Time to End the Politics of Waiting
(WAJ: 本論で筆者は、アフガニスタンの反対勢力は、外国の介入を待つ姿勢と内部対立を克服すべきであり、女性の権利、市民の平等、民主主義を柱とする国民的盟約で結束し、ターリバーンに代わる勢力を築き、自ら未来への責任を担う必要がある、と主張する。なお、筆者のナジフッラー・サラルザイは1978年生まれ。アフガニスタンの外交官。2002年、バルフ医科大学で医学の学位を取得。アフガニスタンの国連機関で約10年間勤務し、うち7年以上、国連アフガニスタン支援ミッション(UNAMA)の国内報道官を務めた。2014年にアシュラフ・ガニー大統領の報道官となり、外務省政策・戦略開発局長を経て、2015年9月に国連次席常駐代表に就任。平和・安全保障、テロ対策、制裁などの問題を担当した。2019年、駐ベルギー大使・欧州連合(EU)代表に就任し、NATOなどとの外交も担う。共和国崩壊後も、欧州対外活動庁(EEAS)の外交団名簿には、アフガニスタン・イスラーム共和国の大使・EU代表として掲載されている。)
2026年10月27日
原文(ペルシア語):ナジフラー・サラルザイ
英訳:モハンマド・ファルハード

共和国崩壊後の5年間にわたる個人的な経験と、欧州の政策担当者との度重なる対話を通じて、私は、アフガニスタンの未来を、他者が決めるのを待つままにしておくことはできない、という結論に至った。今日、アフガニスタンは欧州の政策上の優先課題ではない。欧州の関心の周縁に置かれ、その大半は、封じ込めるべき危機として扱われている。明確で共有された政策の欠如、行動を起こす能力と手段の制約、アフガニスタン問題に対する慢性的な疲弊、そして欧州自身が抱える国内問題と安全保障上の課題が、この周縁化を深めてきた。たとえ明日、こうした課題が解決したとしても、アフガニスタンを再び議題に載せ、政治的意思を形成し、必要な資源を配分するには長い時間がかかるだろう。しかも、部分的なものであれ、解決に至る保証はない。
それでもなお、アフガニスタンの政治家、知識人、政治勢力の多くは、いまだに国外からの青信号を待っている。ワシントンの政策変更、ブリュッセルの新たな決定、国連安全保障理事会による圧力、あるいは、この国の力関係を再び変える大国の介入である。この期待は、過去数十年のアフガニスタンの政治的伝統に根差しているのかもしれない。その時代、この国の大きな変動には、しばしば外国勢力の介入や支援が伴っていた。しかし、その同じ経験から得られる根本的な教訓は、外国の支援がいかに重要であっても、国民の意思、民衆に根差した正統性、そして共通の未来に関するアフガニスタンの人々の合意に取って代わることはできない、ということである。ターリバーン支配を乗り越えるためには、反対勢力もまた、自己中心主義、分裂、そして「待ちの政治」を乗り越え、国民的盟約に基づいて、変革への責任と主導権を自らの手に引き受けなければならない。
アフガニスタンの指導者と政治家は、歴史を通じて、ひとつの根本的な誤りを繰り返してきた。それは、「支援」という言葉をしばしば取り違えてきたことである。彼らは、外国からの支援を、恒久的な存続の保証、無制限の政治的関与、そしてこの国の命運を自分たちに委ねることと混同してきた。しかし、国際関係における支援は、感情的な契約でも白紙小切手でもない。それは、支援国の特定の利益に資するための、一時的かつ条件付きの手段である。その利益が変われば、支援の規模や形態も変わり、あるいは全面的に打ち切られる。それにもかかわらず、わが国の多くの指導者は、外国の支援を、国内の正統性を築き、制度を強化し、国民的統一を確保し、自立を達成するために活用するのではなく、民衆の支持基盤と国家としての能力の代用品にしてしまった。国その結果、外部からの支援が縮小あるいは打ち切られると、政治構造全体が崩壊した。わがの歴史が示す重要な教訓は、外国の支援は好機にはなりうるが、国民の意思、国内の正統性、説明責任を果たす指導部、そして国家としての力量に取って代わることは決してできない、ということである。
