~069
(2023年7月5日)
ウクライナ戦争とアフガン戦争
~検証と監査をつづけるアメリカ~


ロシアのウクライナ侵略に抗議するウクライナ人と日本人の共同行動
2023年7月2日JR新宿駅南口
学習効果を発揮しているアメリカ
プリゴジンの乱から10日。ウクライナ戦争への影響をめぐって願望や憶測が飛び交い、世界ではいまだにこの話題で騒動がつづいている。
国際法や国連の建前を蹂躙し、核の恫喝と民間軍事会社(傭兵)をも動員し、既存の国境線を犯すプーチン体制の無法や強引さが、ブーメランのごとくプーチン体制を脅かしている。
一方、無法や強引さや悪辣さの、数々の歴史的実例では圧倒的にロシアを凌駕するアメリカは、ウクライナに強力で近代的な兵器と援助をチョビチョビ小出しに与えつつコントロールし、ロシア領内を攻撃させず、ロシアの手足を縛り、じわじわと追いつめてきた。
ロシアとアメリカのやり方の対照的な際立つ差異は、ロシアの前身ソ連の1979年からのアフガン侵攻以来の、ソ米両国の自らが進めてきた戦争に対する「自省」の違いから生まれてきたのではないか。
アメリカは、20年に及ぶアフガン侵攻と2003年から2011年までつづけたイラク戦争を総括して、自らが出兵することのない「戦争遂行方程式」をわがものにしているように思われる。
その背景には、第2次世界大戦以来、常に、朝鮮半島、ベトナム、南米や世界中で大小さまざまな数多の戦争をし続け自国の若者を戦死させ続けてきた「世界の警察官」としての役割をアメリカが継続できなくなった現実があった。
だからアメリカは、ソ連の10年に及ぶアフガン侵攻に対して、パキスタンと現地勢力のムジャヒディーンさらにはアラブのイスラム原理主義者らを代理人として戦争を遂行し、ソ連を失敗させ、ソ連体制崩壊のきっかけを生み出した戦略をわがものとしていた。つまり代理戦争のうまみを味わったのである。
しかしそのうまみを忘れさせたのが、アル=カーイダという獅子身中の虫に、建国以来初めて(注)自国を、しかも金融の中心地ニューヨークの貿易センタービルと国防の要ペンタゴンという二つの心臓を爆撃され、何千人もの犠牲者を生んだ大災害に逆上してその方程式を忘れ、アフガニスタンに侵攻した。
(注:日本のこんにゃく爆弾や藤田信雄による米西海岸の山林空爆をのぞく。)
最初は、9.11米同時多発テロの首謀者ビン・ラーディンをとらえるという目的であったのに、いつのまにか戦争目的を忘れ、アフガニスタンの山岳と土漠と泥沼のなかでもがき苦しむこととなった。2011年にビン・ラーディン殺害に成功してもアフガン占領をやめなかった。
アメリカの、今次ロシアの侵略に対する「臆病」ともみえるウクライナ支援のやり方は、決して臆病なのではなく、核をつかわせず(使った場合の対抗手段も準備しつつ)、敵の手を縛る「戦略」の実施なのである。
失敗に気づくのに20年
自爆テロにより惨劇の舞台となった世界貿易センターの崩壊したビル残骸をまえに、「十字軍戦争!」と叫んだブッシュ・ジュニアの錯乱政策から「正気?」に戻るまでアメリカは莫大な損失を抱えた。
米ブラウン大学の研究チームによるまとめでは、戦争の犠牲は下記のごとく悲惨なものだった。(注)
・「9・11」後の20年間の一連の対テロ戦争の費用は8兆ドル(約880兆円)超。
・戦争による死者は90万人前後。
・内訳は
▽米兵が7052人
▽敵対した兵士が30万人前後
▽市民が36万~38万人
▽ジャーナリストらは680人。
(注:本サイト<視点:014>「アメリカは本当に負けたのか?」参照)
しかし、アメリカの凄いところは、戦争の結果を客観的に検証しコストを監査する精神が民衆の側に存在し、それを議会が受け止めて真実を明かそうとする国家意思の存在である。もちろん、事実を隠蔽しようとする政策担当者の側にはデータ保存の義務が課されている。
アフガン戦争の場合もまずはジャーナリストや市民らが真実をもとめて活動した。その一例が邦訳が出る前に本サイト編集部の金子が紹介しつづけた『アフガニスタン・ペーパーズ』である。議会の側には本サイトでしばしば引用しているSIGAR(Special Inspector)(注)のレポートがある。
