(2026年2月24日)
中国人民解放軍トップの粛清
~強化かそれとも弱体化か~
発端と現状
先月、中国は、中央軍事委員会(CMC)副主席兼政治局委員の張又侠(軍制服組トップ)と同軍事委員会委員の劉振立(CMC聯合作戦部トップ)を粛清した。これにより、7人で構成される中央軍事委員会は、主席である習近平と張升民(上将)の2人だけとなった。7人のうち5人がすべて粛清(失脚)によって座を追われるという異常である。
党と国家と軍の最高指導者である習近平は2012年の党総書記就任以来、反腐敗キャンペーンをつづけ、権力の座を固めてきた。今回の張又侠副主席らの排除には、世界が驚き、さまざまな考察がなされ論考が交わされている。なかには憶測や偽情報なども紛れ込み、何が真実なのか暗中模索、真実は霧の中、という状況である。
まず前提として、中国共産党・人民解放軍内部の権力闘争や粛清の「真実」を、外部から完全に把握することは不可能である。公式情報は極めて限定的で、詳細は機密扱いだからだ。
マスメディアは、今回の粛清劇と「台湾有事」とをつなげたがる。格好の話題作りになるからだ。今回の事件で有事の時期は近付くのかそれとも遠のくのか、あれこれの「予測」を「識者」に語らせて視聴率や購読者数を稼いでいる。粛清が軍を強化するとみるのか、弱体化するとみるのかで、結論は正反対になりうる。
「張又侠らの粛清」をどう解釈すべきか、バランスの取れた視点に立つ必要がある。
飛び交う玉石混交の情報
今回の粛清は、直近では2023年以降続いてきたロケット軍幹部・前防衛相李尚福らの更迭を含む一連の軍粛清の延長線上に位置づけられる。ここまでの公式ストーリーは一貫して「反腐敗・規律違反の取り締まり」だった。
しかし、今回は腐敗容疑に加えて「習主席の軍事委員会主席責任制を損なった」「党の軍への絶対指導を弱めた」など政治的非難も強調されており、単なる汚職摘発以上の意味を持つと多くのアナリストが指摘している。
これまでの公開情報と主要論評を組み合わせると、張又侠らの粛清は、単純な「反腐敗」でも、単純な「クーデター未遂」でもなく、ましては習近平側からの逆クーデターでもなく、 複合的な動機と背景があると見るのが、現実的かつ慎重な理解だと思われる。
事件の複合的な動機と背景
1.腐敗(特に装備・ロケット軍など)への本気の危機感
・腐敗は中国軍に恒常的に存在し、装備の信頼性や戦闘準備態勢を損なっていた可能性が高い。
・ウクライナ戦争でのロシア軍の失敗を見て、習が「我が軍も同じ穴のムジナではないか」と強く疑った。(lowinstitute.org)
2.軍エリート・紅二代ネットワークの解体と、習個人への権力集中
・なぜ今、なぜここまで徹底的なのかを説明するには、「権力集中」の要素を無視できない。
・張又侠は習にとって「長年の盟友」かつ「兄貴分」であり、そうした人物さえ排除したことは、「党=習に絶対的に従わぬ者は誰であれ切る」というメッセージと考えるのが自然。(wsj.com)
3. 台湾・対米・対露を見据えた“戦時体制づくり”
・軍トップを一斉に入れ替えるのは短期的にはリスクだが、長期的には「忠誠で固めた戦時指導部」を作る布石とも読みうる。
・同時に、軍内部の混乱や恐怖心が、当面の台湾侵攻リスクを下げているという見方も成り立つ。(foreignpolicy.com)
4.情報の非対称性:外部からは“確定的結論”は出せない
・核兵器機密漏洩など、より過激な疑惑も報じられているが、現状では信頼できる一次ソースは限られ、諜報・プロパガンダの領域に近い。(lemonde.fr)
真実に近づくには、センセーショナルな陰謀論ではなく、
①公式声明(規律・腐敗・主席責任制)
②軍制・エリート政治の構造的分析
に基づく論考を重視すべきだ。
参考になる論評
日本人の手になる論考では、門間 理良(拓殖大学海外事情研究所教授)氏のつぎの論考が参考になる。
・そして誰もいなくなった 習近平による解放軍最高幹部排除が意味するもの
この論考では、解放軍高官の相次ぐ摘発の意味と中台関係や解放軍への影響が、2024年12月23日から2026年1月31日までのほぼ1年間を分析の範囲に設定して、考察されている。
門間氏はこの論考で、粛清の理由として①権力闘争説 ②汚職取締り説 ③軍事委員会主席責任制の貫徹の3つにわたって検討する。そして
①権力闘争説は「習vs張派」など様々だが、実際には党と軍は完全に習の支配下にあり、習に挑める勢力は存在しない点を指摘する。
②汚職説についても、張が装備部門を率いていた以上汚職はあり得るが、それを承知で長年重用してきた以上、今回の失脚は汚職を上回る「習の逆鱗に触れる行動」があったとみる。また
③主席責任制については、『解放軍報』が張らを「主席責任制を踏みにじった」と批判していることから、台湾作戦を巡る指示への消極姿勢や、張の影響力拡大への警戒が背景にあった可能性を示すが、核機密漏洩説や「密書」などセンセーショナルな情報は信憑性が低いとして退ける。
そして筆者は今回の排除を「党=習による解放軍支配を徹底するための措置」と結論づける。同時に、2015〜16年の大規模軍改革を経ても、命令違反や汚職が続くことは、解放軍の完全掌握がなお困難である現実を示したと評価する。さらに、経験豊富な上将が一気にいなくなったことで、短期的には解放軍の指揮能力・戦闘力が低下し、台湾侵攻は数年単位で後ろ倒しになり得る一方、長期的には汚職に依存しない実力主義昇進が進めば、かえって解放軍が強化され、日本の安全保障リスクも高まる可能性があると警告して締めくくっている。
