(2024年11月15日)

  アフガン、日本、アメリカ 

~民主主義と人権を保証するものはなにか~

 

トランプ候補が大勝し勝ち誇る姿をテレビで見ていると、3年前のカーブルに再登場して気勢をあげるターリバーンを見る思いがした。武装闘争と選挙、形態に大きな違いはあるが、政治闘争に決着をつけた点で両方とも同じ機能を果たしている。

武力決着より選挙はより進んだ平和的で民主的な手段、仕組みだとみなされている。果たしてそうか。一考の余地がある。(森羅万象欄で小原重信氏が投稿された「政治と社会の関係を社会契約論の視界で学び直す ~太平洋戦争の悲惨に戦争と平和の歴史サイクルが見える~」はその考察における貴重な労作のひとつ)

 

自由選挙とは?

岩盤支持層という言葉がある。いやな言葉だ。そこには自由も変化もない。

本来選挙は自由であるべきで、候補者群の中から、投票者が意中のひとりを「自由」に選び、なにものにも拘束されることなく匿名で「自由」に投票できるシステムである(はずだ)。

日本国であれば憲法に従い、学校でも教えられる、普通・平等・秘密・直接の4つの原則がある。投票や立候補は権利であって義務ではない。投票するか立候補するかは個人の自由にゆだねられている。権利を行使しなくても罰せられることはない。

システムで自由が保障されていても投票したくない場合がある。自分を代弁してくれる候補者がいないときだ。選挙というものは、意中の人や、最善の人を選ぶものではない、より良いもの、そんな人がいなくてもより悪くないものを選んで投票すべきだ、と正論を述べる人がいる。それができないから困る。悩んだ末に棄権したり、白票を投じたりする。

そもそも、議会とは、議員たちが自分の思想と良心に基づいて正々堂々と議論し、正しい結論を導き出す場であるはずだ。しかし、「党議拘束」なるわけのわからないルールがまかり通って、議員たちにも「自由」がない。これでは、多くの人びとの脳中に、民主主義とはなんだ、という根本的な疑念が渦巻いても不思議はない。

代議制であれ直接制であれ、自分の権利を他者にゆだねるシステムについてまわる矛盾だ。

 

勝利したトランプ、だが危機は去らず

この2週間余りの間に日本とアメリカで大きな選挙があった。前回の<視点116>「民主主義を死なすな~日本総選挙とアメリカ大統領選挙~」執筆時点は米大統領選挙投票直前だった。もしトランプ候補が負けた場合、アメリカは内戦の危機に陥るのではないかという恐れがあった。スティーブン・レビスキー/ダニエル・ジブタット(Steven Levitsky、Daniel Ziblatt)共著の『民主主義の死に方』(『How Democracies Die』)を援用して、「柔らかいガードレール」が消失したアメリカ民主主義の危機について書いた。

幸か不幸か、結果はトランプ候補の大勝。民主党のハリス候補が潔く敗北を認めたため危機は表面化せずに済んだ。

しかし、だからといって民主主義の危機が解消されたとはいえない。そこには2大政党制の大きな弊害が厳然として存在している。

アメリカの大統領選挙は民主党と共和党の争い、と報道されがちだが、第3の選択肢がないわけではない。今回の選挙でも、第3、第4の候補者もいた。それぞれつぎのような得票状況だった。

緑の党のジル・スタイン氏:約59万票(0.43%)
独立派のロバート・F・ケネディ・ジュニア氏:約57万5千票(0.42%)
リバタリアン党のチェイス・オリバー氏): 約55万7千票(0.40%)

しかし、各候補の得票率からみて、ハリス、トランプ両候補以外は選択肢になりえていないと言ってよいだろう。

では、ハリス、トランプ両氏は選択肢たりえたのだろうか。アメリカの良心ともいえるサイトに「Democracy Now」がある。今回の投票日を前に、決断を強いられたアメリカ有権者の苦悩を、そのサイトのメインキャスターのひとりがつぎのように論じていた。

