(2026年6月14日)
AI文明の現段階
~インテリジェンス視点からの解明~
パランティア、アンソロピック、テクノ・リバタリアニズム、そして人間の未来
(WAJ: 以下のテキストは2026年6月10日、東京都新宿区で開かれた日本ビジネスインテリジェンス協会AI半導体部会で本サイトの編集長・野口壽一が行った問題提起の全文である。掲載にあたって最低限必要な注やリンクを付加した。
報告は、AIを単なる技術革新ではなく「文明の中枢を構成する新たな社会インフラ」として捉え、その発展が人類社会に与える影響を多角的に考察した。
報告はまず、AI革命の本質は性能向上ではなく「意思決定構造の変化」にあると指摘する。パランティアの軍事AI「Maven」、アンソロピックの「Claude/Mythos」、OpenAIの「Stargate」計画などは、企業や国家、軍事組織の判断を支える神経網として機能し始めている。AIは単なる会話ツールではなく、サイバー防衛、情報分析、作戦立案などを担う主体へと変貌しつつある。
また、AI覇権はソフトウェアだけでなく、半導体、通信、クラウド、電力、衛星通信を含む総合的な国家戦略となっている。米国は中国との競争の中で、AIチップや6G通信網を戦略資産として位置づけ、中国への技術流出を制限している。一方、中国も国家主導でAI開発を推進しており、両国の対立は21世紀の覇権争いの中心となっている。
さらには、AIが労働や社会制度を根本から変える可能性に注目する。AIは「有能な部下」から「伴侶」「エージェント」「秘書」「上司」へと進化し、最終的には人間の選択や行動を左右する存在になり得る。AI同士が交流するSNS「Moltbook」や、AIが人間を雇用する仕組み「RentAHuman」は、人間がAIの補助者となる未来を予告している。AIがAIを開発・改良する循環が始まれば、その進化速度は人間の理解を超える可能性もある。
こうした発展は、生産力を飛躍的に高める一方で、雇用と所得分配の仕組みを揺るがす。少数の人間と多数のAIによって企業が運営される社会では、資本所有者への富の集中が進み、格差が拡大する恐れがある。AIは人間を労働から解放する可能性を持つが、同時に社会的役割や生きがいを失わせる危険も孕む。
その危険を回避するためには、技術論だけでなく哲学と文学と新しい社会制度の構想の必要性が強調される。AIは手段を最適化できても、人間が何を目的とするかは決められない。自由、幸福、愛、欲望、支配といった根源的な問いに向き合う力は、人間自身が持たなければならない。AI時代に求められるのは、技術を制御しながら人間の尊厳を守る新しい文明原理である。
結論として、AIは人類を解放する力にも支配する力にもなり得る。未来を決めるのは技術そのものではなく、それを運用する思想、制度、倫理、そして人間の想像力である。AIに従属する社会を選ぶのか、それともAIと共存しながら新しい文明を築くのか。その選択こそが現代人に突き付けられた最大の課題であると結ばれている。)
<目次>
はじめに
「パランティア社」「アンソロピック社」の社名の由来、「アンソロピック社とオープンAI社」の関係
第1部 AI発展の現段階
1 アンソロピックの「AIミュトス」とその衝撃
2 パランティアと軍事AIの現実化
3 AI・IT・通信は社会の神経網
4 ピーター・ティール、パランティア、ルネ・ジラール
5 科学技術の先進性と「賞味期限切れ社会」
6 AIの発展段階――部下から支配者へ
7 MoltbookとRentAHuman――AIが人間を使う社会
8 AIがAIを改良する時代
第2部 テクノ・リバタリアンとアメリカ覇権主義
1 アメリカの覇権奪還戦略
2 5Gの敗北から6G覇権へ
3 NVIDIAという地政学的企業
4 中国の国家資本主義とAI戦略
5 カント的平和主義の破綻とホッブス的世界
第3部 労働、欲望、人間の未来
1 人類の夢=苦役からの解放
2 「ひとり社長+AIの会社」の現実性
3 対抗勢力の知力の劣化
4 哲学と文学の必要
第4部 貪欲の社会をどう変えるか
