My Big No To This Damn War !
(WAJ: 古代、イランとアフガニスタンはペルシャ帝国を構成する同一国だった。その後アフガニスタンは幾多の大国があらそう紛争地であったが、言語はペルシャ語を維持してきた。現代でもアフガニスタンの西部はイランと緊密な関係をもつ。ウエッブ・アフガンでは、アフガニスタン問題を見る場合、イランとパキスタンを同時に視野に収めなければ理解できないと主張してきた。イランの神権体制とアフガニスタンのターリバーン政権は、シーア派とスンニ派というイスラム教内の対立宗派ではあるが支配イデオロギーとして共通項が多い。そのような関係において、イラン人としてパーレビ体制とイスラム神権政治に対して人権擁護の観点から闘い続けてきたいち人権活動家は、今回のイスラエルとアメリカによるイラン攻撃をどう見るか、その声を紹介する。)
モルテザ・アブドゥラリアン
(独立系ジャーナリスト、人権と表現の自由の擁護者)
2025年6月22日
人権活動家として、表現の自由の擁護者として、そして独立系ジャーナリストとして、私はこの戦争が一刻も早く終わることを願っています。すべての人権基準や「世界人権宣言」は戦争に反対しています。
西側諸国は人権や国際法を無視し、利己的な利益のために道徳や良心に反して偽善的に行動しています。こうした国々は国際社会の前で責任を問われるべきです。
悲しいことに、一部のイラン人たちはこの戦争を自分たちにとっての「恩恵」と見なし、かつてホメイニが「戦争は祝福である」と言ったように、権力を得るために二枚舌の政策で偽善的に戦争を扇動しています。彼らは戦争による国土の破壊や無実のイラン人の命の犠牲を顧みていません。彼らは「目的のためには手段を選ばず」というマキャヴェリ的思想と政策を採用しているのです。
しかし、私たちはみな知っています。この戦争は私たちイラン国民の戦争ではなく、自国民を弾圧してきた2つの反動的な国家間の戦争にすぎません。
イスラエルへの戦争を支持するイラン人たちに私は言いたい:間違った道や言説では、正しい政策は実現できません。「曲がった壁」はそのまま「ソラヤ(寓話の王女)」にまで到達しようとも、結局は倒れるのです(=どんなに目標が立派でも、間違った方法では破滅に至る)。今、多くの国の市民がイランの人々と連帯し、戦争と殺戮の終結を求めてデモを行っているにもかかわらず、一部のイラン人が彼らに攻撃的な態度をとり、戦争の継続を望んでいることに世界は驚いています。
故サイーディ・シルジャーニー(イランの作家)は、こうしたイラン人の矛盾した行動を「奇妙な現象の体現」と評しました。
この戦争は、反動的かつ宗教的な2つの体制間の戦争です。イラン・イスラム共和国は44年間「風を蒔き」、今や「嵐を刈り取って」いるのです。なぜ無関係な市民がその代償を払わなければならないのでしょうか?
イスラエルとアメリカによるイスラム共和国との戦争の目的は、中東地域における支配と、彼らの利益を保証する政権の樹立です。これはこれまでにも世界中で何度も行われてきたことで、わがイランも例外ではありません。
イスラム共和国を倒す手段は本当に戦争しかないのでしょうか? 南アフリカのアパルトヘイト政権に対して行われたような、世界的合意による全面的なボイコットという手段を、なぜ取れないのでしょうか? なぜ戦争なのか?
戦争が早く終わるほど、両国民にとって良いことです。人権の観点からも、戦争は倫理的な基準を破壊し損なうものです。ゆえに道徳的価値観に基づけば、戦争に反対の立場をとるべきです。市民権と人権を重んじる人々は、みな戦争に反対しています。
忘れてはなりません。イスラエルの犯罪的な政権は、国際法を無視してこの戦争を私たちに押しつけてきました。同時に、イランのイスラム政権も長年にわたり「イスラエル国家の破壊」を叫ぶことで地域の緊張を煽ってきました。
私たちは皆、戦争とは「政治の延長」であることを知っています。政治が終われば、戦争と衝突が始まるのです。
皆さん、戦争は高くつく危険をもたらします。
平和と自由を願って