(2023年11月15日)
アフガン女性のための日本語学校
~千葉・明徳学園で本格的に授業開始~
希望者殺到!
11月11日、イーグルアフガン明徳カレッジの授業が本格始動した。
定員締め切りのはずだったのに、4日の開校式のあと、10名の申し込みがあり生徒数は30名に。同伴児童も赤ちゃんから中学生まで20人。語学や保育の先生たち、事務手伝いなど運営スタッフ約12名。あっというまの大世帯になってしまった。
授業は10時から12時。
9時からの準備や授業終了後の反省会、次回の打ち合わせ、撤収作業など、半日がかりの充実した“業務”。
4日の初日と同じく授業の間、子供たちは教室に隣接した幼稚園の芝生の園庭でかけまわって楽しい時間。持ち込んだサッカーボールを蹴飛ばしていた。(「編集室から 金子つぶやき」参照)
この日は朝日新聞社から女性記者が取材。さっそく翌日には臨場感あふれる写真と文章で授業の様子を報道。写真をクリックすれば生き生きした文章とまるで生徒になって教室にいるかのような楽しい写真を閲覧できる。
■右をクリックして朝日新聞の記事を読む ⇒「アフガニスタン人女性向けの日本語教室始まる 教師も女性限定」
イーグル・アフガン明徳カレッジの特徴
在日外国人に日本語を教える営利・非営利の学校や官民のボランティア組織はたくさんある。しかし、資格をもった日本語指導員が大学施設を利用して、受講料タダ、全スタッフがボランティア、手作り運営というケースは珍しい。しかも、受講生はすべて女性。独身者から年配者まで。娘と一緒に受講する人もいる。かつ本格的保育サービス付きだ。
10月25日付の「つぶやき」で金子編集委員が書いたように、法務省調べでは2022年12月末時点で全国にはアフガン人が5306人、千葉県に2110人いる。千葉在住のアフガン人事情通に聞くと3000人は下らないだろうという。そのような状況のなかで家庭から外に出られず日本語習得ができない女性が多くいる。子供は学校に通って日本語ができるようになっても、学校から渡される親用の書類が読めない。そんな困りごとの相談にのっていたイーグル・アフガン復興協会の江藤セデカ代表が、明徳学園理事長の賛同を得て、一念発起してはじめたのが、このイーグル・アフガン明徳カレッジだ。セデカ代表に言わせると「8年間日本にいても日本語ができず困っている女性がいる」とのこと。最初はありあわせのリソースで、協力者の善意だけで始めた学校だ。ニーズがあるのはわかっていても最初から営利事業とするのはむつかしい。しかし途中でやめるわけにはいかない。なぜなら、セデカ代表のところにはアフガン人からのさまざまな困りごとが持ち込まれるからだ。とくに昨年から急増したのが、在日間もないアフガン人からの相談だ。
困窮する難民
「日本に逃れ2年 元大使館職員のアフガン人」として、10月30日の毎日新聞夕刊が1面でおおきくその模様を伝えた。ターリバーンが復権する2年前の21年8月までカーブルの日本大使館で働いていたケレシマ・セデキさんの例である。
それまで彼女は6年間、カーブルの日本大使館の領事部で現地の正規スタッフとして働いていた。ところがターリバーンが復帰して日本大使館は業務を停止し大使館員は国外退去。各国大使館現地スタッフをターリバーンは「外国のスパイ」などとして敵視。生命の危険を感じたケレシマ・セデキさんは日本政府の援助でアフガニスタンを脱出し避難民として逃れてきた。日本外務省との雇用契約が続いていたセデキさんは日本では都内の研修施設で自室待機を命じられ昼間は勤務時間内として外出もできず「まるで監獄にいるようだ」と感じたが、「わたしは日本大使館の職員だ」と静かに過ごしたという。しかし、翌22年8月末で外務省から雇用契約を打ち切られ同時に研修施設から退去を言い渡された。それからの生活は自力で切り開かなければならない。人づてに紹介された江藤セデカさん(イーグル・アフガン復興協会代表理事)が奔走し、彼女のアパートを借りることができた。その後、江藤セデカさんの助けを借りてアルバイトを探したり、日本での生活や勉強に懸命に努力している。
<毎日新聞の記事 10月30日夕刊> (デジタル記事はここをクリック)
「ウクライナ避難民に対しては、身元保証人なしでの受け入れや、公立高校での生徒受け入れや、自治体による公営住宅の無償化や生活支援期の支給などがされたが、いずれもアフガン人に対しては実施されていない」と毎日新聞の記事は報じている。
そのような避難民の困窮ぶりと日本政府の冷たい対応を、野党や多くのメディアが取り上げている。その二例。
●「殺されるかもしれないのに、外務省は「早く帰った方がいい」と… タリバン復権から2年、在日アフガン難民800人は今」
https://www.tokyo-np.co.jp/article/277876
タリバン復権以来、日本政府は大使館の現地職員と家族約170人など合計約800人のアフガン人を受け入れてきた。外国と関わりのある人はタリバンに「外国の手先」と迫害される恐れがあるためだ、として東京新聞が、英語を含め多言語を操る、アフガンでは大学教授を務め、日本の大使館でも働いていた男性の日常を取材し報道している。日本政府の生活援助も切れ、専門知識も生かせず肉体労働しかなく、家族を養うことも難しい現実をレポートしている。
さらにヤフーは、「47 NEWS」の次の記事を掲載している。
●「日本での生活は地獄になるよ」アフガンで日本のために働いた大使館の現地職員、外務省が厄介払い?