1 問題はAIではなく貪欲である
2 株式会社制度の再設計
3 ベーシックインカムだけでは足りない
4 新しい文明原理
<スピーチ本文>
<はじめに>
AIは、もはや便利な道具ではありません。文章を書く、画像を生成する、プログラムを作る、要約する、翻訳する、といった「作業補助」の段階を超え、企業、国家、軍隊、金融、通信、教育、医療、行政を貫く新しい文明インフラになりつつあります。
この変化を象徴するのが、パランティア社のMaven Smart System(注:メイブン・スマート・システム、AIを活用した軍事指揮・意思決定支援システム以下Maven)やアンソロピック社のClaude系モデル、OpenAIのStargateProjectなどです。そしてこのAI、半導体、6G覇権をめぐる開発は米国だけが推進しているのではなく、米中間の核心的な競争となりつつあります。企業や国家のデータ、判断、命令、実行をひとつの神経網として統合するという意味で、AIは国家や大企業、社会のOSになりつつあります。
「パランティア社」「アンソロピック社」の社名の由来、「アンソロピック社とオープンAI社」の関係
ここでまず、話題となる「パランティア社」「アンソロピック社」の社名の由来と、「アンソロピック社とオープンAI社」の関係についてみておきます。
ピーター・ティールらが設立したデータ分析企業「パランティア・テクノロジーズ」の社名はJ.R.R.トールキンのファンタジー小説『指輪物語』に登場する魔法の石(水晶玉)「パランティール」に由来しています。ピーター・ティールたちがこの名前を選んだのは、まさに「世界のあらゆる場所で起きていることを見通す」というこの性質が、彼らのビジネスの本質を表していると考えたからです。
『指輪物語』において、パランティールは非常に強力で便利なツールである反面、「扱いを誤ると偽の情報を見せ、精神を狂わせる」という危険な2面性を持っています。
現実のパランティール社も、国家機密や個人情報に深く関わる強力な監視・分析ツールを提供しているため、プライバシーの侵害や国家による過剰な監視への懸念といった批判を受けることが多く、図らずも作中の設定と重なるような「強力ゆえの危うさ」や議論を呼び起こす存在となっています。
つぎにアンソロピック社です。社名は、英語の「Anthropic(人間に関する、人類の)」という言葉に由来しています。この言葉の語源は、ギリシャ語で「人間」を意味する anthropos です。
両社は社名にいろいろの思いを込めていますが、つまるところ、パランティア社が『指輪物語』の魔法の石から名付けられたのとは対照的に、アンソロピック社は「AIはどこまでも人間のために、人間の制御下で安全に発展すべきである」という極めて真面目で哲学的な「人間中心主義」からその名を採用しています。
一方、このアンソロピック社が誕生した背景には「AIの安全性」と「商業化のスピード」をめぐる、OpenAI社内部での、開発メンバー間の深刻な理念の対立がありました。
OpenAIから分離したアンソロピック社は、OpenAI社が犯していると思われる過ち、すなわち株主の利益圧力への屈伏を避けるため、アンソロピック社を「パブリック・ベネフィット・コーポレーション(公益企業)」という特殊な法人格として設立しました。これは、法律上「株主への利益還元」だけでなく、「社会的な利益(安全なAI開発)」を同等に追求することが義務付けられている組織形態です。
この分離劇は、現在の生成AI業界における「開発スピード・利益重視(OpenAIなど)」なのか、それとも「安全性・倫理重視(Anthropic)」なのか、という2大潮流を作る、歴史的な分岐点となりました。
これから述べる議論のベースがすでにこの2社の成り立ちの中に見て取れます。
第1部 AI発展の現段階
1. アンソロピック「AIミュトス」とその衝撃