今日の西側諸国は、中国・ロシアとの戦略的競争、欧州周辺の戦争と不安定化、経済的圧力とインフレ、移民、気候変動、人口の高齢化、社会的不平等、政治的分極化、右派・ポピュリスト運動の台頭、民主主義的制度への信頼低下、技術や人工知能がもたらす影響への懸念など、国内外の数多くの課題に同時に直面している。こうした状況下で、西側の政治・社会の主流の言説は、20年前のように、国家建設、民主主義の普及、遠い国々への長期的介入に、象徴的な意味でさえ、もはや焦点を当てていない。代わって中心となっているのは、国内の安全、国境管理と移民、生活費、雇用、経済競争、エネルギー、集団防衛、そして多額の費用を要する対外関与の縮小である。このため、西側の判断において、アフガニスタンは戦略的事業から、主としてテロの封じ込め、移民、人道支援、最低限の人権基準の擁護に関わる問題へと変わった。この現実は、アフガニスタンの人々が、自国の政治危機の解決を、西側の優先順位の変更や再介入に結びつけるべきではないことを示している。
西側には再び介入する意思がなく、その戦略的計算においても、アフガニスタンは20年前に占めていた位置をもはや保持していない。米国と欧州は、女性の権利、女子教育、テロ対策、包摂的な政府の樹立について語るかもしれない。人道支援を提供し、ターリバーンの承認を拒むかもしれない。しかし、アフガニスタンの権力を変えるため、新たな政治的・軍事的事業に着手しようとしていることを示す確かな兆候はない。他方、安全保障、貿易、エネルギー供給、北大西洋条約機構(NATO)、そして世界的な責任の分担をめぐり、とりわけ米国と欧州の間で大西洋を隔てた亀裂が深まり、相互信頼が低下していることも、アフガニスタンのような危機に対して、統一的で持続的かつ長期的な政策を採用する西側の能力と意思を弱めている。
したがって、救済のための介入を待つことは、戦略でも政策でもない。それは、国民の意思を停止させるひとつの形態である。
私たちの政治的・道徳的な羅針盤は、どこを向いているのか
アフガニスタンの問題は、ターリバーンだけではない。ターリバーンは、私たちの政治と社会が抱える、より深い危機が苛烈かつ極端な形で現れたものである。それは、自己定義の危機、国民相互の信頼の危機、そして共通の目的の危機である。
私たちは、自分たちをどのように定義するのか、いまだに明確に理解していない。アフガニスタンを、すべての市民が民族的・言語的なアイデンティティーを保持しながら、政治的に等しくこの国の主体となる、歴史ある国民国家と考えるのか。それとも、人口、地理、軍事力だけによって権力の取り分が決められるべき、競合する民族集団の寄せ集めとみなすのか。私たちが求めるのは、投票と法に基づく共和国なのか。それとも、かつての政治家たちが権力に復帰できるよう、単にターリバーンを押しのけたいだけなのか。女性と市民の権利を擁護することは、譲ることのできない原則なのか。それとも、外国の支援を獲得するための道具なのか。
これらの問いがいっそう重要なのは、今日、アフガニスタンの国外で女性の権利や教育というスローガンにすがっている、まさにその政治家たちが、国内ではこの問題について、あまり立派な実績を持っていないからである。私たちは、これらの問いに対する明確で誠実な答えを持っていない。それならば、世界が私たちを真剣に受け止めてくれると期待すべきではない。
道徳的・政治的な羅針盤がなければ、たとえ明日ターリバーンが崩壊しても、アフガニスタンの危機は終わらない。政治文化を変えずに支配者だけを変えても、権力を握る顔ぶれが変わるだけである。
従来の同盟国を失うこと
私たちの政治的混迷を示すもうひとつの兆候は、アフガニスタンの従来の同盟国に対する矛盾した振る舞いである。一部の勢力は、絶望や短期的な計算から、アフガニスタンと西側との関係全体が誤りであったかのように語る。逆に、西側の支援にあまりにも依存し続けているため、地域諸国と関わるための独自の戦略を持たない勢力もある。
どちらの姿勢も誤りである。
アフガニスタンは、アイデンティティーを根拠に西側に敵対する立場を取るべきではない。米国、欧州連合(EU)、カナダ、英国、日本、そしてその他の多くの政府は、20年間にわたり、アフガニスタンの復興、教育、保健、国家機関、市民社会に膨大な資源を投入した。何百万人ものアフガニスタン市民が、こうした機会の恩恵を受けた。これらの国々との関係を維持し、共通の価値を擁護し、その政治的・法的な力を活用することは、アフガニスタンにとって依然として重要である。
しかし、西側との関係を、私たち自身の地域政策の代わりにしてはならない。アフガニスタンの地理は変わらない。イラン、パキスタン、中央アジア、中国、インド、トルコ、湾岸諸国、ロシアは、それぞれ異なる利益と姿勢を持ちながら、隣国であるか、あるいは私たちの戦略的環境に恒常的に関わる国々である。西側は優先順位を変えるかもしれないが、地域諸国はアフガニスタンを無視することができない。9・11同時多発テロ後のアフガニスタン復興において、地域諸国の役割が、西側や欧州に比べてきわめて小さかったことに疑いはない。
