Sexual Slavery by the Taliban: What Lies Beneath the Skin of the City?

(WAJ: ターリバーンによる女性差別は単なる差別ではなく、かつての南アフリカ共和国における人種差別(アパルトヘイト)になぞらえて「ジェンダー・アパルトヘイト」と呼ばれる女性差別隔離政策であり、一種の性奴隷制度である。女性の誘拐、隔離、強制結婚などがいまも続いている。その事実はたびたび報道されているが、その一端を暴露するインタビュー記事が1週間前にも公表された。)

<参考サイト>
残忍なジェンダー アパルトヘイト制度の下で暮らすアフガニスタンの女性たち
https://afghan.caravan.net/2023/02/08/gender-apartheid/

アフガニスタンの女性たちとコバニの娘たちとの比較
https://afghan.caravan.net/2023/01/23/daughters-of-afghanistan/ 

 

ラビン
ハシュテ・スブ 2024年2月25日

私の友人と私は、二人で過ごした小さな喜びに満ちた過去の日々を思い出します。たとえば、バーゲ・バラ(バラ庭園)やバーゲ・バーブル(バーブル庭園)に行ったり、ノウルーズ(訳注:アフガニスタン・イランから中東・アフリカで祝われるペルシャ暦の正月)やイード(訳注:ラマダーン(断食月)明けの祝祭)を祝ったり、並んで座って長老たちの話を聞き、知恵を授かったこと、テレビを見たこと、この街で私たちを喜ばせたあらゆる娯楽のことを。私の友人によると、子供のころ私たちは「都市の皮下にあるもの」という番組をよく見ていて、面白くてためになる話だと思っていました。しかしいま、私にはこの都市全体がまさにその番組と重なって見えます。今日、カーブルでは、人々が苦しみ悶えています。この古き都市で何が起こっているのか、それを知るのは苦痛と困難に苦しむ人々だけです。他には神以外だれも知りません。あたかも過去に逃避するかのように、彼女は心を奪われ、自分の境遇をじっと見つめ続けます。

私は彼女の言葉を聞いて、彼女にそんな考えを捨てさせたいと思います。何が原因で彼女の視線は話の途中いつもさまようのでしょう? 私に言わせれば「小さかった頃は何もわからなかった!」からしょうがない。しかし今では、たったひとつを語るときも、その裏に隠されていることを理解できるでしょう。経験は「知識の母」だと言われます。すると彼女はうなずき、こう言います。「そうです、そうです、ターリバーンがアフガニスタンに来て以来、人々の間ではいつも誰か行方不明の少女のことがささやかれます。ターリバーンがある少女を拉致したとか、数人の女性たちを拘束したとか。消えた女性や少女たちはどこへ行ったのでしょうか? 探している人はいるのでしょうか? 」私はそうは思わないと答えます。そのとき彼女は、私に、恐ろしい真実を語り始めるのです。

「夫婦そろって医師の隣人がいました。ある日、母と妹と私の3人で奥さんに会いに行くと、顔が青ざめ、苦しそうで、ほとんど口をきかず、ただ物思いにふけっていました。驚いた私たちは、何が起きたのかを聞きたくなりました。完全に『ペシャンコ!』でしたから。励まそうと明るく、『あなたのご主人は医者ですね。いつも元気なのは彼のお陰かしら』と水を向けても、彼女は黙って落胆した表情のままでした。

何度も問いただすと、彼女はついに打ちひしがれている訳を話し始めました。聞いただけで身震いするような物語でした。自らも医師である本人、そして私の母と妹の肝を潰した恐怖感が私にも襲いかかりました。みな宗教を語り宗教的たれと命じるターリバーンの恐怖、非道、残忍さに衝撃を受けました。その日から、一瞬でもひとりでいたり、少女たちが失踪したという話を聞くと、あの衝撃が襲ってきます。

