(2025年10月27日)
風の名はサミラ
~アフガニスタンの少女をめぐる悲しい風習~
アフガニスタンには少年と少女にかかわる奇妙で悲しい風習があります。
千葉でやっている日本語学校(イーグルアフガン明徳カレッジ)のボランティアスタッフのひとりと雑談していて話題になりました。
少年の方は「バッチャ・バーズィー」です。文字どおりの意味は「子ども遊び」ですがその中身は単なる男色では表現しきれない同性愛的な小児性愛や少年愛・いじめなどをふくむ、アフガン以外の大多数の現代社会では禁断の風習です。
もうひとつ少女の方は「バチャポッシュ」といい、男装した女性という意味です。男手のいない女性ばかりの家族の中で少女が男装して社会に出て働く伝統的社会制度です。ターリバーンが登場するはるか昔からイスラームのアフガン社会に存在していた宿痾のひとつです。
「バッチャ・バーズィー」は別の機会に語るとして今回は「バチャポッシュ」を話題にしてみます。
少年に変装して働きに出る
「バチャポッシュ」を題材にした衝撃的な映画がありました。映画『オサマ』(日本題:アフガン零年)(2003年)です。この映画は、ターリバーン政権下のアフガニスタンで、男手を失った家庭を支えるため、少女が少年に変装して働く姿を描く衝撃のドラマ。女性の教育や外出が禁じられた社会で、家族は娘を少年に変装させて外で働かせて収入を得、生き延びようとします。しかし、やがて正体が発覚し、過酷な現実に直面します。戦争と抑圧の中で奪われた「名前」と「性」の意味を問うこの作品は、アフガン初の長編映画として国際的に高く評価され、第61回ゴールデン・グローブ賞外国語映画賞を受賞しています。
千葉の学校に通ってくるアフガン女性から少しずつ身の上話を聞く機会が増えてきました。13歳で結婚してすぐ農作業に駆り出され子供を5人産み育て学校に行くことなどとてもできなかった。ターリバーン復権でアフガニスタンにいられなくなり日本政府に難民として認定され来日。千葉の学校に通えるようになりとても喜んでいる、との話を聞き、教育の素晴らしさと重要性を再確認しました。
映画『オサマ』に触発されて、短編小説を書いてみました。アフガンの現実とそれをはねのけるアフガン女性らの気持ちを表現したいと思ったのです。タイトルは「風の名はサミラ」。
風の名はサミラ
朝のアザーンが瓦の隙間から差し込む風を揺らし、薄い布団の端をめくった。サミラは目を覚まして、隣で小さく丸まって眠る妹たちの肩に布を掛け直す。台所では母が粉を練っている。小麦粉は少ししかなく、焼けるパンは三枚だけだ。
「食べなさい。外へ行くのはあんただから」
母が一枚を皿に置いた。サミラは首を振り、妹たちの皿に少しずつちぎって置いた。立てかけられた額縁には軍服の父が写っている。誇らしい背筋は色褪せ、ガラスには砂埃が薄く載っていた。
「男の子がいればね」
母はそう言うと、どこか遠くを見る目をした。声は静かだったが、言葉は刃のように空気を切った。
その夜、ランプの炎が揺れる部屋で、母はサミラの髪を背から前へと集め、古い鋏で一束ずつ切った。鋏の響きは外の犬の遠吠えよりも冷たく、床に落ちる髪は小さな影のように散った。母はそれを布に包み、棚の最も奥に仕舞い込む。
「今日から、お前はサミール」
母は低く、しかし揺るぎない声で言った。男の名は、家族の鍵だった。サミラは鏡に映る自分を見つめる。頬に残る幼さの輪郭、短く切られた髪の軽さ、眉の上にかかる影。見知らぬ「少年」がそこにいた。彼女はその名を唇の裏でそっと転がしてみる。サミール。言葉が喉で少し跳ねて、飲み込まれた。
