タリバンハンター:語られざるアフガン女性兵士の物語

ターリバーンの復権からちょうど1年が経とうとした2022年の夏、アメリカの「ポリティコ」という雑誌に興味深い記事が掲載された。題して「ターリバーンを狩ったアフガン女性たちの語られざる物語」。WAJでは2023年の冬、3回にわたって「編集室から」で紹介した。40年も戦争が続いたアフガニスタンで、社会的な自立からほど遠い女性たちが、なぜ兵士となり戦場に赴いたのか。「戦争とは何か?」を語る上で、欠かせない視点を与えてくれるリポートである。(金子明)

 

(2023年1月15日)
ターリバーンと戦い敗れたアフガン国軍に、女性だけのエリート部隊があったという。名付けて女性戦術小隊(FTP/Female Tactical Platoon)。女性は男性の同伴無しでは外出すらできない。そんな女性差別の国として悪名高いアフガニスタンに女性兵士? にわかには信じられない話だが、隔月発行の米雑誌ポリティコ(POLITICO)の昨年8月4日付けニュースに詳しいリポートが載せられている。
筆者はアマンダ・リプリー。邦訳本も出ている大物女性ジャーナリストである。今回から数話に分けて、その記事を抜粋・翻訳し、ユニークな女性部隊FTPの歩み、兵士たちの横顔と活躍、政権崩壊時の混沌、そして気になる現状を紹介する。

 

【誕生】
2011年、アフガン駐留米軍のローラ・ピータース少佐は妙な部隊を新たに生み出す話を聞かされ、大いにいぶかった。良くて危険極まりなく、悪けりゃ全滅必至の部隊と思えた。アフガン女性をエリート軍人に鍛え上げ、ターリバーンが占拠する国内最悪の地に送り出す?「正直言って、うまく行くとは思わなかった」と、当時を振り返って少佐は話す。

その頃ピータースは米軍特殊作戦部隊内に誕生したばかりの「文化援助チーム」の一員だった。それは高度に訓練されたアメリカ人女性たちからなり、戦場で女性や子供と関わることを指命としていた。だが、嫌になるほど物議を醸した。男性兵士は彼女らの力を軽んじ、コンバットゾーンに向かうヘリの貴重な座席が、役立たずの女性たちに奪われるのに憤慨した。

「まず私たちが力量を示さなくてはならなかった」とピータースは言う。「やりがいはあるが、とても困難なミッションだった。」それと同じ事を今度はアフガン女性でやるって?「狂気の沙汰に思えた。まずもって、どうリクルートする?」アフガン女性は伝統的に外で働くとは思われていない。ましてや夜に外出など常識外れにも程がある。女性は原則走らず、重量上げなどしない。

後に新兵を訓練した別の将校によると、「腕立て伏せを1回もできなかった。」だが、小隊のメンバーは男性戦闘員と張り合うくらい丈夫でなくてはならない。さもなければ、炎に包まれたヘリから飛び降りたり、重装備で山を歩き回れない。

障壁は体力の差ばかりではなかった。基地をひとたび離れると、女性兵士たちは民間人の服を着て、任務を隠す。毎日どこに通っているのか隣人に嘘をつく。ターリバーンの検問所で止められると、架空のストーリーをでっち上げ、進んでクルアーンに手を置き真実であると誓う。基地では、女性は専用の空間を要し、活動、訓練、食事、祈祷などすべてを男性と離れて行った。兵站的に言うと、滅茶苦茶な面倒だ。

やがてリクルート活動が始まると、100人来ても、仕事の中身を聞いて帰ってくるのは10人のみ。もうやめたくなるような成果だったが、ピータースらが続けた唯一の理由は、女性の戦地における理論上の有用性を米軍が熟知していたからだ。どんな部族の村でも、女性は男性の居場所、武器のありか、誰が床板の下に携帯を隠したのかを知っていた。

男性兵士はこうした村の女性たちに話しかけられない。村の男性たちは話しかけられた女性を罰し、酷いときは殺す。また、その子どもも同罪となる。どこぞの王族のように「チェスの駒」と粋がってもいいが、その地域一帯で米軍への憎しみが天を衝く。元来その回避のために導入されたのが、ピータースらの文化援助チームだった。

