روابط طالبان با پاکستان؛ نیروی نیابتی یا تهدید امنیت ملی؟

タリバンとパキスタンの関係、代理勢力か国家安全保障への脅威か?

 

(WAJ: BBCペルシャ語版に掲載されたこの記事は、複雑に変化してきているパキスタンとターリバーンとの関係を分かりやすく簡潔にまとめており、非常に参考になる。現在のアフガニスタン・パキスタン情勢を動かしている支配的なファクターは、ターリバーン内の複数の傾向、ISやアル=カーイダなど過激派、パキスタンのターリバーン・TTP、パキスタン軍統合情報局ISI、パキスタン暫定政府、パキスタン野党(特にイムラン・カーン前首相率いるパキスタン正義運動)などであり、これらがそれぞれの主張・利害にもとづき、アメリカ、イラン、インド、中国、周辺中央アジア諸国および日本の思惑を利用して暗躍している。そのような状況のもとにさまざまな事件が繰り広げられている。その様相は、本サイトの「トピックス」欄でできるだけ追うよう努力してきた。アフガニスタンの問題は、本サイトの読者の皆さんには常識となっているであろうが決してアフガニスタンの内政問題ではないということだ。この事実を身近な人々へ注意喚起をしていただきたい。なお、記事中「戦略的深さ」(strategy depth)とはインドとアフガニスタンに挟まれた細長いパキスタンが自国防衛のためにアフガニスタンを自国の都合の良い政権にするために採る伝統的な戦略のこと。)

 

2023年12月9日 BBCNEWS /Persian
ジャムシード・ヤマ・アミリ(ジャーナリスト)

 

ターリバーンとパキスタンとの関係は、過去2年間に多くの浮き沈みを伴った。 両国軍は国境で何度も衝突した。 パキスタンはターリバーンがテロ集団の統制に失敗していると非難しており、ターリバーンはパキスタン当局者がアフガニスタンの「無能と失政」を非難していると主張している。

こうした外交とメディア上での対立は、パキスタンが170万人のアフガニスタン難民を強制送還する決定を下してから新たな段階に入った。
この状況は地域の観察者にとって驚きだった。 TTP(パキスタン・ターリバーン運動)の結成の歴史と、パキスタンの部族地域におけるこのグループの拠点と中心地を考慮すると、一部の観察者は、ターリバーンは代理勢力であり、パキスタンの命令を聞いていると信じている。 しかし、アフガニスタンでの勝利後、ターリバーンはパキスタンとの関係をあまり気にしていないことを示した。
ターリバーンの2年間(2021年8月から2023年8月)のパフォーマンスは、1990年代に起こっていたこととは明らかに異なっていた。1990年代、パキスタンはターリバーンの支配を認めた数少ない国のひとつだった。

ターリバーン支配の第1ラウンドでは、パキスタンはアフガニスタンを完全に代表していた。イスラマバードは世界規模でアフガニスタンを代表していた。援助はパキスタン経由でアフガニスタンに送られた。パキスタンはターリバーンと国際社会の対話を促進した。ターリバーン支配の第2ラウンドでは、戦略的な問題を除いて、パキスタンはターリバーンの権力復帰からあまり恩恵を受けていない。また、「戦略的深さ」が「戦略的脅威」になっているように見えるため、戦略的な問題にも疑問がある。

9.11同時多発テロは、パキスタンとターリバーンの関係を悪化させた。米国の圧力の下で、パキスタンは立場を180度転換し、米国がターリバーン政権を解体するのを助けた。

パキスタンはターリバーン指導者を「金と引き換えに」アメリカに引き渡した。ターリバーンのムラー・オバイドゥッラー国防相はパキスタンの刑務所で殺害され、ターリバーン政権の現副長官であるムラー・バラーダルは投獄され、屈辱を受け、拷問を受けた。ターリバーンの有力者であるオスタッド・ヤシルが逮捕された。ターリバーンの元指導者アフタル・モハマド・マンスールが、パキスタンとイランの国境で突然殺害された。ターリバーンの指導者の中には、マンスールがパキスタンの助けを借りて狩られたと信じている者もいる。ターリバーンの創始者で指導者のオマルは謎の死を遂げた。
TTPはパキスタンを裏切りと刺殺で非難したが、これは部族文化では許されないことだ。