正しい道は、西側と決別して東側に庇護を求めることではない。同様に、西側に救ってもらうのを待つことも解決にはならない。アフガニスタンには、均衡の取れた外交政策が必要である。従来の協力関係を維持し、地域諸国との関係を拡大し、自国が大国間競争の舞台となることを防ぐ政策である。解決策はアフガニスタン自身から生まれなければならないが、それを支えるのは地域社会や国際社会であってよい。政治的な主体性と外交的孤立を混同してはならない。
反対勢力の共通認識――ターリバーンはアフガニスタンの未来ではない
国外の政治家と政治勢力の間には、ひとつの根本的な共通点がある。ターリバーンは、アフガニスタンの未来を代表するものではない、ということである。ターリバーンは国土を支配しているかもしれないが、領土の支配は、国民的・法的な正統性と同じではない。彼らは選挙や国民の同意を通じて権力を握ったのではない。その統治構造は包摂的ではなく、自らの民族による独占の内部においてさえ、排他的に行動してきた。彼らは女性を公的生活から事実上排除し、共和国時代の法制度と民主主義的制度を破壊し、それらを、イスラームの暗黒的な解釈に基づく権威主義的政府に置き換えた。
主要な反対勢力は、ひとつの原則で一致している。ターリバーンの独占的支配を、アフガニスタンの最終的な運命として受け入れてはならない、ということである。反ターリバーン勢力は、自分たちが何を望まないか、すなわちターリバーンを望まないという点では一致している。しかし、何を望み、それをどう実現するかについては一致していない。
目標は、2004年憲法の全面的な復活なのか。移行期間を設けるべきなのか。誰がそれを主導するのか。将来の秩序において、ターリバーンはどのような役割を持つのか。主要な道筋は武装闘争なのか、それとも政治的圧力と市民的不服従なのか。女性、若者、各民族、国内の諸勢力は、意思決定にどのように参加すべきなのか。政治的抵抗と軍事的抵抗の関係をどう定義するのか。将来の体制において、過去の対立が繰り返されないという保証はどこにあるのか。
これらの問いへの共通の答えがないために、ターリバーンの反対勢力は、政治勢力というよりも散発的な抗議の寄せ集めとなっており、世界からも、さらにはアフガニスタンの人々からさえも、真剣に受け止められていない。過去5年間の反ターリバーンの政治的言説は、共和国の20年間のそれと大きく変わっていない。
5年が過ぎても、なお互いを指さして非難する
国家的な失敗の後には、その責任を検証することが必要である。2021年8月の共和国崩壊は、資料に基づき、公平かつ独立した立場から調査されなければならない。汚職、権力の過度な集中、指導力の弱さ、秘密取引、指揮命令系統の崩壊、外国支援への過度な依存、ドーハ合意、そして国際部隊の性急な撤退は、すべて検証の対象とすべきである。しかし、責任を検証することと、思考が過去に囚われることは異なる。このような国家的悲劇について、正義にかない、公正で偏りのない調査を担いうるのは、その社会において民主的な信頼を備えた独立機関だけである。
米国とその同盟国は、アフガニスタンについて判断を誤り、この歴史的かつ戦略的な誤りの責任を、アフガニスタン・イスラーム共和国の指導部だけに転嫁した。それでもなお、アフガニスタン戦争を検証する委員会は、いまだにその作業を完了していない。
崩壊から5年が過ぎても、亡命政治家の一部は、自らの無実を証明し、他者を非難することに全精力を費やしている。前大統領、政治指導者、司令官、交渉担当者、元政府当局者は、それぞれ別個の物語を提示し、そのいずれにおいても、主たる責任は別の誰かの肩に載せられている。あたかも、誰が最後の命令を出したのか、誰がカーブルを去ったのか、誰がどの相手と交渉したのかを証明しさえすれば、未来への道がひとりでに明らかになるかのようである。
国家は過去を忘れることによって築かれるものではない。しかし、過去を裁く法廷に永遠に囚われたままでは、未来にたどり着くこともできない。
私たちに必要なのは真実の究明であり、物語を使った復讐ではない。責任を認め、誤りを記録し、そこから教訓を学ばなければならない。そのうえで、政治的なエネルギーを、代替勢力の構築へと向ける必要がある。かつての政治家や競合する集団への敵意に、その存在意義のすべてを依存する反対勢力は、ターリバーンに代わる国民的な選択肢にはなれない。
