(2024年7月15日)

 憎悪と和解 

~愛につながるこころ~

 

前々号の「<視点:103>脱植民地主義の途 精神篇~上皇上皇后ご夫妻の想い~」長谷川隆さんの投稿からの引用をおこないました。そのくだりは、サンフランシスコ講和会議の場でスリランカの故ジャヤワルダナ元大統領が「憎悪は憎悪によって止むことなく、愛によって止む(hatred ceases not by hatred, but by love)という仏陀の言葉を引用し、対日賠償請求権の放棄を明らかにするとともに、わが国(注:日本のこと)を国際社会の一員として受け入れるよう訴える演説を行った」というものでした。

長谷川さんの引用に対して、故ジャヤワルダナ元大統領の発言にからむ釈迦の言葉の翻訳について投稿がありました。

投稿くださったのは、横浜市港北区光輪寺の住職でジョージ・オーウェル研究家でもある村石恵照さん(『ウエッブ・アフガン』の寄稿者)です。

頂いたメールの該当部分はつぎのようになっていました。

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「故スリランカ大統領が1951年のサンフランシスコ講和会議の場で「憎悪の輪を憎悪で断ち切ることはできない。できるのは愛だ」

という趣旨のブッダの言葉を引用したことは知ってました。
この言葉は故スリランカ大統領が、原文の大意を会議の場で引用したもので、国際的な政治の場において西欧人に訴えかける素晴らしいメッセージであります。

故スリランカ大統領の演説の英文を調べていないのですが、その典拠は、パーリ語で記録された「ダンマパダ(漢訳「法句経」)にあります。
しかし会議場で発表した言葉は、文章全体が意訳に過ぎて、特に「愛」の訳語は文献学的に誤訳、または善意の西欧人的発想です。
以下のように修正した和訳が適切かと思います。

(誤) 「憎悪の輪を憎悪で断ち切ることはできない。できるのは愛だ」
(修正訳)「憎悪の輪を憎悪で断ち切ることはできない。憎悪自身を断ち切ることによってのみ憎悪は断ち切ることができる」

しかし、いくつかある英訳のうちで、以下の英訳(Buddharakkha訳)が適訳と思います。和訳を添えました。
Hatred is never appeased by hatred in this world. この世の憎しみは憎しみによって宥められることはない。
By non-hatred alone is hatred appeased. 憎しみの(心)の無いことによってのみ宥められる。
This is a law eternal. これは永遠の教えである。

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村石さんの指摘で、故スリランカ大統領の発言の功績がいささかでも減じるものではありませんが、憎悪と愛に関する西洋と東洋の考えの際立った違いと、憎悪の輪を断ち切る断ち切り方の考察においておおいなる示唆を与えられました。

それはちょうど、日本が戦争に敗れ、ターリバーンが再来した、両国の記念日8月15日が近づくにつれ、考えていたことがあったからです。

 

第2次世界大戦の経験から

ちょうど、<視点:103>「脱植民地主義の途 精神篇~上皇上皇后ご夫妻の想い~」を発表した6月25日をはさむ6月22日から28日までの1週間、今上天皇皇后両陛下がイギリスを訪問されました。

バッキンガム宮殿で25日夜(日本時間26日未明)に開かれたチャールズ国王夫妻主催の晩さん会で天皇陛下はつぎのように述べられたそうです。

「私の祖父は、1971年の晩さん会で、日英両国の各界の人々がますます頻繁に親しく接触し、心を開いて話し合うことを切に希望し、また、私の父は、1998年に同じ晩さん会で、日英両国民が、真にお互いを理解し合う努力を続け、今後の世界の平和と繁栄のために、手を携えて貢献していくことを切に念願しておりました。」(毎日新聞:2024年6月26日)