だが、いつか米兵は撤退する。だからアフガン女性からなる姉妹ユニットを生み出したかった。かてて加えて、アメリカ人女性は文化の微妙なニュアンスに疎い。話すのには通訳を介し、隔靴掻痒。にもかかわらず、文化援助チームは驚くほどの成果を残した。重要標的人物や爆弾製造原料の発見などが相次いだ。アメリカ人女性がもたらしたこの成果を、アフガン女性がやったらいかばかりか! こうして女性部隊FTPは誕生した。

【新兵教育】
ピータース少佐と彼女の文化援助チームは候補者の中から、まず12人を選びFTPに入隊させた。全員が家族の了解を取り付け、腕立て伏せができそうで、心理テストや性格判断をくぐり抜けた新兵たちだ。性格判断には各項目があったが、面白いのはこれ:自分の現職について友人や近隣者に対し、喜んで嘘の説明を言い続けられるか?

アメリカ人は新兵たちをカーブル近郊にあるキャンプ・スコルピオンに詰め込み、知っているすべてを教えた。まずは射撃、そして重量挙げ。ここで面白いのはこれ:ある日の訓練テーマは「外で用を足す術を学びましょう」だったが、新兵の1人がしごく真っ当な突っ込みを入れた「なぜ?」

アメリカ人教官たちの最初の驚きは、新兵たちの執着心だった。「誰も辞めたがらなかった、驚いたことに」とピータースは言う。職場への安全な交通手段に窮する者が多かった。この仕事をすることで親類から脅される隊員もいた。その上、アフガン政府の職務怠慢で最初の数か月間は無給となってしまった。にもかかわらず、「彼女たちは、もっと多くの何かを求めて戻って来つづけた。」

もう一つの驚きは喜びだった。毎週20キロの行軍訓練では、灼熱の中15キロの装備を背負う。長袖長ズボンの軍服に加えヒジャブまでまとう。だがそんなとき、いつもその衣装のすぐ下に笑顔があった。「そうそう、とっても愉快に笑っていたわ」とピータースは言う。ドアの蹴破り方、ロープを使ったヘリからの緊急降下など、どの訓練にもそれまで想像すらできなかったパワーを彼女たちは炸裂させた。

「個人的意見ですが、彼女たちはそれまで大抵静かにしていろと教えられたのでしょう」とピータースは言う。「それが今ではみんなで集まり、ワルになれとそそのかされる。完璧な傍若無人な振る舞いに味をしめ、とっても輝いていたわ。」

訓練が終わると彼女たちは戦場へ。真夜中に米軍の大型輸送ヘリ、チヌークに乗り込む。装備はM4攻撃ライフルとナイトビジョン。標的はターリバーンとISISだ。共に行動するのはグリーンベレー(陸軍特殊部隊)、ネイビーシールズ、アーミーレンジャーズという米軍が誇る強者どもだ。

FTPの存在は米軍にとって重要だったが、ターリバーンにとっても重要だった。「彼女たちはターリバーンが象徴するすべてのものに抗っていた」と、あるグリーンベレーの将兵は言う。彼はFTPのメンバー4人と任務についた経験を持つ。「ターリバーンとはいえ『見たら殺す』敵はそうざらにはいない。だが彼女たちはその1つで、もし捕まれば確実に殺された。」

次回はそんな女性兵士たちと、その活躍を紹介する。

 

(2023年1月25日)
アフガン国軍にかつて存在した女性エリート部隊FTP(Female Tactical Platoon)紹介の第2弾。今回のテーマは女性兵士3人の活躍。引き続き米雑誌ポリティコ(POLITICO)の昨年8月4日付け記事(https://www.politico.com/interactives/2022/afghan-women-soldiers-taliban-us-refugees/ ) から抜粋・翻訳する。

【ナヒド】(偽名)
大抵の女性兵士の例に漏れず、彼女もハザラ人、シーア派。母親が16歳のとき生んだ子。文盲の父親は彼女に期待を寄せ、「いつか大物になる」と信じて学校へ通わせた。周囲は「娘は学校に行かせるべきでない」と非難したが、意志を曲げない彼を「バカ親」とからかった。同じ年頃の少女たちが、家で絨毯を編んでいるなか、ナヒドは高校、大学へと進学した。20歳のときテレビで女性兵士募集の広告を見て志願。父親はそれを許した。

