(2023年12月15日)

 アフガンの現実と日本の現実 

~母親が学ぶ間に子も学ぶ~

 

想定外の人気、待たれていた開校 

先月4日に開校した「イーグル・アフガン明徳カレッジ」が今日(12月15日)で6回目の講習を行う。

このカレッジは、在日アフガン女性の日本語習得と祖国アフガニスタンの基礎知識(歴史・伝統・国語)の獲得を支援する目的で「NPO法人 イーグル・アフガン復興協会」が「学校法人 千葉明徳学園」の協力により同学園内に開設した。

数カ月の開校準備の後、当初は8人、最大でも20人の予定でスタートしたのだが、わずか1カ月の告知で、開校の日にすでに20人超。受付けストップをアナウンスしても4回の講習のたびに10代から50代までの受講希望者が押し寄せた。断り切れずに60名を超える受講者を抱える想定外の人気。併せて、受講者が連れて来る子供や赤ちゃんも30名を超える回が出るほど。在日アフガン女性の学習によせる熱意をもろに浴びた1カ月半だった。

これを支えたのは献身的に講義を担当してくれたボランティアの女性日本語教師や事務支援の女性たち。講師とスタッフが女性である点が、家族特に夫が妻や娘を学校に送り出す安心材料となった。さらには、子供を連れて登校できるよう、子守り部隊を充実させたことも大きかった。

もちろん、カレッジの教室として利用させていただいた校舎は千葉明徳学園の短期大学部。「保育者を目指す方を生涯にわたってサポートする」という同学園に開設したカレッジは、教室だけでなく室内遊戯室、ピアノや打楽器などが揃うリズム室まである。しかも隣にはサッカー場がつくれるほど広い芝生の園庭をもつ短大付属幼稚園森の園舎まであり、利用させていただいた。これ以上の充実した教育インフラは望めないほどの贅沢な出発だった。

開校の構想段階からかかわった『ウエッブ・アフガン』は支援団体の位置づけだが、編集部の野口も金子もイーグル・アフガンのスタッフとしてかかわった。この機会に、このような素晴らしい事業のスタートを可能としてくれたすべての人びとに衷心からの感謝の気持ちを表明します。

この間の経緯は下記の記事でも確認可能。ぜひご覧いただきたい。

●「イーグル・アフガン明徳カレッジ」開校!
イーグル・アフガン明徳カレッジ、授業風景を朝日新聞が報道
<視点:082>アフガン女性のための日本語学校 ~千葉・明徳学園で本格的に授業開始~

 

職員も学生も強い関心

文字通りの師走。先生も生徒も忙しいさなか、明徳学園は、教職員向け(12月9日)と短大学生向け(12月12日)にイーグル・アフガン復興協会の江藤セデカ理事長とアフガン人女性スタッフ2人を招いて2回の講習セミナーを開催した。

教職員むけでは、江藤セデカ理事長と5月に来日したばかりのアフガン女性フルハーさん(現在、千葉大の学生)が、登壇。アフガニスタンの女性が置かれている現状と歴史が語られた。江藤セデカ理事長が紹介した、平和な日本では信じられないエピソードは衝撃だった。千葉県に暮らすあるアフガン女性の話。
「そのアフガン女性の家族は内戦を避け、パキスタンに逃げました。そこで小学5年生まで、学校に通っていたのです。でも家族の男たちはみな勉強することに反対していました。あるとき祖父が彼女の足に熱湯をかけました。歩いて学校に行けなくするために。それでもなお行くなら『殺す』とまで言われたのです。」

この教職員向けのセミナーの様子および開設後の躍動感にあふれた日本語学校の様子は、金子明編集主幹が編集部からの「つぶやき」で詳しく報告している。

鶴の一声で始まった開校
11月4日開校、決まる
日本の子供たちとはちょっと違う
突如始まった「学校ごっこ」
とつぜん、アフガン・ファミリーの一員に
母親が学ぶ間に子も学ぶ

 