私は「お医者様のご主人は何と言ったの?」と尋ねました。

不安な視線を浮かべ迷い迷い彼女はこう言いました。「ある日、夫が病院から遅く帰ってきたの。夫はこれまでめったに聞いたことのない言葉を繰り返しながら悲しんでいました。何が起こったのか尋ねました。なぜ動揺しているのだろうか。病院で何かあったのか、それとも誰かに何か言われたのか。彼は答えませんでした。私はずっと何が起こったのだろうかと考えつづけていました。その夜、彼とは少し話をして、いつもより少し早く寝ました。翌朝、朝食をとっていると玄関の呼び鈴が鳴りました。息子がやって来て、『お父さん、ターリバーンが呼んでるよ』と言いました。夫は立ち上がって玄関へ行きました。しばらくして、武器をもったターリバーン数名が家に入ってきました。門の外には武装した兵士たちと軍用車両レンジャーが待機していました。」

「彼らとさんざん議論したあげく、夫は私に言いました。『起きなさい。私と一緒にある患者の診察に行くよう彼らに命じられた。』」

「私たちは怖くて震えていました。彼らは私たちをどこに連れて行くのでしょうか。私は言いました、患者は病院にいるんでしょう? なぜ連中は私たちのところに来たの? 確かにこの街には医者は少ないけど、どうやって彼らは私も医者であることを知り、どうやって住所を調べたのでしょう?、と」

「これには別の理由があるんでしょうか? 夫は冷静に『いや、落ち着いて、他に理由はない、心配しないで、私がついてるから』と言いました。彼の言葉を聞いて、私は少し落ち着きました。心配でしたが私たちは家を出て、レンジャーに乗り込みました。乗り込むと、パシュトー語で誰かが『目隠しろ!』と言いました。夫はタジク人ですが、私はカンダハールのパシュトゥーン人家族の出身です。だから彼らがカンダハール出身だと分かりました。私はパシュトー語で聞きました。『なぜ私たちに目隠しするの? 患者さんを診られないじゃないの?』彼らは私を見ましたが、反応しませんでした。」

「目をふさがれたまま、私たちは千の不安を抱え見知らぬ道を進むことになりました。狭い路地を18分近く走ったでしょうか。ジグザグ道でした。おそらく近くのどこかに連れて行かれたのでしょうが、追跡できないようにするため、彼らは路地を曲がりくねって進んだんだと思います。それから私たちはある家に入りました。ターリバーンが私の肩をつかんで車から降ろそうとしました。夫は『触らないで!』ときっぱりと言いました。」

「そこがどこなのか、私たちがそこで何をするのか、患者がどこにいるのか、そしていろんな民族の過激派がここで何をしているのか、まったく分かりませんでした。」

「私たちは地下に案内されました。ドアが開いたとき、私はびっくりしました。私が見たものは信じられないもので、私は夫の腕の中に身を投げました。28人近くの若い女性が地下独房に監禁されていました。」

「部屋の隅には女性が体を伸ばして横たわり、腕に点滴の管がつながれ、荒い息をしていました。その瞬間、私はこの国で女性であることの悲劇を知り、なぜ私たちがここに連れてこられたのかを理解しました。」

「ターリバーン過激派の一人は、共犯者と思われる女性過激派の一人に『全員を検査しろ。誰が妊娠し、誰が妊娠していないのか、全員を調べろ』と命じました。私は恐怖に駆られました。私は『たった1つの機器でどうやって全員を検査できるというの?』と言いました。すると彼は『心配するな。上には設備の整った部屋がある』と言いました。階上には、婦人科や産科の診察室のような高度な医療設備を備えた部屋がありました。まるであらかじめ計画されたゲームの画面の中にいるようでした。私たちの運命をもてあそんでいるのは誰でしょうか? 私たちの未来にこれほど暗い影を落とした張本人は誰なのでしょうか?」

「私たちは何が起こっているのか理解しました。この場所は、ターリバーン兵士たちの欲望を閉じ込めるだけの場所ではありませんでした。それは、おそらく将来の卑劣な目的のために、出産を効率化する施設です。私は手伝うしかありませんでした。私は落ち着いて、誰を診察すればよいのかと尋ねました。」