厳しい訓練を経て実戦に配備される。アフガン国軍敗北までの6年間、米軍特殊部隊との合同夜襲作戦に50回も名を連ねた。

ある晩、敵が2階の窓から投げた手榴弾によって、近くにいた3人の男性アフガン兵が爆死した。米兵も1人負傷したが、ナヒドは彼をかばい暗闇に向かってM4攻撃ライフルを撃ち続けた。彼の命を神に祈りながら。やがて援助のヘリが現れた。またあるときは、ターリバーンが人質にした6人の女性と13人の子どもを救出した。その功績で勲章を授与された。

「兵士として何が一番得意だったのか、射撃か、肉弾戦か、尋問か?」と記者に聞かれ彼女はこう答えている、「すべてよ。」

 

【マハタブ】(偽名)
最初期に入隊した兵士のひとりで、それまではアラビア書道の講師だった。ほとんどの同僚と同じく、小柄で長い黒髪。入隊すると毎日が新しい発見に満ちていた。実戦に出ると、次に何が起きるか分からない興奮に「まるで恋をするかのように」酔いしれた。また彼女は入隊後も夜間の大学に通い、政治学の学位獲得を目指していた。そうした知性と持ち前の物怖じしない性格で階級を駆け上がり、後にFTPの司令官を7年も勤めることになった。

そんなマハタブだが、入隊から数年たつと最初の蜜月的興奮は薄らいできた。戦うモチベーションが新たに必要だった。それは「目的に向かう気持ちでした」と言う。「アフガニスタンをテロリストの保養地にしたくなかったの。私たちは、ただ国のために奉仕しているんじゃない、世界のために奉仕していたのよ。」

兵士募集に関わった時期もあった。「私は正直に伝えたわ、『これは戦争よ、あなたは死ぬかも。腕も脚も無くすわ。でも本当の意味で国への奉仕よ。あなたの体だけじゃない、精神、心、すべてを賭けた奉仕なの』と。」
しかし彼女も人の子だ。実戦経験の初期、グリーンベレー(米陸軍特殊部隊)のとある夜襲に加わり心を乱された。ターリバーン指導者の妻を捉え、彼女が尋問した。それが終わると妻はマハタブを冷ややかに睨みつけこう言った、「今日はお前が我が家に来た。明日は私がお前の家に行く」と。この邂逅はマハタブを数週間にわたり悩ませた。

彼女は「そのとき初めてターリバーンが権力に返り咲く恐れに気づいた」と言う。同僚たちは「心配無用、奴らは弱いし、米軍もいる」となだめた。結果、そのことについては深く考えず、目下の任務に集中した。ただ一心、国のより良き未来のために。

忘れられない夜襲がもう1つある。ヘルマンド州における米アーミーレンジャーズとアフガン特殊部隊の総勢約75人からなる合同作戦。ターリバーン司令官とおぼしき1人の男を追っていた。真夜中前後になってやっと1軒の家に突入した。しかし、どうやら誤認情報で、その家の探索は空振りだった。

それでも、家人に話を聞こうとマハタブは中庭に入った。すると1人の大きな丸い目をした少女が彼女を見つめていた。彼女の声を聞いて「あなた女性?」と少女は尋ねた。その目はマハタブの銃からナイトビジョンへと移り、最後はヘルメットからピョコンと突き出たスカーフに留まった。

「そうよ」と答える。

「何か記念になるものをちょうだい。」

マハタブは気づいた、この子が彼女をユニコーンだと思っていると。ユニコーンが実在する証拠を欲しているのだ。ポケットをまさぐった。1本のペンとピーナツが少々、特別な物は何もなかった。だが、全部引っ張り出して、少女にあげた。

「ほら、食べてごらん。」

「絶対食べない」少女は誓った。「一生の宝物にするわ。」

少女の名前はアナルグル、ダリ語で「ザクロっ娘」の意味。その晩、ついに敵は見つからなかったため、マハタブはその家をもう一度訪ね、アナルグルを呼び出した。少女とその家族はマハタブと奇襲隊員に、どこでターリバーンの司令官を見つけられるかについて詳しく助言した。