短大生と教員100人以上が聴講

その3日後、今度は短大生と教員100人以上が聴講する講演会が開かれた。学生たちは保育者を目指す男女だ。

今回は、保育者を目指す女性の多い聴衆を意識して、ターリバーン再登場によって女性の権利がいかに奪われているか、また、すでに5回開催されたカレッジの講習に参加してきた女性たちの声が紹介された。学習すること、とくに「学校に通うこと」がいかに彼女たちの喜びになっているか、そして連れられてきた子供たちがいかにのびのびと遊んで帰るか、日本では何気ない光景が彼女たちにとっていかにあこがれの世界であることか。聴衆のあいだに驚きの声が生まれた。とくに、ターリバーン登場によって日本大使館に勤務していたケレシマさんが、なまなましい脱出のいきさつを話し、どんなに厳しい状況に置かれても決して諦めない、との訴えには、緊張の厳しさが漂った。
講演の最後に、アフガン女性の象徴のようになったブルカを聴衆のひとりに試着してもらい感想を聞いた。

物理的に両目を隠す数センチの網の目からしか世界をみることのできない女性の置かれた境遇が体験された。

ニュースでしか見ることのできない、日本の現状とはあまりにもかけ離れた状況に戸惑いと驚きが支配したことは間違いない。数十人のアフガン女性や子供たちが、自分たちの学ぶ同じ教室で学び始めたことによって、ニュースを見る目も必ず変わるだろうし、身近な問題としてアフガニスタンや世界を見てくれるようになるにちがいない、と期待が生まれた。

 

福中理事長にインタビュー

保育者候補生たち向けの講演会のあと、同学園の福中儀明理事長にお話を伺った。


左から江藤セデカ理事長、福中儀明理事長、ブルカを試着した学生さん、カーブルから脱出避難してきた元日本大使館職員ケレシマさん

福中理事長は11月4日の開校式の前の準備会議から1回も休まず毎回参加され、子供たちが来園するようになってからは、毎回、10時から12時までの保育時間中、子供たちの面倒までみてくださった。高学年の子供には構内を案内して植物の名前や特徴を教えたり、将棋やパズルなどの遊戯まで持ってきて子供に与えてくださるほど。

その熱意がどこからでてくるのか知りたくて、それをたずねた。すると、答は、何も特別なことをしているのではなく、学園で普通に毎日やっていることだ、とのこと。幼稚園生むけに「太陽のふしぎ」をテーマに虫眼鏡で紙を焼いて見せて話をしたり、歯が抜け替わる子がいれば「歯のふしぎ」とその場その場で教えているとのこと。もともとが理科の先生だったそうだ。子供たちの相手だけでなく、草刈りも自分でやられるとのこと。明徳学園は敷地全体がこんもりとした広い森を切り開いて、付属幼稚園、中高短大、体育館、野球場、テニスコ-トやハンドボールコートまである。緑に囲まれた、というより緑の中にあるから草刈りも大変だろうな、と拝察した。

アフガニスタンへの関心は?との質問には、行ったことはないが、パキスタンのペシャワールへ90年に行ったことがある。そこでムジャヒディーンの人びとと会い、話を聞いた。また、2005年にはイランを旅してアフガニスタンとの関係や難民のことも知った、とのこと。カレッジの名前を「イーグル・アフガン明徳カレッジ」と提案されたのも理事長。やはり、この活動がスタートするにあたって、明徳学園の地に、偶然にも必要条件が揃っていたのだ、と了解できた。

アフガン女性たちが子供連れで学びに来ている情景をみて感じることがある、と話された。つまり、日本政府が「異次元の少子化対策」を唱えているが、異国から子供づれでやってきたり、日本で出産したりしている。インバウンドだ、と外国人旅行者を迎え入れようともしている。しかし、日本に移住を希望する人たちもいる。日本で子供を産み育てる人々がいる。そのような人々を受け入れて日本になじんでもらい共生していけるようにしていくことが大事なのではないか。「異次元というなら、それくらいの異次元でないと効果がない」との言葉だった。

明徳学園は中高一貫校をもち受験やスポーツなども盛んな総合教育を施す学園だが、そもそもは98年前の1925年、現理事長の祖父・福中儀之助氏が創立した千葉淑徳高等女学校が始まりである。現在では幼保連携型の教育と保育を一体的に行い、その教育者をも育てる「総合保育創造組織」をうたっている。

インタビューを終えて帰りの車中、山上憶良の歌を思い出していた。

「銀(しろかね)も金(くがね)も玉も何せむに まされる宝 子にしかめやも」

切迫したアフガン女性の日本語教育の課題から出発して、彼女らが連れて来る子守りの必要に応えているうちに人間生活の根本に、そして今の日本の切実な課題にも関係する事業になってきた。恵まれた条件でスタートすることができたこの事業を、アフガニスタンの現地に還流させるまでつづけ、成功させなければ、と心に刻んだ。

【野口壽一】

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