2026年5月4日
金子 明

20260504

GWに何をするか?部屋の片付けも孫もうでもしたいが、どこぞに出かける感(イベント面)も欲しいねえ・・・と思い、決めた:好きな野球チームの試合を見に行こう! しかし調べたら、彼らが妙に好調なせいもあって切符が売り切れで、見ること能わず。翌日の試合ではしょんなかか。善後策としてダンスを見に行くことにした。そして、ありがたいことに切符が買えた。

見たのは荻窪にある小劇場でやっている勅使河原三郎の「ロミオとジュリエット」。このダンサーを生で見るのは四年前に次いで二度目。彼はしばらく前に某局の日曜美術館で紹介された稀代のダンサーにして、絵もそうとう上手いマルチな芸術家だ。

一緒に行ったかみさんは勅使河原ダンスもその劇場(荻窪にあるカラスアパラタス)も初めてだったので、中野富士見町の「プランビー」みたいなところ、と前置きして連れ出した。ふむふむ、身体気象農場か・・・と思ったかどうかは別として、さすがM大演劇科卒だけあって(暇もあって)喜んでついてきた。

わずか3メートル先で、かなりお年を召した男女が繰り広げる舞踏劇。原作者が設定した本来の恋人二人は十代だよね、と思いながら見ていたら、ほんの数分で演者たちはその年齢の男女に変身した。見事。愛がテーマなので絡み合う(が、なかなか触れ合わない)二人のダンスが白眉なのだが、①初恋の幸せ、②落胆と憎しみ、③昇華された恋、と趣を変えて観客を魅了する。

私ごとだが、シェークスピアが面白いと思ったことがない。こんな筋書き当たり前やんけ、と。大好きなカートヴォネガットが日本ペンクラブに招かれてやった黒板解説(ケーシー高峰ばり!)で、「あの父っあんは話が水平に進んで(上がり下がりなし!)退屈」と言い放ったのに思いっきり賛同する。

しかし、それは読み物としての評価であった。本来シェークスピアは見せ物なのだ。息遣いが聞こえ、汗が滴するロミオとジュリエットの舞踏を見ながら「死ぬことによって生きることがある」との原作者の意図が頭に突き刺さった。にしても、困った思想だ。死んだら終わりやんか!こんな(不完全な)心中話を思いつき飯のタネにする・・・劇作家は気楽だね。

そして彼の戯曲を肉体化して高みへと誘ったイギリスの演劇界はトドのつまり、世界中から搾取した富の上澄みの上に君臨するのだろう。そんな余裕のある社会に暮らす人々が、明日の命も知れず這いつくばって生きる一般人の無惨な死を美化して、「いいね!」と褒めあった。

当の勅使河原氏は「この戯曲はどうとでも取れる」思いで創作したようだ。だからこそ、この後シェークスピアの数作品をシリーズでダンス化する計画を立てている。世界の名作中の名作に自分の武器たる舞踏で切り込む。その意気や良し。そして嫌いだったシェークスピア劇を「ただの食わず嫌いね」とフラットに教えてくれた荻窪の、そこで息をしているロミオとジュリエットに感謝。

観劇後、北口の地下二階でホッピーを飲みながら野球中継を見たら、贔屓のチームはボロ負け。帰りの地下鉄で同舟した緑制服の応援団も言葉少なだった。そんな中聞こえてきた、かみさんの一言:「勅使河原さんもヴォネガットみたいに原作を捉えているんじゃないかな。」

だから芝居は面白い。

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