Comparing Afghanistan and Pakistan: Two Neighbors, Two Theocratic Systems – Elections and Non-Elections

(WAJ: アフガニスタンの独立系メディアである『ハシュテ・スブ』はこの「主張」において、アフガニスタンの両隣、つまりイランとパキスタンとの政治制度の類似と相違を検討している。イランとパキスタンは両国ともイスラム共和国でありながら選挙制度を有している。パキスタンはイスラム共和国でありながら神権政治はしいていない。今回はターリバーンと同じ神権政治を実施しているイランとの比較に重点が置かれて比較がなされている。アフガニスタンでも選挙制度の導入は可能であると結論付け、ターリバーンに選挙の実施を要求している点が興味深い。)

 

ハシュテ・スブ 主張
2024 年3月1日

イラン・イスラム共和国、パキスタン・イスラム共和国、ターリバーン・イスラム首長国の3つのイスラム体制が隣り合って存在していることは現代の興味深い点である。そして、この3か国には明確な類似点と相違点がある。なかでもイランと現在のアフガニスタンは政治的類似性が高い。両国ともに神権体制によって統治され、社会階級としてのムッラー(訳注:イスラームの聖職者)がさまざまな部門に影響力を行使している。そこで以下にイランとアフガニスタンの政治について論を展開する。

まず注目すべきは、政治学においてしばしば中世と結びつけられる「聖職者支配」という用語が、過去の遺物にもかかわらず21世紀の今も頑固に生き延びていることだ。自らを見えない世界からの代表だと主張する一階級が出現し、この2か国で何百万人もの人々に困窮と抑圧による苦しみをもたらしているのは痛烈な風刺である。なぜなら外の世界は専門知識を持つ職業的政治家によって科学的に発展しているのだから。

歴史的・地理的にルーツを共有するイランとアフガニスタンだが、加えて両国の支配制度には今もともに神権的特質がある。一方はシーア派の宗教的偏見に深く根ざしており、もう一方はスンニ派の宗教的偏見に深く根ざしている。その結果、それぞれが市民の一部を二等市民とみなしている。イランでスンニ派個人が指導者、大統領、閣僚、知事の職を目指すと乗り越えられない壁に直面する。アフガニスタンのシーア派の場合も然り。両国の政権は宗教的偏見に支えられ、政治的緊迫によってやむを得ない場合をのぞき、互いに深い憎悪と敵意を抱いている。敬虔なシーア派政権にとって敬虔なスンニ派政権との和解はやむなき最後の選択肢であり、敬虔なスンニ派政権にとって敬虔なシーア派政権との和解も同じく最後の選択肢だろう。

しかし、信仰に基づく根深い敵意にもかかわらず、両国間には一見友好的な関係が生まれている。その特に顕著な例は、アフガニスタンのターリバーンがイラン政権を優れたモデルとして認識していることである。ターリバーンは、アミール・アル・ムーミニン(訳注:信徒の長)に無制限の権限を与えることで、イランの最高指導者(訳注:ウラマーと呼ばれるイスラム法学者から選出される。別名ラフバル)による統治をよく反映している。さらに、ターリバーンが従来のアフガニスタン国軍ではなくイデオロギー兵士に依存していることは、イランが政権の根幹をイスラム革命防衛隊(訳注:イランの軍事組織の一つで1979年にホメイニ師が創設した)に依存していることと類似している。政府の主要な役職に、指導部側近の忠実な個人を任命することも、両国の制度に共通する特徴だ。またイランとアフガニスタンがともに他国の過激派グループと関係することは、域内操作の戦略的武器かつ国家的恐喝の圧力道具であると捉えられ、複雑な様相を見せている。

それにもかかわらず、これら2つの神権政治の間には、宗教的イデオロギーではなく政治基盤に起因する大きな違いが存在する。注目すべき違いのひとつは、選挙に対するアプローチにある。イラン政府は幾たびか変動があったにせよ、選挙制度を維持している。一方ターリバーン政権は断固としてそれに反対している。イランの政治基盤は、憲法制定時代(訳注:1905年に憲法が制定されたが、1925年のクーデターで生まれたパフラヴィ朝のもとで近代化が進んだ)に始まった近代化改革にさかのぼる。そこでは法を遵守する近代的で責任ある政府の確立が目指された。この時期に、法によってのみの投獄、政党の結成、制度改革に向けた実質的な取り組みが行われた。パフラヴィ時代(訳注:1925年〜1979年)の改革は、特にイランの知識人によって導かれ、権力の分割を制度化し、近代教育を拡大し、芸術、文化、思想における重要な制度を確立した。イスラム革命の混乱にもかかわらず、これら改革の成果は存続し、国民主権の概念を高めた。本質的に国民の権威を否定する最高指導者制度でさえ、その重要性を認めざるを得なかった。この二重性は、一方では聖職にある指導者が神として位置づけられ、もう一方では国民が国とその制度の真の所有者であるとの主張として現れ、国民の権利が絶対的に否定されることを防いだ。

<参考サイト> 悠久のペルシャ~現代イランの成り立ちとその素顔(日本政府見解)
https://www.mofa.go.jp/mofaj/press/pr/wakaru/topics/vol51/index.html

 

対照的にターリバーンは、そのような政治的基盤が基本的に欠如した中で権力を握り、知的基盤が未熟なため思い切った改善はおぼつかなかった。アフガニスタンでは因習的支配が近代的な制度よりも優勢であり、権力分立の実施を妨げ、政治的な市民感情が芽生えない。ターリバーンは選挙を恐れ、国民が政治の領域に参入するという考えに抵抗し、国民が正当な市民権を主張し、自らの運命を決定することを危惧している。民主主義は単に選挙だけでは達成されず、支配者の圧制に対抗し国民に力を与えるメカニズムも必要だ。それでもやはり選挙制度は透明で結果が明らかに出るメカニズムで、欠陥は多々あるだろうがうまく対処すれば、透明性を得る絶好の機会となり、民主主義の礎石を据えることができるだろう。

選挙の導入は暴力の連鎖の断絶を意味し、平和的な権力交代が流血に取って代わる可能性を秘めている。支配者を倒すためにこれまでは、武器に頼るか戦争の扇動が不可欠だったが、選挙がそれを変える。多くの安定した民主主義国では、暴力による不毛なサイクルからの解放が安定を達成するのに役立ってきた。国民の不満が広がる中でも、イラン政権は選挙を通じてある程度の正当性を獲得し、社会の不満や小さな変革へのパイプを提供している。もしターリバーンが選挙を実施すれば、望ましい体制の実現に向けた長い道のりではあるだろうが、対話の用意があることを示すことになり、国民との和解に向けた第一歩となりうる。

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