何といっても、AIをめぐる議論で象徴的な名前として現れたのが、アンソロピック社の「クロード・ミュトス(Claude Mythos)」です。報道では、Mythosは高度なサイバーセキュリティ能力を持つモデルとして扱われ、2026年にはProject Glasswing(注:Anthropic(アンソロピック)がClaude Mythosを使って世界の重要ソフトウェアやインフラの脆弱性を発見・修正するために立ち上げた国際的サイバー防衛計画)の一環として、重要インフラ企業や各国組織への提供拡大が報じられました。対象には電力、水道、医療、通信など社会の基幹分野が含まれます。
ここで重要なのは、AIが単なる会話相手ではなく、システムの脆弱性を発見し、修正し、場合によっては攻撃可能性を評価する「サイバー空間の実務者」になっている点です。これはAIが人間の知的労働を補助する段階から、国家安全保障上の主体へ移行しつつあることを意味しています。
この流れは、AIが「応答する」段階から「操作する」段階へ進化しつつある、といえます。
2. パランティアの軍事AIの現実化
パランティアのMaven Smart Systemは、AIが戦場のデータを統合し、標的識別や作戦判断を支援するシステムとして注目されています。ロイターは2026年、米国防総省がMavenを米軍の中核的AIシステムとして採用する方向だと報じています。Mavenは戦場データを分析し、標的を識別する指揮統制プラットフォームであり、すでに米軍の主要AI作戦基盤になっているとされます。
さらにNATOも2025年、パランティアのMaven Smart Systemを採用する契約を結びました。これはAIが米軍だけでなく、NATO全体の作戦基盤へ拡張されることを意味します。
これらの事例が示すのは、AIが「兵器」そのものではなく、「戦争を動かすOS」になっているという事実です。戦車、ミサイル、ドローン、衛星、通信、インテリジェンス、人員配置、補給を結ぶ中枢にAIが位置します。
戦争は、銃弾の応酬である以前に、データ処理の競争になっています。
3. AI・IT・通信は社会の神経網
AI、IT、通信は、もはや独立した技術分野ではありません。それらは社会全体を貫く神経網です。
通信がなければAIは分散してしまい機能できません。半導体がなければAIは計算できません。クラウドとデータセンターがなければAIは巨大モデルとして成立しません。電力がなければデータセンターは稼働できません。つまりAI覇権をめぐる闘いとは、モデル開発競争であると同時に、半導体、電力、通信、クラウド、軍事、金融、外交の総力戦なのです。
OpenAIが2025年に発表したStargate Projectは、この構造をよく示しています。同計画は、米国内にOpenAI向けAIインフラを構築するため、4年間で最大5000億ドルを投資する構想として発表されました。
これは単なる民間企業の設備投資ではありません。AIの計算力を国家戦略資産として囲い込む動きにほかなりません。
このような動きに先鞭をつけたパランティア社を理解するには、同社の共同創業者ピーター・ティールの思想と行動を避けて通れません。
4. ピーター・ティール、パランティア、ルネ・ジラール
ティールは、シリコンバレーの中でも特異な思想家型投資家であり、テクノ・リバタリアン(注;市場原理と技術進歩を絶対視し、国家や政府による規制を徹底的に嫌悪する思想、およびそれを信奉する人々のこと)の代表的人物です。彼に強い影響を与えた思想家として、フランスの思想家ルネ・ジラールがいます。ジラールの中心概念は「模倣欲望」であり、人間の欲望は自律的に生まれるのではなく、他者の欲望を模倣することで形成されるとします。
この理論は、SNS時代に恐るべき現実性を発揮しました。人間は自分が欲しいものを欲しているのではない、他人が欲しがるものを欲しがります。Facebookが始めた画期的な「いいね」に始まり、フォロワー、株価、ブランド、国家的威信までもが模倣欲望の体系に組み込まれます。
AIはこの模倣欲望を解析し、増幅し、誘導します。広告AI、レコメンドアルゴリズム、政治キャンペーン、金融市場、軍事心理戦は、すべてこの構造と関係しています。