「ヴァルダック州のマイダン出身と名乗り、彼女たちをムジャヒディーン(訳注:聖戦士)の正妻と称えた『カリ・カイス』という男は、私に彼女らの問題すべてに注意を払い、ここで見たことを誰にも、たとえ家族であっても何もいうなと命じました。そうでなければ、私の夫を殺す、と。自分が感じた恐怖から、そして同じ女性たちが耐えている地獄を見て、私はすべてを受け入れるしかありませんでした。私は医師としての義務を果たさなければならないと自分に言い聞かせました。」

「私は夫に部屋から出てほしいと頼み、ターリバーンにも一人になるために出て行ってほしいと頼みました。ターリバーンは拒否しました。私も彼らの立ち会いのもとで検査するようなことはできないと言いました。私は患者の痛みをより正確に診断できるよう、ここでは患者と二人きりにしてくれと主張しました。あなたがここにいるなら、私にはそれができない、と。」

「夫が立ち上がるとターリバーンも後に続きました。しかし、彼らの険しい表情をみると、ドアの後ろから監視するだろうと思いました。」

「彼らが女性2人の名を呼ぶ声が聞こえました。数分後に体から生気を無くした女性が2人やって来ました。そのうちの1人は自由に動き回れる女性でした。彼らの仲間なのでしょう。多分、ずっと部屋の外にいたので最初は気づかなかったのです。私はこの2人の女性に病人を1人ずつ連れてくるように言い、他の健康な女性たちも検査を受けるべきだと言いました。2人は同意しました。現れた患者たちはベヒシュタとかハワとか名乗りました。偽名です。女性の1人はハザラ人でガズニー州出身。もう1人カーブル出身のキジルバシュという女性が来ました。おそらくタジク人だったでしょう。彼女らは何も言わず、身動きもせず、検査が終わると帰っていきました。ベヒシュタという偽名を名乗る女性によると、こうした女性は何人かいるとのこと。彼女はまたこう言いました。『最初は6人がここに連れてこられましたが、その後さらに人数が増えました。ここから連れ去られたまま戻らなかった人もいます。』と。」

「私が聞いた話は信じがたいもので、この時代にこの街でこれほど残虐なことが起こっているとは想像もできませんでした。不思議だったので私は尋ねました。『あなた方はムジャヒディーンの正妻ではないんですか?。彼らはそう言ってましたよ!』と。」

「彼女は笑って答えました。『もし私たちが正妻だったら、なぜ私たちを公けの病院に連れて行ってくれないのでしょう? 私たちはムジャヒディーン〝全員〟の妻なんです。』彼女の目には涙があふれていました。」

「『どういう意味ですか?』と私は尋ねました。」

「彼女は何も言わず黙っていました。沈黙からすべてが強制であることがわかりました。私は彼女に次の人をすぐに連れてくるように頼みました。」

「彼女らは順番にやって来ました。それぞれが語るべき物語と痛みを抱えていました。1人はジャララバード出身でした。彼女の父親は前政権の判事で、ターリバーンは彼の判決を不当として娘を力ずくで誘拐しました。なぜなら彼は高齢で息子が無く、ターリバーンが復讐のために息子を殺害も投獄もできなかったからです 。代わりに、彼らは無実で純心な娘へ復讐することにしました。彼女はまだ25歳で、彼女の体には拷問の痕跡がはっきりと残っていました。彼女の左手首は火傷を負っていました。それがタバコかはたまた拷問中に使用された他の熱い物体によるものなのかは不明でした。彼女の手首にはきつく縛られた痕があり、肉体的な拷問や暴力によって傷がついたようでした。検査のため彼女の胸に聴診器を当てようとして見ると、体にはタバコの焦げ跡と拷問の跡がありました。」

「それ以上何も聞いていませんよ! 答えを聞くのに耐えられなかったのです。」

「その時、責任者らしき者が『デララム(訳注:ニムルーズ州北部にある都市)から来た連中を連れて来い』と叫びました。彼女らはすべて検査のために連れてこられたのです。彼女らを検査するのに5時間近くを費やしました。」

