(2026年10月29日)
勝てない戦争、終われない戦争
~中間選挙目前、米国人論客のイラン戦争論~
(WAJ: 「勝てない戦争、終われない戦争」とはロシアによるウクライナ侵攻のことではない。米イスラエルによる対イラン戦争のことであるが、この戦争を「史上最悪」とする評論は多い。確かに、目的を達成できず、同盟国をはじめ世界各国からの安全保障への信頼を損ない、相手の抵抗を強めることはあっても終われない戦争は、重大な戦略的失敗である。中間選挙で問われるべきは政権の責任だけでなく、軍事力の限界を認め、戦争終結と政策転換へアメリカが踏み出せるかどうかである。その政治的判断が、いま試されている。全国一斉投票日を目前に、米国のイラン戦争を批判的に検証するアメリカ国内の6つの論考を読む。)
はじめに
2026年11月3日の米国中間選挙を前に、イラン戦争をどう評価するかが、外交・安全保障と国内政治を結ぶ重要な争点となっている。短期間で終わると宣言されて始まった戦争は長期化し、燃料価格や生活費への影響を通じて、有権者の日常に入り込んだ。10月27日のAP通信(トランプ氏のイランへの「ちょっとした寄り道」)が、中間選挙の障害となった経緯は、戦争が共和党の選挙上の重荷となり、有権者が生活費対策と終戦を求める状況を報じている。戦争の成否は、遠い戦場の問題ではない。
この戦争を「アメリカ史上最悪」と呼ぶ論考は多いが、そう断定するには比較の尺度を明らかにしなければならないだろう。人的被害、戦費、戦争の期間、国際的地位への影響は、それぞれ別個の問題である。進行中の戦争を、すでに歴史的な帰結が明らかな戦争と単純に順位づけすることにも慎重であるべきだ。
しかし、投入した軍事力と達成された政治目的との落差、さらに戦争によって自国の安全と国際的影響力を損なった度合いを問うなら、重大な戦略的失敗として検討する理由は十分にある。米国の批判的論評のなかで注目すべきなのは、最上級の形容詞を競う文章よりも、失敗の構造を説明する論考である。
米国の議論全体を網羅することは到底できないので、ここでは、戦争の失敗と今後の政策を考えるうえで重要と思われる6つの論考を取り上げる。
地域秩序の信頼性の崩壊
その出発点となるのが、マーク・リンチ(ジョージ・ワシントン大学の政治学および国際関係学教授)の「アメリカの中東の終焉――イランと、破綻した秩序の最後のあがき」(参照1)である。『フォーリン・アフェアーズ』2026年9・10月号に掲載されたこの論文は、イラン戦争を特定の政権の判断ミスにとどめず、とくに1991年以降に形成された米国主導の地域秩序の破綻として捉えている。
リンチによれば、この秩序は、米国の軍事的優位、湾岸諸国などへの安全保障、イランの封じ込め、そしてアラブ諸国とイスラエルを共通の枠組みに組み込む構想によって支えられてきた。ところがイラン戦争は、米国が地域の協力国を守り、ホルムズ海峡の航行を保証するという約束の信頼性を傷つけた。さらに、その秩序が地域住民にもたらした戦争と抑圧を振り返り、米国が独裁的な支配者との関係を優先してきたこと自体を問い直す。
この議論の重要性は、「敵をどれだけ破壊したか」と「自らの秩序をどれだけ維持できたか」を分けたことにある。軍事的な打撃力の大きさだけでは、政治的成功は測れない。むしろ、その軍事力の行使によって、安全保障を提供する国としての信頼を損なったのであれば、戦術上の成果が戦略上の損失に転化したことになる。ただし、秩序の破綻は米国の影響力が一挙に消滅することを意味しない。リンチの議論は、長期的な変化の方向を示すものとして読むべきであろう。
戦場での部分的勝利が戦略的敗北につながっている点は、ロシアによるウクライナ戦争に等しいと言える。
駐留と介入の悪循環
この構造的批判から、明確な政策転換を導くのが、マイケル・フックス(オープン・ソサエティ財団理事、バイデン、ハリス、ヒラリークリントン氏らの特別補佐官経験者)の「アメリカは中東を手放さなければならない――失敗したイラン戦争を、遅すぎた撤退の契機とせよ」(同誌、8月6日)(参照2)である。
フックスは、米軍の中東駐留が米国と地域の安全を保証するという前提を疑う。基地と部隊の存在が攻撃対象となり、それらを守るために追加の軍事行動が必要となり、米国がさらに紛争へ引き込まれる。こうした悪循環を断ち切るため、中東からの米軍撤退と、人権侵害を助長する軍事支援の停止を求める。一方で、外交、経済協力、人道支援まで放棄すべきだとはしていない。
