From Military Conflict to Geopolitical Transition:
Redefining Power, Resistance, and Global Order in the Middle East after the Iran–US–Israel Confrontation-Part 1
(WAJ: 本論文でファテー・サミ氏は、イラン・米国・イスラエルの対立をとらえ、「軍事力だけでは持続的な政治的成果は得られない」と主張する。その際、ジョン・ミアシャイマー、ジョセフ・ナイ、フランシス・フクヤマ、ハンナ・アーレント、チャールズ・クラウトハマーらの議論を援用しながら、軍事的勝利と政治的成功は別物であり、国家の真の力は正統性、外交力、経済力、社会的結束、歴史・文化への理解などを総合して初めて発揮されると論じる。また、人間の寿命や健康には限界があり、いかに強大な権力者であっても時間の制約から逃れることはできないことを指摘する。したがって、歴史が評価するのは権力の大きさそのものではなく、その限られた時間の中で権力をどのように用い、何を成し遂げたかであると説く。そして、現代は軍事力のみでは国際秩序を形成できない時代となり、権力と道徳的責任、軍事力と政治的正統性を結び付けて考える必要があることを本稿の基本的な視点として提示している。本論文は3部構成で、参考文献リストは最終回に掲出される。なお著者ファテー・サミ氏がこの間、本サイトに執筆した論説のすべては「ファテー・サミ執筆記事一覧」で読むことができる。)
ファテー・M・サミ(Fateh Sami):フリーアカデミック研究者
2026年7月13日

<第1部>
はじめに
人類の歴史において、戦争は決して発射されたミサイルの数や軍事作戦の規模、あるいは物的破壊の大きさだけによって評価されるものではない。その真の意味は、勢力均衡の変化、安全保障に対する社会の認識の変容、そして紛争後に形成される政治秩序のあり方によって明らかになる。
イラン、米国、イスラエルの対立は、単なる限定的な地域紛争という枠組みだけでは分析できない。この危機は、冷戦終結とソ連崩壊、そして長期にわたる相対的な米国優位の時代を経た国際秩序が、現在、大きな権力移行の局面へと入る中で発生したものである。多くの研究者は、この時代を、一極支配の国際秩序から、より複雑で競争的な世界構造への移行期であると捉えている(Nye, 2011;Mearsheimer, 2014)。
1991年のソ連崩壊後、米国は一部の研究者が「ユニポーラー・モーメント(一極支配)」と呼んだ時代へ入った。これは、ワシントンが匹敵する世界的競争相手を持たないまま、国際情勢を前例のないほど大きく左右する能力を有していた時代である(Krauthammer, 1990)。この期間、米国の軍事的優位、経済力、技術力、そして広範な同盟ネットワークが、その卓越した国際的地位を支える基盤となった。
しかし、この危機は同時に、「権力」と「道徳」の関係について、より深い問いも提起している。国家や政治指導者は巨大な軍事力や経済力を有しているかもしれない。しかし彼らは、正統性、世論、経済的現実、そして何よりも、人間に与えられた時間という制約から自由ではない。
本稿の中心的な問い
軍事力だけで持続可能な政治的成果を生み出すことは可能なのか。それとも世界は、正統性、歴史的アイデンティティ、経済力、外交が、軍事力と同じほど重要となる新たな時代へと入ったのであろうか。
本稿が主張するのは、イラン・米国・イスラエルの対立は単なる軍事衝突ではなく、21世紀における権力・抵抗・世界秩序の概念そのものが変容しつつある過程の一部である、ということである。
本稿が特に論じるのは、軍事力は依然として国家権力の重要な構成要素ではあるものの、持続的な戦略的成果を達成する能力は、軍事力だけではなく、政治的正統性、経済的強靱性、外交的影響力、社会的結束、さらには歴史的・文化的現実に対する正確な理解が相互に結びついて初めて実現される、という点である。
長寿という幻想――時間・権力・そして指導者の道徳的責任