(注:アフガニスタン復興担当特別監察官(英語: Special Inspector General for Afghanistan Reconstruction、略称SIGAR)は、アフガニスタン復興支援の監査を担当する、アメリカ合衆国連邦政府内の職掌)
本サイトはまた、「世界の声」として、アフガン戦争を推進した立場の軍人らの「自省」の声をも拾い上げてきた(自省なき「声」もあるが)。例えば;
・「アフガニスタンはこうなる必要はなかった」(デビッド・ペトレイアス:元アメリカ中央軍司令官、アフガン戦争、イラク戦争を指揮官、元CIA長官)
・「VOA、2将軍にインタビュー アフガン撤退後アメリカは?」(アフガン、中東で米中央軍のトップを務めた将軍たちの見解)
・「われわれはアフガニスタンの失敗を繰り返している。 ウクライナではもっとうまくやるべき」(NATO軍としてアフガン戦争に加担したイギリスの視点からの軍事専門家の見解)
米英とくにアメリカにおけるこのような「自省」=検証と監査の活動は、いまもつづいている。というよりも、秘匿されていた情報が公開されたりリークされたりすることにより、ますます関心をよびつつある。例えば、これまでのSIGARや上下両院の外務委員会での調査だけでなく、あらたに2021年12月には米国議会内に超党派のアフガン戦争委員会(The Afghanistan War Commission)が設立され、アフガン戦争におけるアメリカの政策について調査を開始することになった。この委員会は、「2001年6月から2021年8月までのアフガニスタンにおける米国の軍事、諜報、対外援助、外交関与に関する重要な決定を包括的に検証する」ことを任務としている。
このような機運をうけて、アメリカの外交政策策定に影響力をもつCFR(Council on Foreign Relations:1921 年に設立されたアメリカの著名なシンクタンク)がアフガン戦争委員会の活動開始にさいして、検討すべき事項として6月22日に7つの教訓を提示している。筆者は2002年から2015年にかけてアフガニスタンを頻繁に訪れ、時にはアドバイザーも務めたジャーナリスト、リンダ・ロビンソンである。彼女が掲げる教訓とは;
(1)政治的紛争においては軍事的解決よりも交渉による解決を優先すべきこと。
(2)紛争を解決するには最大限の影響力を発揮できる地点に立って交渉すべきこと。ボン会議(注)にターリバーンを招待しなかったこと、2013年にターリバーンと軍事的膠着状態に到達したとき交渉しなかったことがふたつの失敗だった。
(注:2001年、米軍や北部同盟による戦闘でターリバーン政権を崩壊させた直後、国連がドイツのボンで開いた「アフガニスタンにおける和平と復興推進のための国際会議」のこと。)
(3)その国の歴史や政治文化にそぐわない政治制度(つまり民主制)を押し付けないこと。
(4)不適切な社会安全制度を押し付けようとせず、むしろ伝統的な防衛形態を土台とすること。
(5)短期間に変革しようとせず、世代をまたぐほどの長期的視点を持って臨むこと。
(6)外部の資金でしか成立しないような政府ではなく自立性をもった政府の樹立に努力すべきこと。
(7)ミッションクリープ(注)に陥らないこと。
(注:mission creep〈米〉: 本来は米軍事用語で任務を遂行する上で目標設定が明確でなく当初対象としていた範囲を拡大したり、いつ終わるか見通しが立たないまま人や物の投入を続けていかなくてはならなくなった政策を意味し批判的に使われる言葉 [英辞郎] )
リンダ・ロビンソンの提言全文は世界の声「アフガニスタンにおける最大の誤りとそこから学ぶべきこと」に訳出した。ぜひ一読してほしい。
