(WAJ:「国際開発ジャーナル」は1967年に創刊され、以来57年の長きにわたり日本の国際開発に関する話題を取り上げてきた日本で唯一の国際協力専門誌(1976年以降、月刊)です。その最新6月号の特集記事でイーグルアフガン明徳カレッジが紹介されました。以下にその記事と写真を転載させていただきます。)

 

特集 難民1億人時代  地域が抱える“鎖国”日本

 「国際開発ジャーナル」2024年6月号表紙より(解説:千葉明徳学園の日本語教室「イーグルアフガン明徳カレッジ」で日本語を学ぶ、アフガニスタンから日本に逃れた女性。元気な子どもを抱えながら懸命に学ぶ姿が印象的だった)

 

6月 20日 は「世界難民の日」。 あふれ出る難民・避難民の数 は1億 人を超え、過去 10年 間で約2.5倍 に急増 した。 世界人口の約80人 に 1人が「国を追われる人々」という実情だ。私たちの誰もが 、「自分ごと」としてこの問題をとらえ直していく必要がある。“難民鎖国”と言われる日本国内でもすでに、地域の中で難民・避難民を迎え入れ、 生活や教育、就労に支援の輪が広がっている。難民問題の現状と課題を国内外の取り組みを通じて、報告する。


アフガニスタン女性たちの日本語教室で学ぶ母と子どもたち

 

学校の楽しさ、学ぶ喜びを女性たちに

イーグルアフガン明徳カレッジの日本語教室

 

アフガニスタンから日本に逃れた女性たちに、日本語教育を無料で提供するNPOと学校の共同事業がある。千葉市内の学校法人、千葉明徳学園(福中儀明理事長)の校舎で、NPO法人「イーグル・アフガン興協会」(江藤セデカ理事長)が運営する日本語教室だ。アフガニスタンの人々が多く住む千葉や埼玉の取り組みを取材した。

 

試行期間終えて正式にスタート

「イード・ムバラク(おめでとう)!」

4月13日の土曜日、ベール姿のアフガニスタン女性たちの明るい声が学校の中に響いた。この週まで続いていたイスラム教のラマダン(断食月)が明けたことを喜ぶ、お祝いの挨拶だ。

手作りのケーキやクッキー、ナッツなどのお菓子を持参し、交換する女性もいた。少しお洒落に着飾った人もいて、日本の正月のようにちょっぴり華やいだ雰囲気だ。

芝生の広場ではアフガニスタンの子どもたちが早稲田大学のボランティア団体WAVOCの学生たちと一緒に遊んでいた。

ここは、千葉市中央区の千葉明徳学園。緑あふれるキャンパスには、保育園や幼稚園、中学、高校、短期大学がある。2023年11月から短大の校舎内で2つの教室を使い、毎週土曜に2時間、アフガニスタンの女性を対象にした日本語教室が仮オープンしていた。

今年3月末までは試行期間で、4月から正式に開校し、授業を始めた。初級、中級、上級の3クラスあり、計50人以上の女性が参加している。託児所も備えているが、教室には乳飲み子を抱えながら学ぶ若い母親もいる。

昨秋からの試行期間では受講生は20人程度かと考えていたが、アフガン女性の口コミで評判が広がり、受講生は増え続け、茨城県などから来る人も含め、90人参加することもあった。

日本語教室は「イーグルアフガン明徳カレッジ(EAMC)」と命名された。イーグルは、アフガニスタンで “希望をもたらす鳥”であることにちなんだ。

運営するNPO「イーグル・アフガン復興協会」は、アフガニスタン出身の江藤セデカ理事長が2003年に創設。以来、母国に衣料品や文房具を送り、学校の支援をするなど人道的援助を展開してきた。ところが、2021年8月、ターリバーン※が権力に復帰して以降、同協会の事業は大きく変貌した。日本に逃げて来た難民・避難民らの生活や就労の支援が、最大の課題になってきた。それ以前は、江藤氏がペルシャじゅうたんなどの輸入販売業で稼いだ私財や、協会の会費収入を元手にボランティアらが手伝っていた。だが、日本で急増する難民らのニーズに応じ、支援の拡充が迫られた。その一つが、日本語教室だった。

 