翌朝、市場は金属の擦れる音と怒鳴り声、香辛料の匂いで満ちていた。サミールは荷運びの仕事を見つけ、幌の下に詰められた玉ねぎの袋を肩に担ぐ。初めて一人で通りを歩く足取りはぎこちないのに、風だけが先に彼女を知っていたように頬を撫でた。自由という言葉が、汗の隙間から薄く立ち上がる。
「おい、坊主」
果物の山を崩した拍子に転んだところを、誰かの手が引き起こした。アフマドと名乗る少年は、半分笑いながら彼女の帽子を直してくれた。
「名前は?」
「……サミール」
「いい名だ。兄弟になろう」
兄弟、という響きに、サミールの胸の奥で何かがかすかにひび割れ、同時に繋がった。二人は市場の裏手でパンを分け合い、サッカーの球を蹴り、屋台の影で日差しから逃れた。アフマドは北の山に積もる雪の色を見てみたいと語り、サミールは「痛いほど綺麗だろうね」と笑った。笑いながら、鏡のない場所では笑いがどれほど軽いかを知った。
夕暮れ、アフマドの家に招かれた。姉が出迎え、古い布の切れ端を差し出す。「丈夫よ。仕事着にしなさい」姉はそれから、何でもない仕草でサミールの頬に触れ、小さな鏡を渡した。「あんた、目が綺麗。女の子みたい」
一瞬、呼吸が止まる。鏡の中でサミールの輪郭が曖昧になり、サミラが現れては風に攫われた。自分の中に二つの名があり、どちらも自分の声で呼んでいる。外の路地を風が通り抜け、洗濯物の布をはためかせた。
夜、屋上の縁に二人は腰掛け、街の灯を見下ろした。遠くのアザーンが夜を薄く裂いている。
「サミール、何かを隠してるだろう」
アフマドの声は責めるのではなく、確かめる手つきだった。サミールは迷い、言葉を探したが、言葉はいつも風と同じで、掴もうとすると別の形に変わった。
「みんな、隠してるよ。生きるために」
「でもお前の目は嘘をつかない」
視線が絡み合い、風が強く吹いた。布が夜空に浮かび、星のいくつかを隠した。
翌日、銃声が市場のざわめきを一瞬で飲み込んだ。巡回の兵士たちが現れ、身分の確認を始める。誰かが走り、誰かが転び、果物の匂いが甘く潰れる。兵士が近づき、サミールを見止めた。
「帽子を取れ」
手が震えた。帽子の下で短い髪が汗に貼り付き、うなじに風が触れて逃げた。
「……女か?」
そのとき、アフマドが間に割って入った。「弟だ。俺の」兵士の目は鋭く、周囲の目線はざわざわと揺れた。緊張は薄い氷のようにひびを広げ、やがて兵士は他へ向かった。だが氷が割れた音は、サミールの胸の中に残った。
夕暮れの坂を二人は駆け上がり、息を切らし、丘の上で止まった。視界の端で薄桃色の空が揺れ、遠くのミナレットに鳥が戻っていく。サミールは立ち尽くし、そして向き直った。
「わたしは……サミールじゃない。サミラ」
沈黙。言葉の後ろにあるすべての恐れと渇望が、風に晒された。アフマドは目を逸らさず、ただ一度だけ深く息を吸った。
「知ってた気がする。お前が誰でも、構わない。お前は風みたいだから」
風は何も所有しない。だからこそ、どこへでも行ける。サミラは微笑み、涙を指で拭った。「風は捕まえられないよ」二人はそこで別れた。アフマドは街のほうへ、サミラは夜のほうへ。背中に乗る風は同じで、向かう先だけが違っていた。
それからの時間は、静かな水のように流れた。サミラは家に戻り、母と目を合わせた。扉の内側には匂いの違う夜があり、母は何も言わず、娘の肩に手を置いた。指先は薄く震え、しかし温かかった。台所の棚には布に包まれた髪が眠っている。名を変えた夜の重みが、そこにあり続けた。
数か月後、廃屋の一室。崩れた壁から細い光が差し込み、埃は金の粒のように舞う。床には古いノートと短い鉛筆。十人ほどの少女が座り、サミラは板切れに文字を書いた。