こうした関係の取り結びがFTPの真骨頂だった。確かに理論上は有益な女性兵士たちだが、舞台は戦場のまっただ中。男性奇襲隊員たちは最初FTPをお荷物と思い、命令されて否応なく現場に連れ出していた。しかしやがて、積極的に彼女たちを作戦に加え始めた。

マハタブの説明はこうだ、「私たちは同じ言葉をしゃべり文化を理解できるの。女性を尋問するときには『私はムスリム、あなたもムスリム。私はアフガン、あなたもアフガン。私は女性、あなたも女性』と言うのよ。」莫大な資金と装備、優れた訓練体系を誇る米軍を持ってしても、これは決して真似のできない裏技だった。

 

【米軍女性兵士によるFTP隊員の印象】
米奇襲隊員には女性兵士もいる。彼女たちの目にFTPがどう映ったのかを見ておこう。両国の女性兵士たちは、すぐに打ち解けた。ミッションの合間に、基地内のお互いの部屋を訪問し合い、ダンス、喫茶、ヘナタトゥーに興じた。双方の違いは大きいが、他の女性の安全のため超男性的職業についているという同胞感が勝った。

元文化援助チームの一員で、2020年にマハタブやナヒドの上官だったサラ・スカリーによると「FTPは特別な任務で、軍の中でもまれな存在と噂された」と言う。もちろん多くを米兵から学んだ彼女たちだが、自分たちのやり方にこだわる一面もあった。たとえば、多くが化粧し、宝石を身につけ、ヒールを履いて現れる。山奥の夜襲にも関わらずだ。女性米兵は「アフガン流」と面白がった。(写真:米兵とFTP隊員たち)

ある極寒の夜、1人の隊員が毛皮のロングコートをまとって参上した。おまけにヘルメットとナイトビジョンのゴーグルをフードでスッポリ覆っている。女性の米司令官は、これは懲らしめねばと苦言した、「何かのジョークよね、まさかそれでは行かないでしょ。」

返事はこうだった、「今夜もし死ぬなら、かわいく死ぬの。」

一度ならずも男性奇襲隊員は彼女たちに「お願いだから、もっと地味な着こなしをしてくれ、女性米兵のように」と頼んだ。この発言は、両国の女性兵士が何度も繰り返し楽しむジョークとなり、やがて飽きられたが、アフガン流は廃れなかった。マハタブによると「女性らしく着飾るのは一種の抗議活動ね。『これが私よ』と言ってるの。」

【ナフィサ】(苗字は匿名)
マハタブによってリクルートされた隊員の1人。うりざね顔に口紅、アイシャドー、マスカラを決して忘れない。笑顔が顔中に広がり形良い鼻が一層際立つ。マハタブが彼女を決して忘れないのは、その卓越した美貌と時間厳守の姿勢からだ。「みんなナフィサを見習いなさい」とマハタブは時間にルーズな部下をよく叱った。

ナフィサが入隊した2018年は内戦が最も激しい時期だった。以来隊員だった3年間で60回の出撃。ほぼ全作戦で銃弾を発射した。そのため「鋭い射手」と呼ばれた。標的訓練も好んだが、一番得意な訓練は機銃掃射。157センチ、42キロの体からは誰も想像できない腕前だった。25歳にして強者米兵の大多数よりも実戦経験が多かった。(写真:左がナフィサ)

特筆すべきは2019年6月、北部の都市マザーリシャリフでの作戦。ナフィサを含む50人からなる米アーミーレンジャーとアフガン特殊部隊の混成軍は、24時間内に3度にわたって、ターリバーンに待ち伏せされ、重火器で狙い撃たれた。ナフィサも被弾したが、ボディアーマーに守られ無傷だった。(10年間の存続期間中、FTPの戦死者はゼロ。但し、2人が重傷を負っている。)