この挨拶の背景を同日の毎日新聞はつぎのように報道しています。

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98年の上皇さまの訪英では、バッキンガム宮殿に向かう馬車列に背を向ける元捕虜や、日の丸を燃やして抗議する人がいた。上皇さまは晩さん会で「戦争により人々の受けた傷を思う時、深い心の痛みを覚えます」と率直に語り「こうしたことを心にとどめ、滞在の日々を過ごしたい」と述べた。
元捕虜の支援者によると、元捕虜の多くが亡くなった今も、一部の子孫は日本への憎しみを持ち続けている。ただ、今回のパレードで訪英に反対する人の姿は見られなかった。陛下は今回のあいさつで「両国には友好関係が損なわれた悲しむべき時期がありました」と述べ、戦争の惨禍を忘れない姿勢を示した。
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また同紙は、
「第二次世界大戦で、英国は日本と敵国になり、戦後は反日感情が残った。日本による捕虜の強制労働で多くの犠牲者が出たことも影響している。こうした中、皇室と英王室の交流は関係改善にどのような役割を果たしたのだろうか。元捕虜と交流してきた人は『心の癒やしにつながっている』と話し、22日からの天皇、皇后両陛下の訪英にも期待を寄せる。
日本は戦時中、1941年のマレー沖海戦で戦艦プリンス・オブ・ウェールズを撃沈するなど英国と交戦。兵士を捕虜とし、東南アジア各地の収容所で使役した。タイとビルマ(現ミャンマー)をつなぐ泰緬(たいめん)鉄道の建設で酷使し、多くの犠牲者を出した。日本での鉱山労働に送られた捕虜もいた。」
とも書いています。

 

戦争で殺し合った兵士と遺族の憎しみと和解

「激しい戦争からくる相互の憎しみが消え、三世の世になり憎しみが消えて未来を語り合えるようになった」という今回の出来事を聞いて、私がその体験の一部をシェアさせていただいた、郷里の先輩でかつて三軒茶屋で246コミュニティをやっていたとき米国ベンチャー情報を伝えてもらった鶴亀彰氏の著作の出版記念会を挙行したときを思い出しました。

その書籍とは『海に眠る父を求めて 日英蘭 奇跡の出会い』(学習研究社 2007年7月17日発行)です。

鶴亀氏の御尊父は潜水艦伊166の機関長。同艦は太平洋戦争開始のわずか16日後、ボルネオ島沖でオランダの潜水艦K-16を撃沈します。華々しい戦果でした。K-16は撃沈されるわずか16時間前に駆逐艦狭霧(さぎり)を撃沈していました。伊166はかくもすばやく狭霧の仇を打ったのです。K-16は艦長以下36名全員が艦と運命をともにしました。しかしその伊166はK-16撃沈の30カ月後にイギリスの潜水艦テレマカスによって撃沈されます。機関長であった鶴亀氏の父は88名の乗組員とともに海中に沈みました。

同書は、日本、オランダ、イギリスの、お互いに殺し合った潜水艦乗りの遺族や生き残り艦長らが戦後60数年後に出会い親交を深めるにいたる奇跡の物語です。ここでも、今上天皇がバッキンガム宮殿で語った、一世、二世、三世の、憎しみが消えていく過程、消すための努力が語られています。

 

アフガニスタン、パシュトゥーン・ワリの場合

この感動は、私が40数年前、アフガニスタン問題に首を突っ込んで「パシュトゥーン族」なるものと出会い、その部族の掟である「パシュトゥーン・ワリ」を知った時の驚きにつながるものでした。

「一族の恨みを果たすためには仇を打つため執念深く勇猛果敢に命と名誉をかけて戦いつづけるパシュトゥーン」というイメージが当時もてはやされました。いまも、ターリバーンの残酷な体罰やリンチや女性に対する無慈悲な扱いなどで、似たようなイメージがふりまかれています。そのような行動の基底に「パシュトゥーン・ワリ」があります。

