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(2023年8月5日)

 ターリバーンや自公政権に代わるものは? 

~自民党女性局長らの羽目外しをきっかけに考える~

 

自民党の松川るい女性局長ら一行のフランス研修旅行が「ホントに研修?」と報道やSNSで炎上している。松川議員は自分の娘も同行させていた。

『ウエッブ・アフガン』ではアフガン女性の人権を最重要テーマのひとつとしている。だから、どうしても日本における女性の状況に目が行く。なんせ、ジェンダーランキングでアフガニスタンと日本はどっこいどっこい(アフガニスタン146位、日本116位。2022年度、世界経済フォーラム調べ)という不名誉な状態だからだ。

今回の松川議員の場合は自民党の行事だとしても公党しかも与党の出来事だから詳細を問うのは当然だ。議会や会社役員の女性比率が低いのは日本の弱点のひとつだ。だからその立場にいる女性を増やそうとしているいま、すでにその地位にいる女性の立ち居振る舞いはおのずと注目の的となる。
議員の不祥事や疑問行動は残念ながら日常茶飯事でそのほとんどは「オトコ」だ。とはいえ、女性のそれも結構ある。国会内でファッション雑誌のモデルとして写真撮影したり、男性秘書にパワハラしたり、不倫疑惑を起こしたり、不正選挙をおこなったり・・・。

女性政治家の場合、高級公務員や弁護士などエリートからの転身が多いそうだ。今回の松川氏も外務官僚の出身で、聞くところによるとそれなりの見識と日本の現状変革にむけた情熱をもっていた人だという。テレビでコメンテーターとして登場する彼女の発言を聴いていても、今回のようなスキャンダルになりそうな行為を喜々として行う人物だったようには思えない。ある人に言わせれば、星雲の志とまではいわなくても、それなりの改革の志をもって政界に出ても、そこで何年も暮らし、選挙を経験すると、男女にかかわりなく、泥や芥にまみれてああなりがち、だという。官僚の世界も同じだという。

「空気を読み、忖度する日本の風土」の帰結なのだろうか。

 

「世界最悪」のアフガニスタンでは

今号(8月5日号)を編集していて、一番こころに残った記事は、「アフガンの声」に掲載した「アメリカに頼らずターリバーンに代わるものをつくろう」だった。

ターリバーンが復権して2年がたとうとする現在、ターリバーン政権を「デファクト・オーソリティ」(実質上の政権)として扱う国々が増えている。アメリカはターリバーンと手を組んで、アフガニスタン国内にいるイスラーム過激派集団を管理させるために利用しようとさえしている。
一方、アフガニスタン国民は飢餓に苦しみ、女性と少女を筆頭として人間としての権利や表現の自由を奪われ、苦しい状況に放置されている。

筆者のサマッド・パエンダ氏は、そのような状況に転落したのは自らの責任であるとして次のように述べている。

2001年以降、アメリカを先頭とする諸国がターリバーン政権を崩壊させたあと、アフガニスタンに安定した政権を作り出すのに失敗したのは、

第一に、「(ソ連軍と戦った)ジハードの指導者、司令官、強力な民族集団が民主主義体制でも生き残ったことだった。」裏を返せば、アメリカが「北部同盟」と称するそのような勢力を利用したことだった、と主張する。
第二に「国づくりの機会を捉える国内の能力は低く、国民は独占者や請負業者に対抗するのに必要な能力を欠いていた。」と、アフガン国民の未熟さをあげている。
第三として「この失敗の責任は主にアフガニスタン人とアメリカ政府にある。ソ連崩壊後、アメリカ政府は民主主義確立への誓約を宣言し、傲慢な自信をもっていくつかの他国の政治体制を変えた。その結果、(道義的な信頼を失った)米国はもはや、かつてのように〝変革〟のための国際キャンペーンを展開することができなくなった。」

そして最後に、結論としてこう述べる。
もし明日、アフガニスタンの人々がターリバーンに代わる選択肢を生み出すことができれば、米国をはじめとする世界の大国が、ターリバーンの温存にこだわらず、新たな状況を利用するための手段を講じることは考えられる。新しい状況を作り出す責任はアフガニスタン人自身にある。

私はこの指摘に激しく賛同する。

ソ連軍を引き入れて反対派を抑え国内改革を推進しようとしたアフガニスタン人民民主党、それと闘うのに、パキスタンやサウジアラビアそして最大の後ろ盾としてアメリカを引き込んだムジャヒディーン(ジハーディスト:聖戦戦士)。ところがソ連軍撤退後、ムジャヒディーン同士の、利権を奪い合う内紛はそれまでの戦争よりもひどくアフガニスタンを荒廃させた。そこに登場したのがターリバーン。手詰まり状態に陥っていたアメリカとパキスタンが飛びついて育成し政権につかせたのが90年代後半の流れだった。その過程でターリバーンだけでなくアル=カーイダをも育て、9.11の米国同時自爆テロ事件の元凶を生み出してしまったのだった。その後の20年はいまや周知のことである。