自爆ベストを着ていると言われた女性を果敢にもタックルしたことがある。しかし、うっすらと見えた針金は爆弾ではなく、女性の持ち金たる札束に巻かれたものだったので事なきを得た。また、赤ん坊をくるむ毛布の下にピストルを見つけたこともあった。こうしたナフィサの、さらにはFTP戦士たちの活躍は仲間の女性米兵にも影響した。

「私はウェストポイントを出ましたが、単に戦闘体験を求めて入隊しました。でも彼女たちと共に戦ったことで、より多くの感銘を受けたのです。」今も現役のため匿名のある女性米兵は語る。「あの女性たちが如何に振る舞い、ワルな任務を成し遂げたか。実社会では誰も女性など認めない国で。それこそ謙遜の鏡よね。彼女たちのことを思うと自然と微笑むの。あの女性たちがいたから喜んで任務を続けられたと。」

 

【去る者、去らざる者】
時が経つと、女性米兵はローテーションで任地が変わる。1人ずつ去って行く。大概は半年単位だ。だがFTPに異動はない。米陸軍予備役少佐のアンドレア・フィロゾフはFTP1期生の訓練を支援したが、こう認めている。「いつも心配でした。私たちが去った後、この女性たちは安全だろうかと。」
(写真:FTP隊員たち・アフガニスタン北部にて)

両国の女性たちが互いに別れを告げるとき、もう2度と会えることはないという暗黙の諦めがあった。

結成から10年間でFTPの女性兵士が出撃した作戦の数は約2000。にもかかわらず、その存在は秘密にされた。この記事を執筆したアマンダ・リプリーが米軍の各方面に探りを入れても、「聞いたことがないね」と返されたと言う。特殊任務の記録官は情報を持っていたが、「極秘扱い」だった。

強烈な愛国心に突き動かされ、戦場で命を賭けて戦ったが、闇に生きざるをえなかった女性兵士たち。仲間だった米兵が逃げ去る中、国を離れられない彼女たちに、やがて運命の2021年8月15日が迫って来る。

(次回へ続く)

 

(2023年2月5日)
アフガン国軍にかつて存在した女性エリート部隊FTP(Female Tactical Platoon)をテーマとした第3弾。引き続き米雑誌ポリティコ(POLITICO)の昨年8月4日付け記事(https://www.politico.com/interactives/2022/afghan-women-soldiers-taliban-us-refugees/ ) から抜粋・翻訳し、カーブル陥落後の女性兵士たちの命運、そして今の暮らしを紹介する。

 

【あの日】
2021年8月15日、カーブル郊外の米軍基地。部隊はそこに簡易難民キャンプを組み立て、寝泊まりの訓練を続けていた。その朝ナフィサ(鋭い射手)に、アフガン人の男性兵士がこう伝えた、「ターリバーンがやって来た。軍服を直ちに脱ぎなさい。」しかし、彼女はすぐには反応できなかった。

米軍の撤退に伴い、ターリバーンが勢力範囲を広めているのは知っていた。しかし、カーブルは無事だろうと思っていた。せめて数か月は。「だから、そう聞いたとき、とても動揺したの。」彼女はしばし固まっていたが、兵舎の外で銃声が響き、すべてを理解した。自分の人生が永遠に変わってしまったと。

慌てて軍服を脱ぎ、ロッカーに放り込んだ。「あの瞬間は決して忘れないわ」と言う。タクシーに乗り、妙に閑散とした道路を家へと向かった。3日間そこに閉じこもった。今にもターリバーンが現れるかと思うと「気が狂いそうでした。」軍事表彰や英文の書類を燃やし、携帯からはほぼすべてのアプリを削除した。

 

【米国側の対策】
ここで、時間を少し戻そう。数か月前からアメリカでも彼女たちを救い出す動きがあった。エリー(仮名)という女性退役軍人を中心にプロジェクトチームを立ち上げ、特別移民査証(SIV)の獲得を目論んだ。以前ここで紹介したファキール姉妹(ラジオドラマ声優)を助けたビザだ。だが、FTPには適用されないと通告された。隊員はアフガン国軍の兵士だ。ビザの要件たる「米国の雇い主が書いた手紙」がないのだ。

