Islam Does Not Ban Girls’ Education. So Why Does The Taliban?
(WAJ: 『ウエッブ・アフガン』では、ジェンダー・アパルトヘイトともいうべきターリバーンの女性差別が、イスラム法の極端で誤った解釈、および主にパシュトゥーン族に残された女性嫌悪(ミソジニズム)の因襲とのアマルガムであるとみなしてきた。特に後者のミソジニズムは中世期までに人類全体で見られたものであるがインド・パキスタン・アフガニスタンなどの南アジアに顕著な残滓である。本論考ではイスラームの教義に女性差別の根拠があるとの説を紹介しているがそれはイスラム世界においても稀有希少で極端な解釈にすぎない。イスラム協力機構OICは従来からターリバーンに対して女性政策を改めるよう働きかけている。)
August 13, 2023
By Abubakar Siddique
アブバカル・シッディク、2023年8月13日
イスラームは女子教育を禁止していない。ではなぜカーブルは禁止するのか?
アフガニスタン東部ナンガルハール州ホギャニ地区の屋外小学校に通う女子生徒たち。(資料写真)
女性と少女の教育は、ムスリムが多数を占める約50カ国を含む200を超える国と地域で広く認められている。
しかし、アフガニスタンのイスラム強硬派カーブル政権は、2021年に政権復帰して以来、10代女子の就学を6学年までとした。この禁止措置は2022年12月に女子大学生にも拡大された。(訳注:2024年12月には女性の医学部通学、受験、進学を禁止した。)
アフガニスタン国内での数え切れないほどの抗議活動、国際社会からの圧力、ムスリムの学者や聖職者によるロビー活動も、原理主義的なカーブル指導者に学校再開を納得させることはできなかった。
この禁止令が、カーブルのイスラーム解釈が保守的なパシュトゥーン人の部族慣習や文化的慣習によるものなのか、それともカーブル幹部によるイスラーム解釈によるものなのか、専門家のあいだでも意見は分かれている。
カーブル指導者のほとんどはパシュトゥーン人のスンニ派ムスリム聖職者で、その多くは隣国パキスタンのデオバンド派のマドラサ(訳注:神学校)で教育を受けた。デオバンド主義は、19世紀のイギリス領インドで清教徒的なイスラム復興運動として生まれた。スンニ派ハナフィー法学派に基づき、アフガニスタンとパキスタンのイスラム教徒の間では顕著な流れとなっている。
部族の影響
ベテランのアフガニスタン人ジャーナリスト兼評論家のサミ・ユスフザイ氏は、カーブル政権による女性に対する規制はアフガニスタン東部と南部の社会慣習や文化的実践に関連していると主張する。
カーブル指導者のほとんどは、パキスタンと国境を接するこれらの地域のさまざまなパシュトゥーン人農村部部族コミュニティの出身だ。
カーブル政権が女子学生の大学進学を禁止した後、2022年12月21日にカーブル大学を去る女子学生たち。
「彼らは、女性の居場所は家の中か墓の中だと信じている」とユスフザイ氏は、これらのパシュトゥーン人地域の聖職者や宗教指導者の家族における女性の地位に影響されたカーブルの基本的な信念について語った。
「現在のカーブル政策立案者の家庭で暮らす女性たちは、教育を受けたことがなく、家から出たこともない」と、1994年後半にアフガニスタン南部カンダハール州で雑多な民兵組織として出現して以来、このイスラム主義グループを追跡してきたユスフザイ氏は言う。「これらの女性たちは、政府や非政府機関でいかなる仕事にも就いたことがない」
ユスフザイ氏は、カーブルのこうした世界観が形作る政策は、かかる考えを支持するイスラームの教えに傾倒することで後ろ盾を得ている、と語る。カーブルの指導者たちは、女性が家を出るのを思いとどまらせる預言者ムハンマドの言葉に頼っている、と同氏は言う。
「彼らの基本的な信念は、思春期の少女はいかなる状況でも家を出るべきではないということだ」と彼は語った。「そのため、教育や仕事のために家を出る女性は道徳的堕落に関わっているとみなされるのだ。」
人口約4000万人のムスリム国家アフガニスタンでは、活動家や人権擁護団体が、カーブルが女性の教育、仕事、移動の自由を否定し、公の場での女性の振る舞い方を決めることで「ジェンダー・アパルトヘイト」を実施していると非難している。
カーブルでの女子校再開を要求する抗議活動でスローガンを叫ぶアフガニスタンの女性たち(資料写真)
ムスリムのほとんどは、イスラームが女性の教育を許すと認めている。しかしカーブルは、完全な男女分離とその他の不特定の条件を確保した上でのみ、女子の教育を認めると公言している。
カーブル政権の成立後、アフガニスタンのほぼすべての中等学校は男女別学となり、大学も男女を厳しく分離した。
