(2023年11月5日)
歴史の呪いと苦痛の海
~呪縛からの脱出は世界の課題~
10月7日、ハマースがイスラエルへ一見無謀な暴発的攻撃を仕掛け、報復というにはあまりにも非人道的でジェノサイド的な爆撃をイスラエルがつづけるなか、10月27日に、土井敏邦監督のドキュメンタリー映画『愛国の告白-沈黙を破る・Part2-』を観た。
「裏切者」「非国民」とののしられても
映画のキャッチは『兵士か、人間か。「裏切者」とののしられても伝えたいもうひとつの“真実”』。徴兵制下のイスラエル国民として兵役に従事し、パレスチナ人との直接の対決をしてきた元兵士らが、自らの行為を問い直し「沈黙を破って」発言し、行動する、その映像記録である。(映画の公式サイトはここをクリック)
元イスラエル兵たちは、「沈黙を破る」という名称のNGOを2004年に結成し、いまも活動している。土井監督はその活動を、ふたつのドキュメンタリー映画として発表している。(Part1のタイトルは『沈黙を破る』(映画情報はここをクリック)
いわゆる西側諸国とマスメディアは、ハマースを残虐なテロ組織として描き糾弾する。イスラエルの空爆については「ハマースのテロ攻撃や民間人拉致も悪いが」とのマクラ言葉をつけ、せいぜい「やりすぎ」と批判するのがせきのやまだ。
しかし、イスラエルの内部、しかも兵役経験者が20年も前からイスラエルの占領と入植の非人道性を告白してきている事実はほとんど報道されない。
本質はイスラエルの侵略と土地・財産の略奪
イスラエルとパレスチナの対立、すなわちパレスチナ問題の本質は、イスラエルによるパレスチナへの侵略であり、パレスチナ人の土地・財産を奪う植民政策を実施する占領政策であることは前号の<視点:080>で明らかにした。さらにそれを歴史的な背景を踏まえてより詳しく、丁寧に解説した動画「ガザ・イスラエル衝突-マスメディアが語らない本質」を掲載した。これは、パレスチナ問題の第一人者・岡真理先生の緊急学習会「ガザとはなにか」で、これを視聴すれば、イスラエル・パレスチナ問題の本質と歴史が、マスメディアの報道に惑わされず、よく深く理解することができる。
さらに、イスラエル・パレスチナ紛争が宗教紛争であるとする論評が幅をきかせているが、それがいかに浅はかで、対立をあおるものでしかないかを、イスラームの国であり、かつイスラム過激主義の抑圧に苦しんでいるアフガニスタンの独立系ジャーナル=ハシュテ・スブの主張「イスラエル・パレスチナ紛争における宗教と政治の絡み合い」を紹介した。
問題の本質は、イスラエルの占領であり、侵略であり、先住民の土地と財産の略奪であり、それを武力によって守ろうとする暴力行為であり、ジェノサイドなのだ。
本当の愛国とは?
