(2024年9月5日)
混迷する世界、変われない日本
~改憲のまえにやるべきことがあるのでは?~
まずは感謝
混迷台風10号。当初は8月31日に千葉あたりを直撃か?との予想。
アフガン学校を休講にしたのに四国をぬけたら尻切れトンボで熱帯低気圧に。
拍子抜けもいいところだったが、アフガン学校の生徒ふたりが日本語検定試験に合格!の朗報。
わずか1年足らずでこの成果。本人らの努力とスタッフの献身、皆さんの声援のおかげ、と感謝感激。本当にありがとうございました。
混迷をます世界
ところが世間はあんまり明るくはない。ガザでポリオ休戦が実現したと思ったらネタニヤフ政権はヨルダン川西岸で武力入植を激化させている。ガザの次はすでにあらかた奪った西岸の残りの土地を完全に自分たちのものにしようとたくらんで武力侵攻を激化させている。
ウクライナでは東部戦線で押され気味だったウクライナが突然ロシア領クルスク州に越境進撃。第2次世界大戦時、ナチス軍とソ連軍の激戦地だったクルスク。プーチンはここぞと、「ウクライナはナチスだ」、とキャンペーンに利用した。
アフガンではターリバーンが「勧善懲悪法」を発し、国内どころか世界の他のイスラム諸国も見習え、ととんでもない主張を行っている。
トランプ大統領は、3年前の8月の米軍撤退時の不始末を蒸し返してバイデン攻撃。ハリス候補との論戦に勝とうとあがいている。米大統領選挙はまるで世界の混迷を一身に引き受けたかのように満身創痍。
対する日本。自民党の総裁選には10人以上が名乗りを上げる大混戦。こちらの方は失われた30年の克服をめぐる議論より、裏金隠しや身内の囲い込み合戦、来るべき総選挙で議席=職場を守ることに必死の議員たちの修羅場。マスコミは相変わらず競馬レースの予報のように下馬評合戦。本質論議はどこかへふっとんじゃってます。
英語の勉強のつもりで・・・
そんな時、誘われて武蔵野大学建学100年を記念して開かれた「マルクス・ガブリエルの声を聞く いかにしてわたしたちはよき祖先になれるか ~仏教が風土に溶け込んだ日本の地から、響き合って、未来へ」を聞いてきた。場所は築地本願寺。形式は浄土真宗の僧侶・松本紹圭さんとの対談。だがほとんどガブリエルさんが喋って松本さんが話題転換の質問をする形。ガブリエルさんはテレビでもよく紹介されるし出版もされてるから本性の野次馬精神発揮で参加。1時間通訳なしの英語。退屈はしなかったけど、あんまりよく分からなかった。お寺でお経を聞いてもよくわからないんだから、まっ、いいか、とフェイスブックに感想を述べたら、NO JAIL詩人の岡和田晃さんから「マルクス・ガブリエルは近年、ガザでの虐殺を正当化するイデオローグになっています」とコメントしてイスラエルを支持するガブリエルを紹介する山形新聞のスクラップ写真を送ってきてくれた。
ガザ・イスラエル紛争はガブリエルが言うような反ユダヤ主義とか宗教戦争ではない。本サイトで一貫して主張しているように、本質的に他人の土地を武力で奪う「植民者植民地主義」とそれに対する抵抗運動であり、ネタニヤフ政権の武力行使は侵略戦争に対する自衛の闘いなどではない。侵略しているのはネタニヤフ側。
哲学を看板にしてご飯を食べている人たちのほとんどはおしゃべり屋だと思う。ガブリエルの名前がマルクスなんで、カール・マルクスの次の言葉を反射的に思い出す。
「これまで哲学者は世界をただ解釈するだけだった。問題は“変革”することだというのに」(フォイエルバッハ・テーゼ)
学生時代に知って、座右の銘にした、野口の信条。
解釈より行動が大事
この間の<視点>では、8月15日に、ターリバーン復権3周年や日本の敗戦79周年にふれて、戦争と平和の問題について考えた。とくに、<視点:108>では、「政治の貧困に身をよじる臣民と住民 ~映画4本にみるニッポンの戦争~」のなかで沖縄に焦点を当てた。台湾に最接近している与那国島、石垣島、宮古島の3島から沖縄本島、奄美、鹿児島南端の馬毛島までの琉球弧。自衛隊基地が建設・強化され、ミサイル基地が建設され、米軍との共同演習が実行されている。(ドキュメンタリー映画『島で生きる ミサイル基地がやってきた』、『琉球弧を戦場にするな』参照)
このような状況に危機感を抱く評論が最近増えている。「月刊日本」9月号の巻頭言もそのひとつだ。