フックスの問いは明快である。駐留が安全を生むと説明されてきたのに、実際には駐留を維持するために戦争が必要となっているのではないか。リンチが地域秩序の歴史的な行き詰まりを描くのに対し、フックスは、その秩序を支える軍事的な仕組みから離脱することを提案している。
日本における米軍の駐留、琉球弧の軍事基地化を基本とする日米安保構想に教訓を与えている。
終戦を妨げる相互不信
だが、失敗が明らかになれば、戦争は終わるのだろうか。この点に最も鋭く切り込むのが、アリ・ヴァエズ(国際危機グループのイラン・プロジェクト責任者兼会長上級顧問)の「新たな終わりなき戦争――米国とイランは、なぜ勝利なき戦いを続けるのか」(同誌、9月29日公開)(参照3)である。
ヴァエズは、双方とも最終目的を達成できない一方で、戦争を続ける手段を持ち、妥協よりも継続の方が有利だと考えていると分析する。米国はイランの軍事力と経済を傷つけられる。イランは米軍基地や地域の協力国、国際通商に損害を与えられる。しかも双方は、停戦によって相手が態勢を立て直し、再び攻撃してくることを恐れる。そのため、戦争から抜け出すための譲歩そのものが危険に見えてしまう。
ここには、戦争への批判を考えるうえで見落とせない問題がある。戦争全体としては不合理でも、当事者には継続する理由が残るのである。ヴァエズは10月公開の公式対談でも、両国にとって、痛みを伴う妥協より紛争の継続の方が低い代償に見えていると説明した。
中間選挙で政権への批判が強まることと、終戦に必要な相互の保証や合意が成立することは同じではない。リンチの秩序崩壊論にヴァエズを加えて読む意義は、この隔たりを理解できる点にある。失敗を認めることは、終戦への出発点になり得る。しかし、それだけでは出口にならない。
戦争が政権維持にとって必須となる。ロシア・ウクライナ戦争、ネタニヤフ政権のガザ戦争にとっても同じ教訓となるだろう。
目的と成果の乖離
では、その失敗を何によって検証するのか。マイケル・コーエン(スティムソン・センターの非常勤シニア・フェロー)の「イラン戦争は割に合うのか――半年後も、答えは否」(スティムソン・センター、9月22日)(参照4)は、戦争目的と実際の成果を照合する。
核計画やミサイル能力、地域の協力勢力への支援を終わらせるという当初の目標は達成されず、作戦の重点はホルムズ海峡の航行回復へ移った。その間に、人的被害、軍事費、兵器在庫の消耗、家計や世界経済への負担が積み上がった、とコーエンは論じる。なかでも重大なのは、戦争そのものが閉ざした海峡を再開することが、戦争の主要な目的となったという指摘である。
この指摘は、戦争の評価基準が途中で切り替わる危険を示す。開戦によって生じた危機を解消できたとしても、それだけで開戦の正しさが証明されるわけではない。問うべきなのは、戦争を始める前より安全になったのか、そのために支払った代償に見合う成果があったのかである。コーエンの論評は、歴史的な評価に先立って必要な、この基本的な検証を提供している。
冷戦終結後の戦争(米ロによる各地での戦争、アフリカの諸紛争)のほとんどは、戦争によってさらにその地域の情勢が不安定化していることを示している。
相手の抵抗意思に対する誤認
もうひとつの重要な問題は、米国がイラン社会と指導部の反応をどう読み違えたかである。ナルゲス・バジョグリとヴァリ・ナスルの「イランの勝利構想――ポスト・アメリカの中東で大国の地位を求めるテヘラン」(『フォーリン・アフェアーズ』、10月9日)(参照5)は、イラン側の認識に焦点を当てる。
著者らは、異なる政治的立場のイラン人との対話を通じて、体制への不満と外国からの攻撃への抵抗が両立することを示す。政府を批判する人々であっても、爆撃や国家破壊を示唆する言葉を前に、米国への抵抗を支持し得る。また、イラン指導部は自らを屈服寸前とは考えておらず、米国に負担を課し続けることで地域の力関係を変えられると判断している、と論じる。
この論文から読み取るべきなのは、イランの勝利が確定したという結論ではない。相手に与えた物理的損害と、相手が政治的に屈服する可能性との間には、大きな隔たりがあるということである。体制への反対を、外国の軍事介入への支持と取り違えてはならない。米国の戦争目的がイランの行動を変えることだったとすれば、この認識の誤りは戦争の成否に直結する。
