境地帯)の呼び名で、部族によって結成され、統制される臨時の地方民兵を指す。共和国時代には侮辱的な意味となり、政府寄りの武装集団を指すのに使われた。アフガニスタン地方警察(ALP)や一部の反乱グループも、こう呼ばれた。)

縁故主義とコネのおかげで
アルバカイは今やムジャヒドとなった
素質や信心深さは必要ない
必要なのは役人とのコネだけだ。

 

結論
イスラム首長国が再建されて以来、ターリバーンは自らのアイデンティティを戦士から統治者へと再構築しようと努めてきた。反乱の際、運動にとって詩は宣伝と勧誘の手段として重要であったため、彼らが詩に頼り続けたのは当然のことである。特に、聖歌やアカペラの賛歌として歌われるタラナは、詩の伝統が日常生活の一部となっている社会において、真の力を持っている。国家の資源を使って詩を組織的に推進する首長国のキャンペーンは、反乱中に詩がいかに成功したか、そしてそれが強力であり続けることができると彼らが信じていることの表れである。

状況が変化するにつれ、首長国の戦略も進化した。反乱の時代、聴衆は主に農村部のアフガニスタン人で、ターリバーンの支持者やターリバーンの戦闘員が多かった。現在とは異なり、資源は乏しく、運動はより広い聴衆に訴えるのに苦労した。現在、IEA は新しい聴衆がいることを認識しており、その中には長い間 IEA を敵視してきた人々もいる。この認識を正すことは緊急の優先事項である。そのため、IEA は愛国心、団結、発展など、ターリバーンと非ターリバーンの両アフガニスタン人が共有するテーマに焦点を移した。これらの強力な感情は、現在、首長国が人々の心と精神に影響を与えようとする場となっている。

ターリバーンのメンバーにとっては、詩はアミールと首長国への服従を促すために使われる。かつての戦闘員たちの人生は、そのような地位が勝者に与えるあらゆる権力と資源によって、運命の変化を伴い劇的に変わった。タラナは彼らの忠誠心を高めるために、そしておそらくもっと楽観的に言えば、隊列内の懐疑論者に安心感を与えるために使われている。懐疑論者の中には不満を抱く詩人もおり、彼らは詩を使って懸念を伝え、リーダーたちに警告する。時には面と向かって警告することもある。Xに投稿された動画では、ターリバーン所属の詩人ネマット・レワナイが国防大臣代行ムラー・ヤクブと同席し、彼と他のターリバーン指導者たちに、ジハード時代の同志を忘れて世俗的な快楽に傾倒しないように警告した。

君が忙しいのは分かるよ
でもここまでは
君はもう昔の愛情を感じていない
快適さが贅沢をもたらした
山に対する尊敬の念は消え失せた
虚栄心と偏見が我々の座を奪わなければ
世界のいかなる力も我々に立ち向かうことはできない
古い仲間を無視する者に
名誉はない。

 

編集:レイチェル・リード、ロクサーナ・シャプール、ケイト・クラーク

改訂:この記事は2024年10月22日に最終更新された。

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