血眼になって他のビザを申請しまくるも、よい結果は出ない。そんな中カーブル陥落の1週間前に悲劇が起きた。FTP隊員のひとりマハジャビン・ハキムが自宅で殺害されたのだ。例によって迷宮入り。状況からして、彼女が女性兵士であることとは直接関係しないようだ。とは言え、隊員が受けた衝撃は大きい。米国にいるエリーたちも驚き、残る隊員の保護に一層拍車をかけて取り組んだ。

 

【最後の作戦】
カーブル陥落から数日後、FTP隊員たちは意を決してカーブル国際空港へ向かった。ナフィサも、ナヒド(万能勲章兵)も、マハタブ(元書道教師)も、ほぼ全ての隊員が連れ立って動いた。国外脱出を願う群衆に混ざって。もう武器も軍服も無い。空港の周囲では倒れた親が踏みにじられ、子どもたちは飢えて泣き叫ぶ。それを助けられないとは、何のための訓練だったのか?

米軍特殊部隊もしのぐ戦歴を誇る女性兵士たちが、突然の無力感に苛まれた。ただ怖かった。「ターリバーンには道徳も倫理もありません。だから捕まれば拷問です。いや、もっとひどいでしょう。人が思いつく限り最悪のことをします」とナヒドは当時の心境を語った。

この最後の出撃に先立ち、数時間も、時には数日かけて、エリーは隊員たちとアプリで連絡を取り合った。いかに元アフガン女性兵士を空港に近づけるか。さすればエリーの知る米兵が彼女たちをフェンス越しに引っ張り上げる。その段取りを決めるやりとりが延々と続いた。「何が何でもフェンスに近づいて。下から強く素早く押し上げるのよ。助ける方法はそれしかないの。」

そして当日。

「みんな離れちゃダメ(˃ᗝ˂)」

「塔が目印よ♡」 添付は手書きの地図と見取り図

「門のそばスウェーデン国旗の所よ♡♡♡」

「OK頑張る」

しんがりを務めたひとりがナフィサだった。アメリカの女性たちとコンタクトを取っていたアーミーレンジャーが、地上にいる米兵に指示を出す。仲間に尻を押してもらえないナフィサをその米兵がフェンス越しに引き上げた。全員が空港内に入ってからの主役はアメリカ人だ。国務省に連絡し、滑走路にいた将軍を動かした。こうしてやっとFTP隊員が乗る実機が確保された。

軍用機に最後に乗り込んだナフィサは、どこに飛ぶのか見当もつかなかった。機内は人々であふれ、みな床に座っていた。着陸したのはカタール。2時間後、別機に乗った。ドイツに着いたが、7日間は空軍基地で足留め。他の難民同様、ナフィサに行き先の選択権は無かった。

文字通り一晩でエリート兵士から難民へ。救う者から救われる者になった。ナフィサたちは結局、米ウィスコンシン州のマッコイ基地に降り立ち、そこで3か月を過ごした。マハタブと13人の隊員も一緒だった。

 

【軟着陸】
無事に米国に到着したはずの隊員たちだが、どこに送られたのか?エリーほか退役・現役混在の女性軍人たちが追跡し始めた。「混沌としていたわ」とエリーは言う。何人かは特に見つけにくく、見つけてもすぐに連絡不能となった。「彼女たちの要求に私たちが応えられないことは、すぐに分かりました。彼女たちはもっと長い目で見守って欲しかったのです。」

そこでエリーたちは「戦役姉妹」(https://sistersofservice.org)を組織し、各隊員にマンツーマンでメンターをつけるべく人材採用を開始した。また基地に留まっている隊員には、暖かい上着、運動靴、そしてもちろん化粧品を送った。隊員たちはお礼に絵文字だらけのセルフィーを送信した。その中の傑作:「これで逃げてきたのよ(≧∀≦)」とキャプションされたのは、7.5センチのハイヒール姿。いつもの「アフガン流」である。

マハタブによると米国は奇妙なくらい見慣れている。映画のおかげか。建物は高く、道路はアフガニスタンよりもはるかに整っている。何よりも安全だ。彼女は移民専門の法律事務所でリモート通訳の職を得た。メリーランド州の高速道路脇、質素なアパートに暮らす。