2001年にカルザイをアフガニスタン暫定政権の長に任命したことについて、パキスタンは肯定的な見方をしていたが、旧統一戦線(訳注:ムジャヒディーンからなる旧北部同盟勢力)の台頭とアフガニスタンにおけるインドの影響力の強大さから、パキスタンはカルザイがアフガニスタンの政治の舞台から完全に排除されたと結論付けた。アフガニスタンは過去40年間、パキスタンの外交政策と国家安全保障の一部ではなかったが、パキスタンの外交政策と国家安全保障は全てアフガニスタンを中心に展開してきた。

第1次ターリバーンが打倒され共和国となってから、インドの役割は非常に強調されるようになった。インドはアフガニスタンとの戦略的・安全保障協定に署名した。アフガン軍はインドで訓練を受けた。インドはカーブルの最も緊密なパートナーとなった。インド領事館がジャララバード、カンダハール、ヘラート、マザールに開設された。パキスタンは、アメリカ合衆国がアフガニスタンにおける極めて重要な役割をインドに譲ったと考えていた。
元独裁者パルヴェーズ・ムシャラフを含むパキスタンは、ターリバーンを再編成し、活性化させようとした。ターリバーンは再びパキスタンを必要としていた。パキスタンはダブルゲームを始めた。一方では、アメリカ人と交戦し、他方では協力した。米軍とパキスタンは情報交換を行った。しかしその一方で、パキスタンは大敗で散り散りになり、挫折したターリバーンの指導者たちを一斉検挙し、軍事センターや諮問センターを建設し、学校を整備し、資金を提供した。
このダブルプレーは共和国末期まで続いた。結局、和平の二重のゲームが続いた。

ターリバーンが権力の座に返り咲くと、パキスタンはアフガニスタンで戦略的な深みを獲得したというのが一般的な見方だった。戦略的な深さとは、ニューデリーに反対し、パキスタンに従順なイスラーム主義政府の存在のことだ。
パキスタンのイムラン・カーン首相(当時)は、アフガニスタン国民は「奴隷制の連鎖」を断ち切ったと述べた。パキスタンのハワジャ・アシフ元国防相はツイッターに、ターリバーンの勝利を称賛した。パキスタンの学校はターリバーンの勝利を広く歓迎した。元ISI長官のファイズ・ハミドは、セレナ・ホタルでコーヒーを飲みながら、すべてがうまくいくだろうと言った(訳注:2021年8月15日のターリバーンのカーブル占拠直後、カーブルを訪問している)。実際、ターリバーンの勝利はパキスタンの勝利と同義だった。しかし、次第に方程式は逆転し、戦略的な深さは戦略的な脅威となった。

第2次政権では、パキスタンはターリバーン指導部に自国と近しい目立たない人物を据えようとした。最初のステップとして、パキスタンはハッカーニー・ネットワークをカーブルに輸入した。(訳注:2021年8月、パンジシール渓谷での共和国勢力の掃討戦に加担したパキスタンはISI長官をカーブルに派遣しターリバーンのカーブル占拠を後押しした。本サイトの記事参照
ハッカーニーとカンダハールのターリバーンが帰還した当初、彼らは大統領官邸で衝突した。
ターリバーン指導部を構成する「カンダハリ・ターリバーン」はパキスタンへの不満を隠さなかった。ムラー・バラーダルとムラー・ヤクーブはデュランド・ラインの国境を何度か訪れた。しかし、ハッカーニー・ネットワークはパキスタンに近かった。最も重要なステップは、ハッカーニー・ネットワークが、パキスタンとTTPの会談をカーブルで主催したことだ。交渉は実りあるものとなり、停戦に至った。(訳注:2022年6月)しかし、TTPは、他のTTP指導者がクナール、ホスト、アフガニスタン南東部全体で殺害された後、停戦を終わらせた。(訳注:TTPは2022年6月からの停戦協定を年末に破棄し自爆テロ攻撃を開始した。本サイト「トピックス」または外務省海外安全ホームページ参照)