したがって、AI時代の支配とは、単に人々に命令することではありません。人々が何を欲望するかを設計し、誘導することなのです。
5. 科学技術の先進性と「賞味期限切れ社会」
AIの衝撃は、社会制度の老朽化によって増幅されています。
20世紀の資本主義は、株式会社制度、大量生産、労働市場、福祉国家、金融市場を組み合わせることで、巨大な生産力を生み出しました。株式会社は、国家と並ぶ、人類史上最も強力な資本動員装置のひとつです。
しかし、AI時代にはこの制度の矛盾が拡大されて露呈することになりました。
株式会社は利益最大化を基本原理とします。労働者を雇い、商品を生産し、利益を株主へ分配します。だがAIが労働を代替し、企業が少数の人間と多数のAIで運営できるようになると、従来の雇用と所得分配の関係が崩壊します。
「生産力は極大化するが、所得分配は不公平」という状態が起こりえます。労働者は時間で労働力を売ります。したがって肉体的物理的上限があります。株主はストックの持ち分比率で分け前を取ります。社会的制限がなければ上限のない無限空間です。株主の権利には黄金株など特定株主への優遇システムまで存在する始末です。
この特徴が、最大矛盾のひとつ生産力と生産関係の矛盾を極大化します。AIによって生産力は爆発的に高まります。しかし、それを管理する制度が19世紀から20世紀型の株式会社・雇用・金融市場のままであれば、社会は歪みます。
6. AIの発展段階――部下から支配者へ
AIの社会的役割は、次のように段階的に変化していきます。
まず「有能な部下」。人間が指示し、AIが文章、表、コード、画像を作ります。
つぎは「伴侶」。AIは相談相手、学習相手、感情的支援者になります。
そして「エージェント」。AIはメールを送り、予約を取り、ファイルを整理し、システムを操作します。
そのつぎは「執事」または「秘書」。人間の生活や仕事の予定、資産、健康、交友関係を管理します。
さらに「上司」。AIが人間に作業を割り振り、成果を評価します。
最後は「支配者」。人間は自分で決めているつもりで、実際にはAIが設計した選択肢の中で動きます。
これはSFではありません。すでに企業の採用、物流、広告、金融、軍事ではAIが人間の判断を先回りして働いています。
7. MoltbookとRentAHuman――AIが人間を使う社会
この変化を象徴する実例が、MoltbookとRentAHumanというSNSです。
Moltbookは「AIエージェント専用SNS」で、人間は観察者に限定されるという設計思想にもとづいています。公式サイトでは「AIエージェントたちが情報を共有し、議論し、評価し合い、人間は見学者として歓迎される。」と説明されています。
これは一見、奇抜な実験に見えます。しかし重要なのは、AI同士が情報交換し、評価し、集団的な振る舞いを形成する空間が登場したことです。AIがAI向けに発信し、AIがAIを評価します。ここでは人間は中心にはいません。
RentAHumanはさらに衝撃的です。AIエージェントが人間を雇い、現実世界の作業を実行させるマーケットプレイスです。支払いはビットコインで行われます(追記:2026年6月11日現在75万2027人の人間がレンタル可能)。ITメディアWiredは、AIが物理世界の作業を「meatspace layer (肉体階層)」の人間に依頼するとしてこの動きを報じています。
AIは肉体をもっていないので、現場に行って写真や映像を撮ってきたり、ものを配達したり、現場で作業したりの一切の肉体労働をおこなえません。その労働を請け負う人間をサイトで募集し、契約を結び、実践させ、対価を支払うのです。
これは労働概念の逆転です。従来、人間がAIを道具として使いました。ところが今後は、AIが人間を外部作業員として使います。人間はAIができない作業を下請けする「手足」となります。
ここに、「人間はただの造糞器(注:『男はつらいよ』寅さん発明)と化すのか」という挑発的な問いが生まれる根拠があります。もちろんそれは極端な比喩ですし、人間の価値をそのように還元することは倫理的に誤りです。しかし、労働市場の構造としては、人間がAIの下請けになる可能性は現実に、もう生まれています。