(語る人は、フアン・ゴンザレス。1947年生まれで1968年に在学中のコロンビア大学でベトナム戦争反対運動を指導したひとり。その後もラテン系有権者として政治活動をつづけてきたジャーナリスト。発言のタイトルは「1968年と同じく、今回の選挙を欠席するのは間違いだ」。)

「“イスラエルによる1年にわたるガザへの大量虐殺攻撃に対する政府の継続的な支援に憤慨している”人々にとって投票は“耐え難い”ものだ」。

彼によれば「2024年の選挙は、ベトナム戦争への怒りから多くの進歩派が選挙に参加しなかった1968年の大統領選挙を髣髴とさせる」。なぜか。この時の選挙では今回と同じく、与党の民主党候補が野党共和党から立候補したリチャード・ニクソンに敗北している。1968年といえば、1963年に暗殺されたジョン・F・ケネディの副大統領として後を引き継いだリンドン・ジョンソン大統領が退任しヒューバート・ハンフリー副大統領が立候補した。しかもハンフリー氏の立候補は、予備選で最有力候補であったロバー・ケネディ氏が暗殺され急遽指名されたものだった。まさに今回のハリス候補の急登板劇に似ている。しかも、ジョンソン大統領はベトナム戦争を拡大・激化させ、それが理由で不出馬に追い込まれていたのだった。理由は異なるがバイデン候補の老齢を理由にピンチヒッターに立ったハリス副大統領のケースに似ている。しかも、バイデン政権はイスラエルに武器弾薬を供給しつづけ、ガザでのジェノサイドに手を貸していた。さらには2022年にはウクライナ戦争が勃発し、ウクライナへの武器弾薬供与、軍事的政治的支援を続けてきた。ゴンザレス氏はその1968年を次のように回顧する。

――アメリカ人がひどい選択に直面したのは今回が初めてではない。1968年、私がまだ20代前半だった頃、国は共和党のリチャード・ニクソンと民主党のヒューバート・ハンフリーの選択に直面していた。ベトナムではまた別のひどい戦争が猛威を振るい、最終的に200万人のベトナム人の命が奪われた。そして当時、アメリカは直接戦争犯罪を犯し、ナパーム弾や枯葉剤が使用され、ベトナムの民間地域が大規模に爆撃された。そして国内では、ニクソンは明らかに抗議活動、黒人アメリカ人による大規模な抗議活動に向けられた法と秩序に関する人種差別的なレトリックを使っていた。ちょうど今日のトランプがラテンアメリカ、アフリカ、カリブ海諸国からの移民に対して人種差別的なイメージを使っているのと同じだ。そしてニクソンは、当選したらベトナム戦争を終わらせると約束していた。そのため、私たちの多くはその選挙で投票を拒否した。そしてもちろんニクソンが勝利し、米国の内政と外交政策における現代の右派への転換への道が開かれた。ニクソンは戦争を終わらせるどころか、戦争を拡大した。彼はカンボジアとラオスに侵攻し、東南アジアでの殺戮はさらに6年間続いた。

1968年の経験に基づいてゴンザレス氏はつぎのように結論づける。

――私たちの中には、選挙に行かなかったことが大きな間違いだったと気づくまでに何年もかかった人もいたでしょう。私は今人々がしていることを批判するつもりはありませんが、まだ決断を下していない人たちにアドバイスしたいのは、選挙の時点で決断を下すのは難しいかもしれないが、将来起こりうる変化への道を開くためには、時には選挙に行くことは必要なことだということです。

選挙に行ってもいかなくても自分の1票が自分の希望する未来を引き寄せることにならないかもしれない、しかしそれでも行くという意識が大事だという。それは、政治プロセスは1回の投票行動がすべてではないからである。アメリカでは大統領選と併行して、上院と下院の選挙も行われている。現在開票作業が進行中。上院では共和党が過半数をとり、13日現在、下院でも共和党が勝利する「トリプルレッド」が実現してしまった。

 

トランプ勝利、ハリス敗北の原因

日本では、投票率が低ければ与党が有利、高ければ野党が有利という定説があった。いわゆる組織票=岩盤層の存在が理由である。そのジンクスは今回破れた。アメリカでも、投票率が高ければ民主党が有利、低ければ共和党が有利といわれていた。しかし今回アメリカでもそのジンクスは破れ、トランプ共和が総得票数でも選挙人数でも、また上院下院選挙でも民主を圧倒している。