「パシュトゥーン・ワリ」の第一のそして最大の命令は「パダル(復讐)」だといいます(J.スペイン『シルクロードの謎の民』1980年、刀水書房)。彼によれば個人的損失に復讐する義務は「被害者当人はもちろん、被害者の家族と部族にまで及ぶ。・・・きわめてしばしば、一方または双方の家族が絶滅してしまわないと不和が集結しないことがある」そうです。しかし、「パダル」の決まりがあれば、それを断ち切るための定めがあります。「ルーガ(講和)」です。パダルを終わらせたいと思う側が、「自分の妻のベールを取り、夫婦ともども頭上にコーランをかざして相手の前に進み出、羊を提供して相手の許しを乞う儀式」、つまり示談です。(『新生アフガニスタンへの旅』野口寿一、p168)なんと遊牧民的な解決法でしょうか。この話を聞いたとき私は、なんと合理的な精神をもった部族、掟だろうか、と感心しました。と同時に、徹底した憎しみの貫徹により相手の首をとった復讐劇を「美談」として何百年も語り継ぎ称賛し続ける日本精神は果たして進んでいるんだろうかと疑問に思ったものでした。忠臣蔵はいうまでもありませんが、私の生まれた鹿児島では、忠臣蔵だけでなく、曽我兄弟の敵討ち(注:1193年、兄・曽我十郎祐成と弟・五郎時致が父の仇である工藤祐経を討ち果たした伝説)精神にまなべと、毎年「曽我どんの傘焼き」なるイベントがあり、子供のころから復讐心や忠義の心を刻み込まれたものです。野口は故郷のそんな風習や伝統に反発して自己形成を行いました。

戦前の日本を合理化し「脱植民地主義」を受け入れない、あるいは実践できない無反省な人々は、天皇家の二世、三世が「パシュトゥーン・ワリ」の「ルーガ」を実践している姿に感動し、学ぶべきではないでしょうか。

 

庶民はたんたんと実行する

以上みてきたように、確かに「憎悪」は「憎悪」として確定し、それを無くする努力や代償を用意すべきものであり、同時に、その解消には時間の要素も大きいことがわかります。単なる心の持ちようで即座に解消できるような代物ではなさそうです。

では、「憎悪」に対比される「愛」とは何で、どういうこころの動きなのでしょうか。人類が発生の時から考え続けてきたであろうその歴史をいまここで述べる時間も能力も私にはないけれど、この機会に少しだけ考えてみます。

「愛」については、キリスト教を「愛の宗教」と呼んだりすることがあります。しかし「愛」はキリスト教だけの専売特許でしょうか。すべての宗教にその概念はあるはずです。帰依とは神との合一でしょうし、慈悲とか喜捨とかさまざまな戒律も「愛」が基礎にあるはずです。「愛」は神や他者との合一や融和をもとめる感情のうごきである一方、対立する心の動きである「執着」や「妬み」や「憎しみ」を生み出す源ともなりえます。

有史以来宗教的、哲学的思惟の成果は万巻の書にちりばめられています。しかし、一般庶民はそれらを読んで「愛」を理解し実践するのではありません。無意識かつ無私無欲の行動によって体現しています。

例えば、今号で紹介した、自分の身を犠牲にして日本人母子の命を救った中国人女性の行動(「英雄胡友平女史への頌歌、日本大使館への賛辞、日中友好の構築!」)は、一般民衆がアプリオリに持っている、「利他」や「ゆるし」や「自己犠牲」の本能ではないでしょうか。近くでは山手線の新大久保駅で線路に転落した日本人乗客を救おうとして線路上に飛び込み命を失った韓国人留学生と日本人カメラマンの行動を日本人は忘れていません。中国との関係に戻ると、本サイト「ユーラシア」で紹介した、引き上げることができなかった満州開拓民を助け残留孤児として育てたり、山野に放置されていた日本人の遺骨を収集して火葬し、慰霊碑を建てて守っている中国人民の活動(「「星火方正(ほうまさ)」~燎原の火は方正から~)がありました。

数々の実例を考慮すると、「憎しみ」を癒すのは、ゆるしの心であったり、和解の具体的な取り決めであったり、時間であったり、とにかく、「憎しみ」の感情そのものを無くする心の動きと努力であるのは間違いありません。そのことをキリスト者は「愛」と表現するのでしょう。

『ウエッブ・アフガン』に寄せられた2通のメールを通して、「憎しみ」を生み出すのも、それに基づいて争いを起こすのも人間ですから、「憎しみ」を無くし和解し「ゆるし」あうことができるのも「人間の証明」なのだと思った次第です。

野口壽一