The Economic Crisis in Afghanistan Two Years After the Fall: A Dual Victory and Defeat of the “Islamic Emirate”
ファテー・サミ (Fateh Sami)
2023年9月17日 (17 September 2023)
(WAJ:本稿はターリバーンが2021年8月15日にカーブルを占拠してから2年1カ月を経た時点での、アフガニスタン経済の状況を明らかにし、ターリバーンのアフガニスタン占拠の意味を問うものである。形の上では外国軍の駐留がなくなったアフガニスタン。本来はターリバーン勢力をふくむアフガニスタンの全勢力が力を合わせ、あるいは角突き合わせながら新アフガニスタンの建設にいそしむべきであったが、ターリバーンがアメリカとの密約によりアフガニスタンを乗っ取り、以後、武力により単独支配の道を突き進んでいる。海外に拠点をおく亡命ジャーナリストのひとりであるサミ氏は、国内外にいる同志と連携をとりつつ新生アフガニスタンの道を探っている。そのためには米英支配の20年の総括を避けて通ることはできないだろう。同氏はその作業に取り組むと、本原稿で宣言している。成果に期待したい。なおサミ氏がこの間、本サイトに執筆した論説のすべては「ファテー・サミ執筆記事一覧」で読むことができる。通読すれば氏の鋭く的確な慧眼ぶりに驚くことだろう。)
比類ないレベルの経済悪化
アフガニスタンの政治体制は2021年8月15日に崩壊し、国に深刻な経済危機を引き起こした。この危機は、それまでアフガニスタンの予算の約75%を占めていた国際援助のかなりの部分が突然打ち切られたことによって引き起こされた。援助の即時停止により、2021年の国内総生産(GDP)は20.7%激減し、その結果、雇用が広範囲に失われ、経済的苦難が大幅に増加した。さらに、アフガニスタンの約70億ドルの資金が外国の銀行で凍結され、多くの銀行が顧客の要求に応えることができなくなった。その結果、雇用と国際支援の喪失により貧困が急増し、アフガニスタンの危機は事実上、政治的なものから経済的な大惨事へと変貌した。
過去2年間、アフガニスタンは、貧困、失業、経済悪化の比類ないレベルに直面し、人道的状況は、多くの国際救援団体の主要な懸念事項となっている。8月、英国イスラーム救援機構(訳注:英国バーミンガムに本部を置くNGOで、イスラーム世界における緊急支援とその社会発展を目指す慈善団体)は、経済崩壊の直接的な結果として、アフガニスタンの数百万世帯の食料貧困率が40%に達したという悲惨な結果を報告した。衝撃的なことに、ある統計によれば人口のおよそ4分の3に当たる2900万人以上の人々が人道支援を必要としている。アフガニスタンは、脆弱な経済、失われつつある生計手段、干ばつ、気候変動によって悪化した深刻な貧困と闘っており、これらすべてが人道支援の必要性を高めている。
アフガニスタンの状況は極めて不穏
2023年4月の国連開発計画(UNDP)の発表によると、ターリバーンの復権以来アフガニスタンでは経済生産が落ち込み、20.7%もの減少となった。不穏なことに、人口の85%が貧困ライン以下で生活しており、驚異的な95%が食糧不安に直面する危険にさらされている事実が明らかになった。さらに憂慮すべきことに、ユニセフの報告によると、アフガニスタンの子どもたち約1600万人が、基本的な食糧や医療を受けられないでいる。この経済危機は、強制的な児童婚、経済的・性的搾取、子どもの人身売買、児童労働、密輸、危険な移動など、悲惨な結果を生んでいる。ターリバーンがドーハの陰謀で政権を奪取してから2年、アフガニスタンの悲惨な社会経済状況にもかかわらず、国際的な関心はアフガニスタン国民の苦境から遠ざかっている。
<参考記事>
皮肉なことに、ターリバーンによる抑圧的な政策は、経済的困難をさらに悪化させている。2023年2月、国連特任レポーター、リチャード・ベントは、アフガニスタンの人権状況を評価する中で、恐怖と抑圧的な手段を特徴とするターリバーンの統治に注目し、特に女性の苦境に焦点を当てた。彼は、カーブル陥落とアフガニスタン占領後の2年間、ターリバーンがその権力を強固にし、そのイデオロギーを押し付けてきたことを強調している。