部屋には訪ねて来たエリーにもらったピンクのFTP人形一式が飾られている。

ナヒドはピッツバーグ州に落ち着いた。フェイスブックで出会った地元の有志を介してファストフードチェーン「チックフィレー」のオーナーを紹介された。実際に会い、通訳アプリをはさんで話し始めた。40分かけてやっと鶏肉はハラルに非ずと分かってもらった。すると即刻、採用を告げられた。今ではナヒドを含め4人の元隊員が各地のチックフィレーで働いている。

 

 

ナフィサはアトランタ州。彼女は社会保障番号と労働許可証の取得に手間取り、先の2人ほど素早く職にありつけなかった。1年前は機関銃をぶっ放し、テロ容疑者を尋問していた彼女が、戦役姉妹の資金集めイベントで売る小さな紫の財布を手編みして暮らした。そしてひたすら待った。ようやく書類がそろったのは、去年の3月。アトランタの喫茶店でバリスタとして働き始めた。(3人並びの中央)

この3人を含め現在39人の元FTP隊員が米国の26の都市に散らばり暮らしている。職業としては他に、老人介護や牧場での庭師など。職に就かず英語学校に通う者、格闘技を習う者もいる。みなが新しい暮らしに適応しようと努力している。

 

【残して来たもの】
一見、小さな幸せを得たように見える元女性戦士たちだが、これでハッピーエンドではない。マハタブは言う、「今は戦争よりもつらいの。空港では出迎えたみんなが拍手してくれた。ありがたいわ。でも私の心はそこに無かった。私はアフガンの人々のことを思っていたの。」

アフガン国軍特殊部隊で共に戦った元男性兵士たちからメッセージが毎日届く。悪夢に捕らわれた、逃がしてくれと。もちろん、彼女には何も出来ない。「ターリバーンが殺さなくても飢えて死ぬでしょう」と彼女は言う。当然SIVも効かない。どんなにそれを伝えても、いつか米国が助けてくれると男たちは信じている。

マハタブはこの記事を書いたアマンダ・リプリーに1枚の写真を見せた。送ってきたのは元同僚兵士の家族、写っているのはターリバーンに拷問され、殺され、焦げ跡のある彼の死体だった。「米国は私を助けてくれたわ。でも私が聞きたいのは『肩を並べて戦った彼と私の違いは何?』なの。」答えるのは簡単だが、話はそこで終わったという。

ナフィサは8人の兄弟姉妹をアフガニスタンに残した。彼女の軍歴のために、全員が隠れて暮らしている。ターリバーンのカーブル制圧があまりにも早かったため、軍部には書類を処分する時間が無かった。FTPの名簿や給与記録がターリバーンの手に落ちている可能性は高い。「体はここにある。でもわたしの心と精神はアフガニスタンにあるのよ」と彼女は語った。

 

【それぞれの未来】
(部屋にアフガン国旗を飾るナヒド)

万能兵士のナヒドはチックフィレーで働きながら、大学で英語を学んでいる。いつかグリーンカードを取得し、米軍の兵士になるのが夢だと言う。射撃自慢のナフィサも同様に、米軍への入隊を目指している。2人の心には、アフガニスタンにいる家族や戦友への思いがあるのだろう。得意だった戦いに敗れ、愛する人たちの運命を敵の手に渡してしまったのだから。

「私は絶対にあきらめない」とナフィサはリプリーにメールをよこした。

元隊員が新天地に落ち着いた直後の2021年11月、FTPは栄えある軍人に送られるジョン・マケイン賞を授与された。授賞式にビデオ参加したマハタブはこう語った、「アフガニスタンを救いたいなら、ぜひ女性の教育のために立ち上がってください。女性の働く権利のために、女性が発言できるように。われわれの小隊は解散しましたが、われわれの任務はまだ終わっていないのです。」

(ホワイトハウス前の反ターリバーンデモに参加したマハタブ)

マハタブの夢はいつかアフガニスタンに帰国すること。そして何らかの形で国に奉仕することだ。「私に子どもはいりません。アフガニスタンのすべての子どもが私の子どもですから。そう、孤児院を開こうかしら」と彼女は語った。そしてこう付け加えた、「あの大きな目のザクロっ娘にちなんで、孤児院はアナルグルと名付けましょう。」

(終)