「沈黙を破る」の元兵士たちは、何も知らずにその犯罪行為の前線に立たされ、パレスチナ人を支配する中で矛盾に目覚めていく。18、19歳の青年が自分の父や祖父や母のようなパレスチナ人たちに「優位」な人間として銃口を向けて命令する。そうするうちに自分たちの精神が狂い、社会をも狂わせていく現実を知る。知っても黙っていれば除隊後もイスラエル国民として生きていくことはできる。しかし彼らはそれができなかった。自分一人だけの問題ではなく、除隊後も彼らを支配するイスラエルのシステム=占領と植民の国、という現実から逃れることができないからだ。
イスラエルの政府と市民は、イスラエルの矛盾を告白・告発する彼らに対して「裏切者」「非国民」と呼び攻撃した。しかし彼らは自分たちの行動は真の「愛国」であるとの自信をもっている。
糾弾され否定されるべきは侵略と占領のシステム
映画はそのような彼らの切々たる生の言葉を生き生きと伝えてくれる。どの言葉も切実かつ真摯で、われわれの胸にささってくる。果たして、自分が彼らと同じ様な境遇に置かれた場合、同じような行動がとれるだろうか。80年以上前、日本の国民は「非国民」の指弾のまえに口を閉じ、沈黙を守ったのだ。
この映画の感動を言葉で伝えるのは難しい。映画を観ていただくほかはない。これから再び全国で上映される機会が増えると思われる。ぜひ観ていただきたい。
この紛争が宗教を理由としたものでないことをNGO「沈黙を破る」のアブネル・ゲバルヤフ代表は分かりやすい例として、つぎのように語っている。
「もし15~20人の仏教僧をヘブロンへ連れていき、『あなたたちの任務はヘブロンの現状を維持することだ』と言ったら、おそらく彼らはイスラエル兵と同じ行動をとるはずです。なぜなら根本的な問題は教育やイスラエルの文化にあるのではなく、“他の人々を支配し続ける”という考えにあるからです。他の国が同じく軍事占領を維持すれば残虐にふるまうしさらに残虐かも知れない。」
つまり、いま、イスラエルを支配しているのは占領というシステムなのだから。
最後に、印象に残ったもうひとつの動画を紹介して今号の<視点>を終える。
「苦痛の海」に溺れることなく
『サピエンス全史』で一世を風靡したイスラエルの歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリ氏のANNとのインタビューだ。題して「イスラエル人としての立場から「痛みの海」のただなかからイスラエルとパレスチナの共生を模索する苦痛に満ちた歴史学者の苦悩」
ハラリ氏も多くのイスラエル国民と同じく、ホロコーストで殺害された家族や親族をもっている。当然受難の民としてのユダヤ人の歴史を誰よりも知るひとりであろう。だから、インタビューにおける彼の発言は、被害者としてのユダヤ人の認識がまさっている。しかし、歴史学者であれば、1948年のイスラエル建国にいたる諸矛盾や、まったくのとばっちりを受け存在すら否定され続けてきたパレスチナ人の現代史を当然にも認識している。
イスラエル国民としての自分にとって現状は、「苦痛の海」の中で悶えているようなものだとしてつぎのように発言している。
「(今われわれは)過去の誤りを癒すのでなく過去を相手を傷つけるための大義名分に利用し、さらなる傷を与えることを正当化している。」
「これは『歴史の呪い』だ。」
「被害者加害者の二者択一で考えがちだが、歴史的には被害民族(国家)が同時に加害民族(国家)である場合がほとんど。どちらかが『絶対的な正義』でもう片方が『絶対悪』だと思い込まないようにすべきだ。」
「『絶対的な正義』を求める立場は必然的に争いへ導かれてしまう。なぜならそこには『妥協』が存在できないからだ。」
「2国家建設と平和的共存が解決策であるが、当事者であるイスラエルとパレスチナだけでは解決できないだろう」
「ネタニヤフ政権はパレスチナと真の平和を築く努力を怠って侵略や人種差別的政策をおこなってきた。」
パレスチナ人にとって、歴史上のユダヤ人差別の後始末をさせられるイスラエルの建国はまったくのとばっちり以外のなにものでもない。そのような歴史的な真実を踏まえて発言することは、勇気ある「沈黙を破る」のメンバーにとっても国内での発言は難しくなってきている。ハラリ氏としてもこのインタビューは精いっぱいのところなのかもしれない。
ハラリ氏は最後に次の発言でインタビューを締めくくっている。
「第三者の協力がほしいが、結論を急がないようにしてほしい」
「頭に浮かんだことをすぐ口にすることをやめてほしい。頭と口の間に壁を設けてよく考えてから発言してほしい。」
イスラエル・パレスチナだけでなく、激烈な紛争地の外の安全な「西側世界」にいて、さもしたり顔に「絶対的正義」を振り回すコメンテーターはハラリ氏のこの言葉を胸に手をあててまじめに聞いてほしい。
【野口壽一】