(2025年5月5日)

 宗教対立、家父長制、ジェンダー 

~映画『教皇選挙』に込められたテーマ~

 

絶妙のタイミング

映画『教皇選挙』。何人かの読者の方から「アフガンが出てくるよ」とメールをもらっていた。観に行かなきゃ、と思っていた矢先の4月21日、フランシスコ教皇逝去のニュース。アフガンニュースレターの発信間際で時間がない。焦った。

ニュースの仕上げに手間取り、発信が早朝になった。25日、午前の用事を済ませて寝不足のまま恵比寿の上映館に向かわざるをえなかった。序盤は瞼の上下につっぱり。しかし中盤過ぎると引き込まれた。カーブルからやってきた小柄だが精悍な風貌の枢機卿が、テロによる爆破で屋根の一部が崩れ落ちてきたあとの、混乱が少し落ち着いてからのあるシーンで、コンクラーベ参加者に向かって信条を吐露するあたりから興味津々、わが経験とも重なり、瞼のつっぱりは吹き飛んだ。

教皇選挙参加者たちに信条を述べるベニテス枢機卿

現フランシスコ教皇はちょうど10年前、イタリア旅行でヴァチカン市国を訪問したときミサに遭遇し遠望していた。さらに、葬儀の場でゼレンスキーvsトランプの弔問外交が実現するかもしれない、と報道された。加えて、葬儀のあとに執り行われる「教皇選挙」=「コンクラーベ」。日本語の「根比べ」とラテン語の類似にも興味をそそられた。

 

カトリックが直面する大問題

本作品は国際的に華々しい評価を獲得している。折しも、フランシスコ教皇が死去し、葬儀屋コンクラーベが実施されるとの世界的なニュースを追い風に、リアルおよびストリーミングで視聴が世界的に急増している。

世界十数億人にのぼるカトリック信者や日本のカトリック信者はどう受け止めるのだろうか。ネットではカトリックの司祭や信者の感想がアップされており、信仰の本質や教会の現実を深く描いていると好評価されている。信仰を持つ人々にとって、心に響く作品となっているようだ。キャストの演技力も絶賛されている。観るのはカトリック信者だけでなく非信者も多いに違いない。

こういうマニアックな映画に興味をもたせ、信者非信者を超えて足を運ばせる関心は奈辺にあるんだろうか。かくも評判高い名作の映画批評をここで私があえて試みても、映画評としての価値は期待できない。そこでここでは映画評ではなく、映画に込められているテーマのいくつかを取りだして、検討する。

 

第一関心は「アフガン」

間違いなく第一関心は「アフガン」だ。映画の主テーマはコンクラーベを舞台にした枢機卿たちの暗闘、権力を得ようとして繰り広げられる陰謀や買収や秘密の隠蔽などの心理戦。崇高な聖職者であるべき人びとの汚らわしい人間模様、宗教感の衝突が描かれる。そのようなストーリーの展開の中で作品の転換点となるのが、カーブルから来たベニテス枢機卿の演説だった。

なかなか新教皇をきめる3分の2の得票者が現われない中、ベニテス枢機卿が、テロによって天井が崩れ落ちるという大事件のあと、意を決して信条を訴える。本来、新教皇がもつべきキリスト教への信頼や信仰をそっちのけに票獲得を巡って陰険な権謀術数をあやつる暗闘にたまりかねたのだ。

彼は、異教の支配するカーブルでの活動を踏まえて演説をする。そこはイスラム教が支配する国、そこでのキリスト者としての活動と使命、戦争が止まずつねに人が人を殺しつづけている。そのような状況はアフガニスタンだけでなく中東やアフリカなど世界中で繰り返されている。誰が新教皇になるかを議論するときにそのような世界の苦悶、世界平和のための責務を直視し、キリスト教に何ができるか、何をなすべきかを問わずイスラム教との宗教戦争をあおるような教皇選出であっていいのか、と。

この正論にコンクラーベの投票の流れは一挙にベニセス枢機卿に傾き、彼が新教皇に選出される。(このストーリーは余りにも安易ではないか、との批判もある。筆者もそう感じるが、ここでは映画評、ないし本作品の重要なテーマのひとつでもあった信仰のありかたなどについては触れない。)

アフガニスタンは現代と過去の矛盾の集約点であり、平和を破壊する世界勢力のせめぎあいの集中点である。ひとたびここに足を踏み入れればそこから逃れて安逸な生活を送る精神は持ちえない。ベニテス枢機卿とおなじ感慨を私も感じた。もう40年以上も前であるのにその「呪い」はいまだに解けない。(この「呪い」については「<視点:094>不条理の海を泳ぐ~映画『コヴェナント/約束の救出』を観て~」でも述べられている。)

