Taliban and the Flames of Ethnic Conflicts
(WAJ: 5月3日にアフガニスタン北東部に位置するバダフシャーン州で、ターリバーン支配に住民が大衆行動によって公然と抗議する事件が発生した。そしてそのような抗議行動は最近アフガン各地で頻発するようになっている。その背景についてアフガニスタンの独立系ジャーナルであるハシュテ・スブは下記の論考を掲載した。ここで明らかにされているのは、ターリバーンの、パシュトゥーン族の利己的な部族利害の遂行に対して非パシュトゥーン族住民の不満が高まっている事実である。そしてそのような不満を背景に、アフガニスタンのイスラム国組織が暗躍している状況も明らかにされている。なお、バダフシャーン州における住民とターリバーンの対立は時系列を追う形でトピックス欄に掲載した。この記事と併せて参照していただきたい。)
ムハンマド・アリ・ナザリ/ハシュテ・スブ
2024年5月8日
ここ2〜3日の間に、アフガニスタンではターリバーン支配に関連した民族差別的事件が3件発生した。最初の事件はバダフシャーン州で起こった。同州ダライエム地区のターリバーン戦闘員は、ケシ畑の破壊を口実に、合法的な人々の農地を破壊し、さらに家々を襲撃し、女性を含む人々に強盗行為を働いた。この侵略と無礼に対して、ダライエムの人々はターリバーンに抗議し、ターリバーンはそれに対して人々に発砲した。銃弾は死傷者を出したが、抗議を鎮めることはできず、むしろ抗議を激化させた。これを鎮圧するため、ターリバーンは新たな部隊を派遣した。これらの抗議は2日目にバダフシャーンの他の2つの地区(ジュルムとアルゴ)に広がり、その範囲を広げた。これらの抗議はまだ収まっておらず、その強さを主張し続けている。ターリバーンは、これを紛争と呼んで対処しようと、首都からバダフシャーンに代表団を派遣したが、抗議者たちは彼らの行く手を阻んだ。この紛争の民族的な側面は、住民の家や女性を侵略し蹂躙している戦闘員の多くがパシュトゥーン人であり、住民のほとんどがタジク人とウズベク人であるという事実にある。そのため、抗議者たちは、これらの地区からパシュトゥーン出身のターリバーン戦闘員を追放することを要求している。
2つ目の紛争は、マイダン・ワルダク州ベフスード地区で発生した。この地区では、武装したクチ族(訳注:パシュトゥーン系の遊牧民でアフガニスタンとパキスタンの高地に分布)が例年通り、村や人々の農場を襲撃し、彼らを威嚇し、農地をこれ以上使うなと警告した。さらに、20年間の土地使用に対する補償金の支払いを要求している。主にハザラ人が居住する地域におけるクチ族と定住住民の対立は、長年にわたるものである。この対立は、アブドゥル・ラーマン・ハーン(Abdul Rahman Khan/訳注:在位1880年~1901年)が着手し、アマヌッラー・ハーン(Amanullah Khan/訳注:アブドゥル・ラーマン・ハーンの孫でその治世は1919年~1929年)によって継続された土地政策にまでさかのぼる。アマヌッラー・ハーンは、この国で初めて土地政策を制度化し、「カタガン州(訳注:かつてあった広大な北部州で1963年にクンドゥズ、タハール、バグラーンの3州に分裂した)への移牧条例」を発出してそれを推し進めた(訳注:アブドゥル・ラーマン・ハーンによってクチ族に与えられたハザラの地を再びハザラの所有に戻したものの放牧権は法的に保障した)。これら2人の王の命令によって、クチ族はアフガン中央部のハザラ人居住地域および一部はアフガン北部の地域に家畜群を移動させ、放牧させることになった。こうした放牧地は彼らの所有地同然の扱いを受けた。しかし共和制時代にターリバーンの武闘集団として活躍したクチ族は、今や武器を持って人々を襲い、家に火を放ち、農場を破壊するなど、傍若無人に振る舞っている。現在、彼らは放牧権を主張するだけでなく、人々の家や農場を自分たちの所有物とみなしている。またターリバーンから国ぐるみの支援を受けており、武器を持ち、人々に対して武力を行使することができる。共和制時代も同じような状況であったが、現在は非パシュトゥーン人、特にハザラ人の権力基盤が弱いため、クチ族はより悪い状況を人々に押し付けている。その結果、クチ族との民族的親和性が比較的低い現地の人々が攻撃を受けている。したがって、この紛争は実質的に民族的な様相を呈している。
<参考記事>
https://www.khaama.com/the-kuchi-hazara-land-dispute-conflict-9870/
バグラーン州では、パシュトゥーン系のターリバーン戦闘員が地元の女性を暴行したことで第3の紛争が勃発し、世論の反発を招いた。パシュトゥーン系以外のターリバーン構成員は住民を支援するために立ち上がった。その地区のターリバーン治安司令官はパシュトゥーン人であったため、部隊を展開し、非パシュトゥーン系戦闘員を逮捕、投獄し、ひどい屈辱を与えた。ターリバーン治安司令官のこの行動は、民族的動機によるものと大きく解釈され、非パシュトゥーン系ターリバーン構成員の反感を買った。
ターリバーンは、パシュトゥーン人が大半を占め、民族的・宗教的アイデンティティを介して結びついている。他宗教の信者を弾圧するだけでなく、パシュトゥーン以外の民族を嘲笑することもしばしばで、民族的な線引きによって人々を深く分断してきた。ターリバーンの戦闘員や司令官による女性への攻撃は、メディアで報道されているように、非パシュトゥーン系女性が主な標的である。したがって、ターリバーンは女性への攻撃を、非パシュトゥーン人を威嚇し、貶めるための道具として利用しており、本質的には、こうした凶悪な行為によって彼女たちを罰しているのである。したがって、これらの紛争を解決するために代表団を派遣しても、永続的な解決は得られないかもしれない。ターリバーンは民族的・宗教的な政策を躊躇せず推し進めており、将来的にさらなる紛争を煽ることになるだろう。
一方、国内各地でハザラ人やシーア派が攻撃されているのも、ターリバーンと無関係ではない。最近、ヘラートでシーア派の礼拝者が襲撃された後、アフガニスタン国家安全保障局(NDS)のラフマトゥラ・ナビル(Rahmatullah Nabil)元局長は、「ターリバーンの上級司令官がこれらの襲撃に関与している」と告発した。アナリストたちは以前、ターリバーンがISISをてことして利用し、アフガニスタン国民に圧力をかけていると指摘した。そのため自ら仕掛けた国民への攻撃をISISに帰することもあると。ISISがこれらの攻撃の犯行声明を発しているのは、彼らもこのような攻撃から利益を得ているからかもしれない。