バーミヤン大仏破壊、オマル指示書をめぐって

2024年2月、読者の山田利行さんより、本サイトに貴重な資料をいただいた。ターリバーンによってバーミヤンの大仏が破壊された事件にまつわる真相(深層)にせまる資料である。

(山田利行氏は同年5月、逝去されました。謹んで哀悼の意を表します。山田利行さんのホームページはココをクリック。)

そのひとつは、

・バーミヤンの大仏遺跡は歴史的文物として保護せよとしたオマル指示書のコピーとその解説

ふたつ目は、大仏爆破の顛末と山田さん自身のバーミヤン摩崖仏およびアフガニスタンとの関りを、自分の専門職(大空間構造技術)をもベースにして書いた研究論文である。

・山田利行著「私の見たアフガニスタン」(オクサス学会紀要7)

3つ目は、爆破直前にバーミヤン大仏の写真を撮影しオマル師の保護指令書を入手した写真家・菅沼隆二さんについて述べた元読売新聞海外特派員の高木規矩郎さんのエッセー

・「最後のバーミヤン」(季刊アラブ 2001 冬 No.99)のコピー

も同封してくれた。高木規矩郎さんはほかにも「バーミヤン大仏「足」をめぐって深まる疑問」や「(バーミヤン)大仏爆破は危機遺産の象徴(現代社会と世界遺産~各論4-1)」などで、オマル指示書といわれる「第25号指令書」について触れている。

それらを拝見すると、一度は保存を命令したオマル師がなぜ破壊を命ずるに至ったのか、私自身、かつて抱いていたこの大事件にまつわる疑問がふたたび頭をもたげてきた。

そこで、本棚でホコリを被っていたつぎの2冊をもういちど通読した。

『大仏破壊』高木徹著、文芸春秋、2004年12月
『アフガニスタンの仏像は破壊されたのではない 恥辱のあまり崩れ落ちたのだ』モフセン・マフマルバフ著、現代企画室、2001年11月

『大仏破壊』は、NHKのディレクターとして大仏破壊の秘密にせまる取材をした高木徹氏の手になるものである。同書では、オマル師がいったんは仏像保護の指令を出しながら、イスラームの規定を持ち出して「偶像破壊」を支持した「指令書25号」=バーミヤン爆破にいたる、180度の変節プロセスを、ターリバーンを操るほどに影響力を増したビン・ラーディンとの絡みが解明されている。(p.93-95)さらに、山田さんが紹介する菅沼隆二さんが写真撮影時にカーブルに滞在し、ターリバーン主催の「カーブル博物館再開特別展」に日本代表の資格で出席している事実についても触れている。

この件について山田氏は前記「私の見たアフガニスタン」(オクサス学会紀要7)」のなかで「NHKプライムに一言」として次のように書いている。

2003年6月7日のNHKプライムで「バーミヤン大仏なぜ破壊されたか」の特集があり、タリバンが大仏を保護しようとした時期があったことの説明がなかったので、NHKのホームページの意見欄に私見を書いた。すぐにディレクターからメールが届き、指令書などの資料を送った。資料の真贋を独自に確かめてか、3ケ月後の2003年9月6日にNHKスペシャルに再編集されて放映された。破壊の3年前出したオマル師サインのある保護指令書の内容が紹介され、最後に資料提供者が出た。すぐに番組を見ていた学生からメールで感想文が届いた。NHKが個人情報を受け止めて採用してくれたことに驚いた。

さらに山田氏は、次のように続けている。

タリバン時代が暗黒の世界であるような報道に疑問を持ち、アフガニスタン人、関係者の話を聞いた。女性の教育についてタリバンが隠れ学校を黙認したことはNHKスペシャルで説明があった。キリスト教的な見方でイスラム教の教えを否定することは誤りであると思った。NHKディレクター(高木徹)は大仏破壊に至る経過を本にして大宅壮一賞を受賞した。

以上は外側から見た、事実の表面的な推移である。

ところでしかし、アフガニスタンで何ゆえに21世紀の冒頭にこのような暴挙が現実となったのか、民族と部族と宗教と歴史に翻弄され、貧しさの極致に落とし込められ、そこからの脱却の道を見いだせず苦しむアフガニスタン民衆の業と悲しさを、その奥底から抉り出すマフマルバフのエッセー集は読んでいて胸がつまる。アフガニスタンの悲惨な現実を直視しながら何事もなすことのできないバーミヤンの仏像は、マルバフマルの言うように、自己の非力を自覚し立ち続けることができずくずおれたのだ。

バーミヤンの大仏に関してはもう一冊本棚にあった。

『アフガニスタンの仏教遺跡 バーミヤン』前田耕作著、晶文社、2002年1月

である。前田先生のバーミヤンおよびバーミヤンを通って日本に伝わった仏教の想いは本サイトの視点No.9 <「微笑みの来た道」は「イスラームも来た道」~東京藝大美術館「みろく」展を観て想う~> で紹介した。アフガンから新疆ウイグルを通り日本に菩薩の「微笑み」が伝わってくる道筋は血なまぐさく悲惨な歴史でもあるのだ。

野口壽一