政治史研究における最も根本的な問いのひとつは、なぜ最大の権力を手にした人々が、ときに人類や歴史、文明に計り知れない影響を及ぼす決定を下すのか、ということである。
この問いは政治だけに限られた問題ではない。それは、人間が「時間」「死」「権力」、そして「永続性への欲望」をどのように理解しているかという問題と深く結びついている。
一般に考えられているのとは異なり、人間の人生は実際には非常に短い。仮に八十歳まで生きたとしても、そのすべての年月を十分な自覚と知的自立、そして完全な意思決定の自由をもって過ごすわけではない。
人生の相当部分は、幼少期、教育、睡眠、身体的制約、社会的責任、そして最終的には老化という自然な衰えによって費やされる。
人間が真に自らの意思で行動できる期間とは、考え、選択し、自らの社会環境に影響を及ぼすことのできる、ごく限られた年月にすぎない。
皇帝や征服者、あるいは歴史を動かした指導者たちは、一時的には歴史の流れを変えることができる。しかし、彼ら自身もまた、最終的にはその歴史の一部となる。いかに巨大な権力を持とうとも、その力は常に時間、社会状況、経済力、そして彼らが影響を与えようとした社会の反応によって制約されてきた。
ナポレオン・ボナパルト、ヨシフ・スターリン、アドルフ・ヒトラーといった人物は、軍事的・政治的権力が、自らの限界への認識や道徳的責任と切り離されたとき、他者だけでなく、自らが強化しようとした権力体系そのものに破滅的結果をもたらし得ることを示している。
一方で、ウィンストン・チャーチルのような人物は、政治指導者の歴史的意義は、その者が保有した権力の大きさや軍事的勝利だけでは評価できないことを示している。彼らは、直面した状況、下した困難な決断、そして後世に残した遺産という、より広い文脈の中で評価されなければならない。
こうした比較の目的は、これらの人物を道徳的あるいは歴史的に同列に置くことではない。むしろ、権力の歴史に繰り返し現れるひとつの法則を浮き彫りにすることにある。すなわち、並外れた権力を手にした者であっても、最終的にはすべて同じ人間的限界に直面するという事実である。
歴史が一貫して教えているのは、権力とは、一部の指導者が考えるような恒久的な所有物ではなく、一時的に与えられた機会にすぎないということである。そして、その機会をどのように用いたかが、最終的に歴史の記憶の中でその人物がどのように評価されるかを決定する。
この現実は、政治指導者について考えるとき、いっそう重要な意味を持つ。国家元首、軍司令官、君主、あるいはイデオロギーの指導者は、何百万人もの運命を左右する決定を下し得る。しかし彼らもまた、時間の流れと人間存在の限界という普遍的条件から逃れることはできない。
歴史は繰り返し、権力が人間に「永続性」という幻想を抱かせることを示してきた。人生の晩年に至ってなお、より大きな影響力や軍事的拡張、敵対者の排除、あるいは個人的権力のいっそうの強化を追い求め、平和と安定という遺産を残すことに目を向けなかった指導者は少なくない。
政治哲学の観点から見れば、最大の危険は、権力が道徳的責任から切り離されるときに生じる。人間存在の限界を自覚しない権力は危険な幻想へと変質する。なぜなら、意思決定者は、自らが決して経験することのない未来世代に、その代償を負わせることができるからである(Arendt, 1970)。
この観点からすれば、大規模な戦争とは単なる軍隊同士の衝突ではない。それは同時に、何百万人もの生命、安全、そして未来に関する決定を下す人々に課せられた道徳的試練でもある。
現代への示唆――政治権力と人間に与えられた時間の限界
歴史の教訓は、現代政治においてもなお強い意味を持ち続けている。今日の国際危機は、いかに大きな権限と影響力を持つ政治指導者であっても、時間、脆弱性、そして死という人類共通の現実から逃れることはできないことを、改めて示している。
