(2024年1月25日)

 『詩の檻はない』の詩人、大集合 

~パリ発、グローバル・ポエトリー・ナイトの歴史的偉業~

 

われらが育った世界

第2次世界大戦が終わって、世界のあちこちで大量生産された僕らは、ベビーブーマーと呼ばれた。ヨーロッパや日本だけでなく、戦場になったアジアやアフリカや中東、直接戦場にならなかった地域でも、やってきた平和な世界にもどってきた男たちと女たちが出合って、たくさんの僕らが生まれた。

ベビーブーマー世代は戦後復興の好景気の中で成長し、米ソ冷戦のなかでもそれまでになかったさまざまな新しい文化や生活スタイルを生み出してきた。

直接的な戦禍を浴びることなく戦争に勝って豊饒な物質文明を花開かせたアメリカがヨーロッパやアジアを席巻し、迫りくるソ連社会主義圏とせめぎ合う、米ソ冷戦の時代を生み出した。ハリウッド映画が銀幕を世界に張り巡らせ、プレスリーがどこでもかしこでも若い男女を狂喜させ、各種のスポーツがいたるところを巡業し、ビートルズやジョーン・バエズや各国のポップスが世間を沸かせた。

ベビーブーマーたるわれわれは、そのような社会情勢の中、第2次世界大戦後の民主主義世界において、冷戦下のさまざまな世界的な政治的社会的運動を見、参加し、巻き込まれてきた。

アジアでの朝鮮やベトナムでの戦争、核兵器開発競争への反対運動、平和運動、中米・南米での反米闘争、南アフリカでのアパルトヘイト反対闘争。国家間の対立に反対するさまざまな平和運動の中で、運動に随伴する音楽や文学などの芸術が脚光をあび、ある時には政治的な運動に先んじて人々を覚醒させ、奮い立たせ、闘いを領導する局面さえ生み出してきた。

芸術は未来を手元に引き寄せる不思議な効果を発揮してきた。

 

技術の進歩とコロナ禍と芸術の出会い

今年1月21日午前3時55分ヨーロッパ東部標準時に、パリを拠点に開催されたグローバル・ポエトリー・ナイト=イベントは、歴史上数えきれないほど実施されてきたそのような芸術活動のひとつには違いないが、大げさではなく、人類史上初めてと言っていい試みではなかったか、と思う。

なぜなら、2020年年初から世界を覆うようにして広がったCovid-19、つまりコロナパンデミックがなければ、かくも容易に実施し得ないような、イベントだと思うからだ。しかも、テーマは、アフガニスタンという局地的な世界の一角での古臭く非人道的で信じられない内政=詩作や芸術の禁止、狂気じみた検閲にたいして、詩でもって抗議するというこれまた地味な活動だったからだ。

ところがそのような局所的なテーマなのに「人類史上初めて」というのは、Zoomというコロナパンデミックの中で脚光を浴びた技術を駆使し、一晩中かけて、詩人たちが自分で作った詩を順繰りに地球を一回りする形式で朗読をつづけ、抗議の声を上げ続けたからだ。このような試みは、インターネットという技術と、Zoomというハイテク技術がコロナパンデミックという偶然によって誰でもが手軽に使える環境が整えられて初めて可能となったのだ。

 

ひとりの女性の勇気が世界を巻き込む

そしてその客観的な条件下で、アフガニスタンからオランダに避難した勇気あるひとりの女性が発したアピールが燎原の火となった。

彼女は、自身が立ち上げたウエッブサイトで、自分の国で進行する、時代遅れの反動的な政策に抗議の声をあげ、それへの賛同を世界に向けて訴えた。詩の禁止、検閲の強化に詩でもって抗議の声を上げてほしい、と。

https://afghan.caravan.net/2023/02/14/appeal_by_baamdaad/

アフガニスタンで、女性の教育や就労を禁止するだけでなく、近代において広く認められてきたさまざまな人権を抑圧する政策を実施していたターリバーンに、命の危険をも顧みず、その抗議の要請を彼女が発したのが昨年の2月13日。それからわずかの間に世界から100人以上の詩人が共感の詩を寄せた。日本からも36人が賛同した。そして日本では、8月15日に『詩の檻はない』のタイトルで出版にまでたどり着いた。その過程は本サイト『ウエッブ・アフガン』で克明にフォローしてきた。