千葉県に最大のアフガン人口

在日アフガン人は約5,600人。千葉県には約2,300人が住み、国内の都道府県別のアフガン人口数では最大だ。千葉市や四街道市、佐倉市などに多く、自動車解体業で暮らすコミュニティもある。そこで多くのアフガン難民らを受け入れ、支援の輪が広がっていた。だが、人々が日本で長期的に自立し、持続的に暮らすために必要なのは、日本語だった。

難民に対する公的な支援には、(公財) アジア福祉教育財団の難民事業本部(RHQ)が政府の委託を受けて進める日本語教育があるが、期間は半年と短く、学習効果に限界がある。また、コロナ禍を経てオンライン講義が増えてきた。難民らから日本語教育の支援を強く求める声が、イーグル・アフガン復興協会に届いていた。

そんな時、千葉明徳学園との連携の話が浮上した。同復興協会の理事の野口壽一氏が編集長を務めるアフガニスタン専門の情報サイト「ウェップ・アフガン」で、千葉明徳学園の教員、金子明氏がサイトの編集者を務めていたことがきっかけで、教室開設に協力する話が進み始めた。千葉明徳学園では福中儀明理事長も以前から、何か貢献できないか考えていたという。昨夏、同協会の江藤理事長が福中理事長に会い、教室開設の協力が本決まりした。

だが、女性の教室に際して不可欠だったのは、在日アフガン人社会の合意形成だった。このコミュニティは非常に強い父系社会であり、ミニ部族社会である。女性の教育を厳しく制限するターリバーンとは異なるが、女性が学校に通って学ぶことに消極的な人もいる。

そこで江藤理事長は「EAMCの教師は女性だけにし、授業料は無料」とすることで受講希望者の家族の理解を取り付けた。こうしてEAMCは試行期間の11月上旬から3月末まで計17回開催され、延べ520人の女性が参加した。

 


日本語教室の開校式で挨拶するイーグル・アフガン復興協会の江藤セデカ理事長(中央)と日本語教師ら=千葉明徳学園で

 

いよいよEAMCが正式に開校した今年4月13日、江藤理事長は集まった受講生に挨拶した。「私自身、アフガニスタンから日本に来て41年経った今やっとアフガン女性の教育に貢献する活動がスタートできた。多民族が集まり、共同で開校でき、今まで長らく願ってきた夢がかなった。」

 

産婦人科医の女性も参加

ここで、昨年11月からの試行期間にEAMCに通ったアフガン女性の声を紹介しよう。まだ20歳代後半で子どもが大勢いるAさんは、父親を早く亡くしたため、学校は小学校しか通えなかった。

そして15歳で結婚した。このため「もう学校に通うチャンスは一生ないと思っていたから、今、学校が楽しくてたまらない。毎週この2時間が待ち遠しい」と言う。

Aさんにとって日本語ができなくて困ったのは、子どもを連れて病院に行く時と、店で食品を買う時だった。今では、子どもの下痢や発熱などの症状を簡単な日本語で医師や看護師に言えるようになった。また、イスラム教には食事の戒律があるが、スーパーで何も聞けずに帰って来ることがあった。今は「この食品に豚肉は入っていませんか」などと聞けるようになった。

 


買い物など日常生活でよく使う便利な日本語を優先的に教える

 

EAMCの受講生には、3年前の避難直前まで医師として働いていた女性もいる。アフガニスタンの大学で医学部を卒業し、カーブルの国軍関係の病院で産婦人科医として勤めていたBさんだ。権力に復帰したターリバーンも、女性の医師や看護師は女性の医療のために必要視してはいる。だが、Bさんの家族や親類には前政府の軍関係者が多いため、弾圧を受けやすいと判断し、やはり医師の夫と共に母国を脱出した。大阪のキリスト教系財団の支援で日本に避難し、働き口を期待していた。

だが、日本語ができず、子どもの世話もあって十分な就職活動ができないままになっていた。それでもEAMCに参加したことによって、日本語能力も急速に上達しており、手応えを感じた。Bさんは「これからもしっかりと日本語の勉強を続け、医師でも、看護師でも、日本の医療関係の資格を取得して働きたい」と語る。

日本語のニーズは、国内各地のアフガン人コミュニティに広がっている。江藤理事長のもとには北海道や九州からも日本語のオンライン講座開設をできないか問い合わせが来る。

 


女性の中には学校に不慣れな人もいるが、丁寧に教えている

 