なぜこのような番狂わせが生じたのか。その分析がいま盛んにおこなわれている。日本の場合は前回の<視点>で一部触れたがこれから突き詰めていくべき課題だ。

過去3回の大統領選挙結果を見ると、今回、共和党が獲得票数を増やしたわけではなく、民主党が自滅した事実がクリアになる。各選挙の得票数、得票率を比べると下記のとおりだ。

2024年:全体の投票率=65%(暫定値)
トランプ 7千480万票(50.4%)
ハリス  7千120万票(48.0%)

2020年:全体の投票率=66.6%
バイデン 8千120万票(51.3%)
トランプ 7千420万票(46.8%)

2016年:全体の投票率=60.1%
クリントン6千580万票(48.2%)
トランプ 6千300万票(46.1%)

前回と今回で、トランプ候補の得票数はほとんど変わらないのに、ハリス候補は前回のバイデン得票数より1千万票も減らしている。見た通りの民主党の自滅である。

 

なぜ自滅したのか

日本の総選挙で自公が大敗した理由は明白。裏金問題、与党自民党の腐敗である。

では、トランプ勝利の要因は何だったのだろうか。これから、さまざまな分析がなされるだろうが、結論的に言えば、国内経済と戦争の影響が大きい。実際に政権をになっていた民主党への批判、失望である。トランプ候補への支持が増えたわけではない。

敗因をさぐるといえば、当然、その主体は民主党サイドないしアメリカの民主主義の危機を憂う側のものだろう。先ほどの「Democracy Now」での指摘を聞いてみよう。

・今回の共和党の勝利は「南部連合の勝利」であり白人至上主義、外国人嫌悪、憎悪の勝利である。が同時にそれは、白人至上主義の最後の抵抗でもある。

・女性蔑視と人種差別、そしてユダヤ人男性と結婚した黒人アジア人女性がホワイトハウスに座ることへの恐怖。多文化、多人種、多言語、多様性のアメリカへの恐怖

・一方、第1期トランプ時代のさまざまな悪政が列挙されるが、だからといってそれが民主党の得点となるわけではない。むしろ、民主党も共和党とおなじく、金満選挙にあけくれ、億万長者にこびへつらう姿勢が批判される。民主党はバーニー・サンダース氏が批判するように労働者階級を見捨てただけでなく「アラブ系アメリカ人、イスラム教徒アメリカ人、パレスチナ系アメリカ人の有権者は必要ないという計算をした」。それに対して、トランプ候補は、「イスラム教徒のアメリカ人コミュニティーへの啓蒙活動に再び取り組んだ。モスクを訪問し、宗教指導者と会い、アラビア語、ベンガル語、ウルドゥー語など多言語の看板を立てた」。もちろん選挙のためのパフォーマンスにすぎないのだが。

・バイデン政権下で進んだインフレと併行して続けられるふたつの戦争。民主党はロシアの侵略と戦うウクライナとガザへの侵攻を続けるイスラエルの双方に支援をつづけた。トランプは「ゴラン高原の主権をイスラエルに与えた。彼はエルサレムをイスラエルの首都と宣言した。ドナルド・トランプにちなんで名付けられたイスラエルの入植地がある。彼の義理の息子ジャレッド・クシュナーは、ガザは美しい海辺の土地だと信じている。」トランプの義理の息子は破壊され尽くしたガザの再建ビジネスを構想している。批判すべき悪事を働いているトランプ前大統領だが、イスラエルに昨年から武器をあたえつづけ、ガザの住民を殺害し街を破壊しつくしているのはバイデン政権だ。

・トランプ候補は、大統領に就任すれば両方の戦争をすぐにやめさせると主張している。1968年の共和党ニクソン候補の言い分とまったく同じだ。

 

決定的な要因は「戦争」に対する言説

「イスラエルによる1年にわたるガザへの大量虐殺攻撃に対するバイデン政府の継続的な支援に憤慨している」人々にとって民主党候補に投票するのは「耐え難い」ものだ。ゴンザレス氏の言うように、2024年の選挙は、ベトナム戦争への怒りから多くの進歩派が選挙に行かず、リチャード・ニクソンの勝利と最終的な戦争拡大が悲惨な結果をもたらした1968年を彷彿とさせる。