「風。みんなで言ってみて」
「カァト」
声はひとつに重なり、少し大きくなった。サミラは頷く。「風は形がないけれど、確かにある。わたしたちも同じ。見えなくても、生きてる」
「どうして字を教えてくれるの?」
一番小さな少女が尋ねた。目は雨上がりの石のように澄んでいた。
「自分の名前を自分で書けるように。名前は、自分の場所を照らす灯りだから」
夜、嵐が来た。屋根のトタンが鳴り、窓を叩く風がロウソクの火を消した。恐れは闇の形をして広がる。少女たちは肩を寄せ合い、名前を忘れそうになっていた。サミラは暗闇の中心に立ち、声を張った。
「自分の名前を呼んで。大きな声で」
「ファリダ」「ライラ」「ナディア」……いくつもの名が闇に放たれ、互いに触れて、輪になった。声は壁より強く、屋根より高く上がり、風の形を変えた。火は誰かの手で灯り直され、灯りが戻ったとき、少女たちの顔は笑っていた。涙で濡れた頬は光をよく受けた。
ある夕暮れ、裏路地で影が動いた。アフマドだった。痩せた頬に新しい傷があり、しかし目は明るかった。
「生きてたのね」
「風が運んでくれた。北の山も見たよ。白は冷たいのに、光を抱いてた」
二人は短く笑い、長く黙った。別れは言葉より軽く、風より確かにそこにあった。
夜明け前、屋上に洗濯物を干しながら、サミラはノートを開いた。風がページをめくり、鉛筆の黒が紙に沈んでいく。彼女はゆっくりと書いた。
――風の名はサミラ。だけど、空を見たのはサミールだった。
アザーンが薄明を呼び、屋根の間を白い鳥が横切る。街はまだ眠っているが、どこかでパンを焼く音がして、どこかで水が汲まれている。世界は名を呼ばれて、少しずつ動き出す。
サミラは屋上の縁に立ち、遠くの山を見た。雪はここからは見えないが、冷たさの中に光が抱かれていることを、彼女は知っている。風が彼女の髪を揺らし、布を鳴らし、指の間を通っていく。風は相変わらず形がなく、だからこそ、あらゆる形に寄り添える。
下の部屋では妹たちの寝息が重なり、母の足音が静かに動く。サミラはノートを閉じ、階段を降りた。今日も廃屋に灯りを持って行く。名前を呼び、名前に呼ばれ、声と文字で小さな灯りを増やしていく。
風が背中を押した。もう恐れを知らない風だった。名前という灯りのある場所へ、確かな方向を持って吹いていた。
(完)
じつはこの作品は・・・
じつはこの作品は、バチャポッシュについて私がChatGPTと会話をしながら書かせたものです。1字1句手を加えず、ChatGPTが出力してきたそのままでこの水準です。しかもものの十秒もたたず出力しました。驚異的な速さと内容でした。
さらにChatGPTはこのあらすじをもとに映画シナリオや3幕ものの戯曲も出力して見せてくれました。半年前にくらべて恐るべき進歩です。
生成AIの進歩には素晴らしいものがあり、さまざまな用途のプログラムが開発されています。画像生成能力に特化したものもあり、宣伝用ポスターからコマーシャルフィルム、さらにはアニメ映画なども制作してくれます。
『ウエッブ・アフガン』は、「アフガニスタンと世界の平和、人権、進歩」をスローガンにしています。この「進歩」の概念には社会思想だけではなく科学技術の進歩も含まれます。科学技術は戦争や経済に直結しているのでいやおうもなく限りなく進歩していきます。大切なのは科学技術の進歩に恐怖を感じたり反発したりすることでなく、その力をどう利用するかの思想を進歩させることであり教育の重要性だと思われます。
この点については稿を改めて書いてみます。(ここをご覧ください)
【野口壽一】