「悲嘆、悲しみ、筆舌に尽くしがたい侵害が彼女らの生涯を包み込んでいました。彼女らの中には、自分の命や苦しみを終わらせる方法が見つからず、この世で生きるよりも死を望み、検査や投薬を拒否した人もいました。」

「カーブル中心街の出身だと名乗ったひとりの少女は、『先生、お願いです、致死量を投与してください。私を死なせてください。もう生きていたくなんです』と嘆願しました。」

「私は『我慢して』としか言えませんでした。」

「彼女は大声で泣きながら、自分は何も悪いことはしていないと言いました。彼女の父親は数年前、ドイツ大使館近くの自爆攻撃で八つ裂きにされました。彼女には兄弟はおらず、妹と虚弱な母親しかいませんでした。何の説明もなく、彼らはある日彼女を道路上で拉致しここに連れてきました。彼女はここに来てから2か月が経ちますが、母親からの連絡はありません。息をするのも苦しく、自分自身が女性であること、そして自分の体を嫌っています。」

「私は尋ねました、『彼らはあなたと宗教にもとづいて結婚したの?』と。」

「彼女の答えはこうでした。『宗教の決まりにもとづいて結婚した? ムッラーもいなかったし結婚式もありません。ある晩、彼らは私をここに連れてきて、部屋にひとりにしました。どのような災難が私を待っているかを知っていたので、私はナイフを探しました。人生を終わらせることのできるあらゆる手段を隅々まで探しました。けれども何も見つかりませんでした。私がどれだけ神に懇願しても、聞いてくれる人は誰もいませんでした。部屋は地下にあり、唯一の出口は1つのドアだけで、そのドアも外から施錠されていました。ターリバーン過激派が来るまで、私は何時間も部屋にひとりでいて、震える声で訴えました。わたしは何も悪いことはしていない、共和国派でも首長国派でもない、ただ生きたいだけの無力な人間だ、と。しかし、私の訴えを聞くものは誰もいませんでした。上の階に連れていかれ、そこの最初の部屋に洗面所とお風呂がありました。通りから拉致されて以来、何時間も監禁されていた私は解放してくれることを願って手と顔を洗いました。気分は最悪でした。私は希望と絶望の間で生きてきました。数時間後、髪の長い戦闘員が部屋に入ってきて、私にいくつかの質問をしましたが、どれも私とは関係ないものばかりでした。

それから彼は去り、数分後にジュースとケーキを持って戻ってきました。彼はそれを私に食べろと勧めました。お腹が空いているのかどうかもわかりませんでした。心では拒絶しましたが、恐怖から受け入れました。』」

「被害者の別の一人はこう語りました。『入り口であなたを出迎えたのはファイズラという名前の男です。彼は私が初日に会ったのと同じ人物です。彼はジハード、ハディースの利点、そして彼らにとって有益なことなら何でも私に話しました。彼は一時的な結婚(ニカ・ムター)やジハード・アル・ニカ(訳注:聖戦士に性的奉仕をする女性)の概念について話ました。私は、母が私を待っているから、行かせてください、私は一般人に過ぎない、と懇願しましたが、効果はありませんでした。彼は、私が彼と親密になることに同意したら、私を解放すると言いました。彼は、現時点では妻は私の他に数人しかいないと強調しました。私はそれを拒否し、泣きながら懇願しましたが、効果はありませんでした。最後に、もし私が彼の申し出を受け入れなければ、もっと悪いことが私に起こるかもしれないと彼は脅しました。』

『初日、ファイズラは私に性的暴行を加えました。同じ日に、他のターリバーン兵数人もやって来て暴行を加えました。私はここに2か月以上います。これまでに100人以上のターリバーン兵が私や他の女性や少女たちに性的暴行を加えました。彼らのほとんどはアラブ人、パキスタン人、チェチェン人です。アフガニスタン人の名誉、尊厳、謙虚さが称えられた時代もありましたが、今では外国人の前でアフガニスタン人はその名誉と尊厳を自ら辱め、踏みにじっています。』」

原文(英語)を読む

Sexual Slavery by the Taliban: What Lies Beneath the Skin of the City?