巻頭言は、「日本は果たして『主権国家』なのか!こう言わざるを得ない事態がいま密かに、だが確実に進行している」として、今年4月の、岸田首相のホワイトハウス訪問、バイデン大統領との会談、そこでの共同声明の危険性を次のように指摘する。
「共同声明は、有事を前提にした米軍と自衛隊の『指揮統制』をめぐり『シームレスな統合を可能とするため、二国間でそれぞれの指揮統制の枠組みを向上させる』と明記した。米国の狙いは、自衛隊の『傭兵化』なのだ。今回の日米首脳会談で岸田首相はこのバイデン大統領の狙い通り、米国に脆くも屈したのである。」
この岸田訪米から3か月後、東京で開かれた日米外務・防衛担当閣僚会議で、中国を念頭に置いて、改めて「日米一体化」の加速が確認され、4閣僚会議後の共同発表で、米国は在日米軍を再編して「統合軍司令部」を新設し、ハワイの米インド太平洋軍司令部が握っていた在日米軍の作戦指揮権の一部を付与する、台湾有事への危機感を背景に、在日米軍の機能強化を図る狙いをあらわにした、と巻頭言は続ける。
そして、この、自衛隊の「傭兵化」の原点は、対日講和条約発効(1952年4月28日)の3カ月後、クラーク極東米軍司令官の自宅で、吉田茂総理が口頭で結んだ「密約」、クラーク司令官の統合参謀本部宛ての機密文書には次のように書かれていた。
「吉田氏、マーフィー大使と自宅で会談した。有事の際の軍隊の投入にあたり、日本政府との間に明確な了解が不可欠である理由を詳細に示した。吉田氏は即座に有事の際に単一の司令官は不可欠であり、合衆国によって任命されることに同意した。」
つまり、講和条約発効後、吉田総理は極東米軍司令官との間で「戦争の脅威が生じた時、自衛隊が米軍最高司令官の指揮下に置かれる」ことを了承していたわけだとして、巻頭言は、吉田茂の『回想十年』などを援用して以上の事実を指摘し、今回の一連の日米協議(岸田・バイデン会談)で、日本が中国を仮想敵としたこと、一朝有事となれば、わが国が戦場になることは十分にあり得ると指摘している。そして、日本のすべき再生の処方箋は米国の属国から脱して、アジアの国々との共生の道を歩むことである、と明確に結論づけている。
さきに紹介した石垣島と琉球弧を舞台にしたふたつのドキュメンタリー映画は、地元住民への説明責任を果たさずにミサイル発射基地、弾薬(ミサイル)貯蔵庫をふくむ自衛隊基地建設と強化を進め、米軍との共同演習を強行実施する日本政府の政策を描き出している。
敵基地攻撃を主張する日本政府の主張はそのまま「敵国」の主張を正当化することとなる。その論理を信ずれば、敵基地を攻撃するミサイル基地がなければ敵はミサイル攻撃する必要がないことになる。石垣島は、わざわざ敵基地を攻撃するミサイル基地など作る必要もない、農産、畜産、水産業などで生計をたてる人口5万人の島である。本来軍事とは無縁の地だ。
改憲のまえにすることがある
日本がアメリカの従属下にあることは今更ここで強調することもないかもしれない。しかし従属ぶりの実相は必ずしも良く知られているとは言えない。日本がいまだGHQによる占領支配の延長線上にある事実をあばく迫真のルポルタージュがある。『追跡!なぞの日米合同委員会 別の形で継続された「占領政策」』(吉田敏浩著、毎日新聞出版、2021年12月15日刊)。
「日米合同委員会」は日本の高級官僚と米軍高官からなる謎の組織である。とくに安保条約にもとづく日米地位協定の具体的な運用について協議している。しかし議事録や合意文書は一切公開されない。文字通りの密室の協議をつづけ、日本の軍事のみならず行政をも縛ってきた。
在日米軍には治外法権が与えられている。それは、日米安保条約と地位協定と安保特例法・特別法とで構成された安保法体系によって担保されている。安保法体系は日本国憲法を頂点とする憲法体系を超えて存在している。かくして治外法権がまかり通っているのだ。この安保法体系を運用する機関が日米合同委員会なのだ。
自民党総裁選で、改憲が自民党の党是、悲願であると強調する候補がいる。強調しなくても総裁選に立候補するような議員であれば、改憲を否定するはずはないだろう。しかし、本サイトだけでなく、日本の良識ある識者がこぞって指摘するように、「憲法を超える力」によってこの国は支配されている。改憲を呼号するのであれば、ましては「自主憲法」を悲願とするのであれば、まずはこの対米従属状態を変えてからにすべきではないのか。
【野口壽一】