アメリカはターリバーンを一掃した後のアフガニスタンを、日本のように民主化しようとした。できる、と過信した。(アメリカ:アフガン戦争でなにを学んだか 他参照)サマッド・パエンダ氏はアメリカの責任にもふれつつ、しかし、失敗の本当の責任はアフガン人にある、と明言したのである。

 

ひるがえってわが日本は

失われた10年が、手を拱いているうちに30年となってしまった日本の現状に対して深い憂いを表明する人々は多い。不肖わたしもその一人だ。
戦後78年は何だったのか。奇跡の復興と言われた時代と現在の落差はいったいなぜ生まれたのだろうか。サマッド・パエンダ氏と同じように日本の来し方を振り返ってみざるをえない。

太平洋戦争にやぶれ、徹底的に叩きのめされた日本は、軍事、政治、社会的にアメリカに追従・隷従することにより、経済的な富を築くことに成功した。失われた30年といわれ、ゆで蛙と言われても、ジェンダーランキングや報道の自由度が発展途上国並み、いや、それ以下といわれても、国民の大半は2023年現在、世界第3位の経済大国の生活に安穏としている。アフガニスタンとは反対に日本は成功の中の停滞にいるように見える。

日本の場合、戦前の旧支配階級は一部が極東裁判で処刑されたとしても圧倒的多数は公職追放後も生き延び戦後支配機構のなかに潜り込みちゃっかり居場所を確保した。重大なA級戦犯容疑者が首相にもなった。

1951年、吉田茂はサンフランシスコの兵舎のなかで自分一人で安保条約に署名し隷従の道(アメリカの軍事的傘のもとでの経済繁栄)を選択した。日本経済は高度成長し「奇跡の復興」とたたえられた。GDPは順調に増大し、ジャパン・アズ・ナンバーワンとまで言われるようになった。

ところがアフガン戦争でソ連軍の敗色が濃くなり、冷戦体制が終結期に差し掛かると、日本の反共不沈空母としての役割が終わりに近づいた。(1990年前後)アメリカは、GDP世界2位に躍進し足元に迫ってきた日本たたきに本腰をいれた。2番手をたたいてトップの座を維持するのはアメリカの本能だ。日米貿易摩擦の形で表れていた日本への内需拡大、市場開放、金融自由化、構造改革などの諸要求が日本に突きつけられ、半導体協定やBIS規制などを手段としてアメリカは日本たたきにさらに拍車をかけた。バブル景気に浮かれていた日本のGDPは1991年ころから急速に低成長に変じ30年の停滞の道に転げ込んだ。

ここでアフガニスタンの2001年以後の約20年と戦後日本とを比べてみよう。

サマッド・パエンダ氏は第一の要因として、ターリバーン打倒後、旧世代の指導者らが生き残り、アメリカはそのような勢力を利用した、と述べている。この点は日本も同じだ。
第二に、アフタガニスタンの国づくり能力が低く、国民は独占者などに対抗する能力を欠いていた、と述べている。この点が日本とアフガニスタンとの大きな違いであろう。日本は敗戦直後には日本の民主化を要求する大衆的な闘争があったが、GHQはこれを抑え世界の片面(ソ連・中国を排除)サンフランシスコ講和条約を強行締結し日本を世界市場に導いた。そしてすでに導入されていた民主条項を含む憲法を運用し、保守・革新の共同支配体制(55年体制)を構築させた。その間に日本経済はふたつの特需=朝鮮戦争特需、ベトナム戦争特需によってうるおい、奇跡の復興をとげた。これらはいまや常識である。
第三の指摘、アフガンの失敗の原因はアフガン、アメリカの両方にある。いまやアメリカは世界のリーダーとしての信用を失墜している、は重要な指摘だ。日本の成功と失敗の両方に、アメリカの力が大きく作用している。

 

日本の成功と失敗の原因

日本の成功と失敗の原因はいろいろとあり、一言で結論付けることはできない。しかし、戦後日本を成立させたもっとも基底にありすべてに影響を与えている条件は、日本がいまでも、アメリカの存在から自由ではないという事実である。「アフガンの声」の筆者が指摘しているように、そのアメリカが世界の警察官としての能力を喪失し、あわせて世界から道義的信用を失っている現実が、日本の未来に微妙な影をなげかけつつある。

日本はバブル期にアメリカから梯子を外されたままいまに至っているが、軍事的経済的な力はいまだ衰えてはいなくても世界から道義的信用を失ったアメリカに、いままで以上に縋りつこうとしている。

トランプ政権時に始まるアメリカによる中国封じ込め政策とロシアのウクライナ侵略戦争の開始以後、その動きは顕著である。岸田総理はバイデン大統領の要請にもとづき、国民への説明はほとんど行わず反撃能力の保有などをうたった「新防衛3文書の決定」や防衛費のGDP2%への増額などを次々と決定した。アメリカからの武器輸入は倍増することだろう。「岸田総理は、日本の防衛力を抜本的に強化し、その裏付けとなる防衛費の相当な増額を確保する決意を表明し、バイデン大統領は、これを強く支持した。」(日米首脳共同声明 2022年5月23日)
(防衛省 https://www.mod.go.jp/j/budget/yosan_gaiyo/2023/yosan_20230329.pdf))