上記7項目のいずれも、現時点から振り返れば、どれもこれも「後智恵(あとぢえ)」と批判されるかもしれない。しかし、そのような批判を承知の上で、議会で、民主党と共和党が一緒になって検証をおこなおうとするアメリカの民主主義に学びたい。アメリカが直接アフガニスタンにつぎ込んだ2兆3000億ドルに比べればはるかに少額ではあるが、1兆円近くをつぎ込んだ日本は、その1兆円の使い道や効果について、議会での検証や監査がおこなわれているだろうか。野党に責められた案件では政府側は平気で黒塗りした資料を公開資料として提出している。あるいは資料そのものをシュレッダーにかけて抹消したりする。大震災や原発事故に関する重要会議の議事録さえとらなかった内閣もあったほどだ。行政が文献や資料を残すこと、その検証や監査を公開のもとでおこなうこと、それは民主主義の基本の「基」でなければならない。
実はとっくに分かっていたこと
リンダ・ロビンソン氏の7つの教訓は、どれもこれももっともで、ぜひその視点で検証を続けてほしいと希望するが、実は、それら教訓のほとんどは、1979年からのソ連軍のアフガン侵攻のときにすでに実証された既知の教訓だったといわなければならない。(注)
(注:ソ連とPDPAの失敗については当時のアフガニスタン副大統領アフドゥル・ハミド・ムータット氏の回想録『わが政府 かく崩壊せり』と同書の野口壽一の解説およびあとがき「アフガニスタンと明治維新」で詳しく論じてある。)
アメリカが失敗したのは「民主主義の押し付け」だったがソ連とPDPA(アフガニスタン人民民主党)の失敗は「社会主義の押し付け」だった。「民主主義」や「社会主義」(もっと正確に言えば民族民主主義革命)という外からの「正義」や「幸福」を「武力で押し付けることはできない」という真実だ。<視点:066>で養老孟司先生の『バカの壁』を援用して書いたが、先生が「バカの壁」と表現されたのはじつは「価値観の絶対的差異」のことであり、これは口を酸っぱくして説得しても、こちらの水は甘いよ、と誘惑しても、外部からひっくり返したり埋めたり破壊したりすることは、ほぼ不可能な堅固な障害なのだ。昔の人々は「馬を水辺に連れて行くことはできても、水を飲ませることはできない」ことを知っていた。
ましては生活習慣や伝統となると人びとの意識を変革するためには何世代もかける必要があり、かつまたその人々自身が自ら選び取らなければ実現するものではない。
われわれ(ウエッブ・アフガン編集部)は、本サイトを始めるにあたって、米英NATO軍の撤退が、アフガン人に自らが自らの運命を決めるチャンスを与えた、と理解した。この半世紀近く、アフガン人は、ジハード(異教徒との聖戦)の呪縛にがんじがらめにされていて、本来の生活の改善や社会変革の課題にアプローチすることができなかった。外国軍の撤退とともにドーハ合意が実行されればすべてのアフガニスタンの諸勢力が国づくりのためのひとつのテーブルにつけるのではないかとの期待を抱いた。それを本サイトはサイト開設時点の願望として次のように書いた。
「アフガニスタンの人びとは、アフガニスタンという難しい地域で国家的な統一を取り戻し平和と発展を目指すにはどうすればよいか、真剣な議論を展開しています。私たちはアフガン人の前後左右上下硬軟色とりどりの声に耳を傾けたいと思います。」
しかし残念ながら、「アフガニスタンの人びと」のなかの一勢力であるターリバーンは、他の人びとを排除し、独占的な専制支配を武力で全国民におしつけようとしている(注)。それはあらたな「価値観の絶対的差異」を国民間にもちこみ、非妥協的な対立を生み出すものである。この非妥協的な対立は、舞台をパキスタンにまで広げて理解すれば、本来的にはアフガニスタン・パキスタン両国の内政問題である。
(注:先述のボン会議とは真逆に、アメリカが撤退にあたってターリバーンと行ったドーハ交渉では、ターリバーン以外のすべての勢力(アフガニスタン政府すら)を排除してターリバーンとのみ合意書を交わした。これが、ターリバーンを政権につかせたのはアメリカだと批判される理由となっている。)
ソ連や中東アラブ人や米英NATOら外国勢力の力を利用して、武力で「価値観の絶対的差異」を埋めようとしてきたアフガン人自身の歴史をアフガン人自身が「自省」し変革しないかぎりこの地域での紛争が止むことはないだろう。
【野口壽一】
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