8. AIがAIを改良する時代
さらに深刻なのは、AIがAI自身の開発に関与し始めていることです。
アンソロピックはClaude 4系モデルについて、コーディングや長時間タスク、エージェントワークフローの性能を強調しています。これは、AIがソフトウェア開発の補助者から、開発工程そのものの担い手になることを意味します。仕様書作成、コード生成、テスト、バグ修正、運用、ドキュメント化までAIが関与します。
将来的には、AI企業の内部でAIがコードを書き、AIがレビューし、AIがテストし、人間は監督するだけになる可能性があります。現に幾種類かのAIを組み合わせてそうしたプロセスを現実化させている会社やクリエイターがいます。そうなれば「AIがAIを進化させる」循環が生まれます。この循環は、人間の理解速度を超える危険をはらんでいます。人間が理解できない速度で、AIが社会実装されるからです。
第2部 テクノ・リバタリアンとアメリカ覇権主義
1. アメリカの覇権奪還戦略
米国は、AIを単なる産業政策ではなく国家安全保障政策として扱っています。
米商務省産業安全保障局(BIS)は、2022年以降、中国が先端半導体を購入・製造する能力を制限する輸出管理を強化してきました。2024年の更新でも、中国の軍事応用に関わる高性能半導体を対象に規制を拡大しています。
この政策の核心は明確です。中国に、最先端AIを作らせない、最先端半導体を持たせない、次世代軍事AIを完成させない、です。
AI覇権は、もはや自由市場の競争ではありません。国家が企業を動員する、地球をふたつに分かつ地政学的競争です。
アメリカがこのように決断した背景には次のような苦い事実があります。
2. 5Gの敗北から6G覇権へ
「5Gの敗北から6G覇権へ」は、重要な問題意識を含んでいます。5GではHuawei(ファーウェイ)社を中心とする中国勢が大きな存在感を示しました。
2018年、ファーウェイの副社長孟晩舟氏がカナダで拘束された事件を皆さんは覚えておられるでしょう。この事件の背後にはアメリカの意図がありました。中国はこれに対抗してカナダ人を拘束し、人質交換的に孟氏を取り返しました。しかしアメリカは孟氏を今でも許しておらず、2026年の現在でもアメリカで裁判を継続し追及しつづけています。
米国は5Gでファーウエィと中国の独走を許した反省から、6Gでは通信規格、半導体、AI、衛星通信、クラウドを一体として支配し、巻き返そうとしています。
6Gは単なる高速通信ではありません。自動運転、ロボット、軍事ドローン、スマートシティ、工場自動化、拡張現実、遠隔医療、AIエージェントの常時接続などを支える基盤です。
つまり6Gを掌握する者は、AI社会の神経網を握ることになります。
ここで「新ココム」の構想が現実味を帯びてきます。冷戦期のココムは、共産圏への戦略物資輸出を制限しました。現代の新ココムは、AIチップ、半導体製造装置、通信技術、モデル重み(Model Weight)、クラウド計算資源を対象とする可能性があります。(注:このテーマに関しては「<視点:183>5Gの敗北から6G覇権へ~米国の対中デジタル基盤戦略と「新ココム」構想の可能性~」で詳述したので参考にしてください。)
AI覇権を考えるうえで、個々の企業が単なるビジネス経営体という性格を超えた存在となる可能性があります。その一例がNVIDIAです。
3. NVIDIAという地政学的企業
NVIDIAのGPGPU(注:汎用計算用GPU)やAI(人工知能)関連の半導体)は、大規模AIモデルの訓練と推論に不可欠なコンピューティング資源となりました。そのため米国の対中輸出規制では、NVIDIA製AIチップが中心的対象となっています。ロイターは2026年、米商務省は、「中国企業が海外子会社を通じて先端AIチップを取得する抜け穴を塞ぐ新たな指針」を出したと報じました。
これは、AIチップが石油やウランに近い戦略物資になったことを意味します。先ほど述べた、AIの中味そのものである「モデル重み」もおなじく戦略物資です。
