Understanding Saudi Media and the Mahsa Amini Protests’ Role in the Saudi-Iranian Détente

 

(WAJ: 日本ではサウジアラビアとイランの外交関係復活の政治的イベントについて中国の関与が大きく取りざたされた。しかし、両国の関係は外部からの圧力や推奨によって変わるほど単純なものではない。そこには、イスラーム教国であるサウジ、イラン両国が抱えるトゲ=女性の人権問題が大きくかかわっており、サウジによる自国の息のかかったメディアを使ったイラン誘導策動が存在したようだ。しかもそこでの情報やメディアそのものを背後であやつるイギリスとアメリカの存在が見え隠れする。それらを見事に描き出したこの記事は秀逸と言うべきであろう。イスラーム諸国における女性の人権問題は体制存続の基盤を揺るがしかねない時限爆弾なのかもしれない。)

 

Blog Post by Simone Lipkind, Guest Contributor
July 11, 2023 10:22 am (EST)
シモーネ・リプキンド
2023年7月11日

マフサ・アミニ事件への抗議行動によって、サウジアラビアは対イラン政策における力点を与えられた。さらにサウジ王国のメディアが、両国に共通する新たな目標へと邁進する能力を持つツールであると証明した。つまり女性主導による第二の「アラブの春」を未然に防ぐという目標である。

 

イラン・イスラム共和国の「道徳警察」によって逮捕されたあと死亡した女性マフサ・アミニの写真を1面に載せた新聞(イラン、テヘラン、2022年9月18日)

マジド・アスガリプール/WANA

 

熾烈な代理戦争、加速する核開発計画、世界の石油供給への脅威が、サウジとイランが国交を絶ったこの7年間を特徴づけてきた。そのため、両国が中国の仲介による合意を通じて関係を修復したと発表したとき、アナリストたちはすぐに、接近の根本的な動機としてこうした安全保障と経済的懸念を挙げた。2021年に始まり断続的に続いたサウジアラビアとイランの会談は、このような要因に後押しされたものであったが、イランで「女性、生命、自由」と叫ばれた抗議行動が積もり積もって今春(訳注:両国は2カ月以内に国交を回復すると4月に発表)、イランとサウジアラビアの合意に結びついたことは全く結果論ではない。最終的な協定の締結は3月だったが、実際、その叫びが両国へ新たな動機付けとして働いた可能性がある。抗議行動によってサウジアラビアは対イラン政策において、近来得られなかった大きな力点を初めて与えられた。さらにサウジ王国のメディアが、両国に共通する新たな目標へと邁進する能力を持つツールであると証明した。つまり女性主導による第二の「アラブの春」を未然に防ぐという目標である。

昨年9月の時点で、イラン経済は2012年以前の水準に低迷し、国民の3分の1が貧困にあえぎ、制裁緩和を強く望む新たな核合意への期待も薄れつつあったが、政府はどうにか国民の潜在的な反対意見を抑えてきていた。それが変化したのが同16日だった。マフサ・アミニが警察の拘束中に死亡した。彼女は頭部スカーフ着用法違反の疑いで逮捕され、暴行を受けていた。彼女の死の後すぐに、イラン全土で抗議デモが発生し、民族、階級、地理的な境界を越えて国民が団結した。彼らは「女性、生命、自由」を求めるだけでなく、神権的な体制そのものの終焉を求めた。西側諸国はすぐにイラン政府の苦境に追い打ちをかけた。各国はイランの治安部隊員に対する徹底的な制裁と渡航禁止を発表し、米国は2015年の核合意復活のための協議をもはや追求しないと発表し、国連経済社会理事会はイランを女性の地位委員会から排除する決議を採択した。

<参考記事> アングル:イラン抗議デモ、渦中の急死女性は「内気で政治に距離」
https://jp.reuters.com/article/us-iran-women-amini-idJPKBN2QV0GF