<参考サイト>
https://www.ohchr.org/en/stories/2023/07/experts-taliban-treatment-women-may-be-gender-apartheid
しかし、パキスタンのISI(軍統合情報局)のような特定の親ターリバーン組織は、ターリバーンの経済的不始末に目をつぶり、現在進行中の貧困増大のリスクについて際立って沈黙を守っている。アフガニスタン経済は現在、微妙なバランスの中にあり、人口のかなりの部分が貧困と飢餓に苦しみ、人道援助に依存している。さらに、新たな問題が出てきて、さらなる経済衰退への明白な脅威となっている。つまり、ターリバーン政権奪取後の数カ月間、懸念されていた急激な経済崩壊の危機は、現在もいくつかの要因によって克服されずに持続している。その新たな問題とは、援助の大幅なカット、経済規模の緩慢な縮小、不必要な規制の有無を言わさぬ強行、農民への増税、今年の秋の作付けシーズンにおける麻薬栽培への依存などである。また、ターリバーンのジェンダー規制が強化されるのか、据え置かれるのか、緩和されるのかも注目される。
結論として、ターリバーンによる政権奪取後のアフガニスタンの状況は極めて不穏であり、国際社会の早急な対応が必要である。われわれは、上記の理由から、現在のごとき危ない成り行きには強く反対する。
アフガンに影を落とすアメリカと中国の「一帯一路」
こうして、アフガニスタンは複雑な権力闘争の網の目にはまり、多大な損害に苦しみ、45年以上にわたって、人的被害の矢面に立たされてきたのだが、この複雑な戦略的・経済的悪巧みの裏にはいつも米国がいた。ターリバーンの抑圧は女性や少女に対する過酷な扱いだけでなく、さまざまな民族に及び、精神的・肉体的に作用し、深い苦難と苦痛をもたらす。例を挙げると、ターリバーンは、アフガニスタンの旧共和国政府内で軍民問わずかつて活躍した個人を、組織的に攻撃する。また若者も然り。特に、北部地域、特にタジク民族に属する数百人の若者も、この仕打ちからは逃れられない。彼らの多くはパンジシール州の出身者だ。これらの人々はターリバーンの刑務所に不当に収監され、非人道的な拷問や長期投獄に耐えている。
膨大な資源と未開発の潜在力を持つアフガニスタンは、世界の主要国にとって常に標的であり、さまざまな形でアフガニスタン問題への侵略と介入を引き起こしてきた。21世紀の幕開けに起こった世界的に重要な出来事のひとつが、2001年9月11日の悲劇的な事件である。この事件は、アメリカの経済的、政治的、軍事的中枢を狙った大規模な攻撃であった。
2001年9月の出来事が契機となり、米国をはじめとする54カ国以上の国々がアフガニスタン介入のために連合を組むことになった。米国のような超大国は、同盟国とともに、これを現代における世界の権力と富の領域における強力な足場を確保する機会とみなした。
2013年以来、中国の指導部は「一帯一路構想(BRI)」を “世紀のプロジェクト “と謳い、世界の舞台に大きなインパクトを与えてきた。150カ国以上がBRIに参加し、何百もの協定が結ばれている。
この構想は、2013年9月と10月にカザフスタンとインドネシアを訪問した中国共産党の習近平総書記によって発表された。その後、中国の李克強首相がアジアとヨーロッパを歴訪した際に推進した。
新シルクロードとも呼ばれる中国の「一帯一路構想(BRI)」は、これまでに構想された中で最も野心的なインフラ・プロジェクトのひとつだ。習近平国家主席によって2013年に開始されたこの膨大な開発・投資イニシアチブは、当初、物理的なインフラを通じて東アジアとヨーロッパを結ぶことを目的としていた。過去10年間で、このプロジェクトはアフリカ、オセアニア、ラテンアメリカにまで拡大し、中国の経済的・政治的影響力を大幅に拡大した。
一部のアナリストはBRIを中国の成長するパワーの不安な拡張と受け止めており、多くのプロジェクトのコスト上昇が一部の国で反対を集めているが、米国はBRIが中国主導の地域開発と軍事拡張のためのトロイの木馬として機能しかねないという一部のアジア諸国の懸念を共有している。ジョー・バイデン大統領は、先輩たちの北京の行動に対する懐疑的な姿勢を踏襲しているが、当のワシントンはさらに魅力的な経済ビジョンを、BRIに参加する国々に提示することに血道を上げている。