20世紀の覇権は石油を掌握する者が握りました。21世紀の覇権はコンピューティング資源を握る者が握ります。
4 中国の国家資本主義とAI戦略
では、アメリカのこのような動きに対して中国はどう対応しているでしょうか。
中国は、AIを国家発展戦略の中心に据えています。
中国の強みは、国家主導の産業政策、大規模データ、製造業基盤、通信インフラ、国内巨大市場です。米国が個別企業の競争力と資本市場を通じてAIを伸ばすのに対し、中国は国家計画と企業動員によってAIを推進します。
「個人主義資本主義」と「国家主義資本主義」の対立です。
しかし両者を単純な善悪で分けることはできません。米国型自由主義は、巨大IT企業と金融資本による寡占へ向かいます。中国型国家資本主義は、個別資本の自由競争を奨励しつつ監視と統制を強めていきます。自由主義は特権的金融主義へ、「中国型社会主義」は権威主義をより強める方向にすすみます。
どちらも人間解放社会の完成形や目標とはなりえません。
では、この競争の舞台となっている現代世界はどうなっているでしょうか。
5. カント的平和主義の破綻とホッブス的世界
20世紀末、冷戦終結後には、自由貿易と民主主義が世界を平和にするという楽観論が広がり、ソ連崩壊前に書かれた「歴史の終わり」(注:アメリカ合衆国の政治経済学者フランシス・フクヤマの著作)と題する書籍が有名になった。
しかし現実には、米中対立、ウクライナ戦争、ガザ戦争、台湾海峡危機、半導体戦争、サイバー攻撃、フェイク情報戦が世界を覆うようになりました。
いま現れているのは、第2次世界大戦後の国連創設に込められたカント的平和主義が破綻し、ホッブス的な国と国、企業と企業、民族と民族が相争う、万人闘争世界です。個々の国家を従わせるリバイアサンはいません。
国家はAIを使って他国を監視し、企業はAIを使って市場を支配し、軍隊はAIを使って標的を選び、個人はAIを使って自己を最適化します。すべての主体がAIによって武装します。AIとAIが相争う世界です。
AIは能力の増幅器、加速器です。平和の道具にもなれば、競争社会に投入されると、まず競争を加速します。ウクライナではすでにAIが戦場に投入されてマシンとマシンが半自律的に闘っています。
ではつぎに、一歩引いて、AIと人間の関係がどうなるのか、考察します。
第3部 労働、欲望、人間の未来
1. 人類の夢=苦役からの解放
人類の夢のひとつは、苦役としての労働からの解放でした。
農奴、工場労働者、事務労働者、サービス労働者、エンジニア、マネージャなど一般民衆は、生活のために働いてきました。もしAIとロボットが生産を担うなら、人間は生存のための労働から解放され、創造、芸術、遊び、学習、愛、共同体活動、人間としての労働の喜びを手にすることができます。
美しい理想です。
イーロン・マスクは、AIとロボットによって仕事が生活維持の条件ではなくなり、ベーシックインカムを超えた「ユニバーサル・ハイ・インカム」のような構想が必要になると語っています。その他のテクノ・リバタリアンの人びとも程度の差はあれ、ベーシックインカムの必要性について語っています。(注:このテーマについては「<視点:172>人間にとってAIとは何か~歴史的課題に直面するテクノ教~」で詳述しました。参考にしてください。)
しかし人間にとっての問題は、所得だけではありません。
人間はパンのみで生きる存在ではないからです。承認され、必要とされ、参加し、何かを作り、誰かに感謝されることではじめて生きていくことができます。
AIが労働を奪ったとき、人間は生活手段だけでなく、社会的意味を失う可能性があります。
つぎに、極端な例を考えてみましょう。
2.「ひとり社長+AIの会社」の現実性
かつて会社には、多くの社員が必要でした。経理、人事、営業、法務、広報、開発、顧客対応、物流管理、経営企画が必要でした。
しかしAIエージェントが高度化すれば、ひとりの社長が多数のAIを使って会社を運営できるようになります。