ナショナリズムが国内矛盾を覆い隠す実例である。
失敗の認定だけでは今後の政策は決まらない
ここまでの論考は、戦争の失敗について相互に補い合う。しかし、そこでの認識が一致したとしても、そこから導かれる政策が一致するとはかぎらない。その違いを明確にするのが、フィリップ・ゴードン(元カマラ・ハリス米国副大統領の国家安全保障担当補佐官などを歴任)の「アメリカは中東を手放すべきではない――なぜ関与からの撤退は答えにならないのか」(同誌、10月12日)(参照6)である。
ゴードンはフックスに直接応答し、米国が中東に過剰に関与してきたという診断には同意しながら、全面撤退という処方には反対する。戦争が明らかにしたのは、米国が中東に利益を持たなくなったことではなく、その利益を追求してきた方法が持続不可能になったことだ、という立場である。
この対立は重要だ。戦争を批判する人々の間でも、軍事駐留そのものを終わらせるべきなのか、地域への関与を維持しながら手段と目的を改めるべきなのかは、なお争われている。失敗への批判が一致しているからといって、戦後政策への合意まで成立しているわけではない。
地域への関与の目的がグローバリズムに基づくアメリカの利益の追究、あるいはトランプ流「アメリカ・ファースト」であるかぎり地域情勢は不安定化せざるをえないだろう。
軍事的優位を政治的優位にできない米国
6つの論考を通して浮かび上がるのは、軍事的優位を政治的成果に変換できない米国の姿である。リンチは地域秩序の信頼性の崩壊を、フックスは駐留と介入の悪循環を、ヴァエズは終戦を妨げる相互不信を描く。コーエンは目的と成果の乖離を点検し、バジョグリとナスルは相手の抵抗意思に対する誤認を示す。そしてゴードンは、失敗の認定だけでは今後の政策は決まらないと問いかける。
「アメリカ史上最悪」という言葉の強さだけでは、この戦争の問題は捉えきれない。より重大なのは、政治目的を達成できず、安全保障への信頼を傷つけ、相手の抵抗意思を強めながら、それでも戦争を続ける理由が残ってしまうことではないか。中間選挙を前に問われているのは、政権が戦争の代償を選挙で支払うかどうかだけではない。米国の政治が、軍事力によって何ができ、何ができないのかを弁別し、その認識を終戦と政策転換へ結びつけられるかどうかではないか。
【野口壽一】
参照論考
(1)Marc Lynch, “The End of the American Middle East: Iran and the Last Gasp of a Failed Order”, Foreign Affairs, September/October 2026.
(2)Michael Fuchs, “America Must Let Go of the Middle East: The Failed Iran War Should Spur a Long-Overdue Withdrawal”, Foreign Affairs, August 6, 2026.
(3)Ali Vaez, “The New Forever War: Why America and Iran Fight On Without Victory”, Foreign Affairs, September 29, 2026.
(4)Michael Cohen, “Is the Iran War Worth It? Six Months Later, Still No”, Stimson Center, September 22, 2026.
(5)Narges Bajoghli and Vali Nasr, “Iran’s Theory of Victory: Tehran’s Fight for Great-Power Status in the Post-American Middle East”, Foreign Affairs, October 9, 2026.
(6)Philip H. Gordon, “America Shouldn’t Let Go of the Middle East: Why Disengagement Is Not the Answer”, Foreign Affairs, October 12, 2026.
(2026年10月28日時点)