厳しい外交的孤立に直面する中、イラン当局は、サウジアラビアが出資するニュースネットワーク「イラン・インターナショナル」が女性たちの抗議行動を煽っていると糾弾し、サウジアラビアはイランに対して西側と同様の敵国であると非難した。同ネットワークは秋から連日、抗議行動を奨励するニュースを伝え始め、政権を厳しく批判し、アミニの死と抗議者への扱いに関する政府の姿勢は誤りであると公に非難した。抗議行動のさなかの11月、イランのイスラーム革命防衛隊(IRGC)司令官は公然と警告した。「サウド家の政権は、プロパガンダ・メディアを駆使して悪行を助長し、若い国民の挑発を公然と狙っている。彼らは慎重に行動し、これらのメディアの暴走を制止すべきだ。」さらにイランの情報相は、IRGC司令官がどの「プロパガンダ・メディア」を指しているのかを明白にした。つまりロンドンを拠点とするペルシャ語の衛星ニュースネットワークであるイラン・インターナショナルをテロ組織として指定すると発表した。サウジ本国は否定しているが、英国の企業記録によれば、サウジ王政に関係する複数の個人が2017年のイラン・インターナショナルの立ち上げに資金を提供し、支援したことは明らかだ。それ以来、同チャンネルは24時間放送でイラン国内とイランの亡命者の間で支持を集めている。

 

イラン政府は、イラン・インターナショナルのマフサ・アミニ抗議デモ報道を大いなる脅威とみなし、3月の合意の中にもサウジ政府による同チャンネルの内容規制を特に盛り込んだが、その前に直ちに同局スタッフに対する物理的な脅迫を開始していた。秋になって抗議行動がエスカレートすると、イラン政府は同局スタッフに対する脅迫を強めた。英国警察が2人のジャーナリストに対し、イランの後ろ盾による暗殺の可能性があると警告したため、イラン・インターナショナルは英国での業務を停止し、本社をワシントンDCに移転せざるを得なくなった。しかし、同ネットワークのイラン政権に対するインパクトの強い批判的報道は継続され、サウジアラビア政府にイラン政府に対する重要な力点を与えた。イラン・インターナショナルがマフサ・アミニ抗議デモをうまく煽ったことは、イラン政府を交渉のテーブルにつかせるのに役立ち、彼らは大きな譲歩を提示せざるを得なくなったと悟った。その後、サウジ王国はネットワークを通じた扇動をやめると同意したのだ。この約束はイラン政権にとって特に重要なものとなった。ちょうど緊張緩和が発表される数週間前に報道されたからだ、イランの女子学生数百人が毒ガス攻撃にさらされてきたと。危うく第2のマフサ・アミニ事件として抗議行動が再燃するところだった。

<参考記事>イランで女子生徒の毒ガス被害多発 検察当局は捜査着手
https://www.bbc.com/japanese/64807087

 

サウジアラビアは、イランを弱体化させる合意から明らかに利益を得ている。特に、サウジがイエメンでイランの支援するフーシ派(訳注:シーア派武装組織)と戦闘を続けており、イランが核開発を諦めない現状においては。しかしサウジ王政は、イランで起きた「女性、生命、自由」の叫びへの支持を弱めるという巧みに隠された狙いを持っていた。ムハンマド・ビン・サルマン皇太子がサウジアラビアの女性の自動車運転禁止を解除するなど、フェミニズムの大義名分に対して公然の働きかけを行ってきたことは有名だが、こうした動きは国内の主要な保守層には深く不評だった。したがって、こうした自由化の努力は、反対意見に対する厳しい制限と対をなしてきた。

 

ビン・サルマンは、マフサ・アミニの抗議行動がイラン政府に与えた圧力から恩恵を受ける一方で、「女性、生命、自由」運動の根底にあるイデオロギーが、王国でより大きな反対活動を誘発し、最終的には自身の支配を脅かす可能性があることを強く認識していた。サウジアラビアが資金を提供するイラン・インターナショナルがマフサ・アミニ抗議運動の炎を焚きつける中、サウジ政府はそれが王国に流入するのを抑えようと努めた。その結果、抗議内容については比較的静かにやり過ごし、その上で苦境に陥ったイラン政権とのうまい合意を勝ち得た。歴史的に深い溝があるにもかかわらず、両国は現在、国内の不安定性を管理するという同じ課題に直面している。イラン・インターナショナルは牙を抜かれ、イラン政権への圧力を弱め、同時にサウジ王政への潜在的な挑戦活動の防止に加担している。しかしこうした過程で、イランの女性たちは、かつての強力な動員力を失ってしまった。この素晴らしい緊張緩和においてイラン人女性が果たした役割を検証することは、これまでの流れを説明するのに役立つだけでなく、サウジとイランの協力が実際にはどのようなものになるのかというビジョンを提供することにもなる。

 

原文(英語)を読む】⇐ クリック

 

【出典】

Women Around the World

Women Around the World examines the relationship between the advancement of women and U.S. foreign policy interests, including prosperity and stability.

Women Around world:『世界の女性たち』は、女性の地位向上と、繁栄や安定など米国の外交政策上の利益との間の関係を検証している。

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