バグダッド・メッシ 片足のサッカー少年

『バグダッド・メッシ』は、戦争で左足を失った11歳の少年を描いた映画だ。
イラクに駐在経験があり、現在も中東支援に携わる私にとって、この作品はどうしても見逃せなかった。

『バグダッド・メッシ』の特別試写会が実施される東京外国語大学に足を運んだ。東京外大は 武蔵境にあったと思っていたら、更に郊外に引っ越ししていたらしい。 電車を乗り継ぎ、1時間以上かけて訪問した。それ程時間を費やしても行きたかった。しかも、駐日イラク共和国大使館参事官の映画解説もあるらしい。行かない訳にはいかない。

『バグダッド・メッシ』の舞台は2009年、イラク戦争後の内戦状態が少し落ち着きつつあり、アメリカ軍も撤退を始めた頃の首都バグダッド。落ち着きつつあったとは言っても、まだまだテロ攻撃や衝突が発生していた。

映画が始まったとたん、11歳のサッカー少年ハムディは銃撃に巻き込まれ、左足の膝から下を失ってしまう。ハムディの絶望と悲嘆は、足のある状態が当然であり普段は足があることを意識もしない私が想像もできない大きなものだろう。(主役の男の子はテロ攻撃の巻き添えとなり、5歳の時に実際に左足と父親を失っているのだそうだ。)

父親の仕事の問題で家族でバグダッドを離れなければならなくなったハムディだけれど、大好きなサッカーを諦めることが出来ずに、引越し先の近所の子ども達に迷惑がられながらもサッカー仲間に加えてもらおうと奮闘していた。

イスラム教のスンニ派とシーア派の宗派対立やアメリカへの憎悪、道路のところどころに設置される検問の検問官の乱暴さ、地雷原に放置された兵士の死体、地雷爆発などが、ストーリーに直接的に、間接的に描き出される。当時のイラクのとても厳しい状況が目の前に広がり、その一つ一つが、戦争を経験した社会の日常であることに息をのんだ。

そして映画の結末は。。。
ハムディは母親に、無感情で父親のことをぽつぽつと語った。

そう終わるのか。。。
辛い現実で幕を閉じた。

イラク大使館アザヴィ参事官は、ハムディがサッカーに固執するのは、サッカーという夢を追いかけて辛すぎる現実から目をそらすための現実逃避と解説していた。
これはハムディだけの話ではない。いつどこでテロに巻き込まれるか分からない恐怖、テロに巻き込まれて負った大怪我や身体障碍、家族や親戚縁者、友人達の死、本当に多くのイラク人が抱える、幾重にも重なって襲い掛かる辛い現実から自分の心を守るための防衛本能。

近所の人でも知らない人でも掛け値なしに家に招いてもてなそうとする暖かく心豊かなイラク人の国民性を、この長年の争いが消し去ってしまった。人々の考え方が、憎しみと猜疑心がすっかり変わってしまったと解説する参事官の話が胸に響いた。何十年もイラクで支援活動を続けている日本人の友人が、同じことを言っていたのを思い出した。

現在のイラクは依然として治安が不安定ではあるものの、復興も進み、町は賑やかさを取り戻してきている。都会ではカフェやレストラン、ショッピングモールなども次々オープンしているようだ。でも、暖かく包み込むようなイラク人の心はもう決して取り戻せない。戦争が終わっても、ハムディの左足は戻らないし、古き良き国民性や壊れた人々の心は戻らない。

戦争の与える影響は、実は戦闘が治まってからの方が、ある意味深刻なのかもしれない。特に目に見えないけれど破壊されてしまったもの、見えないだけに難しい。
それでも、いつか、心豊かな古き良きイラク人気質に触れることが出来ることを心から願っている。

『バグダッド・メッシ』は、足を失った少年がそれでもサッカーへの夢を追いかけるという単純な感動作ではない。
イラクが辿らなければならなかった歴史の一片と、戦争が人の命だけではなく、人と人との信頼、心、そして国そのものの姿を変えてしまう、その現実を静かに突き付けてくる映画だ。楽しい映画ではない。それでも、多くの人に見てもらいたい。

*劇場では8月7日から上映されます。
https://theaterlist.jp/?dir=baghdadmessi

野窓パルワナ