この論説では外部から確認できる客観データにもとづく考察がなされ、おおむね賛同しうる内容となっている。ただ、ここでは、「台湾進攻」「台湾有事」については深掘りされておらず、一般的な認識で論が構築されている。だが、本来は、「台湾武力侵攻」と「台湾有事」の前提そのものを疑義とする、あるいはそのような事態を出来させないための議論こそが求められるのではないだろうか。
【野口壽一】
==<付記>===================
海外の論評としては次のようなものがある。
有力な論評①:対軍支配の徹底・個人独裁化(Institut Montaigne, Foreign Affairs など)
1.Institut Montaigne(仏シンクタンク)「The Purge of Zhang Youxia」
ー張又侠・劉振立の粛清により、2022年に選出された中央軍事委員会7人のうち、習近平と「規律・反腐敗」を担当してきた張昇民を除く5人が粛清対象となり、事実上、軍トップは「習+監察担当1名」という構図になった。
ー表向きは「腐敗一掃」だが、実際には「軍のあらゆる派閥・長老ネットワークを潰し、党=習の個人支配を極端なレベルまで徹底した」と読める、と分析。
ー文化大革命初期の林彪失脚期以来、軍トップ層がここまで一掃された例はなく、軍委が「ブラックボックス化」している点を指摘。
2. Foreign Affairs「The Unsettling Implications of Xi’s Military Purge」
ー論文は、習近平が事実上「最高指揮部を丸ごと入れ替えた」と評し、軍内部の恐怖統治・相互不信が進むと指摘。
ー腐敗は現実問題として深刻だが、「誰をいつ処罰するか」は政治的に選別されており、最終的に習が自分以外の権力センターを根絶するプロセスとして機能している、と論じる。
→ この系統の見方の「核」
ー腐敗摘発は本当だが、それ以上に
①軍の派閥と「紅二代」のネットワーク(張又侠は紅二代の代表)を壊すこと
②軍を完全に「習の私兵」に近い形に作り替えること
に主眼がある、という解釈。
有力な論評②:腐敗と軍事能力への危機感(Breaking Defense, Lowy Institute, ABCなど)
「腐敗=戦闘力低下」への本気の危機感
• Breaking Defense「Why Xi Jinping has been purging China’s military」 は、
ーロケット軍・装備調達部門での賄賂や人事買収、装備の品質不良などが ミサイル戦力の信頼性や台湾有事シナリオに直結するリスク になっていたと指摘。
ー張又侠はかつて装備発展部門を統括しており、「彼自身が不正ネットワークの頂点または庇護者となっていた可能性」を論じる。
• Lowy Institute「Xi’s military purges will make him wary of invading Taiwan」 は、
ー粛清によって 軍の実戦能力と意思決定の信頼性に深刻な疑念が生じ、むしろ習は台湾侵攻のリスクを慎重に再評価せざるを得なくなっている、と分析。
→ この系統の見方の「核」
• 粛清は権力闘争であると同時に、
①軍の腐敗が「弾が飛ばない」「装備が嘘だらけ」レベルまで深刻だった
②習自身が、ウクライナ戦争やロシア軍の失敗例を見て「腐敗軍は戦えない」と強く恐れている
という、軍事的合理性も大きい――という説明です。
有力な論評③:対外関係・ロシア・台湾への影響(RFE/RL, Foreign Policy など)
ロシアとの軍事関係への打撃
• **RFE/RL「What Xi’s Purge of a Top General Means for China and Its Allies」**は、
ー張又侠はロシアとの軍事協力で中心的役割を担っており、彼の失脚は 中露軍事関係にも波紋 を及ぼすと指摘。
ー一方で、ロシア側も粛清の理由や範囲を把握しきれておらず、相互不信の要因になりうると見る。
台湾有事計画と指揮系統の混乱
• **Foreign Policy「What to Know About China’s Latest Military Purge」**は、
ー軍の上層部が相次ぎ交代することで、台湾有事の作戦計画・指揮系統が少なくとも短期的には混乱 すると分析。
ーただし長期的には、習に完全に忠実な「新世代指揮官」で固めることで、むしろ台湾侵攻への心理的ハードルが下がる可能性もある、と両面を指摘。
有力な論評④:「赤い貴族の終焉」としての意味(RUSI など)
ー英RUSIの論考 「Cheka with Chinese characteristics: purges inside China’s Red Army」 は、
張又侠の粛清を、「紅二代」と呼ばれる革命元老の子弟たちの支配が終わり、血統よりも習への個人的忠誠だけが生き残る時代への転換点 と位置づける。
レーニン期のチェーカー(秘密警察)との比較を通じ、
形式上は法や規律に基づく処罰だが、実態としては「党=最高指導者の意向を絶対視する、超法規的な恐怖装置」である、と論じる。
→ ここでは、「習とほぼ同世代で、家柄・戦歴も申し分ない張又侠ですら守られなかった」という事実が、中国エリート層全体に『誰も安全ではない』というメッセージを与えていると解釈されている。
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