バーミヤン大仏破壊、オマル指示書をめぐって

読者の山田利行さんより、貴重な資料をいただいた。

ターリバーンによってバーミヤンの大仏が破壊された事件にまつわる真相(深層)にせまる資料である。そのひとつは、

バーミヤンの大仏遺跡は歴史的文物として保護せよとしたオマル指示書のコピーとその解説

である。山田さんは爆破の顛末と山田さん自身のバーミヤンの摩崖仏およびアフガニスタンとの関りを、自分の専門職(大空間構造技術)をもベースにした研究論文を書かれている。

山田利行著「私の見たアフガニスタン」(オクサス学会紀要7)(原稿pdf)

さらに山田さんは、爆破直前にバーミヤン大仏の写真を撮影しオマル師の保護指令書を入手した菅沼隆二さんについて述べた元読売新聞海外特派員の高木規矩郎さんのエッセー

「最後のバーミヤン」(季刊アラブ 2001 冬 No.99)のコピー

も同封してくれた。

これらを拝見すると、一度は保存を命令したオマル師がなぜ破壊を命ずるに至ったのか、かつて抱いていたこの大事件にまつわる疑問がふたたび頭をもたげてきた。

そこで、本棚でホコリを被っていたつぎの2冊をもういちど通読した。

『大仏破壊』高木徹著、文芸春秋、2004年12月
『アフガニスタンの仏像は破壊されたのではない 恥辱のあまり崩れ落ちたのだ』モフセン・マフマルバフ著、現代企画室、2001年11月

『大仏破壊』は、NHKのディレクターとして大仏破壊の秘密にせまる取材をした高木氏の手になるものである。同書では、山田さんが紹介する菅沼さんの写真撮影の事実にも触れながら、オマル師がいったんは仏像保護の指令を出しながら、イスラームの規定を持ち出して「偶像破壊」指令=バーミヤン爆破にいたる、180度の変節プロセスを、ターリバーンを操るほどに影響力を増したビン・ラーディンとの絡みで解明している。

以上は外側から見た、事実の表面的な推移である。しかし、アフガニスタンで何ゆえに21世紀の冒頭にこのような暴挙が現実となったのか、民族と部族と宗教と歴史に翻弄され、貧しさの極致に落とし込められ、そこからの脱却の道を見いだせず苦しむアフガニスタン民衆の業と悲しさを、その奥底から抉り出すマフマルバフのエッセー集は読んでいて胸がつまる。アフガニスタンの悲惨な現実を直視しながら何事もなすことのできないバーミヤンの仏像は、マルバフマルの言うように、自己の非力を自覚し立ち続けることができずくずおれたのだ。

バーミヤンの大仏に関してはもう一冊本棚にあった。

『アフガニスタンの仏教遺跡 バーミヤン』前田耕作著、晶文社、2002年1月

である。前田先生のバーミヤンおよびバーミヤンを通って日本に伝わった仏教の想いは本サイトの視点No.9 <「微笑みの来た道」は「イスラームも来た道」~東京藝大美術館「みろく」展を観て想う~> で紹介した。アフガンから新疆ウイグルを通り日本に菩薩の「微笑み」が伝わってくる道筋は血なまぐさく悲惨な歴史でもあるのだ。