https://news.yahoo.co.jp/articles/1cfc70bba52b8035afe5a6b597df5606a4cd8ab1
「日本の難民認定者数は2022年、過去最多の202人に上った。このうち、アフガニスタンが147人と大半を占めた。また、法務省・出入国在留管理庁が難民と認定しなかったものの、人道的な配慮から在留を特別に許可したケースも1760人おり、これまでで最も多い(大部分はミャンマーで、アフガンは10人)。
アフガンや、軍事クーデターのあったミャンマーについて日本政府は、日本にいる人の在留延長を認める緊急措置も取った。さらに、ロシアの侵攻が続くウクライナから、避難民2400人以上を受け入れている。」
Yahooのこの記事では読者のコメントが316件ついていて興味深い。日本外務省の冷たい仕打ちを外国(とくにアメリカ)などとの比較で批判する意見が多い。現地アフガンで日本政府(および関係機関)が雇用していた人々の退避とその他の難民申請者や日本で就業や在住希望者などに対する区別をしたうえで日本がどうすべきかについて意見がだされている。
難民や移民の受け入れに消極的な日本政府・社会をどう変革していくか、の課題が浮き彫りにされている。日本社会が真摯にとらえ解決していかなければならない課題だ。その場合、もっとも大切なことは、さまざまな理由があるだろうが、日本にやってきている人びとは、日本が好きでやってきている人が大半であろう。嫌いでやってくる人はまずいないはずだ。そこで大事なことは、日本が好きでやってきた人々が嫌いになって帰っていくような日本は、そこに住むわれわれにとっても住みやすい国ではないだろう、ということだ。
日本を嫌いにさせない
難民や移民の問題に日本としてどう対応していくか。時代の流れを考えれば鎖国などできない。海外からの人材を受け入れ、多文化が共生できる日本をつくっていかなければならない。日本に来た人は基本は親日。そのような人々を反日にさせてはならない。
イーグル・アフガン明徳カレッジにやってくるアフガン女性の多くは千葉市に近い四街道市在住者がおおい。千葉県では四街道市と佐倉市にアフガン人が集中して在住している。その理由は、両市には自動車を解体して部品を取りコンテナ詰めをして輸出する業者が車を保管したり作業を行う「ヤード」と呼ばれる事業場がおおいからだ。
四街道市にはそのような外国人を対象に四街道市やボランティア活動家によるアフガニスタン人支援の活動がある。それらを進めている組織のひとつが四街道市国際交流協会(https://www.y-o-c-c-a.org/)だ。同協会の主な活動のひとつが「外国人市民に対するにほんご学習」支援だ。あわせて市民生活をスムーズに推進できるような支援を行っている。協会はそのモットーを「国境を超え、世代を超え、互助精神で人と人とを結ぶ」。誰もが日常生活の中で体験できる国際交流を目指して、地域にしっかりと根をはって様々な分野で活動する、としている。
四街道市の活動については、ターリバーンが復権する以前の2021年の研究だが、上智大学の田中雅子氏のフィールドワーク「移民女性の健康ニーズをさぐる:四街道市のアフガニスタン人を事例に(pdf)」があり、参考になる。なおこの研究活動の一部はドキュメンタリー映画『Daughters from Afghanistan(アフガニスタンから来た娘たち)』としてまとめられ、昨年には上映討論会(オンライン)も実施されている。
難民、避難民、移民
小山市の取り組み
https://www.shimotsuke.co.jp/articles/-/631592
アフガン難民10家族51人が小山に定住へ 就学支援も
ターリバーン復権の1年後の8月19日、迫害を恐れ日本に退避していた現地職員とその家族ら98人が難民認定された。8月22日、そのうち10家族51人が小山市に定住を希望していると外務省から連絡があり転入手続きを済ませたという。国を中心とした定住支援プログラムなどを通じて、翌年4月からの自立を目指す。一方、市教育委員会は、就学希望者の受け入れ準備を進めている。
毎日新聞はことし8月29日の社説で難民問題を取り上げ、小山市の支援プログラムで就労できたアフガン人男性(51歳)の例を紹介している。その実例では、職場でのコミュニケーションは難しく、収入は月十数万円。年長の子たちは、進学を目指して日本語学校に通う。「日本の政府や社会、企業は、私たちをサポートしてほしい」と願う、と報じている。
小山商工会議所は小山市で就労を希望する23名の採用を加盟企業に呼び掛けている。支援は民間頼み、が否めないようだ。
難民や移民問題に取り組んでいる人びとの多くが、ウクライナ難民とその他の国からの難民との、日本政府の差別的な扱いを問題にしている。また入管法の「改正」では難民申請を2回却下された人は3回目に却下された場合、出身国に強制送還されることになり、危惧の念が高まっている。
日本は、難民や移民の受け入れに非常に後ろ向きで、世界の難民受け入れランキングでもランク外の扱いである。また、難民と避難民を区別し、ウクライナ難民には優遇的な扱いをしている。ウクライナにできたのだから他の国からの難民についても受け入れを増やすことができるはずだ、の声も出ている。
『ウエッブ・アフガン』としては、現地国での平和と進歩、安定と人権の闘いに注目し支援の声を上げていくことと併行して、助けを求めたり、移住を望んで世界から日本へやってくる人々に手を差し伸べる活動にも注目し、情報提供と、多文化共生・融合に向けた日本社会の変革はどうすれば可能なのかを考え、実践していきたい。
【野口壽一】