最近の中東危機の最中、イランに対する強硬姿勢、より積極的な米国外交の提唱、そしてイスラエルの安全保障への強い支持で広く知られていた米国上院議員リンゼー・グラハムは、短い闘病の末、突然この世を去った。グラハムは政治家としての経歴を通じ、多くの観察者から、米国・イスラエル間の緊密な戦略関係を積極的に推進する代表的政治家とみなされており、米国内の有力な親イスラエル・ロビー団体とも密接な関係を維持していた。
ワシントンの中東政策を批判する立場からは、トランプ政権下でのイランへの圧力は、米国全体の戦略的利益だけでなく、イスラエルの安全保障上の懸念や、米国政治における親イスラエル・ロビー団体の影響によって形成されたと考えられている。一方、その政策を支持する人々は、ワシントンの対応は、あくまでも米国の国家安全保障、地域の安定、そして脅威とみなされる存在への対抗という観点から決定されたものであると主張している。
こうした政治的解釈の違いがあるにせよ、グラハムの死をめぐる出来事は、より普遍的な人間の現実を浮き彫りにしている。すなわち、政治権力の頂点に立つ人物であっても、歴史の流れに影響を与えられる時間は限られているということである。政治的権威は、いかに巨大であっても一時的なものであり、時間、死、そして歴史の審判という、人間に共通する条件から逃れることはできない。
このような事例の重要性は、一人の政治家の人生や経歴だけにあるのではない。むしろ、それは権力と責任との関係について、より本質的な問いを投げかけている。
もし政治的影響力が一時的なものであるならば、指導者は自らに託された権限を、その限られた期間の中でどのように用いるべきなのであろうか。
政治指導者は、戦争と平和、経済情勢、そして何百万人もの安全保障を左右する決定を下すことができる。しかし彼ら自身もまた、老い、病、そして避けることのできない時間の流れに支配される存在である。
この現実は、彼らの責任を軽減するものではない。むしろ、その決定が負う道徳的重みを一層大きなものにしている。したがって、本質的な問題は、指導者がどれほど強大な軍事力や政治権力を持つかではない。より深い問いは、その指導者が権力の一時性を理解し、自らが政治の舞台を去った後も、その決定が長く社会に影響を及ぼし続けることを認識しているかどうかである。
歴史は最終的に、指導者をその力の大きさだけで評価することはない。その力をどのように用いたかという結果によって評価する。したがって、真の指導力とは、権力を行使する能力だけではなく、その限界を理解する知恵によって測られるのである。
倫理的責任から戦略的計算へ
時間、権力、そして責任の関係は、単なる哲学的・倫理的問題ではない。それは戦略的意思決定や国際関係にも直接的な影響を及ぼす問題である。
時間と権力の限界を認識できない指導者は、長期的な結果よりも目先の政治目標を優先しがちである。彼らは、軍事的圧力や経済的威圧、あるいは武力の行使によって複雑な政治問題を解決できると考えるかもしれない。しかし歴史が示してきたように、強制力だけで、それを行使した側が望む結果を得られることはまれである。
国際政治において、この問題は「破壊する能力」と「創造する能力」との根本的な違いを映し出している。国家は軍事作戦を遂行し、敵国のインフラを弱体化させ、戦場で短期的な成果を挙げる能力を持つことができる。しかし、それらを持続的な政治的成果へと転換するためには、はるかに複雑な要素が必要となる。すなわち、政治的正統性、外交、社会的受容、経済的強靱性、そして歴史的・文化的現実への理解である(Mearsheimer, 2001;Nye, 2011)。
軍事能力と政治的有効性とのこの違いは、現代の数多くの紛争において明白となっている。敵を軍事的に打ち破る能力は、その後に安定した政治秩序を築く能力を意味するものではない。イラクとアフガニスタンの経験は、政府を打倒し軍事的優位を確立することは紛争の第一段階にすぎず、本当に困難なのは戦闘終了後に持続可能な制度と政治的正統性を築くことであることを示した(Fukuyama, 2006)。
この原則は、中東地域の紛争にもそのまま当てはまる。軍事作戦は一時的な勢力均衡を変えることはできても、歴史的、思想的、社会的、政治的対立を自動的に解決することはできない。国家アイデンティティ、主権、安全保障に対する認識、歴史的怨念といった問題は、軍事力だけでは取り除くことができないのである。