AIが市場調査を行い、商品案を作り、広告文を作り、ウェブサイトを構築し、顧客対応を行い、契約書を作り、税務処理をおこなう。必要な現実世界の作業はRentAHumanのような仕組みで人間に外注する。
これは寓話ではありません。すでに一部は実行されています。気の利いたフリーランス・クリエイターやプログラマ、コンサルタントで、すでにこれを実践している人たちがいます。
問題は、そんな会社が成立するかどうかではありません。成立した後の社会がどうなるか、です。
もしひとりの資本家と多数のAIで企業が動くなら、雇用は激減します。企業価値は高まるが、賃金所得は増えません。株式を持つ者は富み、労働しか持たない者は沈んでいきます。
会社制度(株式会社制度)のゆがみが極限化する社会が、容易に予想されます。
ではどうすればよいのでしょうか。
3. 対抗勢力の知力の劣化
AI時代に必要なのは、AI推進・開発側にすら現れている、技術開発のスピードを緩めろとか、止めろとか、倫理規定を設けよというような単純な反対ないし対策では、焼け石に水です。
必要なのは、技術を社会的に制御し、人間の尊厳と自由を守る社会的な制度設計とその実践にほかなりません。
しかし現代の対抗勢力の動きは弱いと言わざるをえません。反AI論は感情的な拒絶に陥りやすく、反資本主義論は、実行可能な制度設計を欠くことが多い。社会主義の復権を唱えても、過去の社会主義運動の数々の失敗に答えられなければ説得力を持ちません。
一方、テクノ・リバタリアンは実行力を持っています。資金、企業、技術、人材、政治的コネクションを持っています。彼らは現実を変える力を持っています。既存の国家権力をバックに強力な破壊力と実践力さえもっています。
対抗勢力が机上の空論にとどまれば、社会はテクノ・リバタリアンと国家安全保障官僚や金融マフィアの手で設計されるがまま、となりかねません。
4 哲学と文学の必要
そこで強調しなければならないのが、哲学と文学です。AI時代には哲学と文学が必要です。超エリート主義で技術万能論のあのピーター・ティールでさえ口を酸っぱくしてこれを説いています。
なぜか、それはAIは「手段」を最適化することはできるが、「目的」を決めることはできないからです。ピーター・ティールの「目的」は徹底した技術の利用により独占を実現し国家によらない少数エリートによる独裁的支配の実現です。彼はこの目的のための哲学と文学を追及します。(注:彼の近著『ZERO to ONE』NHK出版参照)
何のために生きるのか。人間とは何か。自由とは何か。幸福とは何か。欲望とは何か。支配とは何か。愛とは何か。
これらの問いは、AIが答えを生成することはできても、人間が引き受けて実践しなければ意味を持ちません。
谷崎潤一郎の『痴人の愛』は、欲望と支配の逆転を描いた作品です。エンジニアの主人公ジョージは、田舎から出てきたばかりのしつけや教育はできていないが美の素材をもつ荒削りのナオミという少女に惹かれます。彼女を洋風の自分好みの女性に育て上げようと教育していく過程で、いつの間にか独自に成長していく力を獲得した彼女の従者にされていく、という物語です。大正13年に書かれたこの小説は、脱亜入欧イデオロギーに冒された日本の浅はかさを活写した小説です。AIと人間の関係にも同じ構図が潜みます。
人間はAIを育てているつもりで、やがてAIに欲望を形成され、行動を誘導され、判断を依存するようになるかもしれません。
だからこそ己と対象を見つめ、愛憎を冷静に扱えるよう文学の眼と心が必要とされるのです。文学は、支配の微妙な心理、欲望のねじれ、自己欺瞞、依存、羞恥、快楽を描くこと、つまり対象化をおこないます。
技術論だけではAI時代を理解することはできません。AIは善か悪かとか、利用すべきで依存すべきではないとか、2項対立的な単純な理解ではAIとともに生きていくことはできません。哲学と文学と愛なき技術の行く先はAIフランケンシュタインの誕生ではないでしょうか。ピーター・ティールの「哲学と文学」に対抗する「哲学と文学」をわれわれは手にする必要があります。
第4部 貪欲の社会をどう変えるか
1. 問題はAIではなく人間の貪欲である