体制改革から国家分割まで――核心の問いからの逃避
こうした状況のなかで、一部の政治家は、アフガニスタンを救う処方箋を、国家の分割、連邦制、憲法の全面的変更、議院内閣制、地方分権、あるいは国民的アイデンティティーの再定義に見いだしている。これらの論点は、それ自体が不当なものではない。国家の構造、権限の配分、指導者の選出方法、中央と地方の関係は、自由に議論されるべきである。いかなる法の条文も、神聖不可侵で変更できないものではない。将来の憲法は、過去の失敗の経験から学ばなければならない。
しかし、問題は政治的な優先順位と順序である。
女性が教育と労働の機会を奪われ、国家機関が消滅し、何百万人もの人々が移民や避難民となり、国に正統な政府が存在せず、国民の大部分が深刻化する人道危機に直面しているときに、国内の境界線、国名、民族単位での権力配分をめぐる争いを始めれば、分裂を深めることになりかねない。5年が経過した今も、国連加盟国のうち、現在の支配体制を承認した国はひとつしかない。
中央集権制、地方分権制、連邦制、議院内閣制のいずれを選ぶかは、自由な環境の下で、正統な憲法制定過程を通じて、アフガニスタンの人々自身が決めなければならない。限られた亡命者の集まりで決められたり、外国勢力の圧力の下で決められたりしてはならない。また、偏った考えを持つ一部の個人や、干渉を行う地域諸国の利益のために、民族的動員の手段として決められてもならない。
国家の分割も、複雑な危機に対する単純な解決策ではない。アフガニスタンの人々は、民族ごとに明確に分離された地理的区分に沿って暮らしているわけではない。いかなる領土分割も、新たな紛争、強制移住、地域間の対立の波を生み出しかねない。分割を即効性のある処方箋と考える人々は、それがもたらす人的、安全保障上、歴史的な代償についても、誠実に説明しなければならない。
大局はこうである。アフガニスタンがまず必要としているのは、ターリバーンの専制を終わらせ、国民が自らの運命を決める権利を取り戻すための国民的合意である。体制の最終的な形をめぐる議論は、その過程の一部であるべきであり、その代用品であってはならない。
成功した亡命運動は何をしたのか
歴史が示すように、亡命していること自体は失敗のしるしではない。しかし、亡命先で成果を上げるには、忍耐、組織、共通のメッセージ、そして国内との絶え間ないつながりが必要である。
アーヤトッラー・ホメイニーは、1964年から1979年までの約15年間、トルコ、イラク、フランスで亡命生活を送った。イラン革命後に成立した体制を私たちがどう評価するにせよ、彼の経験は、亡命運動が影響力を持つのは、統一されたメッセージ、国内のネットワーク、情報伝達の仕組み、そして広く認められた指導部を備えているときであることを示している。彼は亡命先で、単に声明を発表するだけではなかった。一貫した政治的な物語を構築し、それをイラン国内のネットワークに伝えた。もちろん、イラン革命の帰結は、もうひとつの警告も含んでいる。ある体制を打倒するための団結は、その後の秩序について明確な合意を欠けば、新たな独占と、かつての協力者の排除につながりうるのである。
アフリカ民族会議(ANC)は1912年に設立され、1960年に非合法化され、その指導部の重要な部分は約30年間、亡命先で活動した。この運動は、外国による軍事介入をただ待っていたのではない。外交ネットワークを築き、反アパルトヘイト闘争の道徳的正統性を強固にし、国際的な制裁を働きかけ、国内勢力とのつながりを維持し、最終的には闘争を交渉と政治的移行に結びつけることに成功した。その道のりは短くもなく、誤りがなかったわけでもない。しかし、その中心的な目標が、山積する副次的な対立の下に埋もれることはなかった。アパルトヘイト体制は1960年にANCを非合法化し、1990年まで公然と活動することはできなかった。つまり、約30年にわたる組織的抵抗が必要だったのである。
バングラデシュの亡命政府は、別の事例である。この政府は1971年4月に樹立され、同年12月の独立まで活動した。その期間は短かったが、当初から政府機構、内閣、外交、軍事力、ラジオ局、そして明確な政治目標を備えていた。最も重要なのは、1970年の選挙結果と明確な民衆の支持基盤に依拠し、インドの決定的な支援を、自らの国家戦略に結びつけることができた点である。