したがって、紛争の評価は軍事作戦の直後の成果だけで判断されるべきではない。
包括的な戦略評価には、相互に関連するいくつかの水準を検討する必要がある。
• 作戦レベル(Operational Level)
個々の軍事作戦において軍事目標が達成されたかどうか。
• 戦術レベル(Tactical Level)
短期的な目標が実現されたかどうか。
• 戦略レベル(Strategic Level)
その行動が政治行動、地域の安定、あるいは勢力均衡に持続的な変化をもたらしたかどうか。
戦争の結果をめぐって見解が食い違うのは、それぞれが異なる「勝利」の定義を採用しているためである。
ある政府は戦場での成果を理由に勝利を宣言するかもしれない。一方、その敵対勢力は、より広い政治目標は達成されなかったと主張することもできる。逆に、ある国家は軍事的圧力に耐え続けながらも、自国の政治体制、国民の結束、あるいは外部からの圧力に抵抗する能力を維持したという理由から、自らを戦略的勝者と位置付けることも可能である。
この区別は、イラン・米国・イスラエルの対立を分析するうえで、とりわけ重要である。
問題は、どちらがより強大な軍事力を保有しているかだけではない。より本質的な問いは、軍事力だけで、この複雑な地域環境において持続可能な政治的変革を実現できるのかという点にある。
現代の紛争の歴史が示しているのは、永続的な影響力は単なる優位性だけでは生まれないということである。それには、権力と正統性、武力と外交、そして戦略目標と人間的・政治的現実への理解とを結びつける能力が必要なのである。
世界秩序の変容と一極支配の終焉
イラン、米国、イスラエルの対立は、現在進行している国際秩序全体の変容という文脈を抜きにして理解することはできない。この危機は、数十年にわたる米国の相対的優位の時代を経た世界秩序が、戦略的競争、権力移行、そして国際社会における各主体の役割の再定義という新たな局面へ入った時期に発生した。
第2次世界大戦後、米国は世界経済機関の創設、広範な政治・軍事同盟の構築、さらに圧倒的な経済力と技術力を背景として、戦後国際秩序を築き上げた主要な設計者の一国となった。1991年のソ連崩壊後、米国は多くの研究者が「ユニポーラー・モーメント(一極支配)」と呼ぶ時代へ入った。この時代、ワシントンは匹敵する世界的競争相手を持たず、国際情勢を左右する卓越した能力を有していたのである(Krauthammer, 1990)。
しかし、この30年余りの経験は、軍事的優位だけでは安定した政治秩序を築くことはできないことを明らかにした。
軍事力は政権を打倒し、大規模な軍事作戦を遂行し、一時的な勢力均衡を変えることはできる。しかし、正統性ある政治秩序、社会の安定、そして持続可能な安全保障体制を構築するためには、それだけでは足りない。そこには、正統性、歴史への理解、経済力、そして社会的受容といった追加的要素が不可欠なのである。
イラクとアフガニスタンにおける米国の経験は、この現実を象徴する重要な事例である。
米国は比較的短期間で既存政権を打倒することには成功した。しかし、その軍事的勝利を長期的な政治的安定へと転換することは、開戦当初よりもはるかに困難であることが判明した。戦場での勝利と戦後政治の成功との違いは、今日の戦略研究における最も重要なテーマのひとつとなっている(Fukuyama, 2006)。
新興国の台頭と多極化への移行
ここ数十年の間に、世界のパワーバランスは大きく変化してきた。
中国が経済・技術・地政学の各分野で大国として台頭し、ロシアが主要な軍事大国として再び存在感を示し、インドの影響力が増大し、さらに非西側諸国間の経済協力が拡大するとともに、BRICSのような枠組みが発展してきたことは、世界の権力構造がより分散化していることを示す現象である。