ユスフザイ氏は、世界中の保守的かつ伝統的なムスリム社会には、女性の教育、仕事、公的生活における役割を制限することに賛成する聖職者もいる、と語る。しかし、それらの国の政府は通常、そのような考えに反対するか、制限している。
最も保守的なスンニ派ムスリム国家のひとつであるサウジアラビアは近年、女性の自動車運転を許可し、男性保護者なしでの移動の自由を与えた。これらの措置は、ムハンマド・ビン・サルマン皇太子による改革と近代化の推進の一環である。
カーブルによる教育禁止は世界中のムスリムから一様に非難されている。
「カーブルによる女性の教育禁止は、イスラム法シャリーアに基づくものではなく、イスラームに反する文化的偏見を反映している」と、米国ムスリム公共問題評議会のサラム・アル・マラヤティ会長は語った。
同氏は、カーブルの慣習とは対照的に、「イスラームは知識を求めることの重要性を強調し、性別に関係なくすべての個人が教育を受けることを奨励している」と述べた。
歴史的紛争
しかしイスラームの学者や、女子校の再開についてカーブルの説得を続けている人々は、異なる説明をしている。
イスラム学者で元BBCアナウンサーであり、インドのダルル・ウルーム・デオバンドを卒業した唯一の西洋人であるジョン・モハメド・バット氏は、女子教育に関するカーブルの政策は部族的なものではなく、現代教育をめぐる1世紀に及ぶ紛争によって形成されたものだと主張する。
ターリバーンの占領前のアフガン西部の都市ヘラートで、プログラミングを学ぶ女子学生たち(資料写真)
「問題は、アフガニスタンにおける女子教育、いや、現代教育全般が、世俗主義の政策に沿ってアフガニスタンに導入されてきたことだ」と彼は語った。
1920年代、保守派聖職者と部族・地域社会の指導者の連合が、改革派のアマヌッラー・ハーン国王を廃位した。ハーンはトルコの指導者カマル・アタチュルクの世俗主義路線に沿ってアフガニスタンを近代化することを望み、近代教育と女性の権利を擁護した。
近代化と世俗主義に対するこの反対は続き、保守派聖職者たちは女性の教育と労働に反対した。これは、アフガニスタン王政を終わらせた1978年4月の軍事クーデター後、親ソ連のアフガニスタン共産党政府に対するイスラム主義者の反対運動の重要な部分となった。ムジャヒディーンは、共産主義者が女性の教育と権利拡大を推進することで不道徳を広めていると非難した。
「このことが、女子教育に関してアフガニスタンの保守層が持つ特段の警戒心に繋がっている」とバット氏は語った。
「深い思想的信念」
アフガニスタン・アメリカン大学の政治学講師オバイドゥラ・バヒール氏は昨年、カーブルと交渉し、この禁止令を撤回する取り組みに参加した。
しかし、この取り組みが失敗したのは、カーブルの現最高指導者、ハイバトゥラー・アフンザダ師にとって「この禁止措置は深い思想的信念の問題である」からだ。
バヒール氏は、カーブルの最も著名な指導者たちはパキスタンのマドラサで学んでおり、そのため村や部族の生活から切り離されていると語る。
「彼らはデオバンド派の思想に洗脳されており、今ではアフガニスタン国民に最も厳格なイスラームを強制している」と彼は語った。
同氏は、女子校の禁止はアフンザダ師が推進する意図的な政策だと主張している。バヒール氏によると、アフンザダ師はカーブル最高裁のアブドゥル・ハキム・ハッカーニ長官のアラビア語の著書『イスラム首長国とその体制』を支持しているという。ハッカーニ長官はこの本の中で、預言者ムハンマドの妻の一人、死ぬまで家にいることを選んだサウダ・ビント・ザマの選択を優先するというイスラームの反主流の見解を支持している。
バヒール氏は、ハッカーニ長官が社会の多くの分野で積極的な役割を果たし、男性の生徒や教師として働いた他の妻や他の女性仲間を無視していると言う。
「この反主流の意見はカーブル指導者全員が抱いているわけではないが、現在の絶対君主であるターリバーンの信者の長(訳注:ハイバトゥラー・アフンザダ師のこと)はそう確信しているようだ」と彼は語った。
先のバット氏によると、そのハッカーニ長官でさえ何らかの女性の行動目的の必要性は認め、ならば女性が知ってしかるべき何かはあるはずと考えている。
「女性への教育がアフガニスタン女性をより良いムスリムに育てるということを、カーブル当局がそう遠くない将来に理解してくれることを願っている」とバット氏は言う。「教育によって、彼女たちは自国の繁栄にもっと貢献できるようになるはずだ。」
この問題に取り組んでから2年が経ち、西側諸国の外交官たちはアフガニスタンの保守派や聖職者層に禁令を撤廃する方法を見つけるよう促しているようだ。
米国のアフガニスタン担当特別代表トム・ウェスト氏は最近、アフガニスタン女性が教育を受け、自国が自立できるよう経済に貢献しなければならないとツイートした。
「政策の変更が行われるとすれば、それはアフガニスタン国民がそれを求めたからであり、外国からの要請によるものではない」と彼は書いている。