 

キリスト教との観念的出会い

アフガンに関わるようになる1979年以前にも、宗教に関心はあった。日本人として生まれた時から身近にあった神道や仏教ではなくキリスト教だ。神道や仏教はそのときはまだ意識的に学習する対象ではなかった。学ばなければならないのは外来の宗教・キリスト教であり、文学に憧れを持っていた青年時代には強い影響をうけた。鹿児島は日本で初めてカトリック教が上陸した土地柄で戦後すぐからミッション系の幼稚園や学校が設立され家族の妹らもそこに通った。

高校時代には白樺派などの人道主義、理想主義にあこがれる一方、圧倒的な西洋思想に対する反発の気持ちも持った。「デカメロン」(岩波文庫6冊本)を読み、書物を通してカトリック教や教会や聖職者らの腐敗を知った。信仰と現実の矛盾の葛藤を描く遠藤周作作品を愛読した。

大学に進み、沖縄返還やベトナム反戦運動をするなかで、宗教者の活動に触れる機会がふえた。私が大学から無期停学処分を受けたとき、教授メンバーで処分反対表明をしてくれた教授のひとりに無教会主義のプロテスタント信者の先生がおられた。1967年11月11日の佐藤首相のベトナム訪問に反対して焼身自殺をしたエスぺランチストの由比忠之進さんは私の進学した東工大の先輩だった。翌年大学自治会が主催して職員組合などと共同で学内で追悼集会を開催した。アメリカでも1965年にエスペランチストでキリスト教徒(クエーカー教)の女性がベトナム戦争に反対して焼身自殺した。由比さんも影響をうけたのでは、といわれている。ベトナム本国では仏教徒が何人も戦争に抗議して焼身自殺していた。

70年代はベトナム戦争と並行する形で韓国の民主化闘争が燃え上がった時代だった。韓国の闘いには多くのキリスト者が立ち上がった。中でも私が強い影響を受けたのは金芝河だった。詩『五賊』や戯曲『銅の李舜臣』、『鎮悪鬼(チノギ)』などを発表し韓国の軍事ファシズム政権に真っ向から対決し、死刑を宣告されるや「光栄です」と言い放った金芝河はカトリック信者であり『金冠のイエス』と題する戯曲も書いている。野口は「韓国民衆のたたかう知性 革命作家=金芝河の思想と文学」(1977年1月 社会評論)を書いた。

このころ、ラテンアメリカにおける抑圧に対する戦いのなかからカトリック教の「解放の神学」が生まれアジアの闘いにも大きな影響を及ぼした。個人の霊的な改心と、不正な社会的関係の是正,社会構造の変革を呼び掛ける訴えは金芝河にも強い影響を与えた。解放の神学の提唱者であり父と呼ばれたグスタボ・グティエレス司祭は昨年10月死去。アルゼンチン出身のフランシスコ教皇は異端ともみなされがちだったグティエレス司祭を評価し教皇就任半年後の2013年9月、教皇居所「聖マルタの家」の礼拝堂でグティエレス司祭と2人でミサを挙げ、グティエレス神父の教えを公認した。

以上、私がアフガニスタンとかかわりを持つ以前の、キリスト教との関りの一端だ。

 

社会改革と幸福をもとめる闘い

アフガニスタンを1980年に初めて取材した時、私は、アフガニスタンの民族民主主義革命を支持していた。「中立公平」な視点からアフガニスタンを取材したわけではない。行く前に調査し、ソ連軍の軍事介入についても一定の見解をもち、その立場を確認する目的をもった取材だった。「野口の取材はバイアスがかかっている」と批判する人もいるが、もともと、アフガニスタン人民民主党(PDPA)が進めようとしている革命=社会変革を支持する立場からその現実を「わが目で見る」のが目的だった。

その立場は、ベトナム人民の独立と社会主義に向けた戦いを支持する立場、および韓国の民主化と南北の統一を支持する立場と矛盾するものではなく、第三世界における民衆解放運動や社会変革=革命運動に連帯しようとする一連の行動だった。

最初の取材から十数年、ソ連とPDPAが完全敗北するまでアフガニスタンの革命運動とつきあった。その結果、初期に持していた見解を深める知見もあれば、まったく想定外の結論にたどりついたものもあった。とても一言では語れないほどの思想的実践的な厳しい試練に直面した。宗教や戦争、伝統や文化、因習や風俗、変革と守旧、・・・。アフガニスタンにおける革命と反革命のせめぎ合いにもまれながら日本でかわす議論の虚妄さにはいら立ちを覚えることがしばしばだった。テロによる爆破の余韻のなかでイスラム教との闘いを声高くわめく教皇候補にたいし、カーブルでの体験に裏打ちされた経験をベースに異教徒との戦闘の無意味を暴き真の平和の意味を説くベニテス枢機卿に秘かに拍手を送った。