これらの事例が示す処方箋はひとつではない。しかし、いくつかの共通した教訓がある。代替となる政治勢力には組織が必要である。目標は明確でなければならない。指導部は説明責任を果たさなければならない。国内との接触を断ってはならない。外国の支援は国民的な計画に資するものでなければならない。そして、変革後の時期に向けた計画は、権力を握る前に準備されていなければならない。
ターリバーンの反対勢力には何が必要か
ターリバーンの反対勢力に何よりも必要なのは、簡潔で明確な国民的盟約を軸に、認識を一致させることである。それは、政党の綱領や個人的な対立を超えた盟約でなければならない。領土の一体性の維持、市民の平等、女性と少女の全面的な権利、国民の意思に基づく主権、政治的自由、移行期正義、そして憲法と自由な選挙を通じた将来の体制の決定を重視する盟約である。団結とは、すべての勢力をひとつの政党に統合したり、一人の指導者を受け入れたりすることではない。共通の目標、原則、行程表について合意することである。女性、若者、市民社会、専門職の人々、旧体制下の諸勢力、そして国内のアフガニスタン市民は、この過程に実質的に参加する機会を持たなければならない。このような合意は、分散した反対勢力を、信頼できる国民的な代替勢力へと変え、地域諸国の信頼を獲得し、西側との関係を、救済の要請から、人権、ターリバーンの不承認、そして実質的な政治過程への支援に基づく協力関係へと変えることができる。
「待ちの政治」から離れる時
今日のアフガニスタンが何よりも苦しんでいるのは、まとまりのある代替勢力が存在しないことである。ターリバーンは、反対勢力の分裂、世界の疲弊、地域諸国間の不一致から利益を得ている。彼らは、自分たちの多くの対抗勢力が、権力を独占して国を人質に取っている正統性のない支配に立ち向かうよりも、互いの争いに深く関わっていることを知っている。だが、ターリバーン最大の敵は、彼ら自身とその抑圧的な政策である。こうした政策は国民の不満を広げているが、信頼できる、まとまりのある代替勢力がないため、その不満は変革をもたらす有効な力へと転化していない。
国外でのいかなる会議も、国際的な決議も、ターリバーン内部の対立も、それだけでアフガニスタンを解放することはない。好機が生まれるのは、アフガニスタンの人々が、それを生かす能力をあらかじめ築いているときである。仮に明日、ターリバーンの構造に亀裂が生じても、組織された国民的な代替勢力がなければ、その結果は自由ではなく、混乱、近隣諸国によるさらなる干渉、あるいは別の形の過激主義の出現となるかもしれない。
私たちは世界に支援を求めなければならない。しかし、自分たちの未来を世界の決定に委ねてはならない。地域諸国と協力しなければならない。しかし、地域の対立の道具となってはならない。共和制民主主義の経験を擁護しなければならない。しかし、その誤りを否定してはならない。ターリバーンを拒否しなければならない。しかし、単に反ターリバーンであることを政治綱領とみなしてはならない。
アフガニスタンを救う道は、ワシントンで書かれるのでも、モスクワ、テヘラン、イスラマバード、デリー、北京で書かれるのでもない。この道は、まずアフガニスタンの人々自身の間で形づくられなければならない。国についての共通の定義、信頼の再構築、責任の受容、相違への寛容、そして、いかなる個人、民族、政党、外国勢力も奪い取ることのできない原則への合意のなかで、形づくられるのである。
40年以上にわたる経験は、アフガニスタンにおける各支配体制の存続期間が、平均して約11年であったことを示している。この年数はターリバーン崩壊の予測ではないが、ひとつのことを明らかにしている。いかなる支配も永遠と考えるべきではない、ということである。民主主義勢力は、この国の未来を、変化や自然崩壊、あるいはターリバーン内部からの爆発を待つことに結びつけてはならない。今日の彼らの責任は、国民的盟約について認識を一致させ、信頼でき、包摂的で、あらゆる人々を包含する代替勢力を形づくることである。それによって、次の変化が、暴力と独占の循環を繰り返すのではなく、国民の意思、市民の平等な権利、説明責任に基づく制度を確立する土台となるようにしなければならない。
中心的な問いは、もはや2021年に誰が悪かったかではない。今日、誰が未来への責任を引き受ける用意があるのか、ということである。
アフガニスタンがターリバーンを乗り越えるのは、その反対勢力が、自己中心主義、分裂、そして「待ちの政治」を乗り越えたときである。自由は、国民が自らの運命を自分たちの手に取り戻し、自らの救済を他者に委ねないと決めた、その瞬間から始まる。