これらの変化は、米国の力が直ちに衰退あるいは消滅することを意味するものではない。米国は依然として世界最大級の同盟ネットワークを有し、卓越した技術力、経済力、軍事力を保持している。しかし、これらの変化が示す本質は、いかなる一国であっても、他の主要アクターを考慮することなく、自らの意思だけを国際社会に押し付けることはますます困難になっているという点である。
現代世界において、国力はもはや戦闘機や軍艦、防衛費の規模だけで測られるものではない。経済力、技術力、外交力、国際的正統性、社会的結束、さらには同盟を構築する能力が、国家の総合的な力を構成する同じくらい重要な要素となっているのである(Nye, 2011)。
中東――競合する秩序が交錯する舞台
中東は、この世界的転換を理解するうえで最も重要な地域のひとつである。豊富なエネルギー資源、地理的要衝としての位置、戦略的な交易路、そして安全保障上の重要性ゆえに、中東は歴史を通じて大国間競争の舞台となってきた。
しかし近年の経験は、中東がもはや、かつてのように単一の域外国勢力によって支配される地域ではなくなったことを示している。イラン、トルコ、サウジアラビア、イスラエルといった地域大国は、世界の大国と並んで、この地域の将来の安全保障秩序や政治体制の形成において、より大きな役割を果たそうとしている。
この文脈の中で、イラン・米国・イスラエルの対立は、中東地域の将来の秩序をめぐる、より大きな競争の一部として理解することができる。
ワシントンの政策を批判する立場からは、トランプ政権による対イラン圧力は、イスラエルの戦略的利益や、米国内の親イスラエル・ロビー・ネットワークの活動によって影響を受けたと考えられている。これに対してワシントンの政策を支持する側は、それらの政策は地域の安全保障、地域の安定、そして脅威への対抗という必要性から導かれたものであると主張している。しかし、こうした相反する解釈のいずれを採るとしても、ひとつの重要な現実が明らかになった。
軍事的圧力だけでは、イランに決定的な政治変革をもたらすことも、国内の結束や対外圧力への抵抗力を支える要因を取り除くこともできなかったのである。
一方では、米国は自らの戦略的地位と地域同盟国の安全保障を維持しようとしている。
他方では、中東の地域諸国や新興国は、この地域の安全保障と経済秩序を決定するうえで、より大きな発言権を求めている。
持続可能な秩序を構築するうえでの軍事力の限界
現代史が教える最も重要な教訓のひとつは、軍事能力と政治能力とは同じではないということである。
莫大な破壊力を持つことは、望ましい政治秩序を創り出す能力を意味するものではない。
国家は特定の軍事目標を破壊することには成功するかもしれない。しかし、その後の政治環境を適切に管理できなければ、最終的な結果は当初の目的とは大きく異なるものとなる可能性がある。
したがって、イラン・米国・イスラエル対立のような危機を分析する際には、異なる複数のレベルを区別する必要がある。
• 作戦レベル(Operational Level)
軍事作戦そのものの成功または失敗。
• 戦術レベル(Tactical Level)
短期的目標の達成。
• 戦略レベル(Strategic Level)
行動が国家行動、政治体制、あるいは勢力均衡に長期的変化をもたらす能力。
戦争の結果をめぐる多くの論争は、それぞれの当事者が異なる勝利基準を採用していることから生じている。
第1部の結論
イラン・米国・イスラエル危機は、21世紀の戦争が軍事力だけによって評価できるものではないことを示した。軍事力(ハード・パワー)は依然として重要な要素ではある。しかし、持続可能な成功は、軍事力、政治的正統性、外交、経済力、そして歴史的・社会的要因へのより深い理解が組み合わさることによって初めて実現される。
この危機はまた、本稿冒頭で提示した根本的な問いを、改めて私たちに突き付けている。
政治指導者は、いかに巨大な権力を握っていようとも、歴史に影響を与えられる時間は限られている。そして、人間としての限界への自覚と道徳的責任を欠いた権力は、安定を生み出すどころか、むしろ危機と破壊の源泉となり得るのである。
【第1部 完】
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