停戦が終わると、パキスタンでの攻撃は激しさを増した。パキスタンのシャバズ・シャリフ元首相は国連総会でターリバーンを厳しく批判した。
ブラヴァル・ブット外相とクワジャ・アシフ国防相もターリバーンに対する厳しい攻撃を繰り返した。国防大臣、諜報長官、そして、彼らはカーブルにやってきて、TTP弾圧への協力を求めた。しかし、訪問は決定的ではなく、TTPによる攻撃は日を追うごとに増加した。パキスタンでは、過去2年間で最悪の治安事件が発生している。一方、TTPとパキスタンの部隊はスピン・ボルダク、デンデンプタン、トルカムで何度か衝突した。

 

ターリバーンとパキスタンの紛争の主な理由は何か?

ターリバーンは、パキスタンがカーブルの主権を認めるために率先して行動することを期待していた。しかし、パキスタンはターリバーンを認めようとはしていない。
ターリバーン幹部は、米国の無人機がカーブルをパトロールし、アル=カーイダの指導者ザワヒリをワジール・アクバル・カーン地区で殺害した(訳注:2022年7月31日)後、対アフガニスタン目的でパキスタン領空を使用したとして厳しく批判した。
ターリバーンはニューデリーとの国交正常化を試みた。カーブルのデリー大使館が開設され、インド当局はカーブルに多額の人道支援物資を送った。ターリバーンの国防相でさえ、軍事訓練のためにインドに軍隊を派遣する用意があると述べた。最近、インドはニューデリーのアフガニスタン大使館をターリバーンに引き渡した。ターリバーンの外務副大臣は、両国の関係は間もなく正常に戻るだろうと述べた。インドは、ターリバーンが権力を掌握した際、アフガニスタンから撤退した最初の国だった。インドとの国交正常化は、パキスタンのくびきから脱却しようとするターリバーンの努力を反映している。

一方、パキスタンは、アフガニスタンのターリバーンがTTPの活動を阻止し、TTP指導者をラワルピンディに引き渡すことを期待していた。しかし、それが起こらなかっただけでなく、TTP攻撃が倍増した。ペシャワールの警察モスクへの攻撃、カラチの警察本部への攻撃、ジャミアテ・イスラミの選挙運動集会への攻撃など、連日続く攻撃(訳注:2022年6月の停戦協定が破棄されてから)は、パキスタンでは警戒感が高まっている。ターリバーン指導者は、パキスタンでのジハードは容認できないと二度目に宣言したが、実際には、TTPのコントロールに向けて、ほとんど一歩も踏み出していない。それどころか、TTPにアフガニスタン全土で、社会的、地理的に安全なプラットフォームを提供してきた。
1990年代とは異なり、ターリバーンは世界と直接対話している。ファシリテーターと調停者の役割をもカタールが担うようになっている。これはパキスタンにとって耐え難いことである。
さらに、170万人のアフガン人不法移民を強制送還するというパキスタンの前例のない決定は、緊張を著しく高めている。(訳注:本サイト「2023年11月9日:難民追放、クオシュ・テパ運河の停止を求めるパキスタンとアフガンに緊張高まる」参照)

ターリバーンとパキスタンの間にはあらゆる緊張と相違があるにもかかわらず、イスラマバードは依然としてターリバーン内で最も重要な役割を果たしている。何百人ものパキスタン国民が、カーブルとアフガニスタンで重要な地位に就いている。緊張と対立が高まっているにもかかわらず、両国は依然として関与と協力を信じている。ターリバーンはパキスタンを必要としており、パキスタンには、アフガニスタンのターリバーンに代わる選択肢はない

訳:モハバット・セキナ/編集部

出典  https://www.bbc.com/persian/articles/c0d23rdg7d1o

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