アフガニスタンでは農地を耕すこと、畑に種子をまくこと、水を引いて作物を育てること、羊を放牧し草を与え仔を産ませること、生活のすべてに宗教と因習ががんじがらめに絡みつき、農民、村民を縛り付けている。それらを解き放つ丁寧な作業なしに社会の変革は行えない。暴力によって人間の意識を変革することはできない。ソ連は武力をもってPDPAの改革を支援しようとしたがかなわなかった。さらには2001年から20年、アメリカも同じことをしたが失敗した。「幸福」は強制することも、輸入することも輸出することもできない。当事者たちが自力で勝ち取る以外にないのだ、ということを40数年の経験で学んだ。

 

世界最古の家父長制

批評家たちは、この映画が取り上げているテーマのひとつにカトリック教会の「家父長制」がある、と指摘している。本作品のエドワード・ベルガー監督自身、それを隠していない。実際、映画のほとんどの登場人物は男である。女性の重要な配役はただ一人、密閉空間に閉じ込められてコンクラーベを行う枢機卿(男ばかり)の面倒をみるシスターのリーダーだけである。シスターは一切の口出しを禁じられているが、リーダーのシスター・アグネスは大事な局面で枢機卿らを前に秘密をそれとなくほのめかす発言を行う。「神は私たちに目と耳をあたえました」。つまり、詳細に陰謀や工作を暴露しなくても「私たちは知っている」と。

映画は「世界最古の家父長制」社会であるカトリック教会内部を映し出し、支配者たる男たちの腐敗の暴露を行っている。しかしそのような指摘はいまに始まったものではない。プロテスタントの誕生にはそれらへの反発があったし、カトリック教会のなかでも改革の動きはある。カトリックではまだ女性神父はいないがプロテスタントでは女性聖職者(牧師)は珍しくはない。

一方、「世界最古の家父長制」はカトリック教会だけでなく、ターリバーンやパシュトゥーン族、南アジアやアフリカなど、人間社会に普遍的にみられる現象である。人類史の視点から見れば、女性の解放が意識され具体化され始めたのはせいぜいここ100年か200年のことでしかない。

映画『教皇選挙』がにじませる家父長制批判は映画の世界の出来事ではなく、現代社会の闘いの課題であり、アフガニスタンは人類の戦いの最後尾をでそれを闘っているのである。

 

生身の人間を支配する宗教

宗教と伝統、そして因習は生身の人間を縛っており、聖職者も冒される。
家父長制と女性蔑視の副産物として少年性愛行為や性的虐待がある。現代のアフガニスタンでも問題になっている。カトリック教会ではデカメロンの時代から問題にされてきた。その問題を描いた映画『ダウト~あるカトリック学校で~』をかなり以前に観たことがある。この映画でも、神父の許されざる行為を追及するシスターの行動が描かれていた。

ベニテス枢機卿は感動的な演説によって、新教皇に選出された。しかし彼も教皇候補としては致命的な秘密をもっていた。選挙で選ばれたあと、新教皇就任を受託するかどうかコンクラーベの主宰者で主人公でもあるローレンス枢機卿に尋ねられたとき、自分がインターセックスであることを告白する。つまり、ペニスの他に子宮と卵巣を体内にもっているのだ、と。手術によってそれらを切除し、男の肉体となるかどうか苦悩した結果、神に与えられたそのままで生き、教皇就任を決意している、と。

ローレンス枢機卿はその衝撃の告白を聴き動揺する。しかし、動揺してもいまさらコンクラーベをやり直すわけにはいかない。

ローレンス枢機卿は告白を受け止め、苦悩を押し隠し無言のまま大広間に出る。するとその足元に、広間に迷い込んだ亀が這いまわっている。ベニテス枢機卿についているはずのペニスを象徴するかの如く、首を縮めたり左右に振る亀のアップ。主人公ローレンス枢機卿はその亀を掬い上げ、本来亀のいるべき中庭の噴水池まで連れていき、放つ。ベニテス枢機卿の肉体的秘密を自分の胸のなかだけに秘め、彼をカトリック社会に放つかのように。

そのシーンに引き続く映画の最終カットでは、コンクラーベ会場になっていた礼拝堂の階下の戸口が俯瞰される。するとそこから3人の白衣の修道女が出てきたところでストップモーション。フィナーレのロールバックが流れはじめる。意味深な印象的なフィナーレだ。

野口壽一