先々月の6月20日、米国のバイデン大統領は、カリフォルニア州で開いた支持者集会で、日本の防衛費の大幅増額をめぐり、自ら岸田文雄首相に働きかけた成果だったとアピールした。「日本は長い間、軍事予算を増額してこなかった。しかし、どうだろう? 私は、議長、大統領、副議長、失礼、日本の指導者と、広島を含めておそらく3回、異なる機会に会い、私は彼(岸田首相)を説得し、彼自身も何か違うことをしなければならないと確信した」(Smart FLASH 2023年6月22日 https://smart-flash.jp/sociopolitics/240725/?rf=2)とまで言われている。

また、つぎのような指摘もある。
「安倍政権下でトランプ大統領が初来日して以来、バイデン大統領やハリス副大統領、ペロシ前下院議長など、米国要人の米軍横田基地からの日本出入国が常態化し、定着してしまったかのようだ。彼らは出入国審査が不要、フリーパスなのだ。我が国の現状は、将に米国植民地の様相を呈しているのだ。4年前、横田基地から入国したトランプ大統領が米軍ヘリで海自横須賀基地に飛来、へり空母「かが」艦上で500人余の海自隊員を前に訓示したことがある。あたかも宗主国のトップが属国の軍人に訓示を垂れるかのような、屈辱的な光景が繰り広げられたのだ。」(『月刊日本』2023年8月号「巻頭言」(南丘喜八郎))

戦後78年たった現在でも、日本の課題がアメリカから「要望」の形で示され、日本がその実行状況を報告する日米合同委員会が毎月開かれているという現実。(『追跡! 謎の日米合同委員会』吉田敏浩著、毎日新聞出版)

日本は実質上いまだに占領状態におかれている。一方、それを国民には自覚させない、極めて巧妙なイデオロギー操作が完成していると言える。

 

無力感、アパシー

アメリカによる日本支配は巧妙かつ強力に推進されてきた。アメリカは日本での成功により、アフガニスタンを甘く見、状況を見誤ったと言える。アフガニスタンは強烈な部族主義とイスラームの殉教主義をいのちよりも大切にした。日本のような空気を読み、忖度する、あるいは面従腹背する「奴隷の知恵」などはなから持ち合わせていなかった。命をかけて異民族、異教徒と戦った。そこが日本との決定的な違いである。

冒頭で取り上げた女性局長の蹉跌は、一見、些細な踏み外し、はしゃぎすぎに見えるが、実は日本のこのような鉄壁の従属主義にからめとられ、同化した末の姿ではないかと思う。

そうでなければ、現実を直視した末に絶望して割腹した三島由紀夫の道を行くのか、あるいは「Noといえるニッポン」をかかげアメリカでなく反中意識を丸出しに尖閣諸島の東京都化という個人的パフォーマンスに走り、さらに大きな困難を作り出すのか。(この愚行はさらに野田政権の愚行を生み、中国政府の愚行へと雪だるま式に危機を増大させている。)

 

ではどうする

サマッド・パエンダ氏は、結論としてターリバーンに代わる選択肢を作り出そうと呼びかけている。それに倣っていえば、日本も、自公にかわる選択肢を作り出そう、ということになる。しかし日本もアフガニスタンも「デファクト・オーソリティー」に代わる選択肢が今すぐにはないのが共通の現実ではないだろうか。アフガニスタンは民主的な政治社会を生み出す基礎が脆弱だ。いっぽう日本は将来への漠然とした危機感はあっても現状を変革する意思に乏しい国民感情、隷属意識が骨の髄まで染みついている。

事態は単純でも容易でもない。

国内に切実感がないのであれば、現代を生きる世界人類の切実な要求、実践に依拠するしかない。いまそれを体現しているのはいわゆるグローバルサウスと呼ばれる国々である。
帝国主義や植民地主義に食い物にされ、第2次世界大戦後、国家として国際社会に登場し発言権を強めてきた国々の国民は、安穏とした人生を送るわけにはいかない。生きるか死ぬかの切実な局面を生きている。日本が戦後、苦労の中で勝ち得たような僥倖は彼らにはのぞめない。彼らの国家意識には先進諸国に対するあこがれと同時に恨みが込められている。日本がノホホンとアメリカの後についていくだけであれば、将来は、これまでの軽い嫉妬と尊敬から利己主義の隷属国として軽蔑の対象になるだけだろう。幸運にも先進国の仲間入りができた日本がその幸運のよって来るゆえんを理解し、それがいわゆるグローバルサウス、つまり発展途上国、もっと正確に言えば先進国から搾取されいままで成長できなかった国々に心からの反省の姿勢を示し、それらの国々の発展に資する政策を展開し、信用を勝ち取ること以外にはないだろう。

日本にとっての選択肢は、単なる与野党の離合集散・数合わせではない。戦後78年かけて牢固として築きあげられてきた戦後体制、そこに組み込まれた国民意識の改革であるに違いない。グローバルサウスの国々から尊敬される国になること、目指すゴールはその努力の末にあると信じたい。

【野口壽一】

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