かつて、中国の「新シルクロード」構想のもとに重要な国際会議が開かれ、世界の数10カ国の代表と指導者が北京で一堂に会した(訳注:2017年5月第1回フォーラムには29カ国、2019年4月には36カ国が参加、第3回は今年10月に開かれる)。欧州の首脳の出席はやや控えめだったが、ロシアのプーチン大統領やトルコのエルドアン大統領などの出席が目立った。中国の包括的な目標は、この構想のもと、アジア、ヨーロッパ、アフリカを結ぶ古代の貿易ルートを再び復活させることだった。中国の習近平国家主席は、この会合で次のように述べた。「国家間の相互依存と世界的な脅威が持続するこの時代において、どの国も単独でこれらの世界的な課題に取り組む能力と度量を有していない。遺憾なことに、この中継ルートの接続性と自国の利益への潜在的な影響に関する西側の懸念が、アフガニスタン北部、現代のイラン、そしてシルクロード沿いの他の国々における不安定化の一因となっている」。
<参考記事>
http://tl.china-embassy.gov.cn/eng/xwdt/201905/t20190507_1140865.htm
「アフガニスタンの20年」を記録する作業に着手
「アフガニスタン」というキーワードで検索をかけると、悲惨な軍事的事件が氾濫している。国連が発表した報告書によれば、2021年のアフガニスタンは世界各国の中で最下位であり、厳しい現実を物語っている。そこで疑問が生じる。 近年、どのような一連の行動がアフガニスタンの現在の苦境を招いたのか? この問いに対する答えは、アフガニスタンの波乱に満ちた旅路の始まりとなった20年前の出来事を再考することにあるのかもしれない。2001年9月、ジョージ・ブッシュ大統領は、それまでの数年間における深く憂慮すべき状況(脚注:ターリバーン政府がアル=カーイダを匿い、テロ活動を助長した)を打開する新たな視点を見つけ出した。
その運命の日、ペンタゴンで午前9時、ペンシルベニアで午前10時3分、旅客機による4件の自爆攻撃が発生し、爆発と墜落が起こった。ブッシュ大統領は犯人の身元を明確に主張した。「われわれが綿密にまとめた証拠はすべて、オサマ・ビン・ラーディンの指導の下、アル=カーイダと総称されるテロ組織の集合体を指し示している」、と。
2001年9月11日の作戦を調査する委員会の委員長を務めたフロリダ州のボブ・グラハム元上院議員は、その後包括的な報告書を発表した。この報告書では、このテロ作戦について、その翌年までの経過を説明している。
<参考サイト>
https://www.intelligence.senate.gov/sites/default/files/documents/CRPT-107srpt351-5.pdf
パキスタンがさまざまなテロ組織の避難所となっていることはよく知られている。これらのグループはアラブ諸国から資金援助を受けており、アメリカとその緊密な同盟国によって監督されている。残念なことに、大国が仕組んだこの残酷なゲームの矢面に立たされているのはアフガニスタンの人々である。このような不公正は世界情勢に暗い影を落とし、グローバル・ダイナミクスの複雑さと結果を浮き彫りにしている。
このような複雑なグローバル・ダイナミクスを踏まえ、私は「アフガニスタンの20年」を記録することに着手した。これは、アフガニスタンへの介入の歴史、特に2001年9月11日以降を網羅する広範な年代記である。この試みは、歴史と政治に強い関心を持つ人々を対象としている。「アフガニスタンの20年」は、目立たない出来事が多いアフガニスタンの平和と混乱の複雑さを明らかにするための主要な資料となるだろう。
アフガニスタンでは、世界のどこにでもあるような生活が展開され、出来事が手綱を握り、存在の流れを操り、時には突然それを止めてしまう。このような出来事は、しばしば個人の力ではどうすることもできないが、外部に端を発し、アフガニスタンの国土に浸透しているのだ。
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