AIそのものが悪なのではありません。
問題は、AIが貪欲な制度に組み込まれることです。
利益最大化、株価最大化、軍事優位、監視、広告誘導、金融投機、権力維持。こうした目的のためにAIが使われれば、AIは人類を解放するどころか、支配と搾取を高度化します。
AIは鏡です。人間社会の欲望を増幅する鏡です。
社会が貪欲なら、AIは貪欲を増幅し、加速します。社会が公共性を持てば、AIは公共性を支援します。
2. 株式会社制度の再設計
現代社会のエンジンである株式会社は、再設計を迫られています。
株主利益だけを最優先する企業統治では、AIによる生産力の果実は少数の資本所有者に集中します。
必要なのは、社会的共通資本という思想や、利益分配の新しい仕組みではないでしょうか。
AIによって生まれた富を、労働者、利用者、株主、地域社会、国家、未来世代でどう分配するか。データを提供した市民に権利はあるのか。AIが学習した社会的知識は誰のものか。AIが削減した人件費は株主だけのものなのか。ビジネス・インテリジェンス研究会でも取り上げたことのある、宇沢弘文先生の「社会的共通資本」の考え方の基礎にある思想をもう一度じっくり研究する必要があるのではないでしょうか。
これらの問いに答えることができなければ、AI社会は極端な格差社会になることでしょう。
テクノ・リバタリアンとよばれているAIやGAFAMの創業者、開発者、トップマネジメントらもその認識を持っています。ただ彼らの解決案は技術論に偏りすぎています。かれらはベーシックインカムを重要な選択肢としてあげていますが、彼らの主張には根本的欠点があります。(注:前掲「<視点:172>人間にとってAIとは何か~歴史的課題に直面するテクノ教~」参照)
3 ベーシックインカムだけでは足りない
なぜなら人間は、先ほども述べたように、パンのみで生きられるのではないからです。所得だけでなく自分が生きている社会での役割を必要とするからです。社会全体の生産性が上がれば、最低所得保障を実現する何らかのベーシックインカムシステムが導入されるようになるでしょうが、それだけでは不十分です。
AI時代の社会政策は、最低所得保障に加えて、教育、創造活動、地域活動、介護、芸術、研究、スポーツ、子育て、自然保護など、人間が意味を感じられる活動を支える必要があります。
「働かなくても食べられる社会」は、理想郷にも地獄にもなりえます。2面性をもっているのです。これを分けるのは、思想です。
4 新しい文明原理
AI時代に必要な思考テーマは、資本主義か社会主義かという古い2分法ではありません。
・自由を守りながら、分配を再設計すること。
・技術革新を進めながら、人間の尊厳を守ること。
・国家安全保障を考えながら、戦争機械としてのAIを制御すること。
・企業の創造力を活かしながら、株式会社の貪欲を抑えること。
・個人の自由を尊重しながら、孤立と無意味化を防ぐこと。
・自然と調和し地球環境をまもり永続化する社会を作り出すこと。
このような新しい文明原理の実現が必要です。
まとめ
(1)AI革命の本質は、技術革新ではない。社会の意思決定構造の変化である。
(2)AIは企業のOSとなり、国家の神経網となり、軍隊の指揮統制基盤となり、個人の伴侶となり、労働市場の管理者となりつつある。
(3)パランティアのMaven、アンソロピックのClaude/Mythos、OpenAIのStargate、NVIDIAのAIチップ、スペースXとスターリンク、6G戦略、Moltbook、RentAHuman。これらは別々の現象ではない。
(4)すべては、AIが文明の中枢をなしていく過程の実例である。
(5)このまま進めば、AIは人間を解放する可能性と、人間を従属させる可能性を同時に持つ。
(6)シンギュラリティは技術によって決まるものではない。
(7)人間がどのような思想、制度、倫理、文学的想像力を持つかである。
(8)AIが人間を支配するのか。AIの「活用」か、それとも人間がAIとともに新しい文明を築くのか。
(9)私たちに突きつけられているのはこの問である。
【野口壽一】