2024年に民主党が大きく得票を減らしたのは、労働者やマイノリティーの人びとを惹きつけることができず、逆に離反させたからだという。

皮肉なことに、トランプ候補の魅力の1つは、戦争をしなかったという言い草。それは、一種の神話にすぎないのだが、それでもトランプ政権下では戦争はなかったという信念。そして、モンロー以来の孤立主義。グローバリズムを主唱し戦争支援をつづけ、国内支援をおろそかにするバイデン政権への失望。

パレスチナの一般市民だけでなく、歴史上最も多くの国連職員を殺したのはバイデン政権から武器弾薬および国連や国際社会での支援を受け続けるイスラエルのネタニヤフ政権だ。

アメリカの民主派はこの1年でバイデン民主党に裏切られたと感じている。ウクライナは称賛の念をもって語られ、ゼレンスキーは一種の英雄崇拝をもって語られ、ロシアの侵略に抵抗したウクライナ人は称賛されつづけている。

次の言葉が、アメリカ民主派のジレンマの信条を、もっともよく表しているのではないだろうか。

「もしあなたが大量虐殺を無視してカマラ・ハリスに投票できるとするなら、保守派がトランプの過激主義を無視して彼に投票できる理由を理解できるはずだ」(作家のメグ・インダルティ)

トランプの悪行を言い募ることはいくらでもできる。しかしそれではトランプ支持の岩盤を崩すことはできない。一方、バイデン政権の内政外交によって苦しまされている(と感じている)階層・階級は投票に行かなかったことを明瞭に現したのが今回の選挙結果だったのではないか。

 

ジレンマを解消する道

今号の読者の声でBSさんが、BS・TVでゲスト出演していた芸人パックンの次のような言葉を投稿してくれた。

「トランプが大統領を務めた4年間を思い出してください。2回も弾劾されているんですよ。女性蔑視や差別発言、暴言、嘘。僕から見れば真っ黒なんですけど、その真っ黒な人が過半数の人に選ばれた訳です。これからの4年間は顔を伏せて時間の過ぎるのを待つようです」。

パックンが国外投票したかどうか知らないけれど(デーブ・スペクターさんは郵便投票したらしいけれど民主党の強いカリフォルニアだからあまり意味がないと発言していた)、敗北を認めるのも民主主義だ。しかし、次の選挙まで顔を伏せて過ごすのは民主主義者の取るべき姿勢ではない。

民主主義社会の運営は、1回限りの選挙結果ですべてが決まるわけではない。アメリカは連邦議会、州議会などの選挙、多くの自治体での選挙と選挙の間での議会への働きかけ。各種の州や自治体機構や中間組織での働きかけなど、日常の大衆行動の場があり、活発に展開されている。おそらくパックンは日本社会に慣れすぎて、選挙だけが民主主義だと思わされたのではないだろうか。

民主主義を保証するものは何だろうか。冒頭で掲げた自由選挙の4原則のように、学校で教えられている要素はいくつもある。

日本にも労働運動や職能・職業団体やさまざまな市民運動がある(あった)のだが現在それらは極めて弱い。民主主義を保証する仕組みは、三権分立にはじまる国家制度からはじめ、さまざまな日常的大衆的運動を内包してはじめて機能するものなのだ。

最も重要なのは民主主義を獲得し発展させていく思想と行動である。

アフガンも日本もアメリカも日常が大切。投票行動だけが解決手段ではない。

アフガニスタンでは女性の教育や人権の擁護や実現のための闘いが苛烈に弾圧されていて、その必要性が誰にでもわかる形であらわされている。じつは、アメリカや日本でもさまざまなレベルでの日常の大衆運動が必要とされているのだ。皮肉にも「社会主義」や「人民民主主義」を標榜する国でこそ必要とされている。人類がその活動を必要としなくなる進歩をとげるまで、永遠につづくプロセスなのではないだろうか。

【野口壽一】