そして11月にはアフガニスタンからの新しい詩人の参加も実現してフランス語版が発刊された。世界を一晩でひと巡りするイベントはその発刊を記念して行われたのだ。詳細は下記「グローバル・ポエトリー・ナイト: 検閲に対する抵抗の灯台」

グローバル・ポエトリー・ナイト: 検閲に対する抵抗の灯台

寄せられた詩は、ターリバーンに対する抗議、糾弾はもとより、闘う女性たちへの支持・賛同・激励・憧憬、詩の持つ力の誇示、闘い続ける決意の表明、人間性の賛美、反動的な政策への懐疑・否定・憎悪、アフガニスタンの自然や歴史への称賛、未来への確固たる意志、等々さまざまな内容を含んで、肉厚でへこたれない、変革への確信を表明するものだった。

わたしは、アフガニスタンのいまは一時的な反動的な揺り戻しの時期であって、この時代はやがて世界とつながる若者たちの覚醒によって必ず、おのずから変革される、との思いを表明した。その声はターリバーンの若者に届かないかもしれない。この一晩のわたしの朗読は、闇の中に吸収される本の一瞬の空気の振動でしかないかもしれない。しかし、ひとりの女性から始まった波紋は、100人の詩人が受け止めさらに伝播し、SNSの信号となり書籍となり、世界のすみずみにまで広がってきた。そしてそれは変革の日まで耐えることなくつねに拡大しつつ広がっていき、必ずや、アフガニスタンの人々の耳元に届くはずだ。

そんな思いをこめて、わたしは次の詩を朗読した。

次回はあなたもぜひ、この、世界に類を見ない運動に参加してほしい。

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なぜ?

カラシニコフを担いでスマホを手に持つ、そこの髭面のきみ!
君だよ!
砂嵐に頬をたたかれたことはないのか?
小川のせせらぎやカレーズの流れを聞いたことはないのか?
ポプラの葉の風のそよぎを聞いたことはないのか?
羊や鳥たちの鳴きかわしを聴いたことはないのか?
土に食い込むクワの衝撃を感じたことはないのか?
山が荒れた日、吹きすさぶ風に飛ばされたことはないのか?
雪に埋もれた斜面を滑り降りる足元の軋みを聞いたことはないのか?
大雨の夜、大地をたたきつける雨粒に濡れたことはないのか?
それらは全部自然の声、君との会話。
それらを全部、君は、受けとめてきたはず。
君は自然の声を受け入れ共に生きる知恵を持っている。
なのになぜ、ひとの悲鳴や嘆きや叫びを聞けない?
なぜ銃弾で従わせようとするのだ?
君やひとだけが持つ言葉。
銃弾よりもスマホよりも顔つきあわせて話そうよ。
なぜ人前に顔を見せないあの人の声だけを聞くの?
なぜ?

Why?

Hey you with the great beard, shouldering a Kalashnikov and holding a cell phone in your hand!
You, it’s you there!
Haven’t you ever been slapped on the cheek by a sandstorm?
Haven’t you ever heard a babbling brook or a stream of karez?
Haven’t you ever heard the wind rustle the poplar leaves?
Haven’t you ever heard the bleating of sheep and birds?
Haven’t you ever felt the impact of a hoe digging into the soil?
Haven’t you ever been blown away by a gust of wind on a rough day in the mountains?
Haven’t you ever heard the creak of your feet as you slide down a snow covered slope?
Haven’t you ever been drenched by raindrops pounding the earth on a night of heavy rain?
They are all the voices of nature, a conversation with you.
You must have taken them all in.
You have the wisdom to accept the voices of nature and live with them.
Why couldn’t you listen to the screams, laments, and cries of others?
Why do you try to subdue them with bullets?
Words that only human race has.
Let’s talk face to face rather than bullets and cell phones.
Why do you only listen to the words of the person who never shows his face in public?
Why?

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【野口壽一】

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