さらに、千葉明徳学園の福中理事長=コラム参照=が言うように、アフガニスタンの子どもたちの教育にも力を入れる必要がある。多くの子どもは日本の公立校に通うが、日本語で行われる授業についていけない子や、ダリー語※など母国語教育の必要性もある。さらに、学校では子どもへのいじめ問題も起き、心のケアも必要性が高まっている。

EAMCは近く、母親たちの授業時間と並行し、数十人の子どもを対象に算数、ダリー語や日本語などの教室の開設も計画中だ。同復興協会は昨秋から、元国連教育科学文化機関(UNESCO) 事務局長の松浦晃一郎氏が理事長を務める(特活)警備人材育成センタ一から、子どもを抱える難民家庭を対象にした教育資金の支援を受けている。だが、将来にわたって長期的、持続的な教育を提供するには、さらなる事業費がかかりそうだ。

アフガニスタンを含め、外国人が日本社会に増加し、今後は「移民社会」の様相も強めていくことだろう。さまざまな教育対応の施策が必要とされている。

(ここで記事は埼玉の話題に移るため、以下略)

 

 

コラム

アフガンの子どもたちにも教育を検討

〜途上国に旅する若手教員に奨励金制度〜


千葉明徳学園理事長 福中儀明氏

 

2023年7月にイーグル・アフガン復興協会の江藤セデカ理事長に初めて会い、アフガン女性のための日本語教室を開く相談をいただいた時、私はその場でOKと答えた。アフガン難民と聞いて思い出したのは、2021年の米軍撤退に伴う大混乱だ。大変な事態をくぐり抜けてきた人々だと思った。教室を貸すことくらい、簡単にできることだった。

私自身、個人的にアフガン難民らといくつかの出会いがあった。登山が趣味なため、1990年にパキスタンに一人で旅行に訪れた。イスラマバードで初めてタクシーに乗ったところ、運転手は元ムジャヒディーン※(イスラム戦士)だった。ペシャワールではゲリラのような風貌で手作りのナイフを売るアフガニスタンの商売人や、じゅうたん屋の店員などに出会った。

2005年にはイランを訪問し、テヘランの街角でアフガン難民の少年に話しかけられた。少年は親類がいるイランに避難していたが、そこでかなりの苦労をしている様子だった。今回の教室開設でそんな記憶も蘇ってきた。

一方、千葉明徳学園としては2006年からネパール西部の村の学校と姉妹校提携をし、交流している。学園の教職員や短大の学生も同行して授業に参加し、現地の生徒と一緒にラジオやモーターを作成したり、絵を描いたりする。電気も通っていない山間部の学校だが、訪問した教職員の中には感動のあまり、途上国での協力活動に転職するケースもある。学園を退職してベトナムで日本語教師になった例や、国際協力機構(JICA)に入ってヨルダンでの難民事業に貢献している例もある。

だが、若い世代の教職員の中には、海外体験のない人もいるので、海外旅行に出るための補助金制度を数年前に設けた。申請があった旅行計画案から年5件を選び、1人当たり20万円の補助金を出す。ただし、開発途上国に一人で行くことが条件だ。これまでパラオ(戦跡)、メキシコ(国境の壁)、タイ(黄金の三角地帯)、サラエボなどの訪問例がある。コロナでしばらく中断していたが、今年から補助を再開する予定だ。

学園で日本語教室が開かれる土曜は毎週、出勤しているが、アフガン女性とは直接話しにくい。そのうち皆で茶話会でも開いて、じっくりと話を聞いてみたい。

私はもっぱら、託児所でアフガンの子供たちの遊び相手になっている。明るく、たくましく、優秀な子が多い印象だ。岸田政権は「異次元の少子化対策を進める」などと言っているが、日本で生まれた子供には全て日本国籍を与えるくらいの英断を示しても良いと思う。

将来は、この子たちにも日本語のほか、英語、算数、母国語も教えるような教室を学園内に開きたいと思う。日本人を超えるくらいの学力をつけ、日本や米国の大学に行けるようになればいい。

※WAJ注記:「イーグルアフガン明徳カレッジ」の表記(中黒ナシ)は国際開発ジャーナル誌の取材後に正式決定しました。そのため、この紹介記事では中黒をとっています。その他、ターリバーン、カーブル、ダリー語、ムジャヒディーンは、当サイトの表記に合わせ書き直しました。