(2024年11月5日)

  民主主義を死なすな 

~日本総選挙とアメリカ大統領選挙~

 

(全世界の注目の的、アメリカの大統領選挙が今日行われる緊迫した状況を前に、この原稿を書いています。日本、アメリカ、そして武力で独裁制を実施しているアフガニスタンやその他の国々の政治状況、民主主義や独裁政治の在り方に思いをいたしながら、以下、お読みいただけると幸いです。)

 

自公、大敗北。単純多数を失う

10月27日に実施された衆院総選挙の結果がでた。
自公の与党連合が議席の過半数を失う非常事態が出現した。
石破首相は、死に損なった裏金・統一教会議員をかき集め、また野党に取り入って首相指名を乗り越えようと必死である。

自公の凋落は予想通りという論評がある。しかし私にとっては意外な結果だった。
議席数で自民の減と野党の増は予想通りだったが、内訳には少々驚かされた。

前回総選挙と今回の党派別得票増減(比例代表区全国集計)を見ると、自民、公明、維新は激減、国民とれいわは激増、共産は減で立憲はほぼ変わらず。参政・保守の新右派登場というところだ。

驚かされたのは、立憲が議席数は激増したのに、比例区の得票数は前回とほぼ変わらなかった事実だ。

<参考> 前回総選挙と今回の党派別得票増減(比例代表区全国集計)
政党  2021年→今回→増減
——————————-
自民  1991万→1458万→ -533万
立憲  1149万→1155万→ +6万
国民  259万→616万→ +357万
公明  711万→596万→ -115万
維新  805万→509万→ -296万
れいわ 221万→380万→ +159万
共産  416万→336万→ -80万
参政  なし→187万
保守  なし→114万
社民  101万→93万→ -8万

投票率が低ければ組織票をもつ自公が有利という前評判が大きく崩れた。
自公批判票が野党に流れたのは確かだろう。それにしては立憲の票数が伸びていない。立憲に流れた票とほぼ同数が国民とれいわに流れ出たのではないかと思われる。中道右派的様相を強めた立憲と旧安倍派を減らして中道寄りとなった自民党とで、衆議院の保守度は高まったのではないか。
今回の投票率は53.85%。前回(2021年)の55.93%から約210万人も選挙参加者が減っている。投票所に足を運ばなかった210万人の多くは、前回は自民党に入れたが今回は棄権に回ったと思われる。政治に対する信頼がどんどんと低下している。

自公連立政権には嫌気をさしているが、それに代わる政党として「これ」という党はなく、バラバラ状況が目に浮かぶ。政治不信が深まった、それが国民の「民意」だ。

BBCは早速、「日本に残るのは弱体化した自民党と分裂した野党だけだ。そのため、この国の不確実性は自国民だけでなく、近隣諸国や同盟国にとっても懸念材料となる。国内では、不安定な連立政権は経済の好転、賃金の上昇、急速に高齢化する人口の福祉の向上には役立たないだろう。そして、政治に疲れた国民の信頼と尊敬を取り戻すという課題はさらに困難となるだろう」(トピックス:10月28日)と論評した。外国人にまで言われたくない。

それにしても53.85%の投票率という、国政選挙参加者数の減少はあらためて気になる。有権者1億532万523人に対して棄権者が4641万8906人もいた勘定だ。選挙での投票だけが政治参加ではない、むしろ日常活動の方が大事なのだが、それにしても選挙は民主主義の大事な構成要素。しかも直接選挙制の国政選挙では最重要行事であるし、国民の基本的な権利だ。棄権も権利行使のひとつとの主張を否定はしないが、そうであれば、投票所に足を運び白票を投じるべきではないだろうか。

 

日本の民主主義の危機

政界では差し迫る首相指名選挙(総選挙後30日以内)をまえに多数派形成へ向けた与野党の動きが活発化している。石破首相は、自民党総裁選前、あるいは総裁選での発言を忘れたかのように前言を翻した。(「候補者の時は「補正予算を組んでからゆっくり解散」、「日米地位協定の見直し」、「紙の健康保険証を残す」と発言していたが総裁に選ばれた途端、「予算委員会もせず即解散」、「核共有」、「紙の健康保険証には無言」(BSさん、読者の声))。政治家が公約を守らないのは、有権者の大多数が国政選挙をボイコットする事態と同じく、民主主義に対する冒とくだ。

日本の民主主義は危険水域に近づいている。あるいは緩慢な死に向かっている、と言えるかもしれない。しかし、多数横暴を極めた安倍政権の時に比べれば、自公の過半数割れを生じさせた日本の民意はいま一歩のところで踏み留まった、とも言えるのではないか。いまはまだ自公連立政権は立憲君主国日本の憲法や国会法など代議制民主主義のルールに則ってことを進めようとしている。いくら形骸化した、劣化した、と言われる日本の政治だが、最低限のルールは守られている。

 

危機度が極大なアメリカの民主主義

アメリカでは2016年に登場したトランプ大統領は、2000年の再選を占う選挙で敗北した。しかし、選挙結果を「票を奪われた」と主張して認めず支持者らをあおり、合衆国議会議事堂襲撃事件まで起こした。このときはアメリカは危ういところで内戦の危機を回避し、バイデン政権をスタートさせえた。そして今日、運命の11月5日を迎えている。

民主党は、敗北した場合は「選挙が終わればノーサイド」として結果を容認すると明言している。しかし、トランプ前大統領は、すでに自分が勝っていると公言し、敗北は認めない、と主張している。これでは投票の意味がない。投票結果次第では、ふたたび4年前の悪夢が再現されないともかぎらない。

民主主義は政権交代を通じて諸問題を解決しようとする仕組みだ。その政府の方策が間違っていると有権者が判断すれば、選挙で変更できる可能性を持っている。日本はそのような政権交代可能な制度を導入しようとの観点から、小選挙区比例代表制という独特なシステムを案出した。しかし、システムは万全ではないし、民主主義そのものを担保するわけではない。民主主義を受け入れる有権者、システムを運営する議員や官僚など、国民全員の能力=民度が備わっていなければならない。

しかし、現代社会、とくに日本は、エネルギー問題、食糧問題、環境問題、少子高齢化問題をはじめとして、難しい、長期的課題を抱えている。しかも多様性の尊重がうたわれ、さまざまな主張が幅を利かせ飛び交い、ネット社会の到来で言論世界は複雑化、流動化している。こうした状況にあっては、数年ごとに一発勝負で解決をもとめる選挙制度の有効性には限界がある。曖昧で正体不明で揺れ動く「民意」を忖度し、妥協を重ね、政治は浮遊する。そのような事態に対する苛立ちが、極端な思想や政策を主張する勢力の伸張につながりかねない。

だが、日本の民主主義の危機は運営上の危機であって、いまだ、システムそのもの、およびそれを成立させる基盤が危機に瀕しているとはいえない。未来は不明だとしても。

日本の民主主義の現状と比べると、アメリカの2大政党制の現状は、民主主義そのものを危機に陥れている。

 

崩壊の絶壁に立つアメリカ民主主義

2016年にトランプ大統領が登場してからの8年間。アメリカの政治社会状況の危機は深刻さを増し続けた。いまや2大政党の対立が国民を分断するところにまでいたっている。対立政党を敵視し、どんな手段を使ってでも倒そうという姿勢の前に対話が存在しなくなっている。この状況を踏まえてアメリカで2018年1月に出版された書籍に『How Democracies Die』(Steven Levitsky、Daniel Ziblatt)がある。邦訳は『民主主義の死に方』(2018年10月、新潮社)。

それによれば、民主主義の死にかたには2つがある。ひとつは軍事クーデターのように最初からの赤裸々な暴力=独裁による破壊。もうひとつは民主主義的なプロセス(選挙)によって選ばれた政党やグループが独裁に向かうケースである。典型的な例では、ヒトラーが率いたナチス党だ。牧師マルティン・ニーメラーの有名な悔恨の言葉がある。

――最初、自分自身が選挙で投票したナチス党が、大統領を抱き込み政権をとるや、法律を恣意的に解釈し、変更し、共産主義者、社会主義者、労働組合をつぎつぎと弾圧、攻撃して潰していく様子をまえに、そのつど、「自分には関係ない」と思ってなにもせずやり過ごした。しかし、弾圧がキリスト者に向かった時、慌てて反対行動に立ち上がったが、その時はすでに遅く、自分たち以外に反対する者は、もはや誰もいなかった。

アメリカの民主主義の壊れ方はこのふたつとも異なる。

アメリカには「選挙制度そのものが、抜き差しならない対立と分断を生んでいる現実」がある。

トランプ前大統領が勝利すれば民主党は相手方の勝利を認める、としている。民主党がスポーツマンシップを発揮して「ノーサイド」の姿勢を取れば、民主主義の危機はひとまず回避される。しかしその逆の場合は、予断を許さない。トランプ陣営は選挙結果を認めず、勝利を宣言し、争い続けるだろう。アメリカは2重権力状態に陥る可能性がある。

『民主主義の死に方』は、トランプ前大統領のような人物を共和党が大統領候補に選んだのは、それまでアメリカにあった「柔らかいガードレール」が消失したからだ、と結論付けている。「柔らかいガードレール」とは、民主主義を成立させる精神である「規範」、すなわち「相互的寛容」と「組織的自制心」だという。共和党も民主党も候補者の選定にあたって、以前は、そのような規範をもっていたが、移民の流入などで白人層の相対的存在感が低下するいら立ちの中で、民主主義を成立させる規範=ガードレールを失った、というわけである。

マルティン・ニーメラー牧師の悔恨は、「最初は自分には無関係と思っていた事態の中に隠されている危険を見抜く想像力」の重要性を教えている。

日本は戦争に直結しかねない差し迫った現実を含めさまざまな課題を抱えている。裏金づくりという違法行為を犯した個々の議員を公認したり、陰で再選出させたり、公認を外したり処分をした議員が当選したら会派に取り組むなどの違法を自民党は犯した。自民党そのものが犯罪容認政党なのだ。そのような党が間違いなく首班指名で石破を首相にし権力を握る国が日本